王都 夢への第一歩
小さな、空気を揺らすような悲鳴が聞こえた気がした。
多分、ティラトリーツェ様だ。
「!」
……青ざめたティラトリーツェ様とは、視線を合わせない。
ティラトリーツェ様、ごめんなさい。
後で、しっかり怒られますから。
「何かしら?」
優しく微笑む皇王妃様に、私は深々と頭を下げ――言った。
「街に、孤児院を作ることをお許し頂けないでしょうか?」
「孤児院?」
「捨てられた子ども、行き場の無い子を保護する施設です。
それを王都に作り、子ども達を救う事をお許し頂けないでしょうか?」
「マリカ?」
真横のザーフトラク様が、伺うように私を見ているのが解る。
けれど、正直、応える余裕はなかった。
本来の私は料理人ではない。
保育士。
子どもを守る者。
不遇に生きる子ども達の保護。
目の前にある目標への最短距離を、逃す手はない。
私はひたすら皇王妃様を仰ぎ見て、訴え続けた。
「私は親の無い子どもです。
拾われ、知識と技術を与えられ、こうして皇王妃様に拝謁する光栄に浴しましたが、
一歩何かが違えば、不老不死を得られぬまま、のたれ死んでいたことでしょう」
「貴族社会で子どもを見るなど、数百年さかのぼっても記憶にないくらいですが、
子どもとはそれほどまでに不遇を与えられているものですか?」
「はい。屋根の下で働かされたり、売られたりしているのならまだいい方。
路地に打ち捨てられ、守る者もないまま不老不死を得る事も叶わず、
死する者も少なくはありません」
不老不死で出生率が圧倒的に低下し、
妊娠しても術で流すことが多いという貴族社会しか知らない方なら、
下町の子どもの様子など、知る機会がないのだろう。
「それは勿体ない事ね。
ちゃんと教育を与えれば貴女のような子どもが育つかもしれないのに」
皇王妃様が、ゆっくり頷いて下さった。
――ここが勝負どころだ。
「ありがとうございます。
ですので、どうか王都に孤児院を作る許可をお与え下さいませ。
子ども達を保護し教育を与える事で、私のような将来の料理人、
もしくは別の形でも国の役に立つ者を育てる事が出来ます。
けっして国に損をさせることはないとお約束します」
「……許可だけで良いのかしら?」
皇王妃様の視線は柔らかい。
けれど真っ直ぐで、私の覚悟と意志を見定めているようだった。
この方の加護を何としても手に入れて、
アルケディウスで『子どもを保護すること』が正しいのだと、定着させたい。
「はい。設備、費用などは店の収益から賄えると思います。
建設、設置、運営の許可を頂ければ、それで十分です」
「貴女自身は何も望まないの? 褒章とか地位とか名誉とか。
望むならザーフトラクと同位置の王宮料理人の位を与えることもできますよ?」
「国の為に役に立つ仕事を頂き、皇王妃様にこうしてお言葉を賜る機会を得られただけでも、
私は今、十分に幸福でございます。
子ども達の保護と、これまでと同様の店の庇護以外は望みません」
いかがでしょうか。
私は皇王妃様を伺い見た。
――思案するような皇王妃様のお顔と、沈黙が、苦しい。
「怖れながら、皇王妃様」
「なんです? ザーフトラク?」
皇王妃様が、すっとザーフトラク様に視線を向ける。
遮られたことを不快にする様子は無い。
五百年近く傍らに仕え、食を任せてきた忠臣への信頼がそこにはあった。
「私自身も五百年、子どもと見えたことはないので偉そうに言える立場ではございません。
ですが、ここ数週間、この娘――マリカと接して思ったことがあります。
子どもというのは麦によく似ていると」
「麦、ですか?」
「はい。そこに生えているだけではただの雑草と同じ。
ですが刈り取り、手をかけ、丁寧に調理すれば、
パンに、パスタに、菓子にと姿を変えその価値を発揮します。
であるならば、種を播き、育ててみるのも手ではないかと」
「この秋、どうやら史上最年少の騎士も生まれそうな気配です」
「ティラトリーツェ」
「ライオットには最近お気に入りの小姓がいるのですが、
それは齢十三で大人の現役騎士も倒す実力があるとか。
魔術師も元より子どもの方が優れた能力者も多いですから、
将来を見据え育ててみるのは価値のあることかもしれませんわ」
「……ティラトリーツェ様」
さりげなく言葉を添え、視線を下さったティラトリーツェ様の想いは、優しく暖かい。
多分、私の暴走を怒ってはいる。
……けれど、それでも間違ってはいないと、助けて下さったのだ。
申し訳なくも、ありがたい。
静かな沈黙が流れたのは、そんなに長い時間ではなかったはずだ。
けれど、凄く長く感じた。
一刻まるごと過ぎたのではないかと思うくらいに。
だから――
「許可を与えるのはかまいません」
「本当でございますか?」
その言葉が耳に入った瞬間、力が抜けるかと思った。
へたり込みそうになるのも、飛び跳ねて叫び出したくなるのも、必死に抑え、私は皇王妃様を見る。
「この国に損になることは何もありませんからね。
それが褒美になるとは思えませんが、貴女がそれを望むなら、
私の名において正式に許可を与えても構いません。
陛下にも私から話しておきます」
「ありがとうございます!」
「ただし……今のままではダメです」
「え?」
凍り付く私を、温和な笑みを崩さぬまま、皇王妃様は見つめた。
澄んだ、強い眼差し。
私の愚かさを照らし出す鏡のように、逃げ道のない光がそこにある。
「利と理が足りないのです。
孤児院を作るとして、費用はどのくらいかかりますか?
場所は? どこにどのような形で作り、どのように運営したいと思うのですか?」
「あ……それは……」
言いよどむ私に、問いは止まらない。
「不遇の子どもが多いのは事実でしょう。
では、今、孤児院による保護を直ぐでも必要とする子は王都にどのくらいいますか?
路地で行き場を無くしている子の数は?
年齢は? 性別は?
不遇でも家族がいる子や使われて、屋根の下にいる子はどうしますか?
孤児院に家具や道具はどの程度揃えて、何部屋必要ですか?
子ども達の世話は誰がしますか?
何人、働く者が必要ですか?
給料は誰が払いますか?
ガルフの店が資金を出すのですか?
それとも其方が自費で賄うのですか?
国の仕事を任される料理人とはいえ、
それほどのお金を子どもが動かせるのですか?」
返事を返せない私は、唇を噛むしかない。
皇王妃様のおっしゃることは、一言一句、間違っていないのだから。
孤児院を作る為には絶対に必要な事。
でも、今の私には答えることもできないことばかり。
「子どもを思い、助けたいと思う貴女の優しい気持ちを否定するつもりはありません。
ですが作りたい、だけではまだ子どもの思考。
実現に移す為には、利と理、計画と準備が必要な事、
聡明な貴女になら理解できますね?」
「………はい」
孤児院を作って子ども達を守りたい。
どれだけ叫んでも、新しく作るとなれば簡単ではない。
皇王妃様のおっしゃる通り、土地を用意し、建物を設計し、発注し、内装を考え、家具道具を整え、人を集める。
沢山の人、物、お金が動く。
計画や申請も必要だ。
お金は魔王城やガルフの店から出します、と言ったところで――私は子ども。
ガルフの店所属の準市民に過ぎない。
孤児院を建てる膨大な費用を負担できるなどと口にすれば、怪しまれるだけだ。
(また、やっちゃった……)
自分の愚かさに、胸の奥がずしりと沈む。
子ども達を助けたい。守りたい。
その一心で暴走した挙句、国の第一の女性に迷惑をかけて指摘されるなんて――穴があったら入りたい。
考えの足りない、子どもの思考。
本当にその通りだ。
私は愚かで、周囲への配慮や、大人としての考えが、まるで足りていない。
でも――
「どうします? 諦めて別の褒章を望みますか?」
「いいえ」
私は首を横に振った。
ほう――とでも言うように、皇王妃様の目が感興に輝く。
「利と理が必要であるというのなら、それを用意します。
孤児院計画の主導者ガルフや皆と相談し、調査を行います。
周囲の意見を聞き、業者を選定し具体的な計画を立て、
正式に申請できるだけの根拠とお金と、準備を整えて見せます!」
子ども達を守ることを、私は躊躇いたくない。
絶対に。
足りないからダメ、というのなら用意すればいい。
調査し、勉強し、その過程で困っている子を助け、集め。
人を集め、育て、何より計画を立て、申請し、皆と相談して準備する。
一人で突っ走るなと、皇王妃様は言っているのだ。
「そういうことね。
利発な子は好きですよ。
私や周囲を納得できるものが用意できた暁には、
私が皇王妃の名に懸けて許可と加護を与えると約束しましょう」
満悦の笑みを浮かべ、皇王妃様は頷いた。
「……ティラトリーツェ、ザーフトラク」
「はい」
「なんでございましょうか? 皇王妃様」
「調査、確認、選定、計画と申請は貴方達とライオットの専門分野でしょう。教えてあげなさい。
流石にまったく国政やその他を知らぬ子どもに、
いきなりそれを整えろというのは無茶ぶりだと解ってはいます」
「心得ました」
「本当に、この子は色々と意識が足りません。
礼儀作法も含め、きっちりと叩きこんで御覧に入れます」
皇王妃様に拝命のお辞儀をするザーフトラク様と違い、
私の頭を押さえ、強く前に押すティラトリーツェ様には、私の勝手への怒りが籠っている。
でも同時に、安堵の思いも感じられて、私は押されるままに頭を下げた。
「為すべき、任された仕事、料理指導も疎かにしてはなりませんよ。
私も、確認に参ります。
……まあ、本音は貴女の提案する新しい料理を食べたいだけだろう、と言われれば反論できませんが」
ピクリ、とティラトリーツェ様の肩が揺れる。
ぬわあーー。
調理実習の度に皇子妃お二人だけではなく、皇王妃様まで来るなんてことになれば、準備も、もてなしも、とんでもなく大変だ。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい!
心の中で平身低頭、土下座する私を、皇王妃様がくすっと一笑し、手招きする。
「マリカ、こちらへいらっしゃい」
ティラトリーツェ様を見やると、息を吐きながらも促された。
私は言われるまま前へ進み、側まで近づいて跪く。
恐れ多くも立ち上がった皇王妃様は、私の顎に触れると、
「本当に面白い子ですね。貴女は」
そのまま、くい、と顔を持ち上げられる。
「私は貴女が気に入りました。
不思議ね。貴女を見ていると懐かしい何かを、
遠い憧れを思い出しそうな気がするの」
夜のように深く青い瞳が、私を真っ直ぐに見つめる。
本当に遠い何かを、懐かしい思い出を仰ぎ見るような眼差しだった。
「このような楽しい気持ちになるのは、どのくらいぶりかしら。
こんな想いをさせてくれるなら、
また子どもを育てるというのも悪くはないかもしれませんね」
「も、勿体ないお言葉です」
「先も言った通り、其方の思いを、願いを否定するものではありません。
望むものがあるというのなら、願いがあるというのなら、
それに相応しい努力を示して、周囲を、私を納得させて御覧なさい」
厳しくも優しいお言葉は、まさしく国の母。
この言葉と信頼を、裏切ることは許されない。
「期待していますよ」
「はい、必ずや」
私は深々と頭を下げ、誓ったのだった。
こうして、私には孤児院建設という新しい目標ができた。
実現までの道のりは、呆れるほどに遠いけれど。
いつか必ず手に入れる。
子ども達が安心して生きられる場所を作ってみせる。
私は胸の中で、自分に言い聞かせるように呟いた。




