王都 皇国の大祭 二日目 第一皇子妃の命令
本当に、強制的と言っていい形で、私は馬車に乗せられていた。
隣にフェイがいて、途中で本店に回り、ガルフが付き添ってくれているのが、せめてもの救いだ。
けれど、私の目の前でじろじろと――品定めするような目でこちらを見ている護衛騎士の視線が、気持ち悪くて、怖い。
無意識に私はフェイに身体を寄せていた。
細かい震えが止まらない。初夏だというのに、身体の内側が凍ったみたいに冷たい。
頭の中が漂白されたように真っ白で、理由も、今後どうすればいいのかも、考えなきゃいけないのに考えられない。
こんなに怖いのは――魔王城の島でリオンが怪我をして、死にかけた時以来だろうか。
……そうか、と私は腑に落ちる。
リオンが側にいないから、私は怖いのか。
戦の三週間は夢中で、それでもティラトリーツェ様が側にいてくれたから、感じることのなかった恐怖。
大切な存在を失ってしまう恐ろしさ。
当たり前だと思っていた日常から、強制的な、逆らえない力で引きはがされる絶望。
それが、私は怖いのだと――ようやく理解した。
ぽん。
私の背中を、杖を持たないフェイの右手が軽く叩いた。
励ますような――いや、事実励ましてくれたのだろう、彼の仕草。触れられた手のぬくもりが、雪解けを告げる春の雫のように、私の身体のこわばりを少しずつ溶かしていく。
私はそのまま大きく深呼吸した。
冷えた肺に空気が満ちて、頭が酸素を取り込む。止まっていた歯車が、わずかに噛み合い始める感覚がした。
――今のうちに、考えなければならない。これからのことを。
リオンが馬車に乗らなかった理由は、ライオット皇子の所に知らせに行ってくれたからだ。
今日、皇子がどこにいるかは解らない。騎士団の詰所か、それとも自分の館か、街の巡回に出ているのか。
それを調べ、最速で皇子を探せるのは、リオンしかいないだろう。
私を誘拐――もとい招聘したのは、第一皇子の夫婦だと聞いている。
彼らは料理人を求めている。
フェイが半ば脅迫する形で同行し、本店に回らせ、ガルフを同行させてくれなかったら、最悪そのまま連れ去られ、幽閉されていたかもしれない。
おそらく、その意図があったのだ。
子どもであるなら、簡単に奪えると。
証拠に、ガルフが『料理人が必要なら本店の主任を呼ぶ』と言っても、護衛騎士は『私を』と首を横に振るばかりだったから。
皇国第一皇子。
王の次に権力と地位のある人。
それが権力任せで『私を寄越せ』と言ったら、正当な権利所有者であるガルフであっても、対抗するのは難しいかもしれない。
ライオット皇子も『弟』だ。一歩下がらざるを得ないだろう。
でも、二人が揃って反対して、私を守ってくれるなら。
助かる目、帰れる目はある。
ならば私は彼らを信じ、なんとか譲歩を引き出して帰れるようにしなければいけないのだ。
本当なら、ここでガルフやフェイと対策を話し合いたい。
でも、護衛騎士の目がある中では、それも難しい。
私は目を閉じ、深く呼吸をする。
身体に血液を回し、脳に思考を呼び戻す。
仕事中、一瞬たりともぼんやりなどしていられない。
それが保育士。
子どもはほんの一瞬、目を閉じた隙に高い所に登り、友達の手に噛みつき、パンツを濡らす生き物なのだ。
だから必要とされるのは、事前にトラブルを防ぐ能力と、発生した事態に速やかに対応する処理能力。
今回は事前に防ぐことはできなかった。
なら、あとはチームの力を信じ、できることを速やかに行いながら、事態の収拾に努めるのみ。
大丈夫。
自分は一人ではないのだから。
真っ直ぐに顔を上げながら、自分自身に言い聞かせるように繰り返す。
必ず、みんなの所に帰るのだ、と。
***
私達が連れていかれたのは、かつての第三皇子の館ではもちろん無かった。
かつてベルサイユ宮殿と称した、アルケディウス皇国の王宮――まさにそのもの、である。
とはいえ、流石に表門には付けられなかったのだろう。
優美で強大な表門よりは幾分も落ちる、裏の裏。使用人たちの通用門前に馬車は付けられ、止まった。
「降りろ!」
一番先に馬車から降りた騎士は、中に残る私達を顎でしゃくるように促した。
フェイ、私、ガルフの順番に静かに降りる。
先に降りたフェイは、杖を扉の方に向けながら、私の手を取りエスコートしてくれる。
「?」
微かな舌打ち音が聞こえた気がした。
そこで気付いた。
もしかしたら――私だけ先に降りたり、馬車に残っていたりしたら、馬車が勝手に発車して分断させられた可能性もあったのかもしれない。
冷や水を浴びせられたように背筋が冷たくなる。
私は、ガルフの使用人としての立場で先頭に立ってくれるガルフの後ろについた。
「ついて来い」
騎士は扉を開け、私達を屋敷の中に案内する。
裏口の通用門であるとしても、そこは巨大な宮殿の中だ。
一片の曇りもなく磨き上げられた床はまるで鏡のようで、怖いほどに美しい。
廊下も広く、かけっこ出来そうなくらいに広くて長い。
……頼まれたってしないけど。
装飾については魔王城も引けを取らないと思うから、キョロキョロなんてしない。
けれど、やっぱり魔王城とはいろいろなところで、城に与えられた方向性が違うのだな、と感じる。
魔王城は豪奢ではあるけれど、あれはあれで住空間だった。
パーティ用の大広間、エントランス、執務エリアや謁見のバルコニー、その他色々とあって豪奢に作られてはいたが、基本は王族の居城。
人が生活するために不便が無いように、住みやすくあるように整えられていたと思う。
でも、この城はそれとは違う気がする。
とにかく豪華に、美しく、が優先されているのではなかろうか。
生活感が無い。とにかくない。
まるで美術館の中を歩いているようだ。周囲に人がほとんどいないせいもあるのだろうけれど。
どのくらい歩いただろう。
通用口から多分、かなりの距離を歩いた。角をいくつも曲がったから、方向も、今どこにいるかもよく解らない。
一度階段を登ったため、二階には上がったと思う。
そして騎士は、とある一室の前に立つとドアをノックした。
「お待たせいたしました。ガルフの店の料理人を連れてまいりました」
「待ちかねましたよ。入りなさい」
どこか不機嫌さを感じさせるアルトの声に促され、騎士は彫刻で飾られた重そうな扉を開ける。
中に入ると、豪奢ではあるが比較的小さな部屋で、個人の居室か、プライベートな客と会うための間――そう思えた。
入れと促されたのだから、当然人がいる。
目の前に立つのが髪を固く結い上げた女性、貴婦人であることに気付き、私はとっさに跪いた。
ほとんど間をあけず、両脇のガルフとフェイも膝を折る。
「あら、料理人だけではないのですね?」
「申し訳ございません。持ち主であるガルフの許可なくば、と言い張られまして……」
騎士の言葉に呆れたような溜息をつくと、
「そこをなんとかするのが、腕でしょうに。まあ、連れて来てしまったものは仕方ありません。
即答を許します。そこの娘。私の問いに応えなさい」
女性はパチンと手に持った扇を畳むと、私に向けて差し出した。
「我が料理人に、何用でございましょうか?
第一皇子妃 アドラクィーレ様」
私を庇うようにガルフが言ってくれるけれど――
バチン!
「ガルフ様!」
苛立つように、女性――第一皇子妃アドラクィーレの扇が、ガルフの額の上で音を立てる。
「無礼な! お前には聞いていません。私は、その料理人の娘に問うているのです!
名を呼ぶ許可を与えた覚えもありません」
フェイが微かに杖を鳴らすのを手で制して、ガルフはそれでも頭を下げ、とにかく下に出る。
「……ご無礼は承知、ですが
その娘は、私が抱えるもの。為す事の権利と責任は私にございますれば」
ガルフに合わせて、私も深々頭を下げる。
彼が必死に、事を荒立てないようにしてくれているのだから、私も合わせないと。
「……よほど大事にしているとみえますね。仕方ありません。
ガルフの料理人」
「はい」
「今すぐ、今まで誰も食べた事の無い菓子を作りなさい」
「はい?」
第一皇子妃――ガルフがアドラクィーレと呼んだ女性は、私を眇め、簡単にそうおっしゃる。
「少なくとも王宮で、誰も食べた事の無い菓子を作れ、と言っているのです。
できないのですか?」
「……できない、とは申しませんが、私は王宮で日々、どのようなものが作られ、食されているか存じませんので……」
伺うように私は顔を上げる。
皇子妃様と目が合った。黒に近い茶の髪。瞳は赤みの強い茶色。
全身から感じる強い意志と自尊心。
アドラクィーレ。
この人は怒らせれば、きっと相当に怖い人なのだろう――蛇のようにねっとりと私を見る目が知らせていた。
幸い私の質問に第一皇子妃様はふむ、と微笑み、今度は怒らずにいて下さった。
「なるほど、自信はあり、頭も悪くはないようですね。
先に、お前が第三皇子家に教えたというパウンドケーキ、庶民が喜んで食べているというクレープ、小麦菓子。
そのような形で構いません。
砂糖をただ、固めただけではなく、素材を甘く煮ただけではなく、組み合わせる形の味であれば、王宮にはそう無いでしょう」
なるほど。
前にもティラトリーツェ様がおっしゃっていたし、コンポート系不可、ドラジェ系不可。
小麦粉を使った菓子はあり……でも、あんまり難しいのを初めてのキッチンでは……。
――あ、フェイがいた。
少し考えて、私は第一皇子妃様を見る。
「失礼ですが、こちらの厨房には氷室はございますか? もしくは氷の術を使える精霊術士様は」
「氷室はあります。精霊術士もいなくはありません」
「使用される用途をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「明日の大祭終了の宴、その締めくくりです。第三皇子家のパウンドケーキに勝るとも劣らぬ、客を驚かせる菓子を所望します」
「ガルフ様……」
私は横を見て、ガルフに囁く。
ここで私が一存で即答するのはまずい。まだ他所には出していない調理法だし、影響が大きすぎる。
「できるのか?」
「はい。きっと皇子妃様にもご満足頂けるでしょう。
でも、まったく新しい調理法なので、最初をしっかりと交渉しておかないと」
「必要なのは?」
「……」
「解った」
私が耳打ちすると、覚悟を決めたらしく、ガルフが顔を上げた。
「できる、と料理人は申しております。
ですが、その対価として皇子妃さまは何を我々に、与えて下さるのでしょうか?」
「皇子妃様のご命令に対価を求めるというか?」
護衛騎士は鼻白んだような顔でガルフを見るが、ガルフは真っ直ぐに受けて立つ。
「我々は商人です。しかも大祭中、一番のかきいれ時に、大祭担当の料理人を何の打診も無しに呼び出され、命じられる以上、それなりの対価は頂きとう存じます」
「……商人ですからね。仕方ないでしょう。
成功の暁にはその娘を、王宮の料理人にとり立てる名誉を与えます。ガルフの店には娘の買い取り代を含め、金貨10枚を。
十分な対価でしょう?」
「!」
私は背筋が寒くなった。
隣のフェイもガルフも、顔から血の気が引く。
やっぱりこの人は、無理やりにでも私を手に入れるつもりだったんだ。
「怖れながら、それはまったく対価ではございません。むしろ我が店から料理人を取り上げる不当な命令でございます」
ガルフは、即答してくれた。
「何故です? 子ども一人に金貨10枚出すと言っているのですよ?」
「ご存知かと思われますが、第三皇子家にお伝えしたパウンドケーキのレシピには金貨3枚の値を付けさせて頂いております。
この娘は他に店で出す全ての菓子、料理に関わっております。
子どもではありますが、金貨1000枚と言われても、譲るわけには参りません」
ざわ、と皇子妃とその周囲――騎士や側仕えの空気が揺れた。
金貨1000枚は大きく出たと思う。けれど、私は王宮に抱えられるわけには絶対にいかない。なら、それくらいでいい。
「では、何が望み、と?」
「レシピ代として金貨5枚。そしてご満足頂けたのでしたら我々が店に戻ることをお許し頂きたく。
そして以後もレシピをお望みでしたら、このような強引な形での呼び出しでは無く正式に派遣という形で料理人を店にご用命下さい」
「そうすれば料理人を寄越す、と?」
「必ず、無事、無傷で返して頂く事が絶対ではありますが。
この娘も、店の料理人も、本人の意思に反するところで売りさばく気はまったくございません」
ガルフが頼もしい。
本当に、その背中が大きく見える。
第一皇子妃――この国のほぼトップに近い存在に、即座に首を落とされても文句を言えない状況下で、はっきりと『守る』と言ってくれている。
それが本当に、本当にありがたかった。
「娘!」
「はい」
ガルフの話を不承不承という顔で聞いていた第一皇子妃が、首を私の方に振る。
「お前の持ち主は、本人の意志に反するところで、と申した。
お前の意志はどうだ? 下町で燻り使われるより、王宮の料理人となるが幸せであろう?」
ツッと、首元に差し込まれる扇。
蠱惑的で、でも冷めた血色の洞のような目に吸い込まれそうだ。
「いいえ」
目を閉じ、首を横に振った。私の返事はもちろん決まっている。
迷いの入る余地は欠片も無い。
「私の居場所は王宮では無く、ガルフ様の店にございます。
どうか、第一皇子妃様には我が主の言葉通り、ご満足の暁には私達を店にお返し頂きたく……」
「ふん!」
「うっ!」
「マリカ!?」
扇が弾くように私の顎を叩き上げる。
フェイが心配の眼差しで私を見るけれど、大丈夫。何も問題は無い。痛みより、今は折れないことの方が大事だ。
心底つまらない、という顔で私から離れた彼女は鷹揚に私を見つめ、手の中で扇を叩く。
「では、厨房に向かい料理を作れ。私の満足のいくものを作れたのなら、お前達の望み通りにするとしよう。
だが、時間がない。
つまらぬものを作ったら娘だけではなく主であるガルフ。其方の首も飛ぶと知れ」
「はい」「ありがとうございます」
私は心底ほっとして、頭を下げたのだった。
ガルフの勇気に、心から感謝しながら。




