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アルケディウス 星と海と

 私の仮病騒動で気づけば火の月も終わり、季節は風の月へと移っていた。

 そんなある日のこと。


 私は店の皆と、リオン、フェイ、アルに――本当に無理を言って、無理を言って――旅に出ていた。


 先行する馬車にはトランスヴァール伯爵。

 後ろの馬車には、リオンとフェイ、それにラールさんが同乗している。


 復帰して最初の地の曜日。

 調理実習が終わったその日のうちに、無理を承知でお願いして馬車を出してもらったのだ。


 目的地はトランスヴァール伯爵領。

 かの地には――海があると聞いている。


「海産物が欲しいです! できるならナーハの油も!!!」


 トランスヴァール伯爵から話を聞いて以来、その思いは日ごとに膨らんでいた。

 本当に、もう心から。

 魂の底からの叫び、と言っていいくらいに。


「海産物、ですか?」


 私の突然の力説に、ラールさんが少し考えるように首を捻る。


「確かに、昔は魚も食卓に上ることはありましたが……五百年の時を経ておりますし、今も漁などがされているとは……」

「もちろん、魚が獲れれば最高ですが、海の恵みは魚だけじゃありません。

 真珠を探しに貝を採りに潜る方がいらっしゃるということなので。

 ウニ、牡蠣、ホタテ……と言っても通じないかもですが、大掛かりに船を出さなくても採れる貝類もありますし、海藻類を干すことで良い出汁が出たりもするんです!

 とにかく、本当に海産物が欲しいんです!」


 だって――本当に、レパートリーが尽きかけている。


 私は繰り返すけれど、料理の専門家じゃない。

 家でストレス解消にマンガの本を見ながら料理を作っていた、ただの保育士に過ぎない。


 しかもこの世界には、醤油も味噌もない。

 お米もない。

 出汁をとるための鰹節も、昆布も、煮干しもない。


 そんな状態で、毎週料理を作り続けていたら――

 覚えているレシピなんて、あっという間に底をついてしまう。


 それでも何とかなっているのは、私の愛読書だった料理マンガのおかげだ。

 百冊を超えるほど続いた長寿シリーズで、しかも普通の料理マンガには珍しいくらい、家庭料理からヨーロッパの料理、お菓子、果ては手作りケチャップの作り方まで、とにかくバリエーションが豊富だった。


 ――でも、流石にそれも限界が近い。


 このまま週二回の料理実習を続けていたら、教えられる料理は早々に尽きてしまう。


 バリエーションを増やすためにも、魚は絶対に欲しい。

 それが無理なら、せめて貝類を。

 昆布やワカメのような海藻が手に入れば、もう言うことはない。


 そして、海産物と同じくらい切実に欲しいのが――食用油だった。


 ナーハがおそらく、私の知るアブラナ――所謂、菜の花と同一植物であろうことは確認できている。

 魔王城の島で採取した量は決して多くはなかったけれど、それでも良い油が取れたからだ。


 けれど、それを食用油として使うには、まだまだ量が足りない。

 ペットボトル一本分の油を作るのに、その倍以上の重さの種が必要になる。


「油があれば揚げ物ができます。作れる料理のバリエーションも、格段に上がるんです。

 貴重な食油を『拙しい人が灯りに使う』くらいに採れているのであれば、買い取らせて下さい。食用に使います。

 代わりに蝋燭を提供するくらい、全然ありです!」


 私の必死すぎるプレゼンテーションのおかげで、ガルフと皇子の許可が下り、こうして弾丸旅行と相成った。


 ちなみに、海産物を仕入れるとなれば、魔術師の転移術は必須だ。

 海産物は鮮度が命。

 必然的に、トランスヴァール伯爵にもフェイの存在と能力を明かすことになったのだけれど――


「我が領地が、ロンバルディア候領のように食物の産地として豊かになるのであれば、全面的に協力いたします」


 伯爵は、そう言ってくれた。


 これが派閥鞍替え前であれば、当然許可など下りなかっただろう。

 けれど今は、危険を承知で皇子の命令に従い、第一皇子派閥のスパイをしてくれているトランスヴァール伯爵を信じる――という判断がなされたのだ。


 


 アルケディウスの王都は、皇国全体で見るとかなり北方に位置している。


 ちなみに、アルケディウスを縦に突っ切ると、馬車を使っても一週間以上かかるという。

 以前、王都からロンバルディア候領まで行った時は、馬車で三日かかった。


 私の感覚では、一日に進める距離は六十から八十キロメートルほど。

 つまり、アルケディウスの縦の長さは五百から六百キロメートル前後。

 ――北海道と、ほぼ同じくらいだろうか。


 真ん中に大聖都があり、同じくらいの大きさを持つプラーミァ王国まで含めて大陸を縦断するなら、千キロメートルを超えるかもしれない。


 あ、距離や重さの単位は、この世界のものと向こうの世界のものでは当然違う。

 距離はグランテ、重さはルーというらしい。

 けれど体感としてはそれほど大きな差はないので、私は頭の中でメートルやグラムに変換して考え、魔王城でもそう説明していた。


 横に突っ切る場合は場所にもよるけれど、四~五日。

 王都から隣国フリュッスカイトへ、国境を越えるだけなら三日ほどで辿り着く。

 フリュッスカイトの王都までは、さらに五日ほどかかるそうだ。


 話に聞いた範囲での大雑把な感覚だけれど、この世界の七王国と大聖都の大陸は、日本をぐるっと丸めたくらいの大きさ。

 縦幅は千キロほど、横幅もおそらく同じくらい。


 徒歩や馬車で移動するとなると広大だけれど、向こうの世界のオーストラリア大陸やアメリカ大陸と比べれば、多分ずっと小さい。


 そして――

 『星』という言葉が示す通り、この世界は球体なのだということを、以前シュルーストラムとフェイが教えてくれた。


 太陽があり、月もある。

 地球によく似ているけれど、少し小さく縮小されたようなこの『星』。

 その生き物たちは、『星の意思』によって生み出され、守られているのだという。


「ねえ、フェイ?」

「なんでしょう?」


 アルケディウスからトランスヴァール領までは、馬車でおよそ三日。

 旅はどうしても退屈になる。

 私はそんな中で、あれこれ考えを巡らせていた。


「海を移動する、って概念は無いのかな?」

「海を……ですか?」


 考えたこともなかった、という顔でフェイが返す。

 私は退屈しのぎに書いていた木札を差し出した。


「この『星』は球体なんでしょ? 例えばアルケディウスとプラーミァ。

 こういう風に行ったら、地上を歩くより早くない?」


「『星』が球体? そんな話は聞いたこともありませんよ?」


 くるりと、木札に丸を描き、線を引く。


 フェイに向けた話だったけれど、同じ個室にいる以上、リードさんにも当然聞こえている。

 驚きに目を見開くリードさんを見て、私は逆に驚いた。


「え? 知らない?」

「当たり前の事だろ?」

「精霊術士でも、それも直接精霊と話せるような高位精霊から聞かなければ解らない話です。知らなくても無理はありません」


 フェイは口角をわずかに上げ、別の意味で瞬きをするリオンとリードさんを交互に見た。


「精霊達と直接会話する魔術師の多くは、五百年前に滅びました。

 今いる精霊術士の多くは、杖に精霊が宿るとも知らず、ただ伝えられた呪文で精霊達の力を引き出しているだけです。

 リオンが教えていれば皇子はご存知かもしれませんが、国の王族や皇族でさえ、『星』が球体であるとか、天空に太陽と月と、この星が浮かんでいるなどとは知らないと思いますよ?」


「え? 星が球体で、太陽と月と星が浮かんでいる?

 何を言っているのか、さっぱりです?

 大地は一枚の板で、太陽と月がその周囲を回っているのでしょう?」


 所謂、天動説。


 星や世界を俯瞰して見られなければ解らない説だから、可笑しいとは思わない。

 けれどアルケディウスの書物には、普通に地動説を伝える内容もあった。


 宇宙に浮かぶ星と、太陽と、月の図も。


 まあ、この太陽系がどう成り立っているかまでは書かれていなかったけれど。


「でも、『星』なんだから……あ、そっか」


 そこで、ようやく自分とこの世界の常識の違いに気づく。


 私は向こうの世界の常識で、『星』をこの世界に浮かぶ『地球』のようなものだと思っていた。

 けれど、この世界の人々にとっての『星』は、大陸であり、大地であり、世界そのものなのだ。


 それが球体だとか、宇宙に浮かんでいるだとか。

 そんな話は、それこそ『星』に直接聞かなければ解らない。


 天体望遠鏡を作り、観測を続け、研鑽を重ねて――

 人の力だけで星の真実に辿り着いた、向こうの世界の天才のような存在でもいなければ。


「古い魔術師達も、『星』の精霊からそれを聞いていたとしても、積極的に世に伝えようとはしなかったと思いますよ。

 彼らの役目は『星』と人を繋ぐこと。星が平面でも球体でも、大差はありませんから」

「では、本当に星は丸くて、空に浮かんでいると? ありえません。そんな事をしたら、落ちてきますよ?」

「『星』が護ってるから平気なんだ」


 完全に混乱しているリードさん。


 でも、重力や天体の仕組みを素人に分かるように説明するなんて、私には無理だ。

 リオンの言う通り、私の知るそれとは違う法則があるのかもしれないし。


 だから――


「まあ、それはそれとして……」


 自分で振った話だけど、ここは強引に話題転換。


「じゃあ、船を作ってよその国に行く、とかは無いんだ」

「俺が旅してた時でも、河を渡る小舟程度のものしかなかったな。

 何日も海を行く船を作れる技術は、まだ無いと思うぞ」

「今はどうなのかな? この世界の船舶技術って、どんな感じなんだろう?」


 需要がなければ、技術は発達しない。


 今回は海!

 海産物!

 欲しい!


 ――だけで突っ走ってきてしまったけれど。


 考えてみれば、国と国の出入りの仕方も、国境の扱いも、領地と領地の行き来も。

 私はまだ、アルケディウスについてさえ十分に理解できていない。


 焦りは禁物だ。

 けれど今後は、そういうことも考え、学んでいかないといけないのかもしれない。


 せっかく海辺の町に行くのだから。

 ちゃんと、見て来よう。


 そう思っていた、その時だった。


 ふいに、何かが変わった。

 空気の色――だろうか。


 どこかツンと尖った、今までとは違う匂いが混じった気がする。


「外をご覧になって下さい。海が見えてきましたよ」


 御者さんの声が、箱馬車の中に響いた。

 小窓をそっと開ける。


「うわー……ホントに、海だ~」


 街道の向こう、遠く広がる水面。


 この世界に来て、初めて見る海は。

 向こうの世界と同じように、晴れた秋空を映して――蒼く、静かに輝いていた。

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