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魔王城 精霊達の内緒話

 麦の収穫が終わり、疲れ切った住人達が夢も見ないで眠る宵。

 精霊達の内緒話。


 ふわりと、彼はそこに降り立つ。

 何かに呼ばれたような、微かな気配と確かな予感に導かれて来てみたのだが――どうやら、それは気のせいという訳ではないようだ。

 もっとも、精霊にとって『気のせい』という概念そのものが、ほとんど意味を成さないのだが。


 水と風を溶かし合わせたような長髪。

 青銀の瞳を宿す精霊は、今、薄く実体を結んでいる。

 友と違い、常に実体を取ることを好む性質ではないが、会話を交わすにはこの形の方が都合が良いということは、彼自身よく理解していた。


 主が在る今。

 精霊の恵みに満ちた魔王城においてなら、主人の明確な許可を得ずとも、この程度の顕現は可能なのだ。


 佇む彼女に、声をかける。


『アーグストラムに会ったぞ。エルフィリーネ』


 城の中庭には、爽やかな夜風が静かに流れていた。

 火の二月も、間もなく終わる。

 日中は未だ、太陽の輝きが強く、うだるような暑さから逃れることはできない。

 だが宵ともなれば、空気の端々に、わずかながら涼やかな秋の気配が宿り始めていた。


 ここに立つ者は精霊。

 星の手足。


 ある意味では自然そのものと言える存在であり、その心地よさを人のように感じ取ることはない。

 それでも、この場を満たす静謐さと穏やかさは、確かに彼らの在り方に調和していた。


「ええ、聞き及んでおります。シュルーストラム。

 あの方が城を出でて、もうどれほどの時が経ったことか……。

 記憶も、想いも、随分と遠くなってしまいましたが――それでも、懐かしい友の無事。その報せは、本当に何よりの喜びです」


 空を仰ぎ、遠い友を見上げるように立つ城の守護精霊、エルフィリーネ。

 銀にも虹色にも見える長髪は、揺れるような光を湛え、深夜であるにもかかわらず、美しき存在がここに在るのだと、城に眠る全ての者へ静かに告げているかのようだった。


 彼もまた、その存在感を感じ取ったがゆえに、ここへと足を運んだのだ。


『人間のようなことを言うな、エルフィリーネ。

 我らは精霊。我らは忘れぬ。生まれ落ちた時のことさえ、昨日のことのように思い出せる者だ』


 風を司る魔術師の杖(シュルーストラム)は、呆れたように目を吊り上げる。

 人のように、忘却という祝福が与えられていたなら――どれほど楽であったろうと、思わなかった日はない。


 だが、精霊にそれはない。

 幾多の主との出会いも、別れも。

 喜びも、後悔も。

 全てが等しく刻まれ、消えることはない。


「そうですわね。けれど、己が内の記憶、記録……

 その優先順位、というものは変わるものでしょう?」


 エルフィリーネは、穏やかに微笑む。


「私にとっては、マリカ様、アルフィリーガ、そして今を生きる魔王城の皆が何より大事。

 城を出て『あの時』――

『星』の主を奪われた時でさえ、戻って来なかった薄情者のことは……どうでもいい、とまでは言いませんが。

 優先順位は、ええ。地に埋まっておりますの」


地を司る魔術師の杖(アーグストラム)、だけにか?』


 互いに精霊ジョークを言ったつもりはない。

 それでも、口を衝いて零れた他愛のない一言が妙に可笑しく、二人は自然と口角を上げていた。


『まあ、奴は今、不老不死者に仕えている。

 すぐに戻って来ることも叶わぬだろうからな』

「ええ。本当に薄情な話。ですから、もういいのです。

 無事でいるというのなら、それだけで」


 話は終わりとばかりに、エルフィリーネは顔を背ける。

 そのそっけない態度こそが、彼女なりのアーグストラムへの優しさであることを、シュルーストラムは理解していた。


 だから、それ以上は言わない。

 いつか、アーグストラムと再会し、言葉を交わす時が来たなら――

 エルフィリーネが恨み言を言っていた、と伝えてやればいい。


『頼もしいな』

「ええ、本当に」


 主語のない呟きだったが、彼女はシュルーストラムの視線の先と、その思いを正確に汲み取ったようだ。

 さらりと、迷いのない同意が返ってくる。


 中庭とバルコニーいっぱいに稲架けされた麦穂の山は、最後の熟成に力を蓄えていた。

 小麦の精霊達が、自分を慈しみ育ててくれた人間達のために、太陽の力と、茎葉の全てから集めた恵みを、その実へと注ぎ込んでいるのが、彼らにははっきりと見える。


 胸を躍らせ、子ども達に喜びを与える日を待ちわびているのだ。


「麦は、星から強い力を授けられた植物の一つ。

 それを育てたい、中庭に植えたいと言われた時には……ええ、本当に驚いたものです」


『生きるだけなら、この大地上で生きる限り、食は必要ない。

『星』が我が子達を守っているからな。

 食というのは、彼等がより良く生きるための星の祝福。

 どうして彼女は、誰にも教わらず、星の力を取り入れる最も効果的な方法を知って始めたのだろうな……』


 ふと、思い出したように、シュルーストラムはエルフィリーネを見た。


『ずっと、不思議に思っておったのだ。

 其方は何故、マリカを早く『精霊の貴人(エルトリンデ)』にせぬ?

 星より預かりし知識を継承し、マリカが真実の『精霊の貴人(エルトリンデ)』となれば、使命も力も思い出し、その力をもって人々を正しく導くであろうに。

 今までは、そうしていたではないか?』


「……『星』の御意志です。

 マリカ様に、決して『精霊の貴人(エルトリンデ)』を強制してはならぬ、と。

 本人の意思に任せ、見守れと……」

『何故だ!』


 荒ぶるシュルーストラムの声にも、エルフィリーネは表情を変えない。

 ただ、静かに、慈しむように微笑むのみ。


『私は『星』に言いたいこと、聞きたいことが山とある。

 何故、やっと育った『精霊の獣(アルフィリーガ)』を外に放ったのか?

 何故、この城を護るはずの精霊石が死んだのか?

 最たるは――侵略の徒たる神から人間達を守るために我らを作りながら、何故、神に抗うことに制約を課したのか?

 それさえ無ければ、我らはあの時、一方的に二人を、主を、星の主導を神に奪われることはなかったのに!』


「もう、その制約は外されているでしょう?」

『なっ?』


 シュルーストラムは己が胸に手を当て、静かに目を閉じる。

 己の最奥。

 精霊としての至上命令。

 そして、言葉と行動に課せられた権限を確認し――驚愕する。


『い、いつの間に……』


 自らを縛っていた、いくつかの制約。

 その中の幾つかが、確かに外されていた。


「『星』も、神にはお怒りなのです。愚行、目に余ると。

 もう、解り合えぬと。

 そのために、マリカ様を作り、放ち、そして戻されたのですから」


『どういうことだ? 本当に、其方は何を言っている?』

「待つしかなかった五百年。その長い時にも、意味があったということです。

 今は、それ以上を語ることを許されておりませんが……」

(精霊)にも、か?』

「ええ。それが星の御意志。

 そして、後悔、であらせられるのでしょう」


 静かに、淡々と告げるエルフィリーネの声音に、シュルーストラムは理解した。

 これは、無理だ、と。


 大きくため息をつくふりをして、


『解った』


 と頷いて見せる。


 精霊(なかま)にも語れぬ、星の『制約』。

 ならば彼女は、これ以上、本当に語らぬし、語れぬのだろう。


『だが、かつて許されていなかった神への叛逆、攻撃が許されているとなれば、私はもう遠慮などせぬぞ。

 神の徒、そして神そのものにさえ――

 マリカやアルフィリーガ、そして私の魔術師(フェイ)と共に、その喉笛にいつか喰らいつき、掻き斬ってくれよう』


「ええ。それを期待しております。

 今、頼りにできるのは、貴方だけ。

 シュルーストラム。

 私は城の守護精霊。この地を守ることしかできぬ精霊ですから」


 憂いを帯びた眼差しで微笑む城の守護精霊。

 自らに与えられた役割に誇りを持ちながらも、同時に、その立場を呪っていることを、彼は知っている。


 主が危険に晒されても、守ることも、手を差し伸べることもできず。

 ただ、待つことしかできぬ己に、苦しんでいることも。


 だから。


『バカを言うな、エルフィリーネ』


 シュルーストラムは、思い切り笑い飛ばしてやることにした。


『其方は、我らにとって一番大切なものを守っている。

 星の中枢たる魔王城。

 マリカの希望にして心たる子ども達。

 そして何より――我らの戻る場所を、だ』


「シュルーストラム……?」


 泣き出しそうな顔で、エルフィリーネは彼を見る。

 器用な話だと、可笑しくなった。

 精霊には涙を流す機能などないというのに。


 実体化に年季の入った守護精霊は、本当に器用なものだ。


 少し羨ましくなり、真似てみようと、シュルーストラムは手に力を込める。

 星に宿る力、風に宿る力を集め、手に集中させ――エルフィリーネの頭に、そっと手を置いた。


「えっ?」


 主たる少年、精霊の獣(アルフィリーガ)が、愛しい者、守るべき者にするように。

 ぽん、ぽん、と。


 努力を認めるように。

 慰めるように。


「だから、お前は待っていればいい。

 主の帰還と、我々の勝利を信じて、な」


「……貴方は、いつも揺ぎ無くていらっしゃるのですわね」


 長い沈黙の後、エルフィリーネはそう溢した。

 頭に乗せられたままの手と、仰ぎ見る紫の瞳に力が戻ったのを確かめて、シュルーストラムは、そっと手を戻す。


『主の影響(せい)だろう。だが、私もそうありたいと思っている』


 精霊にも人格はある。

 だが、生まれた時はまっさらであったそれは、主や周囲の影響を受け、変化し、成長していくものだ。


 エルフィリーネの情の深さ、揺ぎ無く強く、時に冷徹で冷酷な姿勢は、歴代の主達の影響によるものだろう。

 シュルーストラムもまた、今の自分が、狡猾で容赦なく、けれど大切なものを守るためには命を惜しまぬ主の思いを受け継いで生まれた存在であることを、自覚している。


「お言葉通り、私はこの城を、子ども達を守り、主のお帰りを待ち続けております。

 どうか、マリカ様を……よろしくお願いいたしますわ」

『ああ、任された。……安心するがい? ん、なんだ?』

「これは……」


 二人の精霊の手元に、一つずつ。

 ひらひらと、小さな欠片が舞い落ちてくる。


 雪のようだ、と思うより早く。

 欠片は精霊の掌に落ちると、正しく淡雪のように消え去った。

 不思議な光を残して。


「これは……星のお力?」


『其方との経路が、強化されたようだな。

 多分、島外に出ても、其方が望めば言葉が届きそうだ』


 手を握り、開き。

 己の機能を確認するように、シュルーストラムは目を閉じる。


「貴方からの言葉も、届くのでしょうか?」


『やってみねば解らぬが……多分、できるだろう。

 神との対決に向けての贈り物だとすれば、『星』も粋な計らいをなさる』


 自らが生み、育て、守り慈しんできた大地の主導と信仰を奪われ、書き替えられた『星』。

 能力の多くを奪われながらも、それでもなお、我が子達を愛し続ける存在。


 そう――我らは『星』の手足なれば。


 シュルーストラムは跪き、胸に手を当てた。

 エルフィリーネも、それに倣い、同じ仕草を取る。


『星』に言いたいことは、山ほどあった。

 聞きたいことも、数え切れぬほどある。


 それでも――

 今、胸に浮かんだのは、ただ一つ。


 たった一つの、誓いだけ。


『『星』よ。ご照覧あれ。

 我々は、貴方の愛し子達を守り、必ずや、神から大地を、人々を取り戻してみせましょう』


 それは、誰の耳にも届くことのなかった、秘密の誓い。


 精霊達の内緒話。

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