王都 花の香りと贈り物
翌日の朝、地の刻。
夜から朝へと移り変わる始まりの刻。
空は徐々に明るさを宿し、紫から薄紅色へと色を変えていく。
むせ返るような緑と花の気の溢れる中、私は少し緊張しながらバラを摘んでいた。
ここはアルケディウス王宮。
その一角のバラ――ロッサの庭園。
薄桃色のぽってりとした蕾を千切って、手に下げた口広の籠に入れる。
なるべく開ききっていない、でも膨らみ始めた蕾と花の中間のような花を選んで。
流石、王宮の庭園だけあって手入れがいい。
花も元気で美しく、種類が違うのか魔王城の花よりも香りが強い気がする。
「これくらいあればいいか?」
同じように花を摘んでいたリオンが、声をかけてくれた。
彼の持つ籠も花でいっぱい。その横のフェイも同様だ。
「とりあえず、1~2回分あればいいから大丈夫だと思う」
私は頷くと、傍に控えていた監視役の騎士に頭を下げる。
「たくさんの花をありがとうございます。準備ができましたので、始めさせて頂いて良いでしょうか?」
「解った。伝えて来よう」
彼が動き、東屋に伝令が走ると、庭園の一角が騒めいた。
そこで待っていた貴人と、お付きの人たちも動き始める。
「厨房も準備はできている。移動せよ、とメリーディエーラ様の仰せだ。
ついてまいれ」
「解りました」
私達――私とリオンとフェイ――は騎士の後を追いながら前を見る。
「でも、まさか第二皇子妃本人が採取から立ち会うとは思いませんでしたよ」
「ホント。でも、これでチャンスは増えた、かな?」
「無理するなよ。引き際は見極めろ」
「解ってる」
ここからでは殆ど姿を見る事も叶わないけれど、私達の行く先の先、一番前の集団には沢山の人々に傅かれ、一人歩く皇国第二皇子妃メリーディエーラ様が歩いている筈だ。
豪奢な金髪、新緑よりも美しい緑の瞳。
誰もが認めるアルケディウスきっての美女は、誰を顧みることなく真っ直ぐに己の道を歩んでいる。
皇国第二皇子妃メリーディエーラ様が、皇国の料理人達への調理教室に向かった私の首を絞め、落としかけたのはまだ昨日の事だ。
原因は私がつけていたフローラルウォーター。
花の芳香成分を抽出した水が原因で、ぶっちゃければそれが欲しい、ということらしかった。
「もし、よろしければ、花の水の作り方は第二皇子妃様に献上させて頂きたく」
「なんと? 見返りはいらぬというのですか?」
「はい」
頭を下げるガルフの横で、私は無言で頭を下げ様子を伺っていた。
「実を申せば、花の香り、植物の香りの抽出方法はこの娘が考え、第三皇子妃様に献上し、シュライフェ商会と、もう売買の契約が済んでおります」
「! 美髪の液のみならず、香りの水も、ですか?」
「御意」
苛立つように唇を噛む皇子妃様を見ながら、私は相も変らぬガルフの剛腕に感心する。
つまるところガルフはこの先、蒸留器を使って香油などを製作、販売することを考えて既にもう売ってしまった。
第三皇子妃も、シュライフェ商会も知っている、という形にしたのだろう。
その上で、
「ですが大量の花が必要となる為、シュライフェ商会も簡単には使用できないと言っておりました。
ティラトリーツェ様が試作品のレヴェンダ以外の水を使用していないのもその為でございます。
故に、製法の独占ではない。他者が知っている。販売はできない。
それでも作り方を知りたいとおっしゃって頂けるのであればお教えいたします」
自然に献上の流れを作っていく。
ホントに凄い。
「契約を交わしたのではなくって?」
「売ったのはあくまで作り方の一つと、商品の販売の契約です。
方法はいろいろありますし、販売しない方に別種の方法を教えるのであれば問題はございません」
「であるのなら、無料でなくても作り方を買い取るくらいのことはしてよ。
気に入れば金貨10枚くらい払う用意はあります」
「いえ、皇子妃様の輝かしさを引き立てるお役に立てるのであれば、金銭よりも価値がありましょう。
もしお気に入り頂けるなら、我が店と店の娘に贔屓とご加護を頂ければそれで十分にございます」
香りの水の作り方を献上するから、私に手を出すな。
暗に隠したガルフの言葉の意味に気付いたのだろう。
「…随分と、怖がらせてしまいましたからね」
どこか困ったような顔を浮かべて私を見た彼女は、でもすぐに皇子妃の顔に戻る。
「解りました。献上を許します。
明日、迎えを差し向けますから王宮にいらっしゃい。そこで実際に作って見せるのです。できますか?」
「マリカ?」
私を見るガルフに頷いて顔を上げた。
ここからの交渉は私の仕事だ。
「大量の花が必要ですので、王宮の庭園から花を摘むことをお許し頂けますでしょうか?」
「構いません。好きなだけ、摘むことを許します」
「花は朝の方が香りが高まるので、朝早くに庭園に立ち入り作ることをお許し頂きますれば。
あと、製作に、火と鍋を使用いたします。厨房の使用とマルコ様にお手伝いを頂く事をお願いしたく」
「どちらもかまいません。いつから始めるのです?」
「一の地の刻からでも良いでしょうか?」
「準備するものは?」
「鍋とガラス瓶、水。氷、火が使える竈を。あと必要なものはこちらで用意いたします」
「いいでしょう。では、明日一の地の刻の少し前に馬車を差し向けます」
「それから、もう一つ…」
「なんです?」
準備についての交渉は終わったけれど、私は伺う様に顔を上げた。
「その、手伝い人を…一緒に連れて来てもいいでしょうか」
「構いません。娘が一人で王宮に来るのも不安でしょう。
事が無事に済み、品に満足すれば、第二皇子妃の名にかけて無事に返しますが、心配なら護衛なり、ガルフなり一緒に何人でもつれていらっしゃい」
「ありがとうございます」
私は感謝を込めて深々と頭を下げる。
リオンとフェイになんとかついて来てもらおうと思う。
多分、怒られるだろうけれど、やりたいことがある。
そうして、あとの交渉をガルフに任せ、やりたいことと手順を頭の中に書き留めたのだった。
そして、私達は王宮の厨房にやってきた。
以前来た、晩餐会の準備をした大きな厨房だ。
私とリオン、フェイ、準備をしていてくれた第二皇子妃の料理人マルコさん。
そして少し離れた所からではあるが、厨房に立ち入り作業の様子を見ている第二皇子妃メリーディエーラ様とその護衛騎士二人、そして侍女さんの一人。
かなり広いのでこれだけ人がいても、早朝の厨房はしんとした静かな印象を受ける。
「では、花の香り水の作り方をご説明させて頂きます。」
私はお辞儀をして作業台の前に立った。
本当に、第二皇子妃さま直々に厨房にまでおいでになるとは思わなかったけれども、
「身に付けるもので在る以上自分の目で安全を確かめる」
と言われれば断る理由は無い。
「まず、花の花弁から花びらだけをむしり取って集めます」
マルコさん達も手伝ってくれて、大量の花びらができた。
不思議な事に花弁から外した方が花の香りは高まるような気がする。
「ロッサの花というのはここまで薫るのか?」
周辺にむせ返るように漂う花の香りに使用人さん達も目を見張っていた。
扇で顔を隠しているけれど、メリーディエーラ様も興味津々という目をしている。
「それから深めの鍋にガラスの瓶を入れます。そのまま直接入れると割れる事もあるので、このような台を使うといいかもしれません」
私は小さな鉄で作った三脚のようなものにガラス瓶を乗せて中央に置いた。
耐熱ガラスとかがあればそのままでいいんだけれどね。
「それから周囲に花びらを敷き詰めて水をたっぷりと被るくらいにかけます。
そして蓋をします」
「ちょっと待って? それじゃあ逆じゃないかい?」
私がくるりと蓋を裏返して被せたことにマルコさんは首を捻るけど、今回はこれでいい。
裏返す事で蓋は丁度凹んだ形になる。
「この凹んだ場所にできれば氷、難しい時には冷えた水を入れてから火を沸かすんです。
フェイ」
「解りました」
魔術であっという間にフェイが作ってくれた氷を、私は鍋蓋の凹んだところに入れて鍋を火にかける。
火はなるべく弱めに。
「このまま、一刻少しくらい時間をかけて花の香り成分を煮出します。
あと、このようにして鍋に花びらを入れて沸騰したお湯をゆっくりとかけて、蓋をする事でも香り成分を抽出する事は可能です。
どちらもできれば一刻から二刻前後、ゆっくりと時間をかけた方がよく香りが出ると思います」
「なるほど。花の香り成分をお湯で煮出すのか?」
「はい」
「花の香りというものはお湯に溶けるのですか?」
「お花をお風呂に入れることはあると伺いましたが?」
「そんなに大量に使う事はありませんでしたから、その場の香りを楽しむくらいです」
料理人さんだからマルコさんは理解が早いが、他の人達はピンと来ないようだ。
確かに猫足バスタブに十本くらいの花を浮かべたくらいじゃ芳香蒸留水にはならないか。
これで、とりあえずローズウォーターの作り方の説明は終わり、なのだけれど。
私はポケットの中のものに触れると作業を開始した。
ローズウォーター作りに使ったお湯の残りを、大きくて深い皿に入れた。
多分、スープを大人数で食べる用のものだと思う。
人肌より少し熱めのお湯を入れて、それからお塩と余ったバラの花びら。そしてポケットから取り出した秘密兵器の小瓶の中身を三滴入れる。
かき混ぜたら完成。
「何をしているんだい?」
「抽出完了まで少し時間がかかるので…」
首を傾げるマルコさんに笑ってから私は手を拭くと、
「怖れながら、メリーディエーラ様」
彼女の前に近付き跪いた。
「何だ。無礼者」
直答を許された訳ではないのに直に話しかけるのは無礼になるのだろう。
横に控えていた護衛騎士達が私に目を剥くが、
「構いません、お前達は控えなさい。即答を許します。何です?」
逆にメリーディエーラ様の言葉に一歩退く。
警戒の様子は崩さないが、相手が私達だから、大したことにはならないだろう、という侮りも見て取れる。
「香り水の抽出に、少し時間がかかります。その間の時間つぶしに贈り物をお許し頂く事はできないでしょうか?」
「贈り物? 私に?」
「はい。メリーディエーラ様の美しさがより輝くように」
少し目を見開き、瞬かせた彼女は、けれどその鷹揚な様子を崩さぬまま、
「許します。見せてみなさい」
手を差し伸べた。
私は大きく深呼吸。
そしてその手を握り、
「えっ?」
「どうか、こちらに。そしてこのお湯にこう、お手を浸して頂けませんか?」
作業台の方に手を引いて促した。
毒見ならぬ試しにお湯に手を入れてやって見せる。
「お前!」「何を皇子妃様に!!」
護衛騎士さん達が思った通り止めにかかるけれど、皇子妃様が嫌がらないなら決行すると私は決めている。
子どもがする戯れと思ってくれているうちがチャンスなのだ。
リオン達も呆れた顔だけれども、軽く話してあるから何も言わず見守ってくれている。
「黙りなさい。お前達」
動きを止めたのは、止めさせられたのは護衛騎士達の方だった。
器から溢れかえるようなロッサの香り。
うっとり味わう様に目を閉じた彼女は、そっと指先を、そして躊躇いがちにゆっくりと手のひらをお湯に浸していく。
それからの光景は、何と行ったらいいだろう。
「あ、…ああっ!」
零れ落ちる吐息はバラの花よりも甘やかで官能に溢れている。
皇国一の美女が、その頬を上気させ、快楽に溶けるように微笑む姿を、私達はただ、黙って見つめていた。




