王都 広がりゆく味
少しずつ、夏も深まり、暑さが肌にまとわりつくようになってきた頃。
王都は、いつにない活気を見せていた。
本来なら、夏と秋の大祭以外に流通が動くことはそうないのだという。
けれど、今年に関しては例外だった。
麦、ピアン、セフィーレ、エナ、パータト、サーシュラ――。
雑草扱いされ、見向きもされてこなかった植物が本格的に集められ、買い取られている。
王都とその近郊の直轄領は第三皇子ライオットが指揮して人手が集められ、収穫され、ガルフの店の倉庫には山のような食材が運び込まれていた。
そして、それは王都限定ではなく……。
「こちらは、ロンバルディア侯爵ヴェッヒントリル様よりのお届け物でございます。ご確認の上、受領のサインを」
王都の外から荷馬車が大祭以外に来ることは、ほぼ無い。
そんな常識を踏み越えて、三台の荷車が城門をくぐってきた。
みっしりと詰まれていたのは、小麦の束――黄金色の波をそのまま括って持ち込んだような量だった。
領地に残っていた小麦を見つけて収穫はしたものの、粉にする技術が失われていたということらしい。
倉庫に詰まれた小麦は、二人の術士と臨時雇いの下町の住民たちによって、瞬く間に粉へと姿を変えた。
粉塵の匂い、袋が擦れる音、汗の熱。
働く人の息遣いが、倉庫そのものを生き物みたいに感じさせる。
「小麦の脱穀の為の機械を、王都の木工、金属加工ギルドにもっと発注した方がいいかもしれないな」
「あ、それならいっしょに、フォークの開発もお願いしてみて下さい。あと麦わらを捨てないで、米俵じゃなかった、麦を入れる入れ物を編むようにして……」
食料品が動くと、それに伴う様々な需要が、芋づる式に動き出す。
小麦脱穀の為の機械。
ベーコンや肉の薫製を作る燻製機。
料理を入れる為の皿。
料理を食べる為のカトラリー。
そして調理の為の鍋や釜。
今まで不用の長物、もしくは装飾品扱いであったそれらが、貴族を中心に求められるようになり、需要が高まった。
結果、王都はここ数百年で稀に見る活気に溢れることになったのだ。
「正直、予想以上の効果だな。
失われていた産業の復活が、ここまでの経済効果を表すとは」
実務担当のライオットは、夏の大祭の後の税収額に驚嘆していた。
「見るがいい。昨年の倍だ。住民税の未納が無くなり、商取引が増えてそちら関係の税金収入も上がった」
それには勿論、材料が補充され、より多くの人が食べられるようになり、さらに人気が出て来たガルフの店の食事も大きな後押しをしている。
大祭や収穫を通し、アルケディウスの多くの人々が食を体験し、その快感を知った。
結果、胃袋を掴まれた彼らは我先にと食に携わる仕事につき、路地に寝そべる者は激減。税収は上がり、治安も良くなる。
いいことずくめ。
本当に、予想以上だ。
そして、そんなある日。
私は勉強の後、ティラトリーツェ様に切り出された。
「マリカ。ロンバルディア侯爵の夫人が、小麦と引き換えに料理人にレシピを教えて欲しいと言ってきたのですが、できますか?
子どもと侮ることは決してしないので、ガルフの店の料理人直々にできれば、と言っていますが……」
「解りました。いつでも大丈夫です」
頷いた私に、ティラトリーツェ様が、なんとも言えない笑みを浮かべる。
意地悪というか、私を試す様な――『先生』の笑みだ。
「いい機会です。マリカ、この取引を使って貴族対応を学びなさい」
「貴族対応……ですか?」
「そうです。ロンバルディア侯爵は領地持ちの大貴族の中でも上位に位置します。
しかも、話の分かる領主で平民に人気で、新しい食にも高い興味をお持ちです。
夫人も私の派閥の一人。
彼女に上手く対応して、ロンバルディア侯爵家を味方につけるのです」
「味方に……ってどうしたら?」
「自分で考えなさい」
課題。
それがティラトリーツェ様の流儀だと、私はこの一週間で痛いほど学んでいた。
言われた私は、考えた。
フェイやガルフにも相談して、数日、本気で考えたのだ。
そして、ティラトリーツェ様にもご協力をお願いして、色々な下準備をして。
「はじめまして。可愛らしいお嬢さん。私はスティーリアと申します」
ほぼ初めての『普通の貴族』と対することになったのだった。
ロンバルディア侯爵夫人、スティーリア様は紅色の髪と水色の瞳をした女性だった。
可愛らしいと言ったら失礼だとは思うけれど、見た目は三十代前半から後半。優しい雰囲気を纏っていらっしゃる。
ティラトリーツェ様が『貴族対応のチュートリアル』として私に紹介して下さった方だ。
ならば、恐らくは――最初の壁としては、越えられる高さ。
「お初にお目にかかります。スティーリア様。
ガルフの店の料理人、マリカと申します。今日は、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。噂には聞いていたけれど、しっかりしたお嬢さんね」
「お褒めにあずかり光栄です」
跪き、頭を下げる。
この辺の礼儀作法は、皇王妃様や皇子妃様達にも褒めてもらっている。大丈夫だろう。
人と人との対応は、何が変わろうとも基本は同じ。
相手を思いやり、不快にさせないこと。
「本日は先日お預かりしたロンバルディア候領の小麦を使った調理法をお知らせします」
メニューは簡単で応用が効く、ピッツァとスープ。それからクッキーを添えたシャーベットだ。
料理人として連れて来られたのは三十代くらいの男性。
そう言えば女性料理人さんって見ないな、と思う。
女性が一人で生きるのは中世。やっぱり色々と大変なのだろう。
「本日、作成する料理の作り方はこちらに記入してあります。調理の間、もし興味を持っていただけましたらご覧下さいませ」
羊皮紙に描いたレシピを、スティーリア様に差し出す。
「まあ、頂いてよろしいの?」
料理人を連れて来たら教える、と伝えていた。
まさかレシピを文書で渡されるとは思っていなかったのだろう。目を丸くしている。
私はにっこりと微笑んだ。
「今後、広まっていくものでございますし、ロンバルディア侯爵様には新しい食の先駆者としてお世話になっていく事も多くなるかと思いますれば」
一度外に出した時点で、口外するなと言ったところで広まっていく。
ならば、先に『特別扱い』を渡してしまった方が良い。
自分達は尊重されている。
新しい食の先駆者なのだ。
その自尊心をくすぐれれば、きっと心は動く。
そうして料理を始める。
まずはリンゴならぬサフィーレの酵母の説明と、その扱い方と継ぎ方のポイント。
発酵は生き物だ。扱い方ひとつで味も香りも別物になる。
本当はパンの方がいい。
でも発酵時間が半端なくかかる。今日は、まず成功体験を掴んでもらうことが大事だ。
ピッツァの生地。
低温でじっくり発酵させたそれは、ふっくら、ぱりモチ。
中世の固焼きパンとは、美味さの次元が違う。
そしてサフィーレのお酢を使ったモッツァレラチーズ。
エナの実のソースだけのシンプルなものだけど、本当に美味しい。
上に乗せるものを変えれば応用はいくらでもできる。
チーズを作った時に残った乳清でスープ。
デザートはピアンのシャーベット。
口安めにクッキーも添えた。
料理としてはシンプル。
けれど材料は無駄にしない。
そういうところを、私は見せたかった。
ティラトリーツェ様の派閥というから、厨房に覗きに来るかと思ったけれど、流石にそこまでは無いらしい。
渡したレシピを興味深そうに読んでいた、と後でティラトリーツェ様が教えて下さった。
侮らせない、と言って下さった通り、料理人さんは私を子どもだからと見ることなく、真摯に学ぼうという意欲を見せ――
『新しい味』
その工夫に感嘆の声を上げて下さった。
「こ、こんな素晴らしい料理は始めてです」
同じ感想は、ロンバルディア侯爵夫人スティーリア様からも頂くことができた。
特にピアンのシャーベットは以前、王宮の晩餐会でも出したけれど――
「前回頂いた時よりも、美味しく感じるのは何故でしょうか?」
お世辞抜きの顔で褒められた。
多分、口休めのクッキーだ。シャーベットで冷えた口がクッキーで整い、もう一度シャーベットを新鮮に受け止められる。
「クッキーにはこのような使い道もありますのね」
驚いて下さった。
今はクッキーそのものが滅多に口にできない嗜好品だから、こういう使い方は一般化しないかもしれない。
でも――だからこそ効く。
他にも生地の柔らかさを褒められ、ホエースープの味の深みを喜ばれ、称賛の言葉が雨の様だった。
「新しい味の素晴らしさに感動いたしました。
ぜひ今後ともご指導を賜りたく。ロンバルディア侯家は、食への貢献に力は惜しみません」
帰り際、夫人はそう言って満足そうに戻って行かれた。
ティラトリーツェ様ばかりか、私にまで丁寧なお辞儀と褒め言葉を賜ったのは恐縮したけれど……。
「まあ、とりあえずは及第点というところでしょう。
できれば夫人の好みを調べたり、好きなものを調べたりして、より好みに合わせた会話や対応ができるとなお良かったですね。
ただ、他の派閥や性格の悪い貴族もいます。油断しないように。
気を抜いてはなりませんよ」
注意されながらもそんな言葉を頂いた。
やっぱり貴族対応初心者編。
チュートリアルとしてはまずまずの成果を出せたようだ、と少し安堵する。
次はもっと満足して頂けるように頑張ろう――そう思えた。
数日後……。
「ぬわあっ! 何ですか? この麦は?」
五台に増えた荷車。
運搬を指揮してきた貴族が、ガルフに書類を差し出す。
「ロンバルディア候領よりの依頼です。この小麦を納める代わりとして、小麦の脱穀機械を売って欲しい。
そして使用方法を教えて欲しいとのおおせです」
どうやら、館に戻って料理人が習い覚えた料理を披露した結果、侯爵は本気になったらしい。
自領での小麦生産に本腰を入れることにしたようだった。
まずまず以上の成果になったなあ。これは……。
「……なるほど、自領で小麦粉を作れる様になりたい、ということか……。どうします?」
ガルフの言葉に、私は運ばれてきた麦を見る。
大地の精霊が頑張っていたのだろう。
実の入りはかなりいい。雑草扱いだったとは思えないほどだ。
あ――でも、小麦だけじゃなくて大麦も混ざってる。
後で分類しておかないと。
「ロンバルディア候領は良い麦が取れるようですね。
レシピやその他で稼ぐ機会はたくさんあります。定期的に麦を納入して貰えるのなら、売って問題ないのではないでしょうか?」
最初の契約は、きっちりと。
年間、纏まった量の小麦の納入を条件に、ロンバルディア候領には脱穀機械を納品した。
十八人の大貴族の中でも五指に入る有力者、ロンバルディア候が新しい食の軍門に下ったと知れたことで、残る大貴族達も続々と新しい食に興味を見せ始める。
ガルフの店が、更に忙しさを増すことになるのは――それから本当にすぐの事だ。
ロンバルディア候領で、五百年眠り続けていた味が目を醒ますのも……。




