王都 異世界知識の使い方
護衛のティラ様――いや、実は皇族、第三皇子妃ティラトリーツェ様から私とガルフが呼び出しを受けたのは、護衛依頼も残り数日となった日の昼のことだった。
賄いの昼食を食べ終えた、防音の貴賓室。
扉が閉まった瞬間、外の気配が遠のく。
いつもなら、ここでようやく息をつけるはずなのに――今日は違う。空気が少しだけ張り詰めている。
ティラトリーツェ様は、指先を膝の上で重ね、こちらを見た。
「実はね、貴女達に謝らなければならないことと、相談したいことがあるの」
穏やかな声なのに、逃げ道のない切り出し方だ。
ガルフが、わずかに姿勢を正すのが視界の端で分かった。
「相談したいこと、というのは何でございましょうか? ティラトリーツェ様」
ちなみに、ティラ様=ティラトリーツェ様=第三皇子妃であることを知っているのは、私とアルとガルフだけ。
リードさんは、それを知ったら緊張して態度に出てしまう可能性があるので告げなかった。
ガルフも顔色が青い。けれど、破天荒な第三皇子に慣れている分、理解は早かったようだった。
「まずは謝罪ね。
今回、貴方達が依頼を出さなければならない程にマリカが狙われた理由は私達にあります。ごめんなさい」
「私達、とは?」
「私と皇子。了承は得ての事、だったけれどパウンドケーキのレシピを教えて貰って、王宮の宴に出したでしょう?
そしたら、皇族の皆さまも含めて、とんでもない食い付きで…どうやったら作れるのだ、教えろ。と凄い事になってしまったの」
この辺は、リードさんからも聞いている。
王宮主催の戦勝を願う宴で第一皇子妃が料理を指揮したが、この国には『食後の甘味』の概念そのものがほとんど途絶していたらしく――。
許可を得て第三皇子達がパウンドケーキを出したところ、驚くほどの反応だった、と。
「この国では砂糖が貴重でしょう? だからたっぷり使うのが贅沢の証なのよ。
何かと何かを組み合わせて、ということはあまりなくって砂糖そのものを煮溶かして固めるものとか、そういうものばかりでね。
あってミクルやアマンドの実に絡めるとかピアンの実を甘く煮たものとか、そのくらいなの。
プラーミァでは騎士や兵士が戦いの後の疲労回復に砂糖を携帯していてね。使い方は角砂糖や長く楽しめる飴細工が主流。菓子とかは作られていなかったわ」
つまり基本は飴細工やフォンダン、良くてドラジェやコンポート。
膠はあると言っていたから、ゼラチンはあるのかな……。
ゼラチンがあるなら、パスティヤージュっぽいものもできるかも……。
私がそんなことを考えている間も、ティラトリーツェ様の言葉は淀みなく続く。
「だからね。パウンドケーキの作り方の権利はガルフの店に有り、我々は作り方を教えて貰い使用する権利を買いとっただけだ。
知りたいのならガルフの店に問い合わせるがいいだろう。と答えました。
結果、店への問い合わせとマリカ、及び店への襲撃者が増えたと考えられます」
「なるほど。そう言う事でしたら今後も襲撃者は減りませんな」
ガルフの声は低い。怒りというより、現実を正確に測る商人の声音だった。
「ええ、マリカそのものを狙う、屋台店舗を人質にとってレシピを教えろと迫る者は今後も少なからずいると考えられます。
そんなことしてレシピを得ても、罪を犯したことを証明するようなものなのだと、欲に目がくらんだ者には解らないようですね」
困ったこと、と顎に手を当てるその仕草が貴婦人らしくて――などと、どうでもいいことを思ってしまいながら、私は顔を上げた。
「戦に行っている護衛担当者が戻って来れば、その辺の対応は可能だと思います」
リオンとフェイが戻ってくれば、怖いものなんてない。
「ああ、あの人が最近お気に入りの従卒見習いね。幼いのにかなりな腕だと騎士団で話題になっているとか。
凄腕の魔術師も抱えていると聞いています。護衛で一緒だった少年といい、子どもでありながらこの店の者達は随分しっかりとした教育を受けているようですね。
大したものです。ガルフ」
「お褒めに預かり、光栄ですが、この子達の教育は私由来のものではありません。
この子達は特別な才を、この世界では有りえぬしっかりとした教育で磨いた宝石なのです」
「ガルフ様……」
「ええ、納得します。子どもなどただの石ころに過ぎぬと捨て置き、侮る者達が見れば驚きに目を見開く事でしょう」
目の前で、どえらく褒められている。
とても、居心地が悪い。
けれど『子ども』の価値を高めるために前に出る覚悟はある。……あるけど、やっぱり照れる。
「ただ、料理に関してはそれで良くても、もう一つの事に関してはまた別の対処が必要になりそうなのよ」
「もう一つの…こと、ですか?」
首を傾げるガルフに、私ははっとする。
そうだ。ガルフには、まだちゃんと話していなかった。
「あの…ガルフ…様、私、ティラトリーツェ様に、護衛のお礼として贈り物を差し上げたのです。
シャンプー、手作りの髪を美しくする液とレヴェンダの花の香料を…」
「? そんなものを持っていたの…か? マリカの髪はずっと艶やかで美しいから生まれつきのものかと思っていた…が…」
「ハチミツを加工して作ったもので時々髪を洗っているんです。汚れが落ちて頭がサッパリ綺麗になるので。
香料の方は、その…本当に実験お試しで作って、なんとか成功したばかりで…」
「あら、あれはガルフの店の商品では無かったの? 本当に素晴らしい品だったわ。
特にシャンプー? と香りの油の効果は絶大でね。茶会で貴婦人たちの注目を集めました」
「貴族の茶会で注目?」
「ええ、城の中で退屈している貴婦人たちの最大の関心事は自分の美、ですもの」
そう言って、ティラトリーツェ様は衣の隠しから、私が渡したラヴェンダースティックを取り出して見せた。
あの時、手が震えないように必死で渡した――その、同じもの。
「今まで花の香りを何かに移したり閉じ込めたりして身に纏う、などということは殆ど無かったわ。
せいぜいが入浴の時にバラなどの花を浮かせて香りを楽しむくらいなもの。
このスティックも画期的だけれども、香りを凝縮させた油とか、香りを濃く移した水などは考える思考さえ無かったと思うの」
ガルフが、目に見えて青ざめる。
ただでさえ大市前で店は大忙し。仕込みも人手も足りない。
パウンドケーキの対応だけでも大変なのに、管轄外の美容品まで飛んできたら――店がひっくり返る。
「まあ、とりあえずは安心して。
こちらの品に関しては『貰い物』『詳しい作り方を聞いてみる』と濁してあるから。
ただ、直ぐに情報を公開しなかったことで、期待度は高まっているけれどね…」
ヤバイヤバイヤバイ。
軽い気持ちのお礼だったのに、事が大きくなりすぎている。
「髪を洗う液の方はさっき零れ聞こえたけれどやはりハチミツが原料ね。ハチミツを何かで溶かして粉を入れた、という感じかしら?」
「流石、ティラ様。ご明察です」
ハチミツシャンプーは、ハチミツとぬるま湯を混ぜただけのものに過ぎない。
そこに塩を入れて汚れ落ちをよくしただけ。
目的は頭皮の活性。洗い流す時に成分が毛先へ馴染んで、副次的に艶が出る。
「早速試してみようと思ったら、養蜂家に既に手を回してあったわ。
蜜ろうはともかく、蜜そのものが全く手に入らなかったの」
「…ああ、それは甘味量として砂糖と併用して使う為に昨年の開店時から契約をしておりましたので」
意味を失いかけていたハチミツを買い取る――というガルフの提案は、養蜂家にとって渡りに船だったらしい。
まとまった量が入れば即座に納品されるよう、国中と契約しているという。
ガルフの剛腕には頭が下がる。
「では、あれを売り出すつもりは無い?」
「売り出すも何も、存在を知ったのは今、初めてです。
食料品扱いで手がいっぱいですし、私の商業登録も食品となっています。美容品に関しては管轄外でして」
「売り出せばとんでもないことになるわよ。貴族どころか豪商、皇族に至るまで世界中の女性が全員喉から手を出して欲しがるわ」
ガルフが、私を見る。
責めるというより『なぜ黙っていた』という、商人としての痛い視線。
うわ~ん、ごめんなさい。
そこまで深く考えてなかったんです……!
「えっと、どこか美容品が得意な商会に任せる…とか?」
「ザックのところは切ったので、信用できる商会を一から探すには時間がかかります」
うう、と取りつく島がない。
「ガルフの店では扱いきれないかしら?」
これはティラトリーツェ様の質問だ。
「はい、正直な所、食品展開も大祭後、国外にも広がると考えていますので新しい事業展開はまだ難しいかと」
ガルフの返答に、ティラトリーツェ様は少しだけ目を細め、考え込む。
そして――さらりと言った。
「…ガルフの店が、美容品の収益に頓着しない、というのであれば、私に任せて貰う事はできない?」
「え?」
「私の贔屓の服飾店があります。女性が店主のシュライフェ商会、ご存知かしら?」
「はい。商業ギルドの代表のお一人ですから」
「彼女の店に私が作り方を教えて、製造、販売を任せます。
ガルフの店はシュライフェ商会にハチミツを納入する。
ハチミツが料理に使えなくなる代わりに、ガルフの店にはアルケディウスにおけるプラーミァ国の砂糖の専売権を与える、というのはどう?」
息を呑む。
砂糖と小麦は、食を展開する上で絶対に欠かせない。
メイプルシュガーをアルケディウスで入手できても、砂糖は多くあって困るものではない。
「…よろしいのですか? 今までの専売権の所有者は?」
「今まで、商業扱いされていませんでしたから、この国における権利の所有者は私です。
私が実家であるプラーミァから買い取る形で砂糖を確保。貴族に要望によって届けていました。余りを市場に出してもいましたが、扱いを任せられる商会があるなら、任せても何も問題はありません。
加えて、正式な作り方、使い方を教えて貰う代金として金貨100枚を支払いましょう」
「金貨100枚? 本気ですか?」
今度こそ、声が失せる。
言わば一億円。それを、シャンプーに。
「あら、貴方方なら解るでしょう?
女性必須の、しかも消耗品よ。
一度世に出れば国中どころか、世界中に広がる可能性もあるわ。原材料の確保が意外に難しいから最初は、上流層のみになるでしょうけれど、それでも1年後には金貨100枚どころではない収益になるわよ。きっと」
ティラトリーツェ様は、本当に頭のいい方だ。
私以上に商業センスがある。……いや、私が無頓着すぎるだけか。
「何より、私は派閥の地盤固めに使いたいのよ。
モノで釣るのは下策だと思うけれど、王宮ではそんなことを言っていられない時もありますからね」
なるほど。
砂糖にシャンプー。使い心地を知ってしまえば、元には戻れない。
それを握るティラトリーツェ様を、周りは無下に扱えなくなる。
「どう思う? ガルフ?」
「そのシャンプーについては、私の管轄するところではありません。
言った通り今、店は食品扱いで精一杯。砂糖入手が容易になり副収入が入るなら、私が反対することではありません」
「解りました。ハチミツシャンプーについては全ての権利をティラトリーツェ様に譲渡します。自分達が使う分は作りますが販売はしません。
またその後、ティラトリーツェ様が、どこの誰に販売権、製造権を託しても当方は一切関与しません。
代金は金貨100枚と砂糖の専売権。
正式な文書として作成しますので、ティラトリーツェ様も、砂糖の専売権については文書で契約書と権利の証明書を作成頂けますか?」
「いいわ。大祭が終わったら迎えを差し向けますので、ガルフとマリカは館にいらっしゃい。
正式な契約をいたしましょう」
「解りました」
胸を撫で下ろす。
元々、シャンプーは自分達用のものを、ティラトリーツェ様へのお礼に分けただけだ。
それが役に立ち、店の収益にもなるなら――大きな問題はない。
「それから、香料の方、だけど…」
……しまった。
まだ終わりじゃない。
しかも、ヤバい方が残っている。
シャンプーはまだ『原材料が限られる』で済む。
でも香料、香油は違う。作り方を簡単に教えるわけにはいかない。
あれは――水蒸気蒸留法。道具も理屈も、扱い方を間違えれば世界が変わる。
「レヴェンダ以外の植物からでも香料は作れるの?」
「できる、と思います。ただ、背負い籠いっぱいの植物から1日かけてこの間の小瓶と同じくらい採れるかとれないか、くらいの貴重な品になります」
「そうよね。しかも特別な方法がありそう。それは教えられるもの?」
「えーっと、今は、難しいと思います。採油の為の道具が、その…手作りなので…」
「手作り、できる道具なの?」
「手作り、と言っても特殊で、その…なんと説明したらいいか…」
焦る私を見て、ティラトリーツェ様はふっと表情を緩めた。
「いいわ。香料に関しては、今は聞きません。ただ、できる範囲でかまわないから色々な香油、香水を作っておいて。
できた品は無条件で買い取ります。一種に付き今回貰った分くらいの量なら金貨1枚出すわよ」
「そ、そんなに? ですか?」
「ええ、それだけの価値があるものだわ」
くすっと笑われる。
追及されなかったことに、心底ほっとした。
「ガルフ。
護衛期間が終わっても、マリカの保護は最優先事項となさい。
今回の件で解ったでしょう? 料理だけでなく何気ない知識もこの子のそれは世界をひっくり返すものになるの。
目を離して心無いものに奪われては決してなりません」
「心得ました。『ティラトリーツェ様にお礼の贈り物をする』までしか聞いていなかったマリカ様の手作り品が、そこまでの品とは私も思っておらず後手に回りましたが、今後十分に注意します。
できればティラトリーツェ様には今後も、ご指導とお力を賜りたく」
「無論、構いません。
この子は、無自覚な武器庫のようなもの。そこから出て来るものの価値を知った今、手放す理由はありませんからね。
それに…」
「それに?」
「…なんでもありません。とにかくマリカも、自分の知識と価値を十分に把握して、使い方をよく考えなさい。勝手はしないように。
できれば何事も実行に移す前に、ガルフやあの人、必要な時は私にでも構いません、報告、連絡、相談するのですよ」
「はい…ありがとうございました」
家に戻ってから、私はガルフとリードさんに怒られる羽目になった。
もう、みっちり、こってり怒られた。
そして説明したハチミツシャンプーと、魔王城から持ってきた水蒸気蒸留法の香油作成に驚かれる。
聞けば、香木からしか今まで『香り』の活用は無かったらしい。
かなりの上流階級でも、お風呂にそう頻繁には入れない。
だから匂いがきついこともある。
香油作成は、シャンプーどころじゃない騒ぎをもたらす可能性がある、と。
かくして、水蒸気蒸留法はガルフ管理の絶対秘密となったのだった。
気を付けよう。
異世界知識の使い方。
報告、連絡、相談は異世界でも基本なんだなあ、と私は当たり前に思ったのだった。




