王都 薔薇の香りと騒動の始まり
ハチミツシャンプーの契約も無事に終わった翌日。
私は夜のうちに、魔王城へと戻った。
基本的には休み前の空の日に帰り、木の日の朝に再び向こうへ戻る、という生活だ。けれど入り口はガルフの――私たちの家に繋がっているから、その気になれば日帰りだって十分にできてしまう。
「ちょっと向こうでお風呂に入って来るね」
明日からは王宮での料理指導が始まる。
身綺麗にしておきたいし、できれば最後の練習もしておきたい。
「じゃあ、俺も行く」
「一人で大丈夫だよ?」
「俺の勝手ですることだ。気にするな。アーサー達の様子も見て来たいしな」
そう言ってついて来てくれたリオンと一緒に、私は魔王城の門を潜った。
……その前に、少しだけ森へ寄り道。
「何してるんだ? 一体?」
「ちょっとね」
「お帰りなさい。マリカ様。アルフィリーガ」
「ただいま、エルフィリーネ」
私たちが戻るとすぐに、城の守護精霊がふわりと姿を現して出迎えてくれた。
「うわ~。マリカ姉、おかえり!」
「みんな~。マリカ姉とリオン兄が帰ってきたよ~」
「お帰り」「おかえり~」「おかえりなさい」
気配を聞きつけて部屋から飛び出してくる子ども達。
こんなふうにサプライズで戻って来ても、いつも変わらぬ笑顔で迎えてくれるのが本当に嬉しい。
「今日の夕食当番と、明日の朝の当番は誰? エリセ」
「今日の夜はセリーナさん。明日の朝は私~」
「じゃあ、ちょっと譲って貰ってもいい? 練習したい料理があって」
「うん、いいよ。嬉しいし」
「私は、お手伝いさせて頂いてもよろしいでしょうか? 料理の勉強の為に」
「もちろん!」
明日の料理教室で作る予定なのは――イノシシ肉の薄切りソテー。パータトの炒め焼きに、キャロのグラッセ。
サーシュラとエナのサラダにはアップルビネガーで作ったドレッシングを。
それからミネストローネに、デザートはピアンのシャーベット。
最初だから、なるべく簡単に。でもきちんと美味しくできる料理を選んだつもりだ。
ハンバーグや豚骨スープ、アイスクリームみたいな少し手の込んだものは、『調理』そのものに慣れてきてからの方がいいと思う。
――そして今回の帰還の、もう一つの重要な目的。
それはハーブ類の採取と実験だった。
ソテーにハーブを合わせたら、どんな味になるのか。実際に試してみたかったのだ。
城に入る前に摘んできた香草を使って、ちょちょいのちょいっと下ごしらえ。
「そろそろいいかな?」
フライパンの上で良い匂いを立てる肉に串を刺し、火の通りを確かめる。
私はセリーナに声をかけた。
「みんなに『ごはんだよ』って伝えてきて」
「解りました!」
料理を大広間へ運ぶ途中、ふと時計が目に入る。
かかった時間はだいたい二刻弱。
シャーベットとお肉の仕込みを除けば一刻ちょっと、というところだろうか。
最初の料理教室としては、悪くない時間だと思う。
心配だったみんなの反応も――
「おいしい!」「お肉やわらかい!」
「いつもより肉が上手く感じるな」
「香草が効いてるんだね。きっと」
――なかなか上々。
舌の肥えた子ども達に『美味しい』と思って貰えたなら、自信が持てる。
あとは、香りがいちばん強くなる朝に新鮮なものを摘んで行けば……。
――あ、そうだ。
「エルフィリーネ。ちょっと頼みがあるんだけれど……」
「何でございましょうか? マリカ様」
翌朝。
お風呂に入り、城のベッドでぐっすり眠った私は、まだ空が昏いうちに起き出した。
いくつかの準備を整え、籠を手に中庭へ出ると――
「また、何をしてるんだ? お前はこんな夜遅くに」
ビクッ!
背後からのリオンの声に肩が跳ねた。
い、いや……急に声をかけられて驚いただけで、慄く必要なんてない。
胸を張って、しゃんとしなきゃ!
「何にも悪い事なんかしてないし、しないよ!
ちゃんとエルフィリーネにも許可貰ってるし!
ハーブとバラを摘みに行くだけだってば!」
「バラ?」
「あの花!」
私は胸を張ったまま、中庭の壁沿い――生垣のように絡みつく蔓と、そこに咲き誇る花を指さした。
「ロッサの花か? 何にするんだ?」
「バラ……ロッサの花の香油を作るの」
魔王城の中庭には、毎年初夏から夏にかけて美しいバラの花がたくさん咲く。
……というか、今まさに咲いている。
中庭を取り巻く壁やアーチに、薄紅や深紅の花がみっちりと。
私の知っている品種改良された現代のバラより小ぶりだけれど、香りは驚くほど強い。
「ここのロッサの花、森に生えている野バラ……えーと、野生のロッサの花と違うよね」
「ああ、マリカ様は花好きだったからな。精霊達も中庭にはいつも美しい花を咲かせてくれていた」
「麦を作る為に少し潰しちゃったところもあるけど、それでも今が満開だから。このままにしておくのは惜しいと思って……」
『花より団子』。
今まで私は、少し摘んで飾るくらいでほとんど放置してきた。
けれど今年は、せっかく蒸留器も作ったのだ。香油やフローラルウォーターにして保存しておきたい。
エルフィリーネの管理のおかげか、花は普通よりずっと長く咲き続けてくれている。
それでも、いつかは枯れてしまう。
向こうの世界では、アロマテラピーが私のささやかな癒しだった。
香水はつけられなかったけれど、香油をハンカチに落としたり、ポプリを作ったり。
一人暮らしの賃貸ではガーデニングも難しく、手に入るのはほんの少しの花だけ。
食に余裕ができ、蒸留器もある今――ずっとの憧れを叶えてみたかった。
「花やハーブは夜明け前に摘むのが一番、香りが高まるんだって。
それに、オイルやフローラルウォーターを作るには、たくさんのロッサの花がいるの」
本とアロマ教室の受け売りだけれど、蒸留できるほどのバラなんて一度も手にしたことがなかった。
とにかく大量に必要だと聞く。
ラヴェンダーならともかく、バラはフローラルウォーターでさえ難しい。
保育士の私には遠い存在だった。
「どのくらいいるんだ?」
「たくさんあればあるだけ作る。エルフィリーネに、今咲いている花は全部取ってもいいって言って貰ったし」
中庭をぐるりと見渡す。
一株ごとの花はかなり多いけれど、全部で三、四百個くらいだろうか。
それでもどれほど採れるかはやってみないと解らない。
「解った。手伝ってやるよ」
「いいの?」
「俺なら少し高めの所にある花も採ってやれるだろ?」
呆れたように肩を竦めながらも、リオンは迷いなく私の手から籠を取った。
「ただし、何を作るにしても島から持ち出すなよ。またガルフに怒られるぞ」
「解ってる。ありがとう」
薄紫の空の下、まだ日も昇らぬ中で、二人並んでロッサを摘んだ。
「棘に気を付けてね」
「お前こそ指に刺すなよ!」
私の知るバラとロッサはだいぶ雰囲気が違う。
内側へすぼむようにぷっくり咲く、いわゆるシャローカップ咲。
花びらは多いのに、ふんわりと丸くまとまっている。
異世界だから、というより品種そのものが違うのだろう。
現代の華やかなバラではなく、古き良きオールドローズのよう。
「ごめんね。大切に使うから」
きっとこの花にも精霊がいる。
自己満足でも、そう声をかけてから手折る。
プツンと落ちた花は、甘く優しく元気な香り。
枝も蔓も不思議と素直で、ハサミもほとんど要らない。
二人でやれば瞬く間に大きな籠二つがいっぱいになった。
二百個以上はあるのに、まだかなり残っている。
――凄いな、魔王城の中庭。
花芯からむしった花びらを蒸留器へ入れ、水を足しながら何度も繰り返す。
三刻以上かけてできた精油は、わずか一ミリリットル。
スプーン一杯にも満たない。
部屋中が濃密なバラの香りで満たされていた。
「ローズの精油って、ラヴェンダーよりずっと手間がかかるし、油分も少ないんだなあ。
高価なのも納得……」
小さなガラス瓶を指で揺らすと、ちゃぽりと可愛らしい音。
強く凝縮された香りはむせ返るほどで、摘みたての若々しさとは違う、強さと優しさを併せ持っている。
ふと、ティラトリーツェ様を思い出す。
精油は力が強いからそのまま使ってはいけない、と教わった。
――どこか、あの方に似ている。
ローズウォーターはもっと穏やかで、摘みたての花に近い。
手に取り顔を洗い、濡らした布を櫛に挟んで髪を梳く。
レヴェンダとは違う、ふんわりとした香り。
「優しい、いい匂いだ。マリカによく合うな」
「あ、ありがと」
他意がないと解っていても――照れる!
できあがりは上々。
けれど約束通り、島から持ち出すつもりはない。
精油はシュウ達の作った箱へ、ローズウォーターも瓶へ丁寧に収めた。
その後は道具を片付け、料理用のハーブ籠を手にアルケディウスへ戻る。
「花が咲いてるうちに、もう少し追加したいな。
ポプリも作ってみようかな? 乾燥、ギフトでできるよね」
――そんなことを、気軽に考えていた。
だから、私は悪くない。
ガルフとの約束は守ったし、現物も持っていなかった。
ただ――女性のおしゃれと香りへの執念を、甘く見ていただけなのだ。
ホント、怖かった。
マジで怖かったよ~。




