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王都 試練とドレスと承認欲求

 真っ直ぐに立つ。

 顔を上げて、首はしっかり前に向けて。

 背筋を伸ばし、胸を開き――。


 自分では、シャンと立ったつもりだった。

 でも、まだ足りなかったのだろう。


「背筋をしっかりと伸ばして!」


 真横に立つティラトリーツェ様の手が、容赦なく私の背へと入る。

 ぐい、と押され、肩が後ろへ引かれた。


 胸襟が開かれ、呼吸が通る。

 背骨が一本の線になって、身体の中心がすとん、と定まる。


「俯いてはいけません。

 例え迷いがあったとしても、それを周囲に悟られるほど顔に出すことは――敗北とほぼ同意です」

「はい」


 視線は少し斜め上。

 両手はお腹の上で組み、肘の角度を落ち着けて、指先まで意識を通す。


 優雅に。

 私は微笑む。


 ニッコリと。

 できる限り、美しい笑顔で。


「……まあ、いいでしょう。まだ少しぎこちなさと、引きつりが見えますが、徐々に直していきなさい」

「ありがとうございます」


 ほっと息が漏れそうになった、その瞬間。


「気を抜かない! いつ、どこで誰が見ているかも解らないのですよ!」


 ぽこん、とグーのげんこつが頭に落ちる。

 痛いというより、心の緩みを叩き直された感覚がした。


「すみません」


 本当に、一瞬たりとも気が抜けない。

 私は緩んだ意識に気合を入れ直し、背筋にも力を入れ直して、身体を正すのだった。


 皇王妃様との謁見から約一週間。

 私の日常は大きく変化した。


 街対応のガルフの店の業務からはほぼ離れ、現在、毎日貴族区画――正確には第三皇子家に通っている。


 週二回は調理実習で、皇族の料理人さん達に調理を指導する為。

 残りの三日は、ティラトリーツェ様の指導を受ける為、だ。


 夏のこのシーズンは社交の時期で忙しいとのことで、週三日の調理実習は二日に減った。

 けれど、ティラトリーツェ様の指導はむしろ増える勢いで、週五日ペースでみっちりとある。


 調理実習の後も、片付けの後にはザーフトラク様の指導が待っている。

 朝から夕方まで、本当にぎゅうぎゅうのスケジュール。頭がオーバーヒートしそうだ。


「ふむ、其方はなかなか覚えが早いな。

 計算も早くて正確だし、見通しもしっかりとしている。

 流石商人というところか?」


 試算や予算の立て方、財務管理などを指導して下さるザーフトラク様は、私が仕上げた食材の使用試算や、孤児院の年度予算の概略を認めて下さる。


 けれど――ティラトリーツェ様からは、なかなか褒め言葉は出てこない。


 算数や計画の立て方は、確かに向こうでの知識経験で応用が効く。

 保育士は実務が主だけれど、毎月の保護者会費や給食費で計算も多かったし、保育計画だって毎月立てさせられていた。


 でも。


「もっと指先にまで意識を払って。

 気を抜いているところが浮き上がって、人の悪い目を引くのですよ」


 礼儀作法や人間関係は、そうはいかない。

 多少は保護者対応が応用できるけれど、生活環境の違いが大きすぎる。


 完全に一からのスタート。

 身に着くまで反復練習と丸暗記あるのみ。


 館で覚えたことを城に戻って書き止め、ティーナに見てもらいながら練習を繰り返す。

 けれどティラトリーツェ様は『これで良い』とは言って下さらない。


 本当に試行錯誤、五里霧中だ。


「本当に最上級の方のご指導は違うと実感しますわ。

 ここ数日でマリカ様の動きが洗練されていくのが目に見えますもの」


 ティーナは褒めてくれる。

 でも、自分ではどこがどう変わっているのか解らない。

 合格点がどこかも解らない。


 正直、苦しい。

 凄く。


「おれ達じゃあ今の貴族の礼儀作法が正しいか、正しくないか解らないからな」

「でも、頑張っていると思いますよ。マリカは。本当に所作が美しくなっています」

「ありがとう」


 慰めてくれるリオンとフェイ、アルが心の支え。

 子ども達やガルフ、ティーナには弱音は吐けないし。


「明日は調理実習だろう? 皇王妃や他の皇子妃も来る。

 ライオに頼んで休みを貰うか?」


 リオンが気遣ってくれる。

 でも、ここで甘えちゃいけないことは解ってる。


「大丈夫。私の為に貴重な時間をとって下さっているんだし、甘えてられないよね」


 これは、私の夢を叶える為の勉強であり、指導なのだ。

 やるしかない。


「皆に弱音吐いて少し楽になったし、頑張るよ。

 明日が終われば、授業は一日休みだし、安息日も近いし」


 気合を入れ直す。

 よしっ! やるぞ。


 今日の調理実習のメニューはピッツァ。

 パンほどの熟成や手間がかからないので、小麦メニューの入門編としては最適だ……と思う。


 マルガリータ風。

 エナ、トマトソース、手作りのモッツァレラチーズを使えば、びっくりするほど美味しくなる。

 マルガリータには邪道だけれど、少しベーコンも乗せてある。


 魔王城の島でも実験済み。

 店でも出し始めて大好評を博した人気メニューだ。


 サラダに、デザート。

 大よその準備が整った頃――。


「マリカ、ちょっと来なさい」

「? ティラトリーツェ様?」


 厨房にティラトリーツェ様がやってきた。

 珍しい。近頃は来客対応で、厨房に足を運ぶことなどほとんど無かったのに。


「なんでございましょうか?」


 私の質問はスルーされ、ティラトリーツェ様の視線は料理人さん達へと向く。


「お前達。先に聞いているレシピによると、後はタイミングを見計らって焼くだけでしょう?

 マリカがいなくてもなんとかなりますね?」

「はい。それは……勿論」

「では、少しマリカを連れ出します。完成したら予定通りに品物を応接室に持ってきなさい」

「解りました」


「あの、だから、ティラトリーツェ様? 何がどうして?」


 ぐい、と黙って手を強く引かれる。

 連れて行かれた先は応接室近くの小部屋。


 そこには侍女さん数人と――。


「あ、シュライフェ商会の?」

「お待たせしました。

 マリカさん。ドレスが仕上がったので持ってきました。お納めさせて頂けますか?」


 以前、シャンプー契約の時に来てくれたプリーツィエ様だ。


「ドレス……って、あ?」


 そう言えば。

 ティラトリーツェ様が『貴族の前に上がってもおかしくない礼装を仕立てる』とおっしゃっていて……。


「丁度、皇王妃様や皇子妃様達がお揃いなのでお披露目なさる、とティラトリーツェ様が。

 着てみて下さいませ」


 蒼く美しく染められたサラファンを掲げながら、プリーツィエ様が微笑む。


「ティラトリーツェ様?」


 私が視線を向ける間もなく、


「始めなさい。皇王妃様達の給仕をさせるのです。急いで」

「わっ!」


 命令の声と同時に、侍女さん達が動いた。

 囲まれて、あっという間に服を脱がされてしまう。


「こちらの方に右手を」

「少し足を上げて下さい」


 指示されるまま身体を動かしているうちに、服が整っていく。


 精緻で真っ白なレース編みの袖がついたブラウス。

 ハイウエストのジャンスカ風ドレス――確かサラファン、だった。

 深い、海の色のような爽やかな青。


 ウエストのベルト、前に流れる飾り、裾にまで、驚くほど細やかな刺繍とレース編みが施されている。

 しかもただのジャンスカではなく、肩のところまで装飾の効いた袖が付いていて、ブラウスと重ねると、びっくりするくらい華やかだ。


 足にはドレスと同じ青に染められた革靴。


「これはね、ココシュカっていうの」


 髪を梳かされ、白い刺繍で飾られたヘッドドレスを付けてもらう。

 ポニテが結び直され、頭の後ろで縛った結び紐が、ココシュカのリボンと一緒に流れると――


「うわあ~、凄い……」


 姿見の中に、見慣れない自分がいた。

 思わず息を呑むほど、綺麗なお姫様装束。


「とても良くお似合いですよ。

 こんな可愛らしい子供服を作らせていただいたのは何百年ぶりで、萌え、いえ燃えました」


 プリーツィエ様が微笑むと、侍女さん達も口々に言う。


「本当にお似合いです」

「まるで花の精霊のようですわ」


「いかがでしょう? ティラトリーツェ様」


 振り向いた先。

 腕組みしたままのティラトリーツェ様は、厳しい眼差しで私を見ていた。

 まるで審査官のように、細部まで。


 けれど、その視線が――


「いいでしょう。よく出来ています。マリカに良く似合っていますね」


 ふっと、溶けるように柔らかくなる。


「ありがとうございます」

「このような感じで、もう少し他の服も進めておいて頂戴。

 この先、公式の場に出ることが多くなるので、一着では心もとないですからね」

「かしこまりました」

「え、他の服?」


 首を傾げた私を気にも留めず、


「来なさい。マリカ。

 今日の料理は複雑なものではないと聞いています。皇王妃様や兄皇子妃様達に、其方が給仕するのです」


 手を引かれ、小部屋を出る。


「給仕、ですか?」

「できるでしょう? 私が教えた立ち居振る舞いと、貴女が習い覚えている上位者への動きを合わせれば良いことです」


 確かに、ティーナから教わった上位者への動きの中に貴族への給仕もあった。

 四号店の富豪や、お忍びの下級貴族、ライオット皇子相手に給仕したこともある。


 でも。


「無理です。

 相手は皇王妃様です。練習も無しになど……」


 怖すぎる。

 しかもこの間、無礼をやらかし課題を与えられた相手だ。

 私の一挙手一投足を、きっと見ている。


「臆する必要はありません。自信を持ってやりなさい。貴女にはできるのですから」

「え?」


 貴女には、できる。

 はっきりと贈られた言葉。


 私は思わずティラトリーツェ様を見上げた。

 厳しさは変わらない。

 けれど、その眼差しに確かな信頼が浮かんでいる。


「貴女は良くやっています。

 毎日、努力することで、確かに成長しているのです。

 その成果を皇子妃様達に見て頂きなさい」

「……私、ちゃんとできていますか? 成長できていますか?

 ティラトリーツェ様の、ご期待を裏切っていませんか?」


 ずっと怖かった。

 怒られて、手間をかけさせて、失望させたのではないか。

 いつか見捨てられるのではないか、と。


 そんな私の心を見透かすように、ぽん、と優しい手が背に触れた。


「甘くて危うい思考はまだまだ治っていませんが、それ以外の点は十二分に成長していると思いますよ。

 その辺の下級貴族などには勝るとも劣らない位には。

 まだまだ目は離せませんが――それも子育ての醍醐味というものなのでしょう」

「ティラトリーツェ様!」

「こら! 今、泣いてはなりません。泣いて目を腫らせた顔で皇子妃様達の前になど出られないでしょう!」


 ぴたり。

 私は動きを止め、溢れそうな涙を慌てて指で拭った。


 確かに、これからが本番。

 まだ気を抜いてはいけない。


 でも――。


「私、頂いたドレスに相応しい仕草ができるように、全力で努めます。

 だから、無事、皇王妃様達の対応が終わったら、少しだけ甘えさせて頂けますか?

 ティラトリーツェ様」

「ちゃんとできたら、考えましょう。しっかりおやりなさい。マリカ」


 認めてもらえた。

 それだけで、自分のテンションが不思議なくらい跳ね上がる。


 今まで悩んでいたのが嘘みたいだ。

 承認欲求が満たされたからかなあ、と自己分析してみるのは保育士の宿命だろうか。


 今なら、本当に、なんでもできそうな気がする。


 人間って、単純だ。

 大切なたった一人に認めてもらえただけで、幸せになれる。

 前に進む力が湧くのだから。


 その日、新しいドレスで貴婦人方々の給仕役を受け持った私は、勿体なくも皆様からお褒めの言葉を頂いた。


「随分と動きや言葉遣い、仕草が洗練されてきましたね。一週間やそこらで凄いこと」

「可愛い服を着た子ども、というのはなかなかに良いですね。私も側に置きたくなってしまうわ」

「ティラトリーツェ、この子の髪色ならもう少し華やかで明るい色の方が良いのではなくって? 良く似合ってはいますが」


 厨房の料理人さん達も。


「凄い。可愛いね!」

「うむ、このまま王宮に上がり、皇女として立っても不自然とは思わぬ位だ」

「ああ、とても良く似合っている。厨房に入れるのは勿体ないくらいだな」

「ドレスもステキだが、改めてみると君は顔立ちも整っているし将来美人になるだろうな」


 べた褒めしてくれたし――。


 店に戻れば。


「……シュライフェ商会のセンスは素晴らしいですね。

 城でのドレス姿も素晴らしかったですが、マリカ様の為に、似合う様に仕立てられたものというのが解ります。心からお似合いです」

「あまり女性を褒めるというのは慣れておりませんが、とてもステキですよ。マリカ」


 ガルフにリードさんまで称賛してくれた上、


「うわあー! マリカ姉。ステキ。本当にお姫様みたい」

「マリカ。城に戻りませんか? この服を着たマリカを城の皆に見せたい気持ちでいっぱいです」

「同感! 皆大騒ぎだぜ」


 エリセや、フェイ、アルも喜んでくれた。


 人間にとって、褒められるって、やっぱり大事だと思う。

 今まで悩んでいたのが嘘みたいに、きれいさっぱり無くなって、心も身体も凄く楽になった。


 昨日までの『頑張ろう』と、今日からの『頑張ろう!』は全然違う。

 間違いなく。


 ちなみにリオンの反応は皆とは逆で、


「……今夜、一晩は帰らないで予定通り、明日にしないか?」


 でも、それは不満ではなかったりする。


「リオン。素直に言ったらどうです?

 みんなに見せる前に、キレイなマリカ姫をもう少しだけ独占したいって」

「うるさい! 違う!!」


 その真っ赤な顔が、私の承認欲求を満タンに満たしてくれたから。


 ホントに元気全開!

 明日から、また頑張ろう!!

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