王都 皇国の皇王妃
私は一人、厨房でパンにバターを塗っていた。
今まで第三皇子家での料理実習では、皇子妃様付きの料理人さん達がそれぞれ自分の主の分を作り、主の来ていないザーフトラク様が皆の味見分を作る――という形が出来上がっていた。
だから、なんだかんだで「完全にひとりきり」になることはなかったのだけれど。
今回は違う。
ザーフトラク様も主の元へ料理を出しに行ってしまった。
厨房に残された私は、ひとまず待つ以外にすることが無い。
だから戻って来た料理人さん達に、ゆっくり食べてもらおうと思って、見本のパンでサンドイッチを作り始めた。
向こうの来賓の間では、皇子妃様達と一緒に皇王妃様が食事をしているはずだ。
……けれど、考えるのはやめる。
とりあえず、今の自分にできることは全部やった。
後は結果を待つだけ。
――そう思い込もうとしても。
手が空くと、心だけが落ち着かない。
だから、私は「暇」を埋めるように、サンドイッチを少し飾り付けしてみることにした。
貴婦人に出すには可愛すぎるので、今回は自重した。
けれど、キャラ弁デコ弁は専門だ。
サフィーレのジャムサンドを、魔王城から持ってきた型抜きでリンゴの形に抜いてみたり。
サンドイッチの上の食パンに花の形の型抜きで穴を開けてみたり。
ロールサンド風に巻いてみたりもする。
こういうちまちました作業をしていると、時を忘れられる。
――というか、実際、忘れた。
「ん? 何やってるの? って凄いね。これ!」
「あ、お帰りなさい。皆さん」
気が付けば、給仕に行った料理人さん達が戻って来ていた。
いろんなバリエーションサンドに、皆が目を丸くしている。
「これは? マリカ?」
「すみません。待っている間、暇だったものでサンドイッチをちょっと飾り付けしていたんです。
見ていて楽しい気分になるように。
こういうのをすると、兄弟姉妹が喜んでくれるので」
「飾り付け、か。いつもながら君の発想には驚かされるね。
我々も上の方に召しがって頂くのに見栄え良く、とは考えるけれど、こういう発想はなかなか出てこないなあ」
リンゴの形にくり抜いたジャムサンドを見て、第二皇子妃の料理人マルコさんが褒めてくれる。
照れくさくて、私はつい視線を落とした。
「パンの上に花が咲いて、小鳥が飛んでいる。
随分と絵画的だな。ああ、パンをくり抜き、下のベーコンとレタスの色を出しているのか?」
ザーフトラク様が、ぺり、とサンドイッチの上のパンを捲る。
この世界の絵画は写実的なものが多いけど、花とか、翼を広げた鳥とかは、割と単純な形でも理解してもらえる――魔王城での生活で私は学んだ。
ちょっとしたハレの日に、こういう飾りつけをすると子ども達が結構喜んでくれる。
「最初に教えてくれれば良かったのに。
皇子妃様達も喜んだんじゃないか?」
「ティラトリーツェ様ならともかく、皇王妃様の御前に、いきなりこういう子ども向けの遊びの入った食べ物を出す勇気はちょっと…」
そう言いながら、私は自分の心臓が落ち着いていないことに気づく。
――そうだ。
「どうでしたでしょうか?
パンの、料理の反応は?」
つい、声が硬くなる。
「今、召し上がっておられるところだ。実際の給仕は側仕えに任せてきたからな。
ただ、一見の反応は悪くなかった。心配するな」
ザーフトラク様はそう言って下さるけれど、やっぱりドキドキする。
相手は皇王妃様。
意識しない。
考えない。
そう言い聞かせても、胸の奥が早鐘を打つ。
「味見をしながら作り方を聞いても?」
「あ、はい」
給仕が終わったので、料理人さん達はいつものように試食と質問会の体制に入った。
酵母の扱い方。
注意点。
発酵の見極め。
室温と時間の調整。
新しい技術と発想だから、いつも以上に質問は多い。
「酵母、パンを膨らませる元は生き物ですから、気温により働きにかかる時間が変化する場合もあります。
作る時は時間は余裕を見ておいた方がいいですね。慣れないうちは失敗もあると思いますから」
気を付けておいて欲しい点は色々ある。
食パンや丸パン以外のパンの作り方も。
ピザも。
中にあんを入れて作る饅頭もどきも。
伝えられることは全部伝える。
「さっきのサンドイッチはどう作るの?」
「作り方そのものは同じです。完成品を型で抜いただけ。
型抜きは実際に作るとなれば金属工房にこのような金型を依頼する必要があります。
食パンも、ですね。丸パンなどは型がいらないので楽ですが、食パンは大勢の人にパンを味わってもらいやすいと思います」
魔王城は大所帯。
皆の分のサンドイッチを手軽に作るため、私は食パン作りから始めたのだ。
「ガルフの店で運用している工房を後で教えてくれるか?」
「解りました」
食パン型のオリジナルは私のギフトだけれど、ガルフの店で食パンを作るにあたり、金型作りは地元の工房に依頼している。
話を通すのに問題はない。
――と、そんな会話をしているうち。
「ザーフトラク様」
厨房を覗き込むように声がかかった。
見慣れない顔。
第三皇子家の使用人さん達は、だんだん顔を覚えてきたけれど、この人には覚えがない。
「どうした?」
応えたのはザーフトラク様だ。
ということは――この人は、ザーフトラク様の部下……?
納まっていた心臓のバクバクが、勢いよく戻ってきた。
料理人さん達の間にも、目に見えない緊張が走る。
「皇王妃様がお呼びです。できれば、その娘も連れてくるようにと」
「来たか……。マリカ。皇王妃様のお召しだ。来い」
立ち上がり、響く口調は命令に慣れたものだった。
この方も、なんだかんだで貴族なのだ――と、今さら思い出す。
「でも、私は皇王妃様の前に上がれるような身なりでは…」
元々、料理に来たのだし。
皇子家に上がるのに恥ずかしくない服装や身だしなみはしている。
けれど、それでも普通のジャンスカとブラウスにすぎない。
――それはもちろん、建前だ。
実際の所、第一皇子妃様には誘拐され、第二皇子妃様には首を絞められ、第三皇子妃様にはいきなり厨房に入られた上に変装して街に降りて来られ。
皇族女性との謁見には、トラウマしかない。
怖い。
本当に怖い。
できれば行きたくない――喉の奥まで出かかった言葉を、私は呑み込む。
「使用人を呼び出すのだ。身なりなどで目くじらを立てるような事を皇王妃様はなさらない。
呼び出す、ということは料理が気に入らなかった、とか怒っている、でもないだろう。
それでも、万が一、何かがある場合には私がなんとかする。付いてまいれ」
そう言われれば、逃げ出す術はない。
「…解りました」
私は覚悟を決め、
「行ってきます」
残る料理人さん達にお辞儀をして、ザーフトラク様の後についていった。
応接の間の前。
扉を守る騎士に何事か告げたザーフトラク様と、私は少し待つことになった。
「そう固くなるな。皇王妃様は身分を盾に無体をなさる方では無い。
私は其方が教え、自分が用意した味に自信もある。悪い事には多分ならない。
胸を張っていろ」
「ありがとうございます」
「手を」
緊張で強張る私の手を、ザーフトラク様は取って下さる。
まるで貴婦人をエスコートするような、優雅で確かな仕草。
騎士物語のようだ――と、少し驚きながら手を預けた、そのほぼ同時。
扉が開いた。
「ザーフトラク。お召しにより参上いたしました。
こちらがマリカ。ガルフの店の料理人で在り、本日の料理の発案者にございます」
私を中に促し、後ろに立たせると、ザーフトラク様はすっと膝を折る。
私も跪き、頭を下げた。
「二人とも顔を上げ、立ちなさい。即答を許します」
「ご配慮感謝いたします。…マリカ」
原則として、皇族と平民の場合、相手が即答を許さない限り直接の会話は無礼。
今まで皇子妃様と接してきて、私はそれを身をもって理解した。
ザーフトラク様が立ち上がったのを確認し、私は顔を上げて部屋を見る。
いつもなら、長方形のテーブルが置かれた応接の間。
扉に程近い位置にホストであるティラトリーツェ様。
反対側に第一、第二皇子妃様達。
けれど今回は、少し様子が違う。
テーブルの短辺。
どこからどう見ても最上位席に座られる方がいた。
後ろに柔らかく纏めた、白髪に近いシルバーブロンド。
年齢は多分、五十から六十代前半。
けれど、老年のイメージはない。
――美しい、と感じられる方だ。
落ち着いた紺色の瞳は柔らかく、優しい光を宿している。
国母。
そんな言葉が、本当にとてもしっくりくる。
「はじめまして。
小さな料理人さん。私はリディアトォーラと申します。
いつも美味しい料理をありがとう」
「もったいないお言葉。
こちらこそ、私のような子どもに御尊顔を配する機会を頂き、光栄にございます」
深々と頭を下げるしかない私に、皇王妃様はにっこりと――
本当に春の日差しのような柔らかい眼差しでお声をかけ下さる。
「随分と、しっかりとした言葉遣いと礼儀作法を学ばれたお嬢さんだこと。
ティラトリーツェやライオット、アドラクィーレやメリーディエーラ。
皆が揃って気に入り、目をかけるだけはありますね」
真っ直ぐこちらを見て、視線を合わせるように顔を向ける仕草と微笑みは、
遠い向こうの世界で、人並みに憧れた天皇家の皇后陛下を思い出させた。
本当に上に立つ方、生まれながらの魅力を持つ方というのは――こういう方なのだ。
私は素直に、そう納得してしまう。
「今日は、本当にごめんなさい。
いきなりのことで驚かれたでしょう?
ザーフトラクが学び作ってくれる料理は本当に美味しくて。
それに加えてパウンドケーキに、アイスクリーム、シャーベットにクッキー、どれも素晴らしかったわ。
これらを一番に食べる下町の者やティラトリーツェ達が羨ましくなるほどです」
恍惚とした表情は、名前を挙げた料理の味を思い出しているのかもしれない。
夢見るような眼差しだ。
「私、ここ数カ月ですっかり貴女の料理のファンになってしまったの。
昨日のパスタ、今日のパン。どちらも新しく、幸せになれる味でした。
特にパンがステキ。
柔らかくて、甘やかで食べやすくて。
新しい料理の中でも最高の食の欠片が今日、初披露されると聞き、
無理を押してここに来たかいがありました」
「あ、ありがとうございます。
皇王妃様に、そのようなお言葉を頂けるとは、私も、我が主ガルフも生涯の誇りとなります」
良かった。
お褒めの言葉だ。
隣のザーフトラク様からも、安堵の吐息がこぼれたのが解った。
「国に新しい事業と口福を齎してくれた貴女に、何かお礼がしたいと思うのだけれど、
貴女を皇家に取りたてたりするのは望まれないことだとティラトリーツェから聞いています。
であれば、何で貴女の知識と努力に報いたらいいかしら?」
アルケディウス第一の女性。
国の母。
その女性に、平民の――しかも、殆ど権利も無い子どもが、何かを願っていい立場ではない。
ここは、なにもありません。
お会いできただけで光栄です。
そう言って下がるのが定石――だと思う。
ティラトリーツェ様も視線で、そう告げているのが解る。
でも。
「なんでもよろしいのですか?」
「マリカ!」
諌めるようなティラトリーツェ様の声が響く。
けれど、それを皇王妃様の手がすっと伸びて封じた。
「金でも名誉でも、地位でも権利でも。
与えられないモノ以外なら何でもかまいませんよ。
言ってごらんなさい」
「では、一つお願いがございます。
私が命に代えても願うことが…」
空気も定石も、全部無視。
望む未来へ向けた一手を、私は打って出た。




