王都 試合の裏の陰謀
リオンの騎士試験本戦、一日目が終わった夜。
魔王城には、昼間の喧騒が嘘のような静けさが降りていた。
「皇子がさ、『お前ならいい所まで行くかも』って言ったけど、あれお世辞だな。
ぜーったい無理。とてもじゃないけど無理だって思った」
皆で集まった、食後の穏やかな時間。
食卓から場を移し、厚手の絨毯の上で思い思いに座ったり、寝転んだりしている。
柔らかな灯りが壁に揺れ、どこか甘い香草茶の香りが残っていた。
その中心にいるのはアルだ。
勿論、話題は御前試合でのリオンの活躍。
「固くてさ、石像みたいに頑丈そうな戦士だったんだ。
そいつが振り上げた、リオン兄の身長よりもでっかい斧を、ぱあーっと避けたリオン兄はさ、後ろにまわりこんで、一・二・三って、そいつの背中を駈け上って……」
「それから? それからどんな感じだった? アル兄?」
目を輝かせ、身振り手振りを交えて興奮気味に語るアルの話に、その場にいる全員が引き込まれていく。
店に帰り着いた途端、
「どうだった? リオン兄、勝っただろ?」
そう、確信に満ちた目で迫ってきたアーサーだけではない。
大よその概要を聞いていたアレク、ミルカ、エリセ。
ジャックやリュウの年少児は勿論、セリーナやファミーの女の子達。
エルフィリーネやティーナ。
そして、ティーナの腕に抱かれているリグに至るまで、皆が真剣に耳を傾けている。
……勿論、リグには意味は解っていないだろう。
けれど、皆が夢中になっていることは感じ取っているのだろうか。
身動き一つせず、じっと空気を見つめている。
本当に、空気の読める子だ。
で、当のリオンはというと。
少し離れた食卓の椅子に残り、居心地の悪そうな顔で、アルの語る武勇伝を聞いていた。
右手に巻かれた白い包帯が、灯りの下でやけに目につく。
今日の最終戦。
槍使い、ヴァルさんの攻撃で受けた傷は、中指と人差し指の間を、手の甲から手のひらへと突き抜けるように貫通していた。
骨が砕けていないのが、奇跡と言っていい。
よくこれで拳を握れるものだと、思う。
治療しようか、とも言った。
いろいろ不確定要素の大きい、私の能力。
『変化』による治療は、リオンなら以前一度成功しているし、大丈夫だとは思ったのだけれど。
「それは、『精霊』の力だ。
ライオとの約束に反する」
そう言って、きっぱり拒否された。
「怪我をしたのは俺のミスだ。
一日で治したら、不審がられもする。
このままでいい」
本人がそう言うのなら、仕方がない。
けれど、明日は騎士試験――御前試合の決勝戦。
リオンにとって、今回の参加者の中で一番の難敵である筈だ。
……心配だ。
武術家、カニヨーンのウルクス。
明日のリオンの対戦相手。
リオンと同じく、この試験で初めて準貴族の地位を得た人物だ。
カニヨーンというのは、アルケディウスの国境近くにある小さな村の名前だそうだから、そこの出身なのだろう。
「リオンとはタイプが違いますけれど、徒手空拳。
接近戦による肉弾戦がメインの武術家ですね。
騎士試験に出てくるのは珍しいタイプだ、とソレルティア様が言っていました」
思い出す。
筋骨隆々という言葉がふさわしい、みっちりと鍛え上げられた肉体。
ズボンは動きを妨げない、だっぽりとしたもの。
上半身はほぼ裸と言っていい。
足は裸足で、手甲も足甲も無し。
防具と言えるのは、手に巻いたバンテージじみた布だけ。
出場者の大半が、既に騎士資格を持つ準貴族で、鎧や防具をしっかりと身につけていたことを考えると、確かに異色だ。
彼に比べれば、リオンの方がまだ『ちゃんとした服装』をしていた。
髪は少し濃い茶髪。
赤みがかった茶色の瞳。
視界や動きを妨げないよう、やや乱れつつもすっぱりと切られた角刈り。
年齢は多分、三十代後半。
子ども上がりなら、もっと若いうちに不老不死になるだろうから、最初からの不老不死者なのだと思う。
「奴の試合は見たが、強敵だ。
正直、今の状態だと、勝てるかは五分五分かなって思ってる」
「リオンが……そう言うの?」
実際に試合を見た私とフェイは、アルの話から少し離れ、リオンの側に集まる。
皆が話に夢中になっている今なら、多少突っ込んだ話や弱音があっても、聞かれずに済む。
「スピードは互角か、ちょっとこっちが上。
だが、身体の持つパワーが違い過ぎる。
単純な膂力なら、完成された『精霊の獣』モードの俺に匹敵するくらいはあると思う」
声を失う。
私もフェイも、呼吸を忘れそうになるほど驚いていた。
そこまで強いとは……。
「加えて、鍛え上げられた肉体から繰り出される技は、俺が見る限りだが、かなり実戦慣れしている。
場数を踏んでいる、と言っていい。
それも、対人に特化している。
表舞台で生きる人間のそれじゃない。
闇の中で、多くの不老不死者と戦い、倒し、目的を果たす為の技術と戦い方だ。
……あれは」
戦士の能力の見切りについて、私やフェイがリオンの判断に異議を挟める訳がない。
幾度となく転生を繰り返し、戦い続けてきたリオン。
彼がそう言うのなら、そうなのだ。
間違いなく。
「犯罪者……ってこと?」
「そうは言ってない。
ただ、裏の世界で使われてきた用心棒とか、そういう類だと思う。
正統派の戦いしかしてこなかった準貴族が、戦ったことのないタイプの相手と戦わされれば、意表を突かれて負けても無理はない」
「……じゃあ、元は裏の人間で……ゼファードさんみたいに、足を洗おうとしたのかな?
あの子達の為に……」
『あの子達』というのは、帰り際、闘技場から出てきた私達を呼び止めた男の子のことだ。
多分、五、六歳くらい。
茶色の髪と瞳。
くりくりとした、可愛い目。
――生きた目をしていた。
参加者・関係者出口で声をかけてきたから、試合参加者の関係者だとは思ったけれど、それでも珍しかった。
子どもを街で見ることは、まだ滅多にない。
その子は、リオンに向かって言ったのだ。
「おねがいします!
あしたのしあい、おとうさんにかたないでください!」
『明日の試合』と言う以上、この子はウルクスの関係者。
しかも『おとうさん』。
実子か養子かはともかく、ウルクスを親と慕っていることに疑いはない。
リオンの服を掴み、今にも泣き出しそうな顔で訴える。
「おとうさんが、まけたら……ぼくたちは……おねえちゃんは!」
「どういうことだ?」
リオンが問い詰めようとするより早く、
「何をしている! クレイス!!
そいつに近付くな!」
遅れて出てきたウルクスが、強い声でその子を引き戻した。
慌てて駆け戻った子は、何やら話し、叱られているようだった。
ウルクスの側には、もう一人子どもがいた。
七、八歳ほど。
島に来たばかりのミルカと同じくらいの女の子。
さらに、数名の男達が付き添っている。
本来、明日闘技場で対戦する戦士同士、どんな理由があろうと外で関わるべきではない。
八百長や不正を疑われる。
……何より、実際、あの子は。
『おとうさんに、かたないで』
と、八百長を依頼したのだ。
私達はそのまま場を離れ、店に戻った。
彼らには声をかけなかったから、その後は知らない。
「あれは……どういうことだったのかな?
不老不死者と、子どもが、親子?」
話しかけてきた男の子とウルクスは、似た色合いの目と髪をしていた。
実の親子だと言われても、違和感はない。
……似ていない部分も多いけれど。
けれど、もう一人の女の子は、かなりの美少女だった。
金髪に蒼い瞳。
ウルクスの実子なら、『お母さんに似て良かったね』と言いたくなるほど、似ていない。
「勝たないで……って、どういうことかな?
親子なら、勝って欲しいとは思うだろうけど……」
「さあな。
どちらにしても、聞き入れられない話だが……」
子どもだから、深く考えていないのかもしれない。
けれど、見も知らぬ対戦相手に直訴するなんて……よほど、追い詰められている。
相手がリオンでなければ。
例えばヴァルさんだったら、騎士団に報告が上がり、問題になっていたかもしれない。
「……それと、関係するかは解らないんですけれど。
店で、ジェイド達に、ちょっと面白い話を聞きました」
「面白い話?」
フェイが少し考え込むような仕草をした後、そう切り出した。
口では『面白い』と言っているが、表情はまったく笑っていない。
むしろ、冷静で、冷酷な魔術師の目だ。
「ええ。騎士試験なんですけれど、その勝者当ての賭け事が行われているようです」
「賭け事?」
「はい。
ジェイド達は、元は路地裏にいた子達ですから。
今まではそんなお金も無かったけれど、今年はどうだ、と昔の知り合いに声をかけられて、一枚買ったとか」
「昔の知り合い?
まだそんな人が絡んでくるの?」
「そこまでタチの悪い相手ではなさそうです。
普通の商人の間にも流れている話のようですから。
リードさんやガルフも知っていました。
大っぴらにやっている訳ではありませんが、胴元は商人ギルドの長が運営しているガルナシア商会。
ある程度の信用がなければ、換金保証ができず、賭けは成立しません」
貴族や大貴族も一枚噛んでおり、年に一度のお祭りのようなものだから、騎士団や皇室もほぼ黙認しているという。
……向こうの世界でも、似たようなものはあった。
完全否定はできない。
賭けられる側は、嫌な気分だろうけれど。
リオンの視線が、どこか宙を泳いでいる。
「ですが、今年はその賭けが大荒れだそうです。
本命が騎士団のヴァル卿。
対抗が剣士レスタード卿。
その二人が揃って今日、ニューフェイスに負けましたから」
「「え?」」
考え事をしていた私と、話題から顔を背けていたリオン。
一気に空気が変わる。
「試合開始時点で賭けは締め切られ、オッズも公開されています。
ざっくり言えば、全賭け金の四割を胴元が確保し、残り六割を当選者に配る形です」
フェイの静かな声に、心臓が嫌な音を立てた。
「はっきり言うと、リオンに賭けている人物は殆どいませんでした。
無名の子ども、ですから。
ジェイド達が一人一枚買った、少額銀貨一枚のリオンの籤。
このまま優勝すれば、金貨一枚以上になるぞ、と言われたそうです」
「少額銀貨が……金貨一枚?
百倍……?」
「ええ。……ただ、それはまだいい」
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
「今回のニューフェイスは三人。
その中で、さらに倍率が高かった人物が二人います。
リオンが倒した鞭使いゼファードと、決勝に残ったもう一人、カニヨーンのウルクス。
この二人の籤を持っていて、どちらかが優勝すれば、倍率は四百倍近くになるそうです」
「よ……四百?!」
金貨四十枚。
向こうの世界で言うなら、四千万円。
無視できる額ではない。
「考えすぎなら、いいと思います。
ですが、リオンの嗅覚はウルクスを裏の住人だと言い、
その子どもが『勝たないで』と願った。
明日、彼のセコンドと、見学者席には注意した方がいいかもしれません」
ぎりり、と音がした。
「ふざけるな……」
包帯の下から血が滲んでいる。
それは、滅多に見せないリオンの怒りだった。
「今回の試験に……どんな思いで、皆が戦っていると思っている……」
叩き付けるような怒り。
――考えすぎであって欲しい。
けれど、フェイがそこまで考えて口にした結論なら。
私は、目を逸らせなかった理解した。
「ねえ、フェイ?
子どもを人質にして、子どもを助けたかったら優勝して貴族位を手に入れろって言われたのなら、準優勝、準貴族最高位じゃ交渉はできないかな?
多少は支度金とか貰えるんでしょう?」
私の問いに、フェイは一瞬だけ目を伏せた。
言葉を選んでいる、というより――現実を測っている顔だった。
「ウルクスを試合に出した人間の目的が、自分の息のかかった人物を国の中枢に入れて……というものであれば、可能性はあります。
ですが、目的の主が賭け事の掛け金である場合……難しいでしょう」
淡々とした口調が、逆に残酷だった。
「僕は辞退しましたが、合格した文官に与えられる支度金は、金貨一枚ほどだそうです。
それでは、普通の子ども奴隷でも買えるかどうか……」
私は唇を噛む。
「僕が脅迫者なら、
セコンドには息のかかった見張りを。
観客席には子どもと保護者を装った配下を入れ、負けたら殺す、と脅すでしょうね」
静かすぎる声音で、フェイは続けた。
「その場合、子どもの一人……多分、女の子は、別の場所に監禁されているでしょう」
――うん。
私も、同じことを考えていた。
「……私、今から向こうに戻る」
私は、はっきりと言った。
「戻ってガルフに相談してくる。
もしできるなら、ライオット皇子の所にも行って……」
「僕も行きます」
フェイが、間を置かずに続く。
「ガルフやジェイド達。
ことによったら、クオレ達の手も借りた方がいい。
奴らは、誰にも気付かれていないと油断している筈です。
僕達が最速で動けば、助けられる隙はあります」
テーブルから立ち上がった私を追うように、フェイは言った。
一緒に動いてくれる。
それだけで、胸の奥に力が入る。
「リオンは魔王城に残って。
明日に備えて、身体を休めてて」
俺も、と立ち上がりかけたリオンを、私は先に制して首を振る。
「リオンは、勝たないといけない」
言い切る。
「明日、ウルクスにどんな理由があろうと。
……ううん、ウルクスの為にも、勝たないといけない」
ウルクスが優勝すれば、裏の息がかかった人間が国の中枢に入る。
子どもを人質にして何かを迫る人間が、目的を果たしたからと約束を守る筈がない。
十中八九、子どもは人質のまま。
命令を聞かされ続ける。
それだけは、絶対に許せない。
「リオンは、賭け事とか、脅迫とか考えないでいい。
ただ、全力で挑んで…勝って。
皇子との約束を守って…」
リオンがやるべき事はそれだけだ。
後は、私達が勝手に考えて、勝手にやること。
「解った」
立ち上がりかけた腰を下ろして、リオンは目を閉じた。
「俺は、明日、自分の全力をもってウルクスを倒して優勝する。
だから…任せた」
「うん」「はい、確かに任されました」
「何? 何があったんだ?」
話を終えたアルが、私達の様子に気付いたのだろう。
駆け寄って来る。
「アルも来てくれますか?
事情は道々話します」
「解んないけど、解った」
「エルフィリーネ。みんなとリオンをお願い!」
「解りました」
駆け出し、城を出た私達はその後の事は知らない。
けれど、なんとなく想像はつく。
「何? どうかしたの? マリカ姉達?」
「何でもないさ。心配するな」
心配そうに私達を見送るエリセの頭をそっと撫でるリオン。
彼は集まる兄弟達に言う、いや誓うだろう。
「約束する。
明日、俺は必ず優勝して、上に立つ。
あいつ…ライオとの約束を守り、神に挑む為の一歩を手に入れる、と」
この国に、歴史上初めての少年騎士貴族が誕生する――
その、直前の夜だった。




