王都 女の執念
正直、まったく状況が理解できない。
なんでこうなっているのか解らない。
「お止め下さい! メリーディエーラ様」
私はどうして、突然見も知らない貴婦人に首を絞められなければならないのだろうか。
私を見る彼女の眼には、表情と思惑を笑顔に隠す貴婦人とは思えない、あまりにも生々しい感情が浮かんでいた。
――嫉妬。
良く知っているはずの感情。
けれど、全てに恵まれているように見えるこの人が、どうして私なんかに向けるのか解らないその想いが、確かに掴んだ腕の力と共に私の喉を締め上げる。
側に仕える使用人や、門の側を守っていた騎士も、貴婦人然とした女性の叩き付けるような感情の発露に身動きさえできない。
仕方ないだろう。
何せ彼女は第二皇子妃――この場で二番目に身分の高い女性なのだ。
「な、なんのことで…しょう? 苦しい…はな…して」
「とぼけるのではありません! この髪、そして香り。
何故、ティラトリーツェしか持っていないモノを、平民の、しかも子どもが持っているのです!」
「メリーディエーラ様!
それは、私がその子に下賜したのです。調理を指揮する幼子の励みになるように、と」
私を助けようと伸ばす手は、距離とテーブルに阻まれて届かない。
メリーディエーラ様は、首元の手を離さず、むしろ逆に乱暴に引き寄せて、私の髪を掴んだ。
「きゃあっ!」
「適当なごまかしは止めなさい。ティラトリーツェ。
この漆黒でありながら光が浮かぶような艶やかな髪は、一朝一夕で適うものではありません。
思い返せば最初の謁見の時も、この娘の髪は、貴族にさえあり得ぬ程に輝いていました」
息は戻ったけれど、今度はポニテを掴まれて頭皮が引きつって痛い。
髪の毛がずっぽりと抜けそうだ。
「メリーディエーラ!」
側のアドラクィーレ様も、流石に明らかに冷静さを失ったメリーディエーラ様に気付いて声をかけて下さるけれど、彼女にはそれを聞く様子が全く見えない。
「それに、この香り。
香草のものではありませんよ。
明らかにティラトリーツェのつけていたモノと同種の、けれど確かに違う、さらに高貴な花の香りです。
自らも使った事の無いものをこの娘に与えた、と?」
「…それは…」
「私がいくら聞いても、贈られたものだ。
作り方は知らぬと頑として答えなかったくせに、何故、この娘が使っているのですか?」
ああ、そうか。
言いよどむティラトリーツェ様を見て、私はやっと事情を理解した。
ティラトリーツェ様とライオット皇子の心配。
そして、私の大きな失敗を。
この方、メリーディエーラ様は、美というものに特に執着する人なのだ。
誰もが羨む美を持つが故に。
だからありとあらゆることをして、人が羨む美を維持してきた。
不老不死世界で、人は老いないし、衰えない。
けれど、だからこそもっともっと美しくなろうと、普通の人は行わない、卵や牛乳を使ってまでの美容を行ってきたのだろう。
そこに、ティラトリーツェ様が自分にはできなかった一石を投じた。
美髪と香り。
貴族世界で騒ぎになるほどだと言っていたから、美の先導者と自負していた立場を奪われたように思って苛立ったことだろう。
その、もやもやしていたところに私が現れた。
自分で言うのもなんだけれど、定期的にハチミツシャンプーを使っているから私の髪はツヤツヤだ。
加えてローズウォーターで髪と肌からいい香りがする。
何故、子どもが、と思ったに違いない。
何か知っていると、思ったのだろう。
ティラトリーツェ様には手が出せなくても、何も聞き出せなくても、私なら、子どもなら。
そして行動に出た。
多分、舞踏会とか宴席とか、他人の目があればまた違っただろうけれど、ここにいるのは五〇〇年を共にした、いわば姉妹。
身内だから。
まずった。
深く考えずにローズウォーターを作って身に付けたことは拙かった。
ここに皇子妃様達がいるとは予想してなかったとしても、どこかでこういうことは起こり得た。
女性の美への執着を甘く見た、私の失敗だ。
「答えなさい! ティラトリーツェ!
何故、この娘が髪を輝かせ、花の香りを纏っているのか、その理由を…!」
「…それは…」
言いよどむティラトリーツェ様。
多分、なんとか私を庇おうと、守ろうとして下さっている。
でも――。
「それは…、私が…発案者だからで、ございます。
髪を艶やかにする液体と、花の香りを閉じ込める水の…」
「マリカ!」
「なんですって!」
突然放された手に、私の身体は支える力を失って、床に落とされた。
膝を打つような形になったから痛いけど、そんなことを言っている場合じゃない。
私は両膝をつき、首を垂れた。
「私が恩あるティラトリーツェ様に、髪を美しくする液体と花の香りのする水を献上いたしました。野育ちゆえ、見つけたのは本当に偶然でございますが」
これ以上、この人を暴走させるのは拙い。怖い。
だったら言える事だけ言って、渡せるものを渡してしまった方がいい。
私の正体とか魔王城のこととか、ティラトリーツェ様の思いとかが知られる前に。
これ以上、藪から蛇が出てくる前に。
「野育ち…故の偶然、と?」
「はい。どちらも料理人として野に育ち学ぶうちに自然物から偶然、気付いて手に入れたものなのです。それに価値があるなどとまったく思ってもおりませんでした」
大丈夫、嘘じゃないと言いはれる。
どっちも自然物を簡単に加工しただけのものだ。
城の中に籠っている貴族にはむしろ気付きにくいだけ。
「ただ、私は店の店長ガルフの持ち物であり、その知識も全てガルフのものにございます。ガルフは美髪の液の作り方を販売権と共に売却しておりますれば…」
「どこの商会です」
「シュライフェ商会にございます」
「!」
メリーディエーラ様の表情がサッと暗くなる。
自分には手の届かない場所、それを理解したからだろう。
「美髪の液、と申しましたね。では花の香りの水は?」
「私の判断の及ぶところではありません。どうか主ガルフに」
「では、ガルフを呼びなさい。今すぐに!」
絶対に譲らぬ、聞かぬと張り詰めていたメリーディエーラ様の空気が、希望に弛緩する。
その隙をついて――。
「…私が早馬でガルフを呼び寄せましょう。ガルフと交渉して下さいませ。
マリカ。こちらへ」
「まったく、美容の事になると目の色が変わるのですからね。メリーディエーラは。
行きなさい。マリカ」
「はい、ありがとうございます」
二人の皇子妃様が助け舟を出してくれた。
私は小走りにメリーディエーラ様から離れ、扉口、ティラトリーツェ様の元へと帰る。
「ティラトリーツェ様!」
「まったく、あまり幼子を苛めないでやって下さいませ。メリーディエーラ様」
縋りつき胸元に身を寄せた私を、ティラトリーツェ様は抱き寄せてくれた。
ひな鳥を羽の下に守る母鳥の様に。
「其方が、秘密を隠すからいけないのです。ティラトリーツェ。
美髪の液については契約がすんでしまっているなら仕方ありません。
早く売り出す様にシュライフェ商会に伝えなさい。
でも、花の水については譲りませんよ」
「解っております。では早馬の用意をしてまいりますから、暫くお待ちを…。
マリカも少し休ませます。
ガルフが来たらまた連れてまいります故。行きますよ。マリカ」
「はい…」
促されるまま応接の部屋から出てすぐ、背後で扉が閉まる。
はあっ、と大きく零れたのはティラトリーツェ様の吐息。
「まったく、貴女といると心臓がいくつあっても足りません。
不老不死だというのに本当に、息が止まるかと思いました。
何かをする度に事が大きくなるのは貴女の持つ質、なのですかね」
「申し訳ありませんでした。ティラトリーツェ様…。
考え無しに花の水をつけてきたことも、話を進めてしまったことも…」
「そうね、でも…」
首を垂れる私を見るティラトリーツェ様の眼差しは、それでも不思議に優しい。
「でも、なんとかあの場を取り繕えたのは、よかった。
結果も、なし寄りのあり、というところでしょう。怖かったでしょうによくやりました」
まだ、何も終わった訳では無いけれど、それでも、頭の上にぽんと乗せられた優しい手に、私はさっきの恐怖を思い出してその場にへたり込む。
「マリカ?」
怖かった。
本当に、怖かった。
貴族の、女の美への執着は、本当に恐ろしいと、私は改めて思い知ったのだった。




