魔王城 精霊の貴人の考え事 中編
私が転移門からアルケディウスに戻り、衣装を抱えて着替え、また島へ戻ってくるまで。
そんなに時間はかかっていなかった――はずだ。
けれど、戻った私の目に飛び込んできた光景は、少しだけ時間の感覚を曖昧にするほど賑やかで、豊かだった。
「うわー、凄いね」
「魔王城の森は本当に豊かですね。宝の山です」
森を巡っていたらしいリードさんとガルフは、ギルとジョイと一緒に、両手から溢れるほどのお土産を抱えて戻ってきていた。
葉の瑞々しさ、土の匂い、摘まれたばかりの実の甘やかな香り。
その全部が、ふわりと部屋の空気を満たす。
「これはリューベ、こっちはグルケとオベルジーヌ。
どっちも人気のあった野菜ですよ」
こうして収穫された姿なら、私にもわかる。
蕪に胡瓜、それから茄子だ。
抱えられた野菜は、どれも艶がよく、若々しい。
「すごい……! これ、ちゃんと育ってるんだね」
思わず声が弾む。
街で見る野菜と違って、葉も茎もついたままの姿は生命力に満ちていて、見ているだけで元気が湧いてくる。
「あと、もう終わりに入っていましたが、最後の莢が少し残っていたので、ヴェルケンヴォーネ」
あ、この莢はソラマメかな?
少し変色していた莢を、指先でそっと割る。
中から現れたのは、薄く黄色になりかけているけれど、白い薄皮に包まれた豆だった。
「豆もこの世界にあるんだ。探せば大豆も見つかるかなあ」
思わず頬が緩む。
大豆があれば枝豆も楽しめるし、いつか醤油にお味噌という夢も膨らむ。
とりあえずソラマメは、甘煮も美味しいけれど、フライビーンズや炒め焼き、肉と合わせるとビールのおつまみにかなりいい。
塩ゆでも最高だ。
終わりかけだというのなら、豆を集めておいて来年の春に蒔く種にしよう。
今この手の中の一粒が、来年の畑につながっていくと思うと、それだけで胸が温かくなる。
「それから、これも良い発見だと思います。イングヴェリア」
「うわー、凄い、生姜だね」
「ショウガ?」
「あ、ごめん。摺り下ろしたりして肉に混ぜたりすると、臭みが取れて美味しくなるんだよね」
「良くご存知で。今の時期は若々しい味わいがしますが、もう少し土の中に入れて熟成させてから収穫すれば深い味わいになります。
手間なく育つので、ちょっと水気の多い所に埋めておけばぼどんどん増えますしね」
土のついた生姜の塊を見つめながら、私は一度、深く息を吸った。
この香りだ。
鼻の奥がつんとするのに、どこか落ち着く。
不老不死で栄養バランスと力は考えなくて良いにしても、肉だけ、炭水化物だけの食生活は偏る。
食生活の最初に野菜を取る習慣は、きっちり根付かせておきたい。
身体を作るのは、結局、日々の積み重ねだから。
「木の実で言うと、これもいいですよ。プルーム」
これもわかりやすい。プラムだ。
初夏のシーズンにぴったりの果物。
甘酸っぱさが、口の中に想像だけで広がる。
「ギル君は本当に絵の才能があると思います。見たモノを写実的に、正確に写し取る」
リードさんに肩を叩くように褒められて、ギルは嬉しそうに胸を張った。
ほんの少し、誇らしさが滲む笑顔。
独創的に自分の絵を描く訳ではないけれど、見たものの特徴をしっかり掴んで、ペンで絵として写し取る。
それはきっと、ギルのギフトではないかな、と私は思う。
植物以外のものも描けるかは要検証――だけれど。
写真の無いこの世界で、情報共有にどれほど役に立つかは、もう目の前に出ている答えだ。
それ以前に。
絵と自分に自信を持ち始めたギルの笑顔が、私はただ嬉しい。
「ねえ、ギル。この絵、預かって本にしちゃダメかな?」
「ホン?」
「お城にもたくさんあるでしょ? 字や絵を束ねてあって、みんなで勉強する……」
「僕の絵を本にするの?」
「うん。食べられる野菜の本という形で纏めて、各地で探して貰えば食の復活に繋がるかなと思って。印刷の技術はあるみたいだから」
さっき思いついたことを、そのまま言葉にする。
ギルの描いた絵に、リードさんが文字や解説を添え、各領地に配布できたら。
食材探しはぐっと捗るはずだ。
「印刷の技術、ってどんな感じ? 本はあるのは知ってるけど、紙もやっぱり貴重品、なんだよね?」
ガルフとリードさんに尋ねると、苦い顔をした返事が返る。
「植物紙を使った印刷物が、少しずつ広まってきたところ、でしょうか?
でも、高いです。持ち込みで本を作るなら紙代も込で1冊高額銀貨5枚くらいにはなる気がしますが」
「印刷にも神殿の大きな息がかかっていますよ。一番この世で多く印刷されている書物は聖典、ですから」
五十万円くらいか。
でも、その程度なら許容範囲だ。
「だったら、私達が一番のお得意先になればいいのだと思う。
決まりきったものしか印刷しない神殿より、実用に富んだものを出せるし」
魔王城にある各種稀覯本の中でも、役立ちそうなものを印刷するだけでも多分、相当、世界をひっかきまわせる。
正体に繋がりかねないのでやらないけれど。
でも、料理のレシピや、こういう図鑑を作って売るくらいなら。
本業との関連もあるし、問題ないと思う。
日々の暮らしを豊かにするものは、疑われにくいし、広がりやすい。
「まあ、それができれば、各領地に説明がしやすくなりますね。皇子達にご相談してからの方がいいと思いますが」
「解ってます。だからギル。この絵、貰ってもいい?
みんなに見せてあげたいの。
とっても上手だから」
「わあっ!」
私はギルを抱っこして、机の上に並べた絵を見せる。
自分の描いた線が、紙の上でちゃんと意味を持っていること。
誰かの役に立つかもしれないこと。
それを、ギルにも肌で感じて欲しかった。
あ、キレイな服で抱っこしたからかな?
少しいつもより緊張した顔で自分の絵を見たギルは、でも私の服に頭を摺り寄せて。
「いいよー」
そう応えてくれた。
「ありがとう」
胸の奥が、きゅっとなる。
嬉しさと、責任と、全部が一緒に押し寄せる感じ。
「いいなあ、ギル」
ギルを下ろした後、零れた吐息を聞き落とすようでは保育士失格だ。
羨ましそうなジョイも、しっかり抱っこする。
「ジョイもありがとう。美味しい野菜や果物、たくさん見つけてくれたんでしょ?
それをギルが描いてくれたこと。ちゃんと解ってるよ」
ぎゅう、と抱きしめたらジョイは頬を真っ赤にした。
エナの実のように。
本当に可愛い。
ジョイの能力は危険感知、かなとぼんやり思う。
アルの能力を、危険に特化したものかな、という印象。
とはいえ、能力があってもなくても関係ない。
私は子ども達の存在を、島に閉じ込めておきたくはないのだ。
全員、外の世界へ。
光の中へ、連れて行く。
その努力が、頑張りが、認められる世界を作って。
ちゃんと、歩ける場所を、用意して。
「私、頑張るからね」
それは子ども達への約束であり、自分への誓いでもあった。
*
その日の夕食は、来訪者の家で、みんなで食べた。
ティーナ達も呼んでの、大パーティ再び、だ。
「うわー、マリカ姉、すっごくキレイ」
「かわいい!」
「キラキラ、キラキラ!」
歓声に包まれて、私は思わず肩をすくめる。
みんながこんなに喜んでくれるのが、照れくさい。
「私も着てみたいなあ」
と呟くのはエリセ。
キレイな服にときめく女の子は、万国共通だ。
「じゃあ、シュライフェ商会に聞いてみようか?
ここまでキラキラじゃなくても、可愛い服、きっと作ってくれるよ」
子ども達が来ている服は、私が古着を仕立て直したものだから。
シュライフェ商会にお願いして、ちゃんとした子供服を作ってあげたいな、と前から思っていた。
ティラトリーツェ様に相談しよう。
あの人なら、きっと現実と折り合いをつけながら、最善を探してくれる。
「ほう、リグも随分、大きくなったな」
ガルフが、床をぺたぺた歩くリグに目を丸くする。
リグはもう、自分の足でとっとことっとこ、けっこう歩くようになっている。
もう生まれて十二カ月。
向こうで言うと生後一年になる。
身体は年齢に比べると小柄ではあるけれど、その分、身軽で素早い。
ハイハイと合わせると、どこにでも行ってしまいそうだ。
「最近は目が離せなくて……。ちょっとの隙間をスルッと抜けて部屋を出てしまう事もあるんです。エルフィリーネ様に何度助けて頂いたことか」
よく解る。
すっごくよく解る。
小さい子は本当に、水が流れていくみたいに外に出ちゃうのだ。
ベビーガードとか、必須だよね。
心の中でうなずきながら、私はリグの動線を無意識に目で追ってしまう。
今日の夕食のメニューは、カブ、リューゲのミルクスープ。
グルケとキャロのスティックサラダに、マヨネーズソース。
イノシシのビール煮込みはアルコールが飛んでいるから、子どもでも安心だ。
付け合わせはフェットチーネ風のパスタと、マッシュパータト。
マッシュパータトはリグの離乳食にもぴったりで、皆、大喜び。
「美味しい!」
「お肉やわらかい!!」
「マリカ姉、かわいい」
ちょっと変なのが混ざったけれど、子ども達は夢中で食べていた。
みんなの笑顔を見ているだけで、私は幸せになる。
ここ数日の悩みも緊張も、全部ほどけていくようだ。
給仕をしながら、我ながら細い目でみんなを見ていただろう私の横に――
「子どもの、笑顔というのはいいものですな」
気が付けばガルフがいた。
だいぶビールが入っているようで頬は紅色だけれど、目に酔いはない。
静かな芯のある眼差しで、食卓と子ども達を見つめている。
「ええ。私はこれを守っていきたいと思うのです」
「ええ、守るに値する宝だ」
その一言が、胸にすとんと落ちた。
宝。
そう呼ばれるのに相応しい時間が、今ここにある。
休みが終われば、また新しい日々が始まる。
皇王様から名を賜ったゲシュマック商会のスタートでもある。
「ガルフ、マリカ、ゲシュマック、の意味を知っているか?」
「知りません、何ですか?」
首を捻るガルフに、私達へ近寄ってきたリオンが口元を綻ばせた。
「古い精霊の言葉の一つで、味、風味、香り、そんな意味がある。
知っていて付けたとしたらその皇王という人物はやっぱりただ者じゃないな」
味、風味、香り。
形としては見えない。
けれど、欠かすことのできないもの。
世界の空気を変えてしまう、静かな力。
つまり、世界を変える食の柱。
そうなれ、という思いが込められているのだろうか。
だとしたら本当に凄い。
皇王陛下。
「それは光栄。
では、勇者と魔王と、皇王陛下の信頼に応えるべく、なお一層尽力すると致しましょうか!」
高く掲げられた盃は、蝋燭の光を受けて、きらりと揺れた。
その輝きは、きっとガルフの誓い、そのものだと私は思った。




