皇国 子ども達の未来
今日の私は忙しい。
朝からずっと、息つく暇もなく動き回っている。
全力で、料理の準備をしているのだ。
鍋を見て、火加減を調整して、盛り付けの段取りを考えて。
何度も何度も厨房を往復しながら、心の中で同じ言葉を繰り返す。
最高のご馳走を用意したい。
何故なら、今日は私達にとって特別な日になるから。
「ハンバーグOK、サラダOK、シチューもOK。
エリセ、ミルカ。サンドイッチの方は、大丈夫?」
「ばっちり完成!」
「いかがでしょう? お姉様」
二人が差し出してくれた大皿を一瞥し、私は思わず頷いた。
「いい感じ。後はキレイに盛り上げて」
「解りました」
「ラールさん、タルトの方焼けましたか?」
「うーん、あと少し、かな?
今のうちにフルーツとカスタードクリームの用意をしておくよ」
「お願いしま…!」
言葉の途中で、扉の開く気配がした。
私は包丁を置くと、そのままエプロンの裾を翻して走り出す。
玄関の扉が開かれる。
料理の準備のために先に戻っていた私達以外の、残りの皆。
リオン、フェイ、ガルフ、リードさん。
そして、ライオット皇子の姿もある。
けれど、私の視線が探していたのは――。
「よ! ただいま」
聞き慣れた声。
いつものように、何事もなかったかのように向けられる優しい笑顔。
喜びを湛えた、澄んだ碧の瞳。
胸がいっぱいになって、喉が詰まる。
言葉が、すぐには出てこない。
それでも。
それでも、これだけは言わなくてはならなかった。
私は大きく深呼吸をして、精一杯に微笑んでみせる。
「……お帰りなさい。アル」
「それじゃあ、作戦の無事成功と、アルの自由を祝して……乾杯!」
「乾杯!!」
掲げられた盃が軽やかに合わされる。
室内に広がるのは、確かな幸せと、抑えきれない悦び。
私達の盃の中身は、今が旬のピアンのジュース。
大人組は、とっておきのビールだ。
「はあ~~。美味い」
アルは深く息を吐き、素直な声を漏らした。
「物を食べて、こんなに美味いと感じるのは久しぶりだ。
食事も一週間ぶりだしな。
物を食べる、っていうのが幸せだって、改めて実感する」
「お疲れさま。アルはとっても頑張ったものね」
私はアルのカップにジュースを注ぎ足しながら、そっと労いの言葉を添える。
「マリカもな」
アルは柔らかな笑みを浮かべて、こちらを見た。
「おかげで、あの忌々しい伯爵家から、ようやく本当の意味で解放されたんだ。
うれしいよ。ありがとな」
その表情を見た瞬間。
私はようやく、本当にやっと、私達の勝利を実感することができた。
これでアルは、逃亡奴隷ではなくなった。
――よかった。本当に、よかった。
「伯爵夫人の方は、随分とアルの事を気にしていたようでしたよ」
リードさんが静かに口を開く。
「買い取って伯爵家に引き取れないか。
でなければ正式に養子に、と。
問い合わせが何度もありました」
「うむ」
三枚目のサンドイッチを手に取りながら、ライオット皇子が頷く。
「アルが養子になって大貴族を継ぐ、という話は悪いものでは無かったのだが。
随分簡単に蹴ったものだな」
今日は仕事が忙しいと来られなかったティラトリーツェ様がいないせいか、皇子の肩からは随分と力が抜けている。
私達のフォローで、随分と苦労をかけてしまった。
せめてお礼に、ティラトリーツェ様には新作のタルトでも持って行ってもらおう――そう考えた、その時。
「ヤダ。奥方にそんなに恨みがあるわけじゃあないけど。
伯爵家に残って、また貴族に仕えるなんて絶対に嫌だ」
アルは、きっぱりと。
一言の迷いもなく、言い切った。
まあ、当然だよね――そう思った、次の瞬間。
「それに女なんて面倒くせぇし、オレ女に抱かれたこと何てねぇし……」
さらりと零れ落ちた爆弾発言。
皇子が盛大に麦酒を吹き出した。
「アル……」
「なに?」
「どうしたの?」
まったく理解していない様子のエリセとミルカを宥めながら、私達は静かに視線を逸らす。
うん。
聞かなかった。
説明するのなんて、御免だもん。
「でも、これで晴れてアルは自由の身だ」
ほろ酔い気味に頬を赤らめたガルフが、我が事のように言った。
「登録された準市民として、戸外に出る事も、表舞台に立つこともできるしな」
アルが、魔王城の子ども達の中で、ただ一人表舞台に立てなかったこと。
それを、ずっと気にしてくれていたのだろう。
「アルも、秋の騎士試験を受けてみるか?
いいところまでは行くかも知れんぞ」
「今年はリオン兄が受けるんだろ?
オレは、やるとしても来年以降でいいや」
「そうして貰えると助かります」
皇子が軽く頷く。
「商売が広がっているので、旦那様の名代として動ける人間が、マリカ様以外にも欲しかったのです」
皇子の言葉に、アルは小さく首を振った。
しかし、アルでいいところまで、か。
騎士試験って、けっこうレベルが高いのでは……?
「そういえば」
一方で、落ちる可能性など微塵も無いリオンが、真剣な表情で口を開いた。
「伯爵と、その一味の処分は正式にはどうなったんだ?」
それは、私も少し気になっていた。
「それは食事の後でな」
皇子の顔が、ふっと為政者のものに戻る。
「あまりいいとは言えない話もあるし、相談もある」
私達は、静かに頷いた。
因みに。
新作練習も兼ねたお祝いパーティの評判は、なかなかのものだった。
特にチーズソースハンバーグは大好評。
王宮の料理実習に使えるかもしれない。
タルトも人気だ。
生地さえ作っておけば、バリエーションは無限に広がるし、やっぱり美味しい。
砂糖が高いから、まだまだ超高級品だけど。
牛乳と卵も、まだ安いとは言えない。
それでも、安定供給できるようになってきたのは、本当に嬉しいことだった。
食事を終え、一息ついたところで。
私達は皇子の話を聞く姿勢に入る。
エリセとミルカも同席。
隠し事はしないと、決めたから。
「まず、最初に気になっているだろうから言うが」
皇子は一つ息を整えてから告げた。
「ドルガスタ伯爵。
アルを奴隷として飼っていた大貴族は、王宮の地下牢に幽閉となった」
「王宮に地下牢が?」
思わず口に出た私の疑問に、皇子は頷く。
「ああ。地下深くにな。
一番警戒が厳重な場所だ。
五百年の間に、他にも今も数人幽閉されている。
主には政治犯だな。傷害や殺人がほぼ無い世界だから」
「なるほど……」
それだけ長く幽閉されていれば、恨みも積もるだろう。
下手に出せば、確実に厄介なことになる。
「配下連中も永久幽閉だ。
こっちは街の秘密の場所にある牢屋に。
幽閉は、手間がかからない」
一度閉じ込めてしまえば、あとはほぼ放置。
敵ながら、気の毒だと思ってしまう。
……死んだ方が、きっと楽なくらい。
「ドルガスタ伯爵は、麻薬の使用と放火が最大の罪だ」
皇子は淡々と続ける。
「それにより貴族位剥奪。
加えて、皇家が保護する娘の拉致、暴行、強姦未遂。
それらが加わって、永続幽閉となっている」
あの日見た、伯爵の顔が脳裏に浮かぶ。
突き出た腹、べったりとした髪。
どう見ても、好意を抱ける要素など無かった。
「伯爵家そのものは、取り潰しにはならなかった」
「え?」
「大貴族の入れ替えは、騒動を招く。
奥方が残り、領地の運営と管理を行う。
ただし、大貴族としての投票権は剥奪された」
「投票権?」
首を傾げる私達に、皇子は丁寧に説明してくれる。
「国の重大事は、大貴族と皇家の投票で決める。
大貴族十八票、皇子三人がそれぞれ一票。
あとは皇王様だな」
「奇数じゃありませんよね?
同票になったら?」
「その時は、皇族と皇王様の票が多い方が勝つ。
もっとも、不老不死の世界だ。
票決になる事自体が稀だがな」
そして、皇子は少し誇らしげに付け加えた。
「新しい食の事業は、数百年ぶりの票決だった。
満票賛成は、歴史上初めてらしいぞ」
なるほど。
この世界では、貴族が政治の全てを決める。
平民には、政治に口出しする権利は無い。
「伯爵夫人、サラディーナはな」
皇子は続ける。
「元々、飾り物の領主を支える有能な夫人として有名だった。
今は、保護観察を兼ねてティラトリーツェが面倒を見ている」
そして。
「ゲシュマック商会への賠償。
それから、奴隷少年達への救済を負ってもらう事になった」
「賠償と、救済……?」
アルを解放できた時点で、伯爵家などどうでもいい存在になっていた私には、少し意外な話だった。
「皇王妃様からの提案だ」
皇子は、こちらを見て言った。
「これを機に、孤児院を形にしてみてはどうか、という配慮だな」
「孤児院!」
胸の奥に、熱いものが込み上げる。
私は思わず、両手を握りしめた。
皇国に来てから、ずっと願い続けてきた目標。
それが、やっと手の届くところまで来ている。
ドルガスタ伯爵家に買われていた奴隷少年は、五人。
保護後は、ゲシュマック商会が用意した女子寮に預けられ、従業員の女性達が世話をしてくれている。
私も毎日通い、様子を見ている。
正確な年齢は分からない。
書類など、何一つ残っていなかった。
最年少は二人。
多分、四~五歳。
ギルやジョイ、最初のエリセ達と、ほぼ同じくらいだと思う。
ほぼ放置されていたため、言葉も喋れない。
声をかけなければ、一日中部屋の中で転がっているだけ。
それでも。
食事と寝床を与え、名前を呼び、話しかけることで。
少しずつ、確実に変化は見え始めていた。
下働きとして酷使されていたのは、八~九歳くらいの男の子が二人。
自分の意思を持たず、言われるままに動くだけ。
……多分、この子達が一番酷い目にあわされていた。
薬も強く使われていたらしく、保護後数日は高熱と禁断症状に苦しんでいた。
三日目でようやく落ち着き始め、今は少しずつ食事を取らせている。
そして、十二~十三歳。
リオンやフェイと、ほぼ同じ年頃の少年。
彼はまだ、自分の状況を受け入れられずにいる。
奴隷でなかった時代を知らず、
奴隷として働く以外を教えられなかったのだから、無理もない。
簡単な取り調べの後、すぐに解放されたが、行き場所が無く。
今はゲシュマック商会の男子寮に入っている。
ジェイド達が、気にかけてくれているようだった。
「小さい子は、魔王城に連れて行く事も考えていたのですが……」
「今回は、大事な証人でもあるからな」
皇子は静かに言った。
「こっちに置いておいた方がいいかもしれん。
孤児院開設の準備は、進めていたのだろう?」
「それはもう!」
私は全力で拳を握りしめる。
一番やりたかったこと。
皇王妃様に直訴して、すぐにはダメだと叱られて。
それでも諦めず。
ティラトリーツェ様とザーフトラク様の指導を受け、準備を整えてきた。
本店で真面目に働いてくれた人の中から、適性と興味のある女性を数名。
孤児院担当として動いてもらう準備と勉強も、既に進めている。
「なら」
皇子は頷いた。
「南城門近くに小さな家がある。
そこに子ども達を集め、仮の孤児院を始めてみるがいい」
「はい!」
「動かしてみないと、足りないもの、必要なものは分からん」
皇子は続ける。
「予算は潤沢とは言えないが、伯爵からの賠償もある。
まずは子ども達を入れ、必要なものを揃え、生活させてみろ」
そして、優しく背中を押すように。
「今まで、まともに食事も生活もできなかった子達だ。
どんな環境でも、これ以上酷くはなるまい」
失敗してもいい、という意味なのだろう。
けれど――。
「酷い状況になんてしませんし、させません」
私は、はっきりと言った。
「絶対に、あの子達が幸せを掴めるようにしてみせますから!」
「あまり気負いすぎるなよ」
皇子は微笑む。
「だが、その強い信念は、俺もティラトリーツェも気に入っている。
無理せず、やりたいようにやってみるがいい」
「はい!」
こうして、苦節半年。
やっと私は、念願の『孤児院』設立に手を伸ばすことができた。
皇国の子ども達は――
絶対に、私が護ってみせる。




