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王都 宴の提案

 なんでこうなったのかな?

 と、私は思う。


 こう思うのは、本当に何度目だろうか。

 いい加減、我ながら呆れてしまう。


 でも今回は、私のせいじゃない。

 暴走もしていないし、余計なこともしていない。

 だから、怒られる筋合いは――きっぱり、ないはずだ。


「緊張する必要はない。

 落ち着いて、己の役目を果たすが良い」


 私の震える手に気付いたのだろう。

 静かで、穏やかな声とともに、見えない力がそっとトレイを支えてくれる。


「ありがとうございます。皇王陛下」


 深く頭を下げ、私は皇王陛下の前へと進み出た。

 そして『新しい味』――黄金色に輝くピルスナーを、慎重に差し出す。


 それが、すべての結果であり、始まりだった。



 ことの起こりは、昨日のこと。

 いつも通り、いつものように。

 新しい味の調理実習という名目で開かれた、皇家貴婦人たちの昼餐の回だった。


「まあ! なんて美しい飲み物なの!」


 金色の液体が、純白の泡でふわりと蓋をされたワイングラス。

 それを私は、恭しく皇王妃様へと差し出した。


 ティラトリーツェ様に仕立てて頂いたドレスも、今日で二度目のお目見えだ。


 今回の調理実習のメニューは、事前にティラトリーツェ様と相談して決めたもの。

 主役は――ビール。そして、それを中心に据えた料理である。


「これが、ロンバルディア候領で新しく発見されましたお酒、ビールにございます。

 皇王妃様におかれましては、アルコールは嗜まれますでしょうか?」

「宴席には葡萄酒が欠かせませんから、多少は飲みますよ。

 でも、これほどまでに美しいものは初めて見ます。

 このようなものを候領では隠していたのですか? スティーリア?」

「候領でも存在を知られておりませんでした。

 私自身、頂くのは初めてにございます」


 優雅に頭を下げる大貴族、ロンバルディア候夫人スティーリア様。

 その言葉に嘘はない。


 当然だ。

 ビールの酒樽が蔵を出たのは、昨日が初めてなのだから。


 店の者と関係者以外でこの酒を口にしたのは、

 昨夜、貴族の常識を蹴り飛ばして店に現れたロンバルディア候とライオット皇子のみ。


 それほどの貴重品だ。


 私は、向こうの世界で見学した工場で教わった『美味しい注ぎ方』を思い出しながら、

 樽からその場で、丁寧に注いだ。


 給仕を自ら申し出たのも、そのため。

 せっかくのビールのデビューを、最高の形で迎えさせたかったからだ。


「食前酒にビールは少々乱暴かもしれませんが、どうかお試し下さいませ。

 ビール蔵の皆様が、五百年もの間、精魂込めて製法を守り続けてきた宝にございます」


 前菜兼おつまみとして、生ハムの薄切り、チーズ、エナの盛り合わせを添える。

 後は――ただ、見守るだけ。


「これは!」


 一口含み、ゆっくりと喉を鳴らした皇王妃様が、目を見開かれた。


「こんなお酒が存在したなんて。

 すっきりと飲みやすく、微かな苦みとのバランスが素晴らしいですね」


 よし、ウケた。


 やっぱり女性には、濃厚なエールよりもラガー。

 さっぱりとしたピルスナーの方が口に合う。


「お前達も飲んでごらんなさい。

 男達が、きっと羨ましがる味ですよ」


 その一言で、皇子妃様方も侯爵夫人達も、期待に満ちた眼差しをこちらへ向ける。


 一杯、一杯。

 三度注ぎ、七対三を心がけて。


「色は綺麗だけれど、泡が少し飲み辛いわね」


 渋い顔を見せていた第一皇子妃様も、


「金色が本当に美しいわ。

 泡とのコントラストも見事ね」


 外見に見惚れていた第二皇子妃様も、

 一口含んだ途端、驚嘆の眼差しでグラスを見つめている。


「こんな飲み物があったなんて……」

「大聖都の葡萄酒とは、まったく方向性の異なる味ですね。

 驚きました。とても美味です」


 最初の一杯を毒見役として飲んで下さったティラトリーツェ様は無言。

 ただ、二杯目をゆっくりと味わっている姿が、何よりの答えだった。


「いかがでございますか? スティーリア様」

「爽やかで、鮮やかで飲みやすい。

 素敵ですわね。

 このようなものが領地にありながら、気付けなかったなんて……」


 少し、肩の荷が下りる。


 エクトール様から託された酒を、汚さずに紹介できた。

 そう思えた。


「後は、どうぞ料理と合わせて召し上がって下さいませ。

 エナソースのピッツア、シーザーサラダ。

 メインはクロトリ手羽元肉の、ビールスープ煮込みでございます」


 料理の給仕は料理人さん達に任せ、私はビール注ぎに専念する。


 飲み過ぎは禁物。

 求められても三杯まで。


「まあ、びっくり。

 骨付き肉なのに、触れただけで骨が取れてしまうほど柔らかいわ」

「ビールに含まれている成分が、お肉を柔らかくするのだそうです」


 ついでに言えば、コラーゲンも豊富。

 女性には、豚肉よりこちらの方が向いていると思う。


「デザートはパンケーキにございます。

 今回はシンプルに、生地の香りと味を楽しんで頂ければ、と」

「なんだか、いつもと香りが違いますね。

 それに、ふんわりしているわ」

「いつも、というほどにしょっちゅう召し上がっておられるのですか?」

「オーブンを使うケーキより簡単にできますので……。

 小麦が増産され、食が進めば、定番になると思います」


 小麦さえあれば、パンケーキはいくらでも化ける。

 バリエーションも豊富だ。


「ケーキの中に少し、ビールを混ぜ込んでいます。

 お肉と同じ理屈で、生地が柔らかくなっているかと。

 エクトール荘領のビールは、本当に素晴らしいものです。

 ぜひ、お引き立て下さいませ」


 昨年の麦で仕込まれた、最新の麦酒。

 五樽分のうち、エールとラガーを一樽ずつ皇家へ献上。

 残りは、既に虜を生み始めている。


 ガルフは特別な顧客や商人仲間の繋ぎに使っているみたいだけど。

 秋の新酒までは、持たないと思う。


「ええ、本当に。

 皇王様も、きっとご満足されるでしょう。

 そもそも、お酒というものが人の手で作れるとは思ってもいませんでした。

 見事です」

「お褒めの言葉は、どうぞエクトール荘領へ」


 これは五百年の彼等の努力の賜物だ。

 栄光を受けるべきは彼等だから。



「…マリカ」  

「はい、なんでございましょうか?」


 一通りの給仕を終え、跪いていた私に皇王妃様が視線とお言葉を向ける。

 給仕とビールの説明の為に直答が許されているので、私は顔を上げた。


「其方を今夜借り受けたい、と言ったら困りますか?」

「えっと、それは、どういう…?」

「城の午餐、その給仕を頼みたいのです」


 意味が解らず目を白黒させているであろう私に皇王妃様が静かに微笑みを向ける。


「私達の昼餐は、戯れのように見えるかもしれませんが、

 夫である王、皇子に出される前に、料理の価値や安全を確かめる意味合いがあります。

 良いと判断すれば、夜の午餐にて夫へ説明する義務があるのです」


 その説明は、素直に頷けるものだった。

 国の頂点に立つ者が口にするのだ。

 言葉は悪いが、毒見や試食の意味合いが含まれるのは当然だろう。


 ただ――。


「今回のビールは、本当に素晴らしいものです。

 ですが私には、その価値を正しく伝えられるだけの知識に自信がありません。

 であるならば、荘園に直接赴き、指導を受けた其方に来てもらうのが一番かと考えました。

 ザーフトラクも、其方ほど美しく酒を整えて注げないでしょう?」

「でも……それは……」

「皇王様の前に、マリカを出す、ということでございますか? リディアトォーラ様」


 ぞわり、と背筋が泡立つ。


 私以上に青ざめた顔で、ティラトリーツェ様が私の胸中を代弁してくれた。

 その一言に込められた懸念と恐怖が、痛いほど伝わってくる。


「ええ、そうなるわね。

 ですが、ここ暫くで動きも驚くほど洗練されてきていますし、

 言葉遣いも元々良い。

 この子なら、見苦しい事にはならないでしょう?」

「……」

「もちろん、王宮の約束事も知らぬ商人の娘に無理を言うのです。

 多少の失敗は、大目に見ます」

「でも、今夜、でございますか?」


 今は二の水の刻。

 午餐が風の刻あたりだとすれば、時間はもうほとんど残っていない。


「皇王陛下も、麦酒――ビールの報告を聞いて、とても興味を持っていらっしゃるの。

 楽しみにしていると、ここへ来る前にもお言葉を賜りました。

 異例なのは承知していますが……なんとかお願いできませんか?」

「では、せめて一日のご猶予を賜りたく」


 私は床に額を擦りつけて願い出た。


 無礼は承知している。

 けれど、ここで『できます』と即答することはできなかった。


 また、怒られるだろうけれど。


「一日、ということは明日?」

「はい。

 料理の仕込みや材料の準備もございます。

 それに、皇王陛下へのビールの説明とプレゼンテーションとなれば、

 話の流れ次第では、その後の取引の話にも繋がるかと」

「そうですね。多分、なります」

「であるならば、我が主ガルフにも説明し、同席を願いたく存じます。

 私は子どもで、知識は学んでもビールを飲むことはできません。

 エクトール荘領より販売権を預かっているのは、ガルフでございますれば」


 その場に、短い沈黙が落ちる。


「……そうですね。一日なら。

 パンなど、長時間の仕込みが必要な場合には、

 報告を改めたこともありますし」


 皇王妃様は頷かれた。


「国の重要な産業に関わる商取引の話を、

 其方が独断で進められないのも当然でしょう」


 そして、視線がティラトリーツェ様へと向けられる。


「ティラトリーツェ。

 ガルフに連絡を取り、マリカの貸し出しと、

 ビールの商取引について纏めておくよう伝えて下さい」

「解りました。

 私共も同行をお許し頂けますか?」

「許します。

 この子も、いきなり一人で王宮に連れ込まれては不安でしょう?」

「ありがとうございます」


 ティラトリーツェ様の声にも、はっきりと安堵が滲んだ。


 ――けれど、その直後だった。


「皇王妃様。

 それでは、あまりにも不公平ではございませんか?」


 静かだが、はっきりとした抗議の声。


「国の新たなる産業『食』は、

 第一皇子ケントニス様の舵取りで行われるものです。

 その重要な商取引の話を、第一皇子を飛び越え、

 第三皇子立ち会いで進められるのは……」

「アドラクィーレ」

「ご無礼を承知で申し上げます。

 こと酒に関しては、トレランス様も一家言をお持ちです。

 きっと、新しい麦酒について、より具体的な評価を行えるはず。

 ぜひ、我らも立ち会わせて下さいませ」

「メリーディエーラまで……」


 第一、第二皇子妃様方の視線が痛い。

 第三皇子家にばかりいい目は、というお気持ちも解らなくもないけれど。


 皇王妃様は、ふう、と小さく息を吐かれた。

 その眼差しは、既に次の手を考えているものだ。


「……言わんとしている事は、解らなくもありません」


 一瞬で、場の空気が組み替えられていく。

 流石は、才女。流石は国母。

 ただ、私は正しく、まな板の上の鯉の心境だった。


「では、明日の夜。

 城にて、内輪の食事会を行うことと致しましょう」


 皇王妃様は、すっと背筋を伸ばされる。


「皇子と、その妻達を招き、家族水入らずで。

 麦酒を味わい、この国の『食』について語る夕べ。

 皇王様と、私の名で、皆を招待いたします」


 それって――

 皇家の、ファミリーパーティ、では?


 そこに、私が?


「マリカは、そこで麦酒を給仕なさい。

 そして、蔵で直接取引をしてきた者として、

 ガルフと共に、説明と報告を。

 できますね?」

「……解りました」


 正直、無茶振りだと思う。


 けれど、少なくとも一日の猶予はできた。

 『今夜、これから』よりは、遥かにマシだ。


 そう思うことにする。

 思わなければ、やっていられない。


「この件を無事に成し遂げれば、

 其方が称える麦酒の酒蔵にも、光が当たるでしょう。

 ガルフの店も、より一層の栄を得るはずです」


 皇王妃様は、穏やかに、だが確信をもって告げられる。


「其方にも、褒美を考えます。

 よろしく頼みますよ」

「はい。

 全力で務めさせていただきます」


 かくして。


 私は、まさかの、よもや。


 アルケディウスに来て、半年で。

 この国の王――皇王陛下に、謁見を賜ることとなったのだ。

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