王都 貸しと借り
「多分ね、あの方は貴女に恩を売りたかったのよ」
第一皇子妃、アドラクィーレ様のお茶会から戻った私の報告を――
『つまらない子』
という言葉に至るまで聞き終えると、第三皇子妃ティラトリーツェ様は、ふう、と息を吐くようにそう言った。
「恩、ですか?」
意味がよく分からず首を傾げる私に、ティラトリーツェ様は頷く。静かに、しかし確信を含んだ仕草だった。
「貸し、と言ってもいいかしら。困っている貴女を助けることで優位に立ちたかったのよ。きっと」
「ああ!」
そこまで言われて、やっと輪郭が見えた気がした。
私はガルフの店に所属し、第三皇子家に庇護されている。
今は第一皇子妃に預けられてはいるけれど、いずれ返さなければならない預かりものだ。
――けれど、できれば返さず、手元に置きたい。
そう思っていただけていると、自惚れることにしよう。
では、どうしたら手元に留められるか。
可愛がって懐かせるのが一番分かりやすい手ではあるのだろう。
でも、私にとってアドラクィーレ様は最初の印象が悪すぎる。
それくらいは、あの方もきっと理解している。
いきなり猫撫で声で可愛がったところで、私は多分警戒する。
なら、困っているところを助けて恩を売ればいい。
そういう算段。
「私がもうちょっと可愛げがあったら、ドジっ子して甘えて、アドラクィーレ様の庇護を受けて懐に入り込む、っていうのも手だったんでしょうか?」
「まあ、そういう手も無くはないけれど……止めておきなさい。下手に取り込まれると、本当に戻ってこれなくなるわ」
「はい、分かりました」
ティラトリーツェ様がそう言うなら、止めておく。
だって、アドラクィーレ様相手にその手は危険だ。
下手に懐いたふりをして、本気で気に入られたら。
その後、やっぱりティラトリーツェ様のところに戻ります、情報はもらって行きます――なんて言ったら。
間違いなく大惨事になる。
不老不死の世界。
一度買った恨みは、簡単には消えない。
余計なトラブルを増やさないのが吉。
「では、どうすれば……?」
「今まで通り。言われたことを言われた通りにしていればいいわ。もう十分目立ってはいるけれど、目立ち過ぎず、余計なことはしない……。あと、能力の使用も厳禁よ。そのお茶会でカップを治した、という時も見られてはいないでしょうね?」
「ない……と思います。テーブルクロスの下でしたし」
「油断はしないこと。いつどこで誰が見ているか分からない、と心しなさい」
「はい、分かりました」
胸の奥に刺さった棘が、ほんの少しだけ抜ける。
言葉にされると、整理できる。
敵意の渦に放り込まれても、私は私でいるための手綱を握り直せる。
とりあえず、明日はお休み。
王宮に行かなくてもいい日だ。
次の料理実習は明々後日。
明日はガルフに頼んで休みをもらって、少し魔王城でのんびりしてこようかな。
ささくれたこの気持ちには、癒しが必要だ。
子どもたちの声。あの温度。あの空気。
それがあれば、きっと自分を取り戻せる。
ティラトリーツェ様の元を辞し、店へ戻る。
――そして私が馬車から降りてガルフの店に入った、その同時。
「マリカ、ちょっと……」
「あれ? リードさん、どうなさったんですか?」
リードさんが、ほとんど有無を言わせず私の手を取った。
本店の奥の奥――ガルフの部屋へ。
招かれるまま入ると、そこには心配そうな顔のガルフがいた。
そして、執務机の上には、いかにも嫌な予感のする紙が一枚。
「え? 何かあったの?」
「聞きたいのはこちらです。王宮での調理実習は週二日ではなかったのですか?」
二日続けて城に行く羽目になったことを言っているのだろう。
――確かに、私はちゃんと説明していなかった。
昨日は、説明するのが億劫なほど疲れていたし、緊張もしていた。
戻ってきたのは夜遅く、出かけるのも早かった。
言葉にする余裕がなかったのだ。
「そのお約束ですけれど、アドラクィーレ様がお茶会を行うので差配を、と言われれば断れないでしょう?
木の曜日に調理実習。調理実習の終わりに茶会準備の命令。
そして今日が茶会だったのです。
とりあえず無事に終わったので、明日と明後日はお休みのはずです。
明々後日の風の日は、また調理実習ですけれど……」
「なるほど……。だからこれですか?」
「? どうしたのです? 何かあったのですか?」
執務机の上の紙を見ながら、二人がほとんど同時に溜息を吐く。
その息の重さが、嫌な予感を確信に変えていく。
わー。
これ、絶対ろくな話じゃない。
「明日、王宮に参ぜよとの第一皇子からの召喚命令です。マリカ様に」
「なんで?」
思わず声が出た。
明日は休みをもらえると思っていたのに。
なんで、こんな……。
「御婦人方の茶会が好評だった。故に大貴族方々も興味を持った。
毎週火の曜日に第一皇子主催の大貴族の会議がある。
そこでの昼餐を手伝う様に、と」
「火の曜日って明後日じゃないですか? 明日だけ準備で? しかも昼餐? ちゃんとした料理を?」
悲鳴に、二人は心底同情した目で頷く。
でも頷かれても、私の頭は抱えるしかない。
……ありえない。
ほんっとうに、ありえない。
貴族のパーティの準備は一週間前に知らせるのがマナーだと聞いた。
定例会だからマナー違反ではないのかもしれない。
毎週あるなら、準備が常態化しているのかもしれない。
――でも。
今日の明日の明後日で、国の重鎮へ出す料理を用意しろなんて無茶にも程がある。
「断るわけにもいかず……でも下手に受けると、これは恒例になりますよ」
リードさんの言う通りだ。
アルケディウスは社交のシーズン。
秋の二度目の戦が終わり、大祭が終わるまで大貴族たちは貴族区画に滞在する。
週一、週二と茶会で集まり情報交換をしているという。
今回の件を受ければ、多分毎週やれと言われる。
週の前半に御婦人方のお茶会。
週の後半に大貴族の食事会。
それに加えて、毎週二回の調理実習。
……そんなことになったら死ぬ。
確かに、勉強のためにティラトリーツェ様のところに週五で通っていた。
でもあれは、未来のための鍛錬だったし、守ってくれる手がそこにあった。
私は本職は料理人じゃない。
料理はあくまで、子どもたちを助け、立場を作るための手段に過ぎない。
それに、御婦人方のお茶会でさえ、あんなにごりごりと体力と精神力を削られたのだ。
大人の男性たちの中へ入れ?
給仕をしろ?
絶対ヤダ。
御免こうむる。
「ガルフ。助けて。明日、一緒に第一皇子の所に行ってもらえないかな?」
ガルフを見つめる。
多分、目は潤んでいる。
演技じゃない。涙が出そうだった。
「一回だけ、献立を立てろ、調理を手伝え、くらいならやってもいい。
でも男性の大貴族様たちに給仕をしろとか、毎週、週六で王宮通いなんか絶対無理。
体力的に持たないよ……」
ブラック職場断固反対。
こっちに来てまで過労死なんて、絶対にしたくない。
「分かりました。私の言葉を皇子がどの程度聞いて下さるかは分かりませんが、お供します」
すんなり頷いてくれるガルフが頼もしい。
本当に、頼もしい。
胸の奥の不安が少しだけ薄まる。
「忙しいところ、申し訳ないんだけれど……」
ガルフたちが忙しいことは、よく分かっている。
王宮関係は私が担当しているけれど、一般の移動商人との交渉。
大貴族から運び込まれる素材の仕入れ確認。
協力店、新しい食料扱いの店の手配。
秋の戦と大祭、そして冬に向けて――仕事は山積みのはずだ。
「いえ、マリカ様のことは何にもおいて最優先です。
それに、ここ暫く魔王城の収穫、ティラトリーツェ様の妊娠騒動、孤児院の開設と、休む間もない状況は理解しています。
お休みの時間を作ってほしいと、我々も考えていたのです」
「第三皇子家にも遣いを出しておきましょう。第一皇子夫妻の無茶ぶりにブレーキをかけて頂けるやもしれません」
ティラトリーツェ様は、仕事も勉強も厳しかった。
けれど派閥のお茶会を手伝わせる、なんてことはしなかった。
むしろ私たちの計画に合わせて下さった。
正反対のお二方が、弟夫妻の言うことを聞いて下さるとは思えないけれど……。
それでも、やれるだけの手は打っておきたい。
言っても分かってもらえないなら――。
私は、心の中でぐっと拳を握る。
あの手を使うしかない。
「どうしても聞いてもらえない時は、強硬手段で行こうかな?」
「「え?」」
「あの方たちにも、ちょっと……自分の無茶ぶりが他人にどういう迷惑をかけるか、理解して頂いた方がいいと思う。上手く行けば向こうに貸しを作れるし」
「何を、するおつもりなのですか?」
ガルフとリードさんの願いを聞いて、手を緩めて下さればそこで終わり。
でも、もし聞いて下さらないなら――。
「本当に、最終手段だけれど……ね」
私の言葉を聞いた二人の顔から、血の気が引いていく。
やりすぎではないか、と目が言っている。
でも、止めるつもりはなかった。
第一皇子夫妻へのこれは、言わば騙し。
だから私も、身を張るつもりだ。
これくらいはいいと、私は思う。
今まで多分、誰も止める人がいなかったから、やりたい放題だったであろう第一皇子夫妻。
これを機に、少しは周囲を慮るということを知って頂こう。
――うん。




