王都 妊娠告知と決意表明
寝っからの悪い人ではないのだ、と思う。
多分。
最初の印象が拉致監禁なので、あまりにも、あまりにも悪すぎるけれど。
その後は、そこそこ可愛がっていただいた。
本当に、根っからの悪人ではないのだろう。
ただ――そう言って許せる問題と、どうしても許せない問題がある。
「どうしました? マリカ?」
「いえ、なんでもございません。アドラクィーレ様。
本日のメニューは、スフレ風パンケーキにございます」
ぼんやりしていた私は首を横に振り、皿を差し出した。
深く息を吸い、吐いてから。
顔を向けないようにする。
でないと――我を忘れてしまいそうだった。
怒りで。
昨日、ライオット皇子から話を聞いて以降、皇子妃様達の顔――特に、アドラクィーレ様の顔を、まともに見ることができなくなっていた。
◇◇◇
世界の人々が『混乱の三十年』と呼んだ時代が終わって、間もなく。
一人の王女が、遠い異国からアルケディウス第三皇子の元へと嫁いできた。
その時、花婿の外見は五十代近く。
一方で花嫁は、若々しい二十代に見えた。
世界に不老不死をもたらした、国中に愛される皇子の成婚。
国中が熱狂するその裏で――当の二人の会話は、決して愛と悦びに満ちたものではなかった。
「……本当にいいのか?
何度も言っているが、俺は不老不死を得る気はない。このまま自然に身を任せ、死ぬと決めている」
中世世界では、既に初老とも言える五十代。
ひげを蓄えた男は、漆黒の瞳で、妻となる女をじっと見つめた。
覚悟を問うような、強い眼差し。
だが、女は怯むことなく、静かに頷いて見せる。
「ええ。それでも、構いません。
私は、皇子……貴方の側にいたいのです。
貴方が本当に死ぬというのなら、最後の時まで寄り添い、叶うなら――貴方の子を宿し、次代に伝えたいと思っています」
「はっ……次代、か」
女の、美しい花嫁の決意に、男は鼻を鳴らした。
「時が止まった世界だ。次代など、存在しないというのに……か?」
「それでも、貴方という人物が生まれ、生きた証を、私は大事に育てます。必ず……」
何を言っても、この女は思いを変えまい。
大きくため息をついた男は、諦めたように息を吐き、
「好きにしろ……」
ぶっきらぼうに、花嫁へ手を差し出した。
「ええ、好きにいたします」
花嫁は、その手をしっかりと握りしめる。
そうして二人は、夫婦となった。
二人の仲は、確かに睦まじいものであった。
けれど、その結婚生活は、決して順風満帆なものではなかった。
異国から嫁いできた女は、腹心である親友と、ただ二人。
全く生活習慣の異なる国の王宮へ、放り込まれた。
付けられた側仕えや使用人は、全てこの国の人間達。
勝手の違う環境で、舅や姑が女を冷たく扱った訳ではなかったが――
不老不死を得ないで死ぬと断言した皇子は、国の英雄ではあっても、皇族の計算からは外されていた。
その妻たる女の立場は、最初、決して輝かしいものではなかったのだ。
中でも、皇子の二人の兄と、その妻達の態度は、女を苦しめた。
逆らえぬのを良いことに、女の些細なミスを茶会や夜会で指摘しては、あげつらう。
田舎者、常識知らずと蔑む。
苦しい日々の中でも、女はただ泣いて過ごしはしなかった。
ミスを嗤われるなら、ミスをしなければいい。
常識を知らないと蔑まれるなら、この国の常識を身につければよい。
そうして、売られた喧嘩を全て買ってみせた女は、味方を増やすと同時に、二人の兄嫁の憎しみも、確実に増やしていった。
そんな、ある日のことだった。
女の妊娠が発覚した。
ずっと念願だった、愛する男の分け身たる命。
女は、まず夫と両親に報告した。
他の者には、まだ伝えなかった。
兄嫁達には体調を崩したとだけ伝え、屋敷に籠っていた。
だが――屋敷の中に、裏切り者がいた。
女の様子を兄嫁達に伝え、兄嫁達は女を呼び出した。
屋敷の中に裏切り者がいることを知らなかった女は、
ほんの小さな油断から、出された飲み物を口にし――睡魔に襲われた。
そして……目覚めた時には、全てが終わっていた。
◇◇◇
「それが、アレの心の傷だ。
今も癒えることのない、この世界への恨み――その元凶たる事件だ」
ティラトリーツェ様やミーティラ様に語らせるのは気の毒だから、と。
別室に呼び出された私は、皇子からその話を聞き、言葉を失った。
「な……なんで?
ど、どうして!? どうして、そんな酷いことができるんですか?」
「ご丁寧に神官を呼び、堕胎術を施したのだそうだ。
『腹の中に余計なものができていたから、体調を崩したのだ。
専門家に取って貰ったから、もう大丈夫だ』と――
アドラクィーレが、いけしゃあしゃと、恩着せがましく語ったと。
ティラトリーツェが号泣していたことを、今も俺は覚えている」
「そんな……酷すぎます……。本当に……どうして……?」
淡々と、ほとんど感情を交えずに語られる事実。
それが却って、胸を抉る。
最初の印象こそ悪かったけれど、第一皇子妃様も、第二皇子妃様も、比較的私には優しくして下さっていた。
だから、甘く見ていたのだ。
そんなことができる方だったなんて……。
「城内に味方がまだ少なかった。
油断もあった。たった一人の味方、ミーティラも巧みに遠ざけられていた。
……何より、俺は兄上達から疎まれ、憎まれていた。
ティラトリーツェ達も同様だった。
俺達と、あの方達の価値観は、あまりにも違い過ぎた。
あの方達が多少なりとも、他者に寄り添うことを知り、まともに話ができるようになったのは――本当に、ここ最近のことだ……」
言い聞かせるような言葉。
強く噛みしめられた唇は、皇子自身もまた、その時の出来事を、今なお怒り、悔いていることをはっきりと物語っていた。
その後、亡骸を見ることさえできず、我が子を失ったティラトリーツェ様は、以前にも増して積極的に社交に取り組むようになった。
程なくして皇子は、長年の主義を変え、不老不死を得て独立。
皇位継承権からは離れたものの、皇族に復帰した。
そうしてティラトリーツェ様は、生きた伝説たる皇子ライオットの妻として、名実ともにアルケディウスの貴婦人の一人となった……。
「女の子だったら、大好きな花の名前を付けたい。
男だったら、強い獣の名がいいだろうか?
そんなことを、能天気に言っていたな」
皇子は、少し遠い目をする。
「その後、あいつは好きだったレヴェンダの花に、触れることさえなくなった。
だから戦から戻った後、驚いたんだ。
花の香りを纏い、美しい笑顔を宿す――あいつに……な」
口の中が、苦い。
私は何も考えず、お礼としてラヴェンダーの香料を作って渡した。
そんな過去があって、花そのものに辛い想いを抱いておられたのなら――
それはもう、おせっかいなんてレベルではない、大チョンボだ。
そんな私の思いを読み取ったのだろう。
皇子は、首を横に振った。
「お前の贈り物が悪いとか、考える必要はない。
少なくとも今のあいつは、迷いや思いを振り切っている。
むしろ花の香りに背中を押されて、覚悟が決まったようだ」
……だからと言って、心を抉るような真似をした事実を、私自身が許せるかどうかは、別の話だ。
「皇子……」
「なんだ?」
「ここ暫く、短くても数週間、長いと二カ月くらい。
ティラトリーツェ様は、特にお身体が辛い時期になると思います。
どうか、労わって差し上げて下さい」
「それは、勿論だが……」
「同じ轍を踏まないように、今回は皇王妃様を味方につけ、皇子妃様達にも、最初に子どもが出来たこと、産むつもりだということを、はっきり伝えておいた方がいいと思います。
……最初の時は嫌がらせのつもりだったのかもしれません。
ですが、同じことを繰り返す可能性がゼロとは言えません。
そんなことをしたら許さない、と、明確に示すべきです」
私の据わった目に、皇子はにやりとした笑みを浮かべた。
「もう、プランはできているのか?」
「大よそは。
秋の戦と大祭までが一つの山場、ですね。
そこを乗り切れば、身体の方は安定期に入りますし、冬になれば城に籠って、身を護りやすくもなります」
何より大事なのは、皇王妃様と、その周囲を味方につけること。
子どもを産むことが『当たり前』になるようにするには、
トップに立つ女性達の意識を、変えていかなければならない。
「私、ティラトリーツェ様とお話してきます。
明日は調理実習で、皇王妃様もおいでになるんですよね」
「多分な。いつも通りなら」
今や、調理実習にお三方が来るのは当たり前になっている。
面倒だけれど――それを、逆手に取ろう。
孤児院起動の報告も、ある。
そうしてその日、私は夜遅くまで、家に戻ってからも店の皆と相談し、今後の計画と作戦を立てたのだった。
「いつもながら、とても素敵な料理でしたよ。マリカ。
楽しめました」
「もったいないお言葉です。皇王妃様」
私は直答を許され、お褒めの言葉を下さった皇王妃様に跪く。
今日のメニューは、サラダとスフレパンケーキ。
メイプルシロップをたっぷりかけた、ふんわりパンケーキには自信がある。
デザートは、夏のシーズンもそろそろ終わりなので、ピアンのアイスクリーム。
シャーベットではなく、牛乳を使ったアイスクリームなのがポイントだ。
メニューはティラトリーツェ様の提案。
けれど今日は、最初から最後まで私が仕切ってみろと言われている。
一通り作り方を教えた後は、応接間でお三方をもてなしながら、お茶を入れ替え、お菓子を差し出していた。
で、解ったことがある。
アドラクィーレ様は――なんだかんだで、自己顕示欲が強い。
自分が視線の中心にいないと、気が済まない人なのだ。
「私の派閥だった者が、迷惑をかけましたね。マリカ」
と、多分思ってもいないことを口にして、彼女は自分の派閥事情を捲し立てる。
今日は、ティラトリーツェ様の悪口まで、漏れ聞こえてくる。
……その中で聞こえてきた、
『大貴族と言えども低位のものは、これだから』
『あの女は、夫の手綱も握れなくて……』
『大口を叩いた割に、結果はお粗末』
『大貴族の恥さらし』
という言葉から察するに――そういうことだ。
ドルガスタ伯爵は、性格にも行動にも問題があり、弁護のしようはない。
だが、上に頭を押さえられ、苦しい立場ではあったのだと思う。
もし、大成功して私を手に入れられていたとしても、犯罪行為を突かれ、第一皇子か、上位貴族に私を取られ、献上する羽目になっていた可能性は高い。
その場合、私は、
「大変だったわね。もう大丈夫よ」
と恩を売られていただろう。
必要なのは知識なのだから、私が自由意思で協力しなければ意味がない。
そして、
「其方は私が護ります!」
などと言って、私の後見人役を、ティラトリーツェ様から奪い取ろうとした可能性もある。
……怖いなあ。
その点、第二皇子妃メリーディエーラ様は、権力にはあまり興味がなさそうだ。
不老不死世界の第二皇子――皇位継承にあまり関係のない立場だから、だろうか。
自分が日々、楽しく過ごせればいいという思いが見える。
強い者には巻かれておけ、という姿勢で、アドラクィーレ様に逆らう気はないようだが……。
なんとか、こちらの味方に引き込めないものか。
「色々、大変だったようね」
「でも、そのおかげで孤児院も、本格的に建設できるようになりました。
良い面を見つけて行きたいと思います」
苦笑いで私を労って下さる皇王妃様は、誰であろうと悪口を口にされない。
悪口に、同意もしない。
完全に中立の立場で微笑まれる姿は、やはりこの国の最高位の女性だと思う。
むしろ、良かったのかもしれない。
世界が不老不死で。
アドラクィーレ様が国のファーストレディになるよりは。
昨日の話で、私は自分がアドラクィーレ様に悪いバイアスを掛けていると自覚している。
けれど、マイナス視点は止まらない。
株価は、ナイアガラの滝レベルで、絶賛下落中だ。
子どもが欲しい女性を、無理やり流産させるなんて――万死に値する。
「それにしても、ティラトリーツェも困ったものだこと」
デザートを終え、食事も一区切りした頃。
独り言のように、けれど聞き取って欲しいと――はっきりした眼差しで、アドラクィーレ様はため息をつく。
「……何が困りごとだというのですか? アドラクィーレ」
大きく息を吐き出し、話を聞いてあげる皇王妃様。
我が意を得たというように、アドラクィーレ様は目を輝かせた。
「皇王妃様がおいでだというのに、仮病を使ってまで、与えられた仕事をさぼろうとするなど。
皇族の自覚が足りないのではありませんか?」
「体調が悪いのなら、仕方がないでしょう?
仮病と決めつけるのは、どうかと思いますよ」
「不老不死を持つ我らに、一体何の不調が起きるというのでしょう。
仕事を放棄するための言い訳に決まっています!
面倒を押し付けられて、マリカも可哀想に……」
……ああ。そういう流れ。
私に同情して優しくして、私を手に入れたい、という思惑ですよね。
解ります。
ただ――そんなことは、すればするだけ墓穴を掘るのだけれど。
と、タイミングを合わせたように、軽いノック音。
「あ、ティラトリーツェ様」
「えっ?」
いい気分で捲し立てていたであろうアドラクィーレ様は、私の声に眼を見開き、慌てて口を押えた。
私も、ノックの音で誰が入ろうとしているか、解るようになってきた気がする。
私が言った通り――打ち合わせ通り。
ティラトリーツェ様が入って来た。
出迎え、跪く。
「ティラトリーツェ様。無事、ご指示通りに」
「ご苦労でした。
……皇王妃様、皆さま。急にご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
労うように私へ微笑みを向けて下さった後、
ティラトリーツェ様は、最奥に座す皇王妃様へ、深くお辞儀をする。
「た、体調を崩したという割には、元気ではありませんか?
やはり、仕事放棄だったのではなくて?」
取り繕う焦りを見せるアドラクィーレ様を黙殺し、
ティラトリーツェ様は、皇王妃様と静かに視線を重ねた。
「実は、この場をお借りして、お知らせしたいことがあります」
「どうしました? 改まって」
私を無視するな、と言いたげな眼で睨むアドラクィーレ様。
だが、皇王妃様が発言を許せば、逆らうことはできない。
ティラトリーツェ様は、大きく深呼吸し――
そっと、お腹に手を当てた。
「私、妊娠いたしました。
お腹の子は三カ月。
今度こそ――産んでやりたいと思っております」
その場にいた者、全て。
皇王妃様も。
二人の皇子妃様も。
使用人達も。
衝撃に、言葉を失い、立ち尽くす中で。
微笑むティラトリーツェ様の表情には、
確かに――揺るぎない自信と、強い思いが宿っていた。




