魔王城 小麦の収穫 リターン
火の二月の終わり。
雲一つない晴天の、ある日。
魔王城の島の麦畑には――
「おーい、この麦束はどうするんだ?」
「子どもでも運べるくらいの束にして、纏めてくれ。
こうして、一掴みの束を四つ、クロスするように重ねて麦穂で根元を縛る。
穂の近くまで、くるくると捩ってからこう返して縛ると、紐が無くても束ねられるから」
「解った」
「あなた、そりが来ましたわよ。早くお願いします」
「ちょっと待ってろ。こっちは農作業は素人なんだ」
「皇子に農作業を本業にされては困ります。私が運びますから……」
「お前はお前で束を作れ、ヴィクス。その為の人海戦術なのだからな。
子どもに負けているぞ」
「おっさきー」
「こら! あんまり走っては転びますよ!」
楽しげな声が、風に乗って響いていた。
――今までにない風景だ。
黄金色の平原で、大人と子どもが入り混じって麦を刈る姿は。
「しかし、この麦集めというのは、けっこう腰に来るな」
「立って、しゃがんでの繰り返しですからね。
自分で刈っていない分、王都の麦刈りよりは楽だとは解っていますが……
打ち上げの料理作りと称して逃げ出したラールが恨めしい」
立ち上がって固まった腰を叩くのはガルフ。
その横で、リードさんも心の底から同意するように頷いた。
「これを昨年までは子どもだけでやっていたのか?」
「誰も他にやってくれるやつなんていないからな。
子どもだけで生活していくっていうのは、結構大変なんだぞ」
「それは……まあ、解らんでもない。
いつまでも戻って来なかったことについては、不問にしておいてやるさ」
並んで麦束を運ぶのは親友同士。
気の置けない友人との会話は、実に微笑ましい。
「マリカ、手が……というか、足が止まっていますよ。
とりあえず刈り取りだけでも急いで下さい」
「あ、ごめん。今やるから」
……いけない、いけない。
良い風景に見惚れて、手を休めている場合じゃない。
私は再び麦畑を歩くコンバインになって、
ひたすらに、ただひたすらに、麦を刈り続けた。
アルケディウス王都よりも北に位置する魔王城の島。
気候的には、カナダか北海道か――そんな印象だ。
麦の収穫時期も、少し遅い。
でも今後、アルケディウスでは新しい孤児院の建設など、やるべきことが増えてくる。
リオンとフェイには試験が控えているし、
アーサーとアレクを連れ出すことも検討している。
だから、その前に。
一番の大仕事である麦の刈り入れを、どうしても終わらせておきたかった。
「すみません。調理実習と勉強会を、少し休ませて頂けないでしょうか?」
頭を下げた私に、ティラトリーツェ様は事情を聞き、理由を確認した後、
「……一つ条件、というか、お願いがあるのだけれど」
「へ? お願い、ですか?」
「そう。ずっと困っていたことなのよ。私も、あの人も。
もしそれを認めてもらえたら、麦刈りの手伝いに行くわ。
人手が欲しいのでしょう?」
「え?」
私は、呆気にとられた。
「手伝いって……皇族のお二人が農作業を?
ダメですよ、できません。そんなことをさせるわけには……」
「一度、やってみたかったのよ。
自分達が食べるものが、どのように生って、どのように収穫され、
どのように加工されるのかを、この目で見たかったの」
報告は聞いている。
でも――文字を読むのと、実際に見るのと、体験するのとでは、まったく違う。
慌てて首を振る私に、ティラトリーツェ様は少しも引かない。
「魔王城の子ども達にも会いたいし、
あの子達が働いているのに、大人がのんびりしている訳にもいかないでしょう?
入れてくれるなら、手伝いはするわよ。
なんなら、お土産も持って行くわ」
「お土産?」
「布よ。綿布、絹布、亜麻布。色々揃えてあるわ。
あと、子ども服も。
この間、出会った子達に合うものをと思って、
シュライフェ商会に作らせていたの。必要ではなくって?」
「布に、子ども服……それは、確かに欲しいですけれど……」
魔王城の島で自給できないもの――
それは食料ではなく、服などの消耗品だ。
布は、欲しい。切実に。
子ども服は特に手に入りにくいし、加工前の布は生活圏ではほとんど売っていない。
「そのお願いって、何ですか?
わざわざ改まるということは、島に行きたい、だけではないんですよね?」
その瞬間、ティラトリーツェ様の顔が真剣なものに変わった。
「ええ。そう。
貴方達が、私達を信じてくれるかどうか――という話になるのだけれど」
不安げな言葉に、私は即座に返す。
「私は、ライオット皇子とティラトリーツェ様を信じています。
お二人がいなかったら、私達は……ガルフがいたとしても、ただの子どもです。
世界を変える力なんて、持てなかった」
本心だった。
「ありがとう」
柔らかな笑みでそれを受け取ると、
ティラトリーツェ様は前置きしてから、真っ直ぐに『お願い』を告げたのだった。
その結果――
魔王城は、七人の大人を招くことになった。
ガルフ、ライオット皇子、リードさん、ラールさん、ティラトリーツェ様。
そして、皇子の腹心ヴィクスさんと、護衛騎士ミーティラ様。
互いの腹心に事情を話し、協力を仰ぎたい。
それが、お二人の『お願い』だった。
そして今。
金色に揺れる小麦畑は波を打つ大海原に似ている。
風が麦穂を撫でると、ふわふわと楽し気に踊るように実が詰まり重く垂れた穂が揺れるのだ。
「キレイでしょう?
大地と星の恵みをいっぱいに蓄えた麦畑は私、世界で一番綺麗な物の一つだって思うんです」
「ああ、本当に。美しいな…これは」
皇子達も息を呑んだように頷く。
なんだかんだで箱入り、城からそうそう出る事の無い皇族にはあまり見る事の無い風景だからだろうか。
随分と感動してくれている。
「これを刈り取ってしまうのも勿体なくはあるのですが、無駄にするのはもっと失礼なので、大事に刈り取って、大事に使います。
ご協力をお願いします」
大人の手は、重要で、貴重だ。
年に一度の重労働。
子ども達の負担を減らすためなら、遠慮はしない。
こうして、魔王城の収穫――小麦編 リターンが始まったのだった。
今回は麦の束ねやそりへの運びなど一番力のいるところを男性中心に大人に頼んだ。
私はいつものように刈り取り担当のコンバイン。
広い畑を何度も何度も歩きながら小麦を刈り取っていく。
ギフトについてまったく話をしていなかったからヴィクスさん達には盛大に驚かれたけれど、とりあえずは仕事優先ということで理解して貰った。
私が刈り取り、エリセとフェイが魔術で麦を集める。
それをみんなで束ね、運び干し上げた。
やっぱり人手があると色々と早い。
下手したら私が刈り取るのが一番遅いくらいで焦ったけれど午前中には城下町近辺に続いていた畑三枚分の収穫がほぼ終わった。
「お疲れさま!!
午後からも頑張ろうね!」
お昼は、刈り取って広く見渡せるようになった畑に、野戦用だろうか。
地下倉庫で見つけた毛氈を敷いてみんなで食べた。
「はあ、美味しい。染みるわ~」
ごくごくと喉を盛大に鳴らしてカップの水を一気飲みしたティラトリーツェ様が息を吐き出す。
魔術で冷たく冷やした水に、サフィーレの果汁を混ぜたおいしい水は、炎天下の作業に疲れた体に染みわたっていくのはホントのこと。
そして、麦刈り免除で料理の準備をしてくれたラールさんの特製ハンバーガーを頬張れば、肉の甘みと旨みが身体の疲れを溶かして、力をくれる。
「ハンバーグは至上の美味だと思いましたがこうしてパンと一緒に食べると、また格別ですね。
手づかみは少々行儀が悪いですが、それもまた楽しい」
大きな口を開けてがぶりとハンバーガーを頬張るヴィクスさん。
「ミーティラ様は、こういう食事お嫌いですか?」
「そもそも、食事をするなどという習慣が戻ってきたのはつい最近のことでしょう?
それまで食事というのは客人に出すものか、特別な晩餐の時だけのもの…。
でも…プラーミァでは野外訓練の後、飴や果実などを口にすることがありましたから、野外でものを口にすることに抵抗はありません」
ミーティラ様も、それほど抵抗なく食べて下さった。
毒見うんぬんとまた言われるかと思ったけれども、隣で皇子妃様が子どもと一緒にハンバーガーを食べている様子を見れば文句は言えなくなったのかもしれない。
黙って、少し嬉しそうに貰った食事を口に運んでいる。
「プラーミァの果物ってこちらと違います?」
「まったく違いますね。高い枝の無い木に生るナバナの実。オレンジ色で蕩けるような味わいのヴェリココ、黄色くて生で食べるには向きませんが酸味の強い果汁が疲れを取るキトロンなど」
バナナ、マンゴー、レモンとみた。
欲しいなあ。でも砂糖と違って生果物を正反対の国から持ち込むのは難しいか…。
デザートは砂糖漬けにしたグレシュールとミクルを混ぜ込んだマフィン。
今年最後に近いピアンも皮を剥いて出した。
私も大きな口を開けて一口。
「うーん。美味しい」
イノシシ肉を細かくミンチにしたハンバーグに混ぜ込んだ香草が油っぽさを消している。
ソースはエナの実ベースに肉の旨みがたっぷり込められた肉汁を混ぜ、小麦粉を混ぜてとろみを出したもの。
コクがある。
そして全粉粒の力のあるパンが肉の旨みをしっかり支えている。
流石ラールさん。私が作るよりずっと美味しい。
いっぱい働いた後、こうしてみんなでわいわいと空を見て食べる食事は格別だ。
すっかり大人にも馴染んで隣に座ったり、膝の上に乗ったりして甘える子ども達。
それを受け止めてくれる大人。
「あー、なんだか幸せだなあ」
ここ暫く色々と嫌なものを見たりすることも多かったから、胸に染みる。
早くアルケディウスの子ども達もこんな風に笑いあえればいいのに、と心から思った。
魔王城の中での天日干しは大人は手伝えないので、午後からは街の転移門を使って別の街の放置されていた畑の麦も刈る。
大人がいるうちにと思ってついでにパータト畑の芋も収穫して貰った。
人海戦術はやっぱり強い。
「この、エプロンというのは良いですね。私が知っているそれとは随分違いますが、動きやすいし服が汚れない」
「マリカの発案よ。普通のエプロンと呼ばれるものは前しか守れないけれど、これは後ろも汚れがつかないからいいわよね」
午後の収穫作業を大よそ終え、エプロンを外したミーティラ様が感嘆の声を上げる。
農作業をするから汚れても良い服を、とお願いしておいたのだけれどもそこはお貴族様だから、皆さん、特にティラトリーツェ様とミーティラ様は女騎士の服装でも刺繍や飾りがキレイで汚すのが勿体ない服装をしていた。
だから、この間試作品として納めて貰った保育用チュニックエプロンをお二人にはお貸ししたのだ。
少し腕には汚れや麦穂がくっついているけれども、刺繍飾りの多い全面は綺麗なまま。
なかなかいい感じだ。
「皇子、どうなさるんですか? その草だらけの服で城に戻ると?」
「ははは、どうするかな」
「少し失礼してもいいですか?」
一方でエプロンを貸せなかった男性二人の服は草だらけ。
だから私はギフトで服から草を追い出す。
草だらけの服、の形を草のない服に変えたのだ。
「おおっ!」「これはこれは…」
「汚れは落ちませんので、後で洗って貰って下さい」
「すまない。助かったぞ。マリカ」
「皇子…」
「後だ。解るだろう」
「?」
解らない会話をしている二人に私は首をかしげるけれど
「マリカちゃん、ちょっと…運ぶの手伝ってくれるかな?」
「はーい。今行きます」
正直それどことじゃなくまだ忙しいので、それこそ後にする。
一日仕事が終わった後は十分に労わないと。
麦刈りの後の夕食はパンケーキと魔王城の島では決まっている。
流石に今年の麦ではまだできないけれど、去年の備蓄を全部使いきるくらいに盛大で豪華に作る。
ベーコンを入れないノーマルなパンケーキだけれども、今年はちょっと一工夫。
ラールさんに頑張って貰って卵をしっかり分けて卵白でメレンゲを作って貰ったのだ。
いわゆるスフレパンケーキ。
某有名絵本のパンケーキに憧れたことなら、保育士ならずとも絶対ある。
一人暮らしの癒しだったのだ。
ふわふわのパンケーキに、できたてのヤギバター。
そしてたっぷりのメイプルシロップ。ならぬカエラシロップをたっぷりかけて。
「うわあっ! 凄い。素晴らしいわねこのパンケーキは。どういう作り方なのです?
マリカ。まだ実習で作っていないでしょう?」
「うむ、ふんわりと口の中で蕩ける。口の中に空気を含んだように柔らかで甘いな」
「このシロップの濃厚な甘さはなんです? プラーミァの砂糖とはまったく違う味でしょう?」
「流石ミーティラ様。この島の砂糖はカエラという木から採取されるものなんです。これはそのカエラのシロップをかけたものです」
「…カエラの木ならアルケディウスにもそこそこあるな。カエラは木材としては人気が無いが、そこから砂糖が取れるとなれば重要度はグッと高まる」
「王都付近にもありますか?」
「直轄領などにも多少はあるが、纏まった本数、となると国境沿いのあたりに多いかもな。
特に次の秋の戦の戦地となる森には、結構ある筈だぞ」
「本当に?」
「毎年、戦地には似合わぬ程に赤、黄色と美しく彩られるからな。印象に残っている」
それは欲しい。
秋の戦って、水の国フリュッスカイトとだっけ。
指揮を執るのは第二皇子様と聞く。
…勝ってくれないかなあ。
子ども達は疲れてうとうとしだしたけれど、それでも眠い目をこすりながら一生懸命にパンケーキを口に運ぼうとしている姿は、本当にとても、とても可愛らしかった。
「頑張ったもんね。疲れたよね」
私はフォークを取り落して、机に突っ伏したジャックをそっと抱きかかえて、城に戻る。
もう真っ暗になった空には、気が付けば満天の星が輝いていた。
見知った星座はなにもない、けれどもどこか懐かしく美しい星空が。
「今日は、私達向こうの城に泊まります。
明日は、休ませて貰ってもいいですか?」
「僕とリオンは、昼過ぎには一度顔を出しますから」
「解りました。大活躍でしたからね。ゆっくり休んで下さい」
「調理実習は一日ずらすと報告済みです。身体を休めて明後日またいらっしゃい。
あのふわふわなパンケーキを作ってくれることを楽しみにしていますよ」
手伝って下さった皆さんを送り届けてから、私は城に戻る。
守護精霊、エルフィリーネが出迎えてくれる。
彼女も城の中で、畑の収穫や麦の干し上げを手伝ってくれていた。
「お疲れさまでした。マリカ様」
「エルフィリーネもお疲れ様。皆は?」
「他の皆ももう疲れて眠っています。入浴する気力も無いようですね。
ティーナが明日の調理などは気にせずマリカ様もゆっくり身体を休めて下さいとのことですわ」
「私も、汗びっしょりだからお風呂に入りたいけど…疲れてくたくただから今日は寝る。
朝は、ごめんティーナに甘えるかも…」
言っているうちに身体から力が抜けた。
エルフィリーネと話しているうちに安心してしまったのか。
ぐらりと、身体が揺れるのを
「おっと…」
リオンが抱きとめてくれた。
「おい、部屋まで歩けるか? 大丈夫か?」
「うん、大丈夫…歩く…」
と言ったけれども、言葉と反対に身体と頭は動かない。
パンケーキの上に蕩けるバターになった気分だ。
「仕方ないな」
よいしょっと、そんな声が耳の横で聞こえた。
頭の位置がリオンの肩に。
子どもの様にだっこされている気がするけど、今は本当に頭が働かなくて恥ずかしいとか抵抗しようという気持ちは出てこない。
手と足はプラプラと風に踊るように揺れている。
「マリカを部屋まで連れて行ってくる。
エルフィリーネ。寝かしつけた後は任せた」
「解りました」
「なんだかんだで今日、一番働いて歩いたのはマリカですからね。
疲れたのでしょう」
「ゆっくり寝ろよ」
みんなの声がまるで子守歌みたいに気持ちよくって、私はそのまま意識を手放す。
ふんわりと温かくて大きな何かに頭を撫でられる様で、とてもとても気持ちが良かった。




