王都 孤独な皇子妃
第二皇子妃の呼び出しから解放された私は、厨房に戻された。
ティラトリーツェ様がガルフの店や、シュライフェ商会に連絡をとったりしている間、待つとすれば厨房が一番安心できる場所なので助かる。
今、一人になるのはちょっと怖いし。
ちなみに連絡役を第三皇子がかって出て下さったのは、恐れ多くもありがたかった。
皇子ならガルフへの話も通りやすくなるし、来るまでに事情を説明してくださるだろう。
厨房に戻った私の姿を見て、
「どうした? その姿は何があったのだ?」
立ち上がったザーフトラク様が、開口一番声をかけて下さる。
「姿?… あ?」
「酷いもんだよ? 一体どうしたら皇子妃様との謁見でそんな姿になるんだい?」
自分では気付いていなかったけれど、髪を掴まれ、首を絞められて、私の髪や服はけっこう乱れていたようだ。
慌てて髪を撫でつけた私は、とりあえず――口止めされていたわけでもないので、相談の意味も込めて料理人さんたちに事情を説明する。
「あー、なんか、解る」
話を聞いた皆さんの反応は四者四様。
でも、浮かぶ表情に共通しているのは、どこか困ったような顔つきと、カルネさんの溢した言葉通り、
「解る」
だった。
「ここは食材の香りや、火の匂いが強いから気付かなかったが、言われてみれば確かに香るな…。
気付けば注意してやれたのだが…」
とはザーフトラク様。
「第一皇子妃様は、それほど美容に興味をお持ちではないからな。
まあ、人並みには関心をもっていらっしゃるが、あの方はご自身に強い自信と自負をお持ちだから」
そうおっしゃったのはペルウェスさん。
そして何よりも、すまなそうに頭を下げてくれたのはマルコさんだ。
「怖い思いをさせたようだが、許して差し上げて欲しい。
メリーディエーラ様の美への思いは本当に、言葉にできない程に強いんだ」
「なんで、あそこまで執着されるのでしょうか?
あんなにお美しくていらっしゃるのに…」
「美しいから、こそ、かな? あの方には他に寄る辺が無いんだ」
「え?」
仮にも皇子妃が、美よりも他に寄る辺が無い?
それって、まさか。
困惑する私に、どこか寂しげに、そして憐れむ様にマルコさんは呟く。
あることに気付いて私はマルコさんを見るが、彼も、他の料理人さん達も、それ以上は話してはくれない。
「悪いがこれ以上を語ってやるわけにはいかない。
配下たる我らが皇族方々の思いや事情を語り散らすなど不敬にも程があるからな」
「僕達だからいいけど、他所で言いふらしちゃダメだよ。知れたら首が飛ぶから」
「あ!」
そこで、改めて気付く。
この人たちの立場と、自分の立場に。
「申し訳ありません。
私の方こそ、皆様を前に皇族の方々への不敬な態度を…」
彼等はやんわりと教えてくれたのだ。
貴族、皇族への不満や思いを、安易に口に出すな、と。
危険で命に関わる、と。
また、何の気なしの行動が皆さんを困らせてしまった。
しょぼんと頭を下げた私を、多分、皆さんの思いを束ねるようにザーフトラク様が慰めて下さる。
「カルネも申したであろう。
『よく解る』
だから、我々は聞かなかったことにしてやれる。
他所では口に出すでないぞ」
気を付けよう。
本当に気を付けよう。
第三皇子様達が優しくて、ついつい甘えてしまっているけれど、貴族の持つ平民に対する感情なんて、実習開始前のザーフトラク様が普通だろうし、貴族の平民への扱いはメリーディエーラのそれさえ、きっと甘いくらいなのだ。
首が飛ぶ、という表現はきっと比喩や冗談じゃない。
「はい、ありがとうございます」
その後は、他愛も無い料理談議で時間を潰す。
皇室でメインの料理とか、使われている食材とかについて話をしているうちに、
「マリカ。戻りなさい。そろそろガルフが来ます」
ティラトリーツェ様がまた迎えに来て下さった。
料理人さん達に頭を下げて、大急ぎでついて行く。
「ティラトリーツェ様、花の水の作り方をメリーディエーラ様にお譲りするのは、構いませんか?」
「そうせざるを得ないでしょうね。
できれば、私の方で確保しておきたかったのだけれど、美容関係の事で他人に上に立たれたメリーディエーラ様は怖ろしいと、改めて知りました。
ここはあちらを立てておいた方が良いでしょう」
応接の間とは違う小部屋に促された私とティラトリーツェ様が、そんなに待つ程の間も無く――。
「マリカ様!」
ガルフが入ってきた。
飛び込んで来た、というのが正しいかもしれない。
大急ぎで、とるものもとりあえず駆けつけてくれたのであろう彼の表情には、明らかな深憂が見て取れる。
「ごめんなさい。ガルフ。また大事になってしまって」
また迷惑をかけた、いや心配をかけてしまったのだと、申し訳なさで頭が上がらない。
「いや、ご無事で何よりでした。第二皇子妃様の怒りをかい、目を付けられたとライオット様が店に訪れた時には、心臓が止まるかと思いましたが」
中にいたのはティラトリーツェ様だけ。
一緒に入ってきたのはライオット皇子。
そうでなければ、使用人の子どもに対する心配ではない、と不審に思われたかもしれないけれど、その心配はない。
無いように、お二人がして下さったのだと解る。
「さっきも言ったが、あんまり怒ってやるな。
急な話で第二皇子妃がここに来なければここまで大事にはならなかったんだ」
「いえ、私の考えの足りない行動が、騒動を巻き起こしたんです。
本当に、申し訳ありませんでした」
悪い事をしたわけではないけれど、皆に迷惑をかけたのは事実だ。
タイミングと運も悪かった。
責任は全面的に私にある。
「それで、ガルフ。
皇子も話したでしょうが、第二皇子妃に花の水の作り方をお教えしないと事が済みそうにないのです。
話はできますか?」
「リードと概要は決めてあるので、なんとかなります。シュライフェ商会にお譲り出来ないことを了承して頂けるのなら直ぐにでも」
「え? ホントに?」
ティラトリーツェ様に、堂々と顔を上げて応えるガルフが頼もしい。
いや、ガルフが頼もしいのは勿論、元から、なのだけれど。
「マリカ様の事ですから、こういう事になるのではないかと覚悟はしておりましたので」
私に向ける彼の視線は、私を完全に理解した上で、あれほど言ったのに、という苛立ちも確かに孕んでいる。
はい、ごめんなさい。本当にごめんなさい。
「あ、それで花の水の事なのですけれど、もしシュライフェ商会が上手く立ちまわって下さるのなら、第二皇子妃様にお譲りするのは花の水の作り方だけ、とすることもできるのですが…」
「「え?」」
ここにいるのはガルフと、ティラトリーツェ様、そしてライオット様。
身内だけになっているので、私はさっき追及を受ける中で考えていたことを話す。
「あの花の水は、花の油を作る時の副産物、なのではなかったのですか?」
「そうなのですが、花の水だけを作る方法もあるのです。その方が簡単で余計な機械も使わずにすみます」
「ああ、特別な手作りの機械を使う、と言っていたわね。
あの時は濁されてしまったけれど、それはマリカのギフトを使って作る特別な細工なのですね」
「はい」
ガルフとティラトリーツェ様に頷きながら、私は原理を説明する。
ちなみに第三皇子様は、細かい事情が分からないので言葉を挟まず、部屋の隅で腕組みしているだけだ。
「精油は植物に水と熱を与え、含まれている香りを取り出して凝縮させたものなのです。
花の、植物の水は花の香り成分を水に溶かしたもの。香油を作る時に副産物として出るのですが、花の香りの元は水に溶けるのでお湯、もしくは高い濃度のアルコール、お酒に浸しておくだけでも比較的簡単に作れます」
私が向こうの世界で作っていたものは、むしろそっちだった。
童話で見て、これならできると思ったからだ。
蒸留器など数万円の世界で簡単に手に入らない。
ラヴェンダーをお湯で抽出したフローラルウォーターと、高濃度アルコール…ウォッカなどに花を浸して作ったチンキは自作したけれど、精油は素直に買っていた。
「だから、お湯出しの花の水の作り方を第二皇子妃様に、オイルの作り方を機械込でシュライフェ商会に、ということは可能です。
そして、できれば簡単な方の花の水の作り方は、第二皇子妃様に献上という形で渡したいと考えています」
「何故です? 我々は香油と花の水の作り方には美髪の液と同程度かそれ以上の販売価格を考えていたのですが…」
首を傾げるガルフに、私はさっきの厨房での料理人さん達との会話を思い出す。
「第二皇子妃様は、美容品用に卵や牛乳の農場をお持ちだそうなの。
上手く話を付ければ譲って下さるかもしれないと思って」
水やアルコールで香り成分を抽出する、くらいなら確かに気付こうと誰でも思えば気付けることだ。
お金をとるのも申し訳ないくらい簡単なことだし、売り物にする為には大量の花が必要になるだろう。
それだけの花をこの世界で作るのも簡単ではない。
皇族の方なら庭園をお持ちだから作り易いだろうけれど、作り方を売ったとしてもシュライフェ商会が直ぐに香油やフローラルウォーターを作るのは難しいと思う。
私達にとって香油や化粧品関連は余技だ。
食料関連に役立つコネが作れるのであれば、適切に使える相手に渡してしまってもいいと思う。
「それに…」
「それに?」
「ティラトリーツェ様」
「なんです?」
私は料理人さん達の話を聞いてから、ずっと考えていたことを確認してみようと思った。
ティラトリーツェ様なら、御存じだろう。
「凄く不敬で失礼な質問かも知れないのですが、もしや、メリーディエーラ様って………なんですか?」
一瞬で、ティラトリーツェ様とライオット皇子の顔から血の気が引いたのが解る。
すなわち、それは肯定だ。
「…どこから聞いた?」
「貴女のような平民の子どもの耳に入るほどに知れている事ではない筈ですが」
やっぱり。
私は心で首を縦に。
でも実際には横に振った。
メリーディエーラ様についてのヒントは料理人さん達に貰ったけれど、それを口に出すわけにはいかない。
「誰からも、聞いたわけではありません、いくつかの事から推理しただけです」
でも、だとしたらあの方は本当の意味で孤独なのだと思う。
「花の水の製法をメリーディエーラ様にお贈りすることをお許し頂けませんか?
簡単な方だけで本当に、かまいません。
私、食品の件とか、身の安全とかと別の話で、メリーディエーラ様にお力添えできればと思うのです」
「…貴女は、あんな目に遭わされたというのにメリーディエーラ様に寄り添おうとするのですか?」
「はい」
蛇のようだと思ったアドラクィーレ様だって、そんなに悪い人では無かった。
なら、メリーディエーラ様も、話せば解って下さるかもしれない。
傲慢かもしれないけれど、花の香りで孤独で冷え切った、あの方の心を解きほぐして差し上げたいと思うのだ。
「メリーディエーラ様が、お許し下さるなら」
「マリカ様…」
「貴女という子は、本当に…」
「アルフィリーガの苦労も絶えぬな」
「え?」
お二人とガルフが私を見る目が生暖かい。
理由を聞こうと思った矢先、ドアが叩かれる。
扉は開かれず、中に入っても来なかったけれど、ティラトリーツェ様には今のノックの意味が分かったようだ。
「ガルフ。メリーディエーラ様がイライラしているようです。行きなさい。
水出しの花の水の作り方に関しては、任せます。
貴方達の思うようにしてかまいません」
「解りました。お心遣い感謝申し上げます」
跪き、ティラトリーツェ様に頭を下げたガルフは、くるりと身体を私に向け、今度は私に同じ仕草をした。
「マリカ様。すみませんがご同行ください。
俺では作り方などを上手く説明ができませんから」
「願うのは私です。ガルフ。
面倒をかけますがよろしくお願いします」
「できる限りのフォローはしますから、どうぞお心のままに」
そうして、私はガルフと二人、部屋を出た。
どうやらさっきノックしたのは第二皇子妃様の配下で、早く来いという意味だったらしい。
外で待っていた彼に促され、私はガルフと共に再び、応接の間へ向かった。
私は心の中で、精霊に祈る。
「待っていましたよ。ガルフ」
「お待たせして、申し訳ございません。第二皇子妃メリーディエーラ様」
どうか、この美しく寂しい人に、私の思いが、花の香りが、届きますように…。
と。




