皇国 戻って来た味 再び
大祭が始まった。
夏の戦、と呼ばれる隣国との戦が終わった最初の木の日から行われる大祭は約三日間続く。
皇族によって行われる神への感謝と奉納の儀式が終わった鐘。
二の刻の始まりと同時に、各店は商売を始めるのだ。
――と、私は聞いていた。聞いていたのだが…。
「マリカさん、どうします? これ…」
「うーん、どうしましょう?」
伺うような従業員の問いかけに、私は唸り声しか返せない。
王都の中央広場、その比較的端の方に配置されたガルフの店の特別屋台の前には、まだ開店前だというのに、とんでもない列ができているのだ。
ど、ビックリ。
私は王都の大祭に参加するのは初めてだから、まさかこんなに人が集まって来るとは思わなかった。
既に100人以上が店の前に並び、ワクワクとした顔で開店を待っている。
ざっと見るに客の半数は王都の住人。いわば常連客。
残りの半分が他国からの商人のようだ。
見かけない、変わった…どこか民族衣装にも似た服装をしている者が結構いる。
…敵情視察、というところだろうか。
ギラギラとした目が、少しだけ怖いくらいだ。
今年アルケディウスは敗戦で人は例年より多くは無い、と聞いていたけれど。
人数が多くなくってこれならば、多かったらどうなっていたのだろう。
「まあ、どっちにしろやることは同じですからね。
気負わずいつもどおりやりましょう。準備を開始して下さい。
丁寧に販売。
売り切り終了。
レシピに関してはよく解らない、と答えて対処できない変な人が来たら、私かフェイかリオンを呼んでくださいね」
「はい」
もうじき午前中も終わって二の刻の鐘が鳴るだろう。
「フェイ、お願い」
「解りました」
コンロの炭に精霊の火が入った。
赤々と燃える炎の上に鉄板が、焼き網が乗せられて材料が食べ物へと変わる。
香辛料と肉の油が炎に焦げる匂い。
砂糖と小麦粉がじんわりと焼ける甘やかな香り。
オランジュやピアンのさっぱり、甘酸っぱい爽やかさは、なんともいえない魅惑的な匂いを放っている。
鼻孔に届き、擽る良い香りが漂い始めると、待っている人々も、それぞれで自分の店の準備をしている者達も、その眼を輝かせ始めたのが解った。
期待と興奮が、広場の空気そのものを熱くしていく。
コーン、カーン、コーン。
良く通る大鐘楼の鐘が二の刻、午後の開始を告げ、高らかに鳴ると同時。
私は明るく、通りと人に向けて声を上げた。
お仕着せの明るい紅色のスカートを摘み、軽くお辞儀をして手を伸ばす。
「いらっしゃいませ! ガルフの店の食料品販売をどうぞ」
同時、人々が店の前に殺到する。
この瞬間、私は大祭の成功を確信したのだった。
今回の大祭でガルフの店が用意したのは、いつもの屋台店舗の品とそう変わりはない。
いつも分散させている移動店舗二体と、新規に用意した二店舗の計四件体制で準備しているが、窓口は一カ所だ。
メニューというか販売品目は、いつものベーコン、ソーセージの串焼きに、クロトリ肉の焼き鳥にハンバーグ串。
それにクレープと、荒布の袋に入れたクッキーだ。
「用意されている品、全部くれ!」
「多くのお客様に味わって頂く為に、お一人様、一種一点限りとさせて頂いております」
「それでもいい、全部だ」
「かしこまりました。クレープは、オランジュ、サフィーレ、グレシュールと味が選べますが、何になさいますか?」
「それは一点だけなのか?」
「はい。申し訳ありません」
「じゃあ、オランジュで」
「ぜんぶで大銅貨三枚になります。オランジュのクレープ入ります!」
「ありがとうございます!」
準備をする店員から笑顔と大きな声が返る。
「俺も同じだ。全種類頼む。クレープはグレシュールで」
「注文入ります。全種類。グレシュールのクレープ一つ」
「ありがとうございます!」
手渡された荷物を落とさないように大事に抱えて、購入者は店の前から離れると、さっそく串焼きの一本にかぶりついた。
「うわあっ! なんだ、いったいこれは?」
どうやら外国からの商人だったらしい。
新鮮な反応だ。
彼は大きく目を丸くし、解りやすい驚愕の顔つきで手にしたベーコンの串焼きを睨んでいる。
そしてそのままもう一口。
大きく開かれた口は既に厚切りベーコンの半分以上を含んで消している。
じっくりと熟成され、味が凝縮されたベーコンに、溢れる肉汁。
きっと口は数百年ぶりに、咀嚼、嚥下の喜びを思い出していることだろう。
列のお客たちも彼の反応を見逃すまいというように見つめている者が多い。
ゴクリと喉を鳴らす者達も少なからずいた。
瞬く間にベーコンの串焼きを平らげたお客は、そのまま今度はオランジュのクレープを口に運ぶ。
薄く焼かれたクレープには牛のミルクで作った生クリームとオランジュのジャムソース、そしてオランジュの砂糖漬け。
歯ごたえ用に、パウンドケーキの端きれなどを固く炒って作ったクラムがかけられ、大きな丸い生地は六等分に折りたたまれて荒布で巻かれていた。
大きく一口、口に含んだ瞬間――。
「あ、甘い!!」
この時の私は、我ながらドヤ顔をしていたと思う。
してやったり、と思ったから。
勿論、甘いだろう。
生地にも、ジャムにも砂糖漬けにも、かなりふんだんに砂糖が使われている。
しかも貴重で滅多に手に入らないというプラーミァ王国の砂糖を今回は使っていた。
ティラトリーツェ様経由で流通経路を確保できるようになったからだ。
ふんわり甘い純白のクリームに、果物の爽やかな甘さ。
カリっとしたクラムの歯ごたえ、そして果物そのものの瑞々しさ。
感想は聞くまでも無い。
頬に白いクリームが付くのも気にも留めず、一心に食む姿が何より応えてくれている。
おいしい、と。
最初の客はあっという間に手持ちの品を全て食べ終えると、その足で列の最後尾へとついた。
その様子を見て周囲の客も興味を持ったのだろう。
いそいそと列に向かう。
ガルフの店の前と周囲の店には、解りやすい人口密度の差が出てくる。
「ジェイドさん、紐を持って列の管理をお願いします。イアンさんは列の最後尾に札を持って立って下さい。ニムルさんは販売の援護に。
グランさんはリオンと一緒に横入りの監視と防止、お願いします」
「解った!」
かくして、用意した各1000食は二刻と持たずに完売。
大祭初日、世界に戻って来た『味』は王都と世界に吹き抜ける、春一番のように新しい時代の到来を告げたのだった。
「えっと、串焼きが一本、中額銅貨二枚、五種類、各1000本で…っと」
「クレープとクッキーはどっちも大銅貨一枚、だったよな」
「そう。殆ど全員がどっちも買って行ったから、計算しやすいでしょ?」
計算用の木札を並べながら、私達は机の上を戦場のように広げていく。
指先にはまだ鉄板の熱と甘い匂いが残っていて、頭の中まで祭りのざわめきが響いている気がした。
「片付けと明日の準備は終わりましたよ」
「売れ行きは、どうだった?」
本店の奥で計算作業に明け暮れていた私と、アル、そしてリードさんは、そんな声と共に扉を開けて部屋の中に入って来たフェイ達へ顔を上げる。
「お疲れさま。全品完売。
予定通り。金貨三枚分はがっちり売り切ったよ」
4時間程度の営業で売り上げ約300万円というのは、かなりなものだろう。
原価、人件費を除いても…純利益は金貨二枚。
200万円近くになる計算だ。
「大祭ですし、もう少し、値段を上げても良かったのでは?」
「食べ物、ですからね。あんまり高いのも。
それに王都での肉の屋台販売は一串中額銅貨一枚。
大祭価格で二倍にぼったくってますのでこのくらいでいいと思います。
廃棄率0、用意しただけ売れてるんですから」
リードさんが計算の木札を見ながら商人らしく指摘するが、基本は薄利多売。
今は、味を広めるのが先決だ。
利益よりもまず“記憶に残る一口”を作ること。それがきっと、この国の未来に繋がる。
「明日からは、スープとジュースを持ち込んで、カップを持ってきた人に売ろうかと思っています。
熱いですからね、並んでいる人も喉が渇くと思うんですよ」
冷却の魔術で冷やしておければ、ビックリして貰えると思うし美味しいと思う。
あの列の長さを思い出すだけで、喉を潤す一杯の価値がはっきり見える。
「本店の様子はどうですか? これはなんだ? どうやって作っている?
って質問が多かったんですけど、全部本店に問い合わせてください、って一本化してるので」
「ええ、閉店後も商人からの問い合わせや来訪者が後を絶ちません。中には移動商人だけではなく、かなり大きな商会からの打診もありますね」
「移動商人の人は、今の時点での完成品流通は手に余るでしょう。
各国の素材、小麦や果物類を集めて貰う様にできるといいのですけれど…」
現状、食料品販売は需要に供給が追い付かない。
一番の理由は材料の不足だ。
ようやく王都で昨年ガルフが全力で準備しておいてくれた小麦の収穫が始まったけれど、どれほどあっても多分、足りない。
よその国でも島や王国のように小麦が雑草扱いされているなら、買い取りたいくらいだ。
「他国に食料品を回すなら、大祭後、燻製機は完成品の販売、という形で売り出してもいいかもしれません。
小麦が足りないから、粉物は難しいでしょうけれど、肉料理ならどの国でも再現は割と可能でしょうから」
「それは、レシピとセットになりますね」
「ええ、金額設定はお任せします。
一度売り出せば、極秘、とは言ってもレシピは黙っていても広がっていきますから売り切り、次の商品を開発して新しく稼げばいいですよ」
「解りました。旦那様と相談してみましょう。
移動商人への小麦や果物の買い取りも、検討、提案してみます」
「よろしくお願いします」
リードさんも、私の正体を理解してくれているので話は早い。
言葉の端々にある信頼が、ほんの少し誇らしかった。
「そう言えば、ガルフ様は?」
「協力店の方との相談に。明日から協力店の方も屋台を出してくれるので、少しは客が分散してくれるといいのですけどね」
「分散してもその分増えるだけでは、と思いますがね」
「確かに」
私達は顔を見合わせ、同時に苦笑する。
とりあえず初日の手ごたえは十分。
この大祭で王都に食を定着させ、他国へと進めていければと思う。
「明日の仕込みは終わっているのですね?」
「はい」
「では、マリカ様達も今日は上がって頂いて構いませんよ」
「え? いいんですか?」
思わず声が弾む。
顔を上げた私に、リードさんは穏やかに頷いてくれる。
「せっかくの大祭を貴方達も見たいでしょう? 楽しんでくるといいと思います。
明日以降さらに忙しくなると、祭りを楽しむ余裕もなくなるかもしれませんからね」
そう言えば、私にとっては初めて見る大祭だ。
店の仕事をしながらちょっと様子を見ただけで、どんなものかじっくり見た事は無かった。
「リオンやフェイは、大祭見た事ある?」
「見たことはあった気がするけど、買い物とか遊んだことは無かったな」
「そんな余裕もありませんでしたからね」
貴族館に閉じ込められていたアルは言うに及ばず、だ。
祭りの喧騒は、私達にとって遠い世界の物語のようだったのだろう。
「余り暗くならないうちに、戻ってくると良いでしょう。
大祭は騎士団や護民兵が全力で警備に当たっているのであまり問題は起こりませんが何があるか解りませんからね」
そう言うとリードさんは、私達に小さな革袋を一つずつ渡してくれた。
「あ、お金」
少額銅貨が10枚と高額銅貨1枚入り。
「些少ですが、いつも頑張っているご褒美だと旦那様が言っていました。
まあ、貴方方も十分お金は持っていると思いますし、かえって失礼かもしれませんが」
「いいえ、嬉しいです。ありがとうございます」
おこずかいを貰うなんて、どのくらいぶりだろう。
リオンもフェイも、アルもどこか嬉しそうだ。
掌の中の小さな重みが、くすぐったいほど温かい。
「子どもだけで、街の表通りを歩く者はそういませんから多少目立つでしょう。
十分に気を付けて」
「解りました。じゃあ、今日は上がらせて頂きます。
お疲れさまでした」
「お疲れさま」
私達はもう一度お礼を言って身支度を整えると、店を出た。
今日は他の従業員たちも早上がりして大祭を楽しんでいる筈だ。
「せっかくのご厚意です。行きましょうか?」
「うん!」
まだ周囲は少し、空気が薄くオレンジを纏い始めたくらい。
夜にはまだ早いし、大祭は夜がさらに賑やかなのだと話に聞く。
どんなだろう。本当に、楽しみだ。
「ほら、マリカ。逸れるなよ」
「うん、ありがとう」
リオンが伸ばしてくれた手を、わたしはしっかりと握り返す。
人の波の向こうからは、笛の音や笑い声、香ばしい匂いが流れてくる。
胸の奥がふわりと弾んだ。
そして、私達は四人で連れだって、初めての大祭に向けて歩き出した。




