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王都 第一皇子妃のお茶会

 人の顔と名前を覚えるのは、苦手ではない。

 元は保育士。人の顔と名前を覚えるのは必須技能だったし、子どもだけでなく保護者や関係者まで含めて把握していなければ仕事にならなかった。


 ――けれど。


 相手は大貴族。しかも、明確に敵方の派閥。

 一度の失敗も許されない。


 まずは、気に入られておく必要がある。

 そして、名前を正確に呼ぶことは、その最初の一歩だ。


 名前を間違えられて、いい気分になる人なんていない。

 それは、どんな立場の人間でも同じだ。


 というわけで私は――


「お茶のお代わりはいかがでしょうか? アイテーシア様」

「あら、気が利くわね。ありがとう」


 第一皇子妃主催のお茶会で、教わった知識と自分の記憶力を総動員しながら、全力でお茶とお菓子の給仕をしていた。


 ――全力で給仕。


 大げさだと思われるかもしれないけれど、私にとっては本当に全力バトルだ。

 一瞬たりとも、気が抜けない。


 事の起こりは昨日。

 調理実習が終わった直後、何の前触れもなくアドラクィーレ様が告げた。


「私の主催の茶会にお菓子の準備を。そして、そこで給仕をなさい」


 相も変わらぬ無茶ぶり。

 大祭で誘拐された時と、何ひとつ変わらない。


 しかも今回は、ティラトリーツェ様が不在。

 止める人もいなければ、間に入ってくれる人もいない。


 断る選択肢など最初からなく、私は心の中で溜息を吐きながら頷くしかなかった。


「かしこまりました。いつでございましょうか?」

「明日です」

「!」


 ――ちょっと待て。


 貴族のお茶会って、一週間前には知らせるのが礼儀じゃなかった?

 心の中で全力ツッコミを入れたけれど。


 毎週恒例の定例会だと言われてしまえば、反論できるはずもない。

 私は大急ぎでアドラクィーレ様付きの料理人、ペルウェスさんと献立を立て、準備を整え、こうして初めてのお茶会に挑むことになったのだった。


 ちりひとつない応接の間は、満開の夏薔薇で飾られ、息を呑むほどに煌びやかだ。

 机やカーテンの配置ひとつを取っても、全体の調和と美しさが緻密に計算されているのが分かる。


 生花の瑞々しい香りを邪魔しないよう、控えめにフローラルウォーターも使われているらしい。

 ――匠の技だ。


 私はまだお会いしたことはないけれど、この采配はアドラクィーレ様付きのお側付き筆頭女官様のものだと聞いている。


 ちなみに、王宮勤めは一種の名誉職。

 ここで働く人間は、下働きであっても全員が国家公務員扱いとなり、貴族か準貴族の身分を与えられる。


 ……私は例外中の例外だけれど。


 第一皇子妃様お抱えの楽師が、流麗な音色で竪琴を奏でる。

 さらさらと衣擦れの音を立てながら、貴婦人たちが優雅に入室してくる。


 童話やラノベでしか見たことのない、異世界――いや、異次元の上流階級の集い。


 正直、怖くて震えが来る。

 皇王様や皇王妃様の宴に出た時よりも、ずっと怖い。


 あの時は第三皇子やティラトリーツェ様がいて、ガルフも側にいてくれた。

 けれど、ここには味方が誰もいない。


 第一皇子妃様も――味方ではない。


「本日はお招きいただきましてありがとうございます、アドラクィーレ様」

「いつも素晴らしいお茶会で、毎週楽しみにしておりますの」

「うっとりするような花の香り」

「今日も美しい御髪でいらっしゃいますこと。そろそろ、その秘密をお教えいただけませんか?」


 側仕えの女官を一人連れた貴婦人たちは、まず当然のように主催者であるアドラクィーレ様へ挨拶をする。


「今日は、いつものパウンドケーキやクッキー、クレープの他に、新しい菓子も用意しましたの。

 夏らしい氷菓――アイスクリームですわ。ぜひ召し上がって」


 上機嫌なアドラクィーレ様は、他の給仕を入れず、筆頭女官様も動かさず、私だけに取り分けと給仕を命じる。


「マリカ。あちらのアイテーシア様が、その菓子を所望です。お取りしなさい」

「はい、かしこまりました」


 一度だけ名前を教えては下さるけれど、領地や立場の説明は一切ない。

 だから私は、覚えたばかりの貴族年鑑を頭の中で必死に繰りながら、その場を取り繕うしかなかった。


 ――アイテーシア様は、派閥ナンバー3、アーケイック伯爵家の奥様。


「お茶のお代わりはいかがでしょうか? ケーレシアーナ様」

「あら、ありがとう。随分と躾の行き届いた子ね。

 アドラクィーレ様。この子が噂に聞く、ゲシュマック商会の娘ですか?」


 トランスヴァール伯爵家のケーレシアーナ様の問いに、アドラクィーレ様は我が意を得たりと満面の笑みを浮かべる。


「ええ、そうです。

 マリカ。やっと手に入れましたのよ」


 ……『手に入れた』って、何を。


 本気でツッコミを入れたかったけれど、ぐっと堪える。

 私は今、お茶くみ人形だ。


 女性たちの話題は、美容とファッション。


「アドラクィーレ様、素敵」


 を軸に、ほぼそれだけで回っていく。


 少しだけ、新しい料理やお菓子の話。

 そして――妊娠を公表したティラトリーツェ様への悪口合戦。


「こんな時に妊娠するなんて」

「子どもを産むなんて正気じゃない」


 側仕えに毒見をさせながら菓子を頬張る貴婦人たちは上機嫌だけれど、

 聞いているこちらの精神が、じわじわと削られていく。


 女性の悪意は、ねっとりしていて気持ちが悪い。


「どんな時でも俯かず、顔を上げていなさい。

 格上の相手でも、気持ちは負けないように」


 ティラトリーツェ様の言葉がなければ、きっと耐えきれなかった。


 ……私には会話に参加する権利がないから、誤解を解くこともできないけれど。


 冷静に、感情を切り離して人と状況を見ると、この派閥内の関係性が見えてくる。


 プレンティヒ侯爵家は、この派閥の中で第一位。

 全体としても皇王妃様の実家、パウエルンホーフ侯爵家に並ぶ名家だ。


 第一皇子妃様を立ててはいるけれど、どこか微妙な距離感がある。


 トランスヴァール伯爵家は情報通。

 奥様のケーレシアーナ様は身分差を気にせず、私に菓子の作り方まで聞いてくる。


「美髪の液の出所がゲシュマック商会だと聞いたけど、本当?」


 ――これは、笑ってごまかすしかなかった。


 第一皇子妃様に心酔している人。

 複雑な感情を抱く人。

 冷静に状況を見極めようとする人。


 派閥は、一枚岩ではない。


 今ここにいるのは九人。

 大貴族は全部で十七人。


 九対八。

 一人、第三皇子派に引き込めば、形勢は逆転する。


「表だって皇位や権力を取る気はまだ無いから、その辺は気にするな」


 皇子はそう言っていたけれど。

 いざという時のために、どこに付け込めるか把握しておくくらいは構わないだろう。


 情報通のトランスヴァール伯爵家。

 そして、派閥内で最下位、肩身が狭そうなアイネーデ伯爵家。


 第三皇子妃の悪口を聞かせても平然としているあたり、

 私のことを完全に手に入れたと思っているか、侮っているのだろう。


 ――なら、それを逆手に取るまでだ。


 華やかで煌びやかで、けれど中身の薄いお茶会も、そろそろ終宴。


 私は貴婦人たちの背後で、雑談の邪魔をしないよう静かに片付けを始めた。

 本格的な後片付けは後としても、返される食器はまとめておかなければならない。


「これをお願い。今日のお菓子、とても美味でしたわ」

「ありがとうございます」


 侍女から皿を受け取った私に、ケーレシアーナ様が柔らかく微笑む。

 その笑顔が少し嬉しくて、丁寧に一礼し、踵を返した――その時。


「えっ?」


 右足元が、自分の意思とは無関係にがくんと崩れた。

 何か柔らかいものが、歩き出した私の甲に触れた気がする。


 次の瞬間、身体が前に投げ出された。


「だ、ダメ!」


 必死に左足を踏み出し、完全な転倒だけは避けた。

 けれど、お盆の上のカップが一つ、空を舞い――


 カシャン。


 小さな音。

 絨毯の上で、ティーカップは真っ二つに割れていた。


 テーブルの影に隠れたそれを、私は拾い上げる。


「何をしているのです? マリカ?」


 私は割れたカップを持ち、アドラクィーレ様の前に跪いた。


「足を絡ませ、転びました。お見苦しいところをお見せし、申し訳ございません」

「何か、割れる音がしませんでしたか?」

「いえ。幸い、大事には至っておりません。ただ、粗相により皆様のお目汚しとなりましたこと、お詫び申し上げます」


 お盆に戻されたカップを見て、アドラクィーレ様は眉を上げる。


 ……あれ?

 なんだか、面白くなさそうな顔?


「何か?」

「いえ。怪我や被害がないのなら何よりです。片付けを続けなさい」

「はい」


 立ち上がる私のすれ違いざま、微かな声が聞こえた。


「……ごめんなさいね」

「え?」


 その声の主は分からないまま、貴婦人たちの輪に消えていった。


 そして宴の終了後――


「存外、お前はつまらない子ですね?」

「……それは、どういう意味でしょうか?」

「仕事としては、ほぼ文句はありません。

 最後の粗相も、大目に見ましょう。今後もその調子で励みなさい」


 含みのある労いの言葉。


 その『意味』に気付いたのは、

 心配して待っていてくれたティラトリーツェ様たちの元へ戻ってからのことだった。

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