王都 子ども達の逆襲
逆襲する。
この不条理な世界に。呪われた世界に。
子どもたちは逆襲する。
言葉を胸の中で繰り返しても、焦りは消えなかった。
心臓の鼓動が、夜の静けさを破るくらいにうるさい。
ずっと、ずっと、眠れない。
不安で、不安で、しょうがない。
アルは無事でいるだろうか。
ちゃんと戻ってきてくれるだろうか。
椅子に座ったまま、私はぼんやりと壁の一点を見つめる。
目は乾いて痛いのに、瞬きをするたび涙がにじみそうになる。
呼吸を整えようとしても、胸の奥がざわついて、落ち着く場所がない。
そんな私の耳に、ガルフの声が届いた。
「マリカ様、アルが戻ってきましたよ」
椅子を蹴倒した。
考えるより先に身体が動く。全力で駆け出し、裏口から店の中へ飛び込む。
――いた。
店の奥、息を整える間もなく立っているアルの姿を見つけた瞬間、視界が熱く滲んだ。
「アル!」
「ただいま、マリカ」
駆け寄って、抱き付いた。
身長差はほとんどない。アルの方が少し大きいくらいで、私達は、ほぼ同じだ。
「なんだ? 目が真っ赤だぞ。
また寝てなかったんじゃないか?」
でもアルは私をしっかり受け止めて、ポンポン、と優しく頭を撫でてくれる。
いつもの手。いつもの温度。
なのに、その優しさが痛かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
戻らせてしまってごめんなさい。助けてあげられなくてごめんなさい」
「また泣く。リオン兄やみんなが困るだろ?
いい加減慣れろよ。オレはもう慣れたんだから……」
涙が止まらない。悔しさが止まらない。
アルを助けられず、伯爵の元に戻すしかなかった自分の不甲斐なさが悔しくて、
自分の無力が辛くて辛くて、息が詰まる。
アルを困らせると解っていても、私は泣きじゃくることしかできなかった。
……慣れたなんて、嘘だ。
伯爵の元から戻ったアルは、明らかにやつれている。傷も増えてる。
そして、どんな仕打ちを受けているかを『教えに来た』者もいた。
「……だって、だって……」
「ホント、泣くなよ。マリカ。
前にも言ったろ?
これはオレが納得して決めたコトなんだ。伯爵をブッ飛ばして兄弟たちを助ける、ってな」
困ったようにアルは微笑む。
その笑みが、きちんと形になっていることが、逆に胸をえぐる。
私は……子どもだ。
力が足りない。
アルを、子ども達を助けられなかったことが、悔しくて悔しくてたまらない。
◇
アルの元主人。
大貴族、ドルガスタ伯爵から手紙が届いたのは、先週の安息日前の空の日だった。
アルが、自分の元から姿を消した逃亡奴隷であること。
速やかに返却し、賠償を行うべし、と。
安息日明け、木の日には伯爵とその使いが来る。
その時までにアルを守り、伯爵をなんとかする手段を考えなくてはならない。
私は、とにかくお金を積んでアルを買い戻し、自由の身にする。
それからドルガスタ伯爵の弱みを探して潰す。
そのつもりだった。
けれど。
ライオット皇子とティラトリーツェ様を交えた方針検討会。
その場で皇子は――
「アル。一度、伯爵の元へ戻れ」
「えっ?」
冷徹に、冷酷に。
皇子はアルに、そして私達にそう言ってのけた。
「ライオ!」
「な、なんでですか! 一度でも戻ったら自分の元を抜け出した逃亡奴隷に、子どもを奴隷にして酷い目に合せる人間が一体何をするか……!」
「そうだ! アルが伯爵の元に戻ったらただじゃすまない。お前だって解ってるはずだ」
私は全力で食ってかかる。
リオンも顔を怒りで真っ赤にしている。
――けれど。
「……やっぱり、そうするのが最善手だと、皇子も思われるのですね」
「フェイ?」
フェイはアルを見やって、大きく息を吐き出した。
アルの表情はない。
何かを思うように、見つめるように拳を握りしめている。
「フェイもアルを伯爵の元に戻すのが最善手だと言うの?」
私の問いに答えたのはフェイではなく、皇子だった。
「アルを救い出すだけならば、他に手が無くも無い。
だが、店とマリカを守りたい。
伯爵を潰し、後顧の憂いを断ちたい。
伯爵の元に他にもいるであろう奴隷達も助けたい、と思うのなら、アルが一度伯爵の元に戻り、情報を集めることが必要不可欠だ」
皇子の声は淡々としている。
けれど、その静かさが、現実の重さだった。
「こちらは今、どんなに取り繕おうとしても伯爵が所有権を持つ奴隷……子どもを不当に所持している立場です。
その子どもを欲しい、と訴える事は彼らに弱みを見せ調子に乗らせます。
伯爵はこちらに奴隷窃盗の罪を被せ、ゲシュマック商会に無理難題を吹っ掛けるでしょう。
皇子が言った通り、マリカを寄越せ、レシピを教えろ、伯爵の領地を優遇せよ、下手をすれば商業権を寄越せ、まで言ってくるかもしれません」
……ヤダ。
納得できない。したくない。
でも――
「レシピくらい教えても……」
「それで終わらない、と言っているんだ。
何より、こちらは間違いのない奴隷窃盗犯。
アルフィリーガとフェイはアルの救出の時に追手の一部に顔を見られているし、俺も不自然な行為を疑われている。
そこを追及されたら証拠は無くても追い詰められる。
国の重要事業を預かる商会であるからこそ、妬み嫉みは多いし、これからも増えて来る。
この先、食料品扱いの店の頂点に立つゲシュマック商会が、下手な大貴族の介入を許したら、とんでもないことになるぞ」
「……それは……解っています……けど……」
皇子の言葉は正論だ。
私の怒りが、理屈に押し戻される。
それが悔しい。だからこそ、余計に苦しい。
「それにね、マリカ。
アルだけでなく、ドルガスタ伯爵の他の奴隷を助けたいと思うなら、外からでは無理よ」
ティラトリーツェ様も、私に同調して下さらない。勿論、私達の味方であることは間違いないのだけれど、才女でありこの国最高位の女性の一人であっても。いやだからこそ、逃れることを許されない事実、正論を追い打つように突き付けてくる。
「身に染みていると思うけれど『子どもの奴隷を買って所有する』ことは罪ではないの。
何人の子どもが買われて、どんな扱いを受けているか、中に入らないと把握はできないわ。
相手は仮にも大貴族。
ドルガスタ伯爵は評判の悪い人物で、税の不正徴収や他にも、色々叩けば埃は出そうだから、この機に本気で調べてみるつもりではいるけれど。
本気で彼を潰そうと思うのなら、なおの事、中の情報は必要になって来る」
方々が告げるのは何から何まで正論だ。反論できないくらいに。
でも――胸の奥で、拒絶がまだ暴れている。
「アルを知らずに買ったと、返却する。
そうすることでドルガスタ伯爵はゲシュマック商会に対する強みを失います。
その上で、アルを雇うと話をすることは可能でしょう。
アルを店に来させることで命を守り、情報の収集などもスムーズに行えます」
「フェイはそれでいいの? 殺されることは無いとしても、絶対に酷い目に合されるんだよ!」
最低の主、とアルは言った。
子どもを鞭打ち、焼き印を刻む相手が、一度逃げた奴隷に慈悲をかけてくれるはずがない。
私が思うくらいのことを――
「……僕が、本気でそうしたいと思って提案しているとでも?」
当然、フェイが気付いていないわけがなかった。
冴えた冬の夜みたいな、一欠けらの温かみもない声が返ってくる。
「僕とリオンは、アルが何をされてきたのか良く知っています。
マリカよりも。
それが許せなかった。その場に一時でも置いておきたくなかった。
だからこそ救い出したのですから。
……例え一瞬でもマリカに、そう思われるのは哀しいですね」
「……ごめんなさい」
声の底に、鋼の意志と同じ重さの苦しみが見える。
私はバカだ。本当に。
「アル……お前が決めろ」
リオンの声は硬い。
それが、無理に背中を押す硬さではないことが、余計に胸に響いた。
「お前のことだ。お前が決めて良い。
お前の選択に俺達は従う」
ライオット皇子も、ティラトリーツェ様も、フェイも。
誰も否定せず、アルを見つめる。
――憎まれ役を買って出てくれたのだ。
もしアルが拒否すれば、難しくても遠回りでも別の方法を考えてくれる。
その確信が、目線の重さに宿っている。
皆の視線がアルに集まる。
今までずっと、一言も発さずに言葉を噛みしめていたアルは、ゆっくり顔を上げた。
「オレは、行く。伯爵の所に。
絶対に必要な事だから……。オレにしか、できないことだから……」
その一言が、私の胸の中の何かを切った。
痛みと同時に、決意が立ち上がる。
◇
そう、決めたのは六日前の事。
「まったく、思った以上に小物で、救いようのない男ですね。
ドルガスタ伯爵という男は」
フェイが放る書類には、前の土の日。
伯爵の所から最初に戻ってきたアルが届けた情報、その精査と身辺情報がみっちりと記されていた。
領地の現状、派閥内の立場、背景、家族、行動、それに至る経緯。
それこそ本人さえ気付いていないだろう些細なことまで。
リオンとフェイ、そして皇子の睡眠や休息を度外視した調査の賜物だ。
『国境沿いの辺境領主。
一時期大貴族残留も危うかったところを上位領地の息女との結婚により凌いだ為、妻には頭が上がらない』
『その反動と性癖から子ども、特に男児を奴隷として購入しては、使い潰している。総数は五百年でおそらく千人以上……』
「許さない。本当に、絶対に許さない!」
情報を見た瞬間、頭が真っ白になって、その後、怒りが燃え上がった。
アルのことだけでも許すつもりはなかった。
でもこれは、許せないの種類が違う。
「殺す。いや、不老不死で殺せないんだっけ。だったら魔王城の島に連れて行って血祭りに……」
「待て。マリカ。エルトゥリアの島をこんな奴の血で汚すな。
一生幽閉して、生きている事を後悔するくらいに痛めつけてやる」
私達の目は、怒りで据わっていたと思う。
それを見た皇子が大きくため息を吐く。
「いや、二人とも落ち着け。お前達が言うと洒落にならん」
「別に洒落で言ってない」
「そうですよ。皇子。私は冷静に本気です。
伯爵には今まで酷い目に合されてきた子ども達の苦痛、苦悩の何百分の一でも味わって頂かないと……」
「本気で言っているとしたら、なおの事落ち着きなさい。
怒る気持ちも解りますが、今の国法では……褒められた事ではなくても罪に問えないのですよ」
「だったら、子どもは黙って殺されろって言うんですか? ティラトリーツェ様!
酷すぎます。あんまりです!!」
言っても仕方ない相手だと解っている。
それでも、やり場のない怒りがぐるぐると頭の中で渦を巻く。
どうして、子どもであるというだけで、そんな目に合わされなければならないのだろう。
しかも、その子達は死んだあと、まず間違いなく、葬られることなく打ち捨てられるか投げ捨てられたはずだ。
墓地に埋葬していたのなら、まだ――と一瞬思う。
でも、そんな気を回す人間が、そもそも子どもを使い捨てるわけがない。
「……そうね。
もう何百年も子どもと接する事が無かったから忘れていたけれど、子どももちゃんとした人格を持っているのですものね。
確かに酷い話。間違っている事だと私も思います」
「だったら変えていくんだな。神の鎖に縛られた俺達ではない、お前達が……」
私は二人の言葉を噛みしめる。
それは――不老不死の世界で、何百年ぶりに訪れる変化の最初の階。
この世界に子どもの居場所を取り戻すための、始まりの一段だ。
「ライオ」
「人は知らぬモノに対して、想像力を発揮できない。
子どもという存在が、決して見下される存在ではないのだと、価値のある者だと、世界にお前達が教えてやれ」
思い出す。
そうだ。本当にのんびりしている暇はない。
私達は一刻も早く、この世界に子ども達の人権と生きる場所を取り戻さなければならない。
「アルが、身体を張って手に入れて来た切り札のおかげで、伯爵を追い詰める事はできそうだ」
「え? 子どもを使う事は罪に問えないのでは?」
私の質問に、皇子が逞しく頼もしい笑みを浮かべる。
服の隠しから取り出した手の中に、小さな小瓶。
それを弄ぶように指で転がしながら。
「あ、それ、伯爵がオレ達や子どもに使ってた香……。
時々奥方や寝室でも使ってる……」
「奴は色々と調子に乗りすぎた。加えて無知に過ぎた。
自分がやっている事の意味も知らず、調べず考えなかった。それが奴の罪……」
皇子は囁くように言い、次いで、私達を見た。
「さて、良くここまで我慢したな。アル、マリカ、フェイ、アルフィリーガ」
その声に、場の空気がぴん、と張り詰める。
「好きなようにやってみろ。俺達が出来るフォローはしてやる。
奴には最低貴族位を取り上げられ、数年は幽閉できる罪がある。
それを、表に表し、できる限り増幅してみろ」
陰謀の許可が、私達の前に提示された。
『子ども』のために憤ってくれる権力者。
ライオット皇子が味方で良かった、と心から噛みしめる。
「つまり、それは……罠に嵌めて、いいって、事ですね」
「ああ、ただしあくまで本人のみ。最低でも罪に巻き込むのは直属の実行犯だけにするんだ」
「アル。伯爵の手駒ってどのくらい?」
私の質問に、アルは正確に応えた。
「明確な犯罪行為に使えるくらいの腹心っていうなら、多分、五人いるかいないかくらいだ。
領地を動かす中枢の使用人は、奥方のものだから。
後はオレに命令を与える役を背負ってた『子ども』が一人。こいつが一番大きい。リオン兄やフェイ兄と同じくらいだ。
ちょっと重宝されてる。
自我が無くって言うなりの道具になりかかってる『子ども』が二人。こいつらは昔のオレと同じくらい。
後二人、それより小さい子がいるけど、まだ育ってなくって、殆ど放置されてる」
「全員男の子、だったか? 相変わらず最低な奴だよな」
「年長の子どもは能力者なのですね。流石に千人以上も子どもがいれば、能力を発揮する子どももいる、ということですか」
私は全力で、高速で考える。
こちらは手を打っている。けれど相手も動き出していることは解っている。
「年長の子、ってこの間出会った子、だよね? アッシュブロンドの……」
「ああ」
「その子ね、私達に接触して来ているの。
アルは伯爵家で、酷い目に合されている。助け出さなくていいのか、って」
「え?」
言っていることは事実なのだろう。
でも、その言葉の意味を考えられないほど、私達は子どもじゃない。
おそらく伯爵の策だ。
「本人は策を弄しているつもりなのですが、色々に甘い。
今まで不老不死、貴族社会のぬるま湯の中で、相手が逆らう事も噛みつく事も考えずに思い通りにしてきたのですから、仕方ないと言えば仕方ありませんがね」
フェイが黒い表情を浮かべて笑う。
そういうことだ。
子どもが力で押さえつければ言うことを聞く。
――そんな発想が、どれほど甘いか。
実感していただこう。
「マリカ。少し危険な目に合せてしまう事になりますが、いいですか?」
「勿論。今回はリオンとフェイがいる。それだけで十分安心できるもの」
明確な罪を犯させなければいけない。
そのためには――エサを目の前に放り出すのが一番だ。
「まったく貴女という子は……」
ティラトリーツェ様は苦い顔をしている。
この間と同じ手。二番煎じ。
でも今回は味方も多いし、相手をこちらのホームに引き込むつもりだ。
危険度は比較にならないほど低い。
美味しいお茶の入れ方は、決まっている、ということで。
「ガルフ。倉庫一軒壊しちゃうかもしれないけどいい?」
「必要とあれば御存分に。中の品物は移しておきましょう」
「ありがとう。……アル」
私はアルの手に触れた。
まだ一週間と経っていないのに荒れて、筋張って、傷だらけになっている手。
その小さな痛みの積み重ねが、私の胸を締めつける。
「ごめんね。私の力が足りなくて……アルに辛い思いをさせてる」
「別に、マリカのせいじゃない。って何度も言ってる」
「ううん。私のせい。
もっと私に力があったら、子どもにこんなことをさせたりしない。
大事なアルにこんな辛い思いをさせたりしない」
誰が何と言おうと、これは私の力不足が招いたことだと、私自身が知っている。
だから、この手にかけて誓う。
「でも、この後、こんなことは誰にもさせない。絶対に。
だから、私を信じて……アル」
「いいぜ。マリカ。
あのしたり顔を歪ませてやれるんなら、オレはなんだってする」
一瞬の逡巡もなく返る、不敵な笑み。
それに、私は安堵した。
迷いも躊躇いも、吹き飛んでいく。
「もう、一日たりとも現状を放置したくありません。決行は明日。
どうか、力を貸して下さい」
慄け。伯爵。
そして世界の、愚かな大人達。
明日こそ、本当の意味での『子どもたちの逆襲』の始まりだ。




