王都 世界を変える者
本店の客の流れは速い。
開店は一の風の刻――なのだけれど、食数が定められている為二刻。
二の水刻まで持った試しがないのだ。
だから私は、人気の薄くなった店内で売り上げ計算をしている。
テーブルの木目に指先を揃え、硬貨と木札の数を確かめ、紙片に数字を並べていく。
視界の端では、閉店後の勉強会に集まった皆が、それぞれの机に向かっている。鉛筆に似た木炭の先が擦れる音、木札を並べ替える小さな音、誰かが息をのむ気配――店が静かに『学びの場』に変わっていく、この時間が私は好きだった。
「マリカ。この計算は、これで合ってるか?」
「見せて貰ってもいいですか? あ、おしい。ここまでは合ってるんですけど、ここの繰り上がりを忘れてますね」
「あ、そうか。しまった」
「考え方は合ってますからそのままで。後は間違えないように慎重にやりましょう」
「解った。ありがとう」
イアンが赤くなって頭をかき、席に戻る。
見送りながら、私はあらためて店内を見回した。
勉強会の参加者も増えた。
最近は本店だけでなく二号店や三号店の人も、大人も子供も、閉店後になると当たり前のように集まってくる。
『やれるかどうか』じゃない。
みんな、きっかけがあれば――できるし、やれたんだ。
それが、なんだか胸に沁みた。
と、そんなことを考えていると、店の裏扉が開いた。
「ただいま。屋台組も戻って来たぜ」
「全員無事、問題なし。私がついているのだから当然だけれどね」
「ティラ様、アル。おかえりなさい」
私は椅子を引き、立ち上がって二人を出迎える。
護衛騎士のティラ様は、私の往復の護衛の無い時間、屋台の護衛を手伝ってくださっている。
アル一人だと侮られるし、屋台二店舗を一人で見回すのも無理があった。
ティラ様が来てくださったおかげで、販売計画も人の配置も、驚くほどスムーズに回るようになった。ありがたい、という言葉では足りない。
「あの……マリカさん?」
見ると、その後ろに屋台組の従業員たちもいる。
遠慮がちに立ち、様子をうかがう彼らの表情は、仕事帰りの疲れと、それでも伺えるやる気に満ちていた。
「あ、みなさんも勉強会に参加なさいます?」
「いいでしょうか? 今日は計算練習の日でしたよね。せっかくなので覚えたくて」
「勿論です。どうぞ」
覚えたいという意志は尊重する。
私は彼らを空いている席へ促し、木札と、数字の一覧、それから掛け算九九の書いてあるボードを手渡した。
受け取る手つきが、少しだけぎこちない。けれど、そのぎこちなさの中に、真面目さが見える。
「まずは数字を書ける様になること。数字と数を一致させることを練習して下さい。
それからこの表を、丸暗記でいいので覚えてること。これは計算の基本ルールなんです。
これを覚えれば、いろんな計算がぐっと楽になりますから」
店員たちは頷き合い、腰を下ろす。
仕事が終わったら帰っていいのに――それでも残って、机に向かう。
その姿を見て、胸の奥が温かくなった。
「……ねえ、マリカ?」
どこか含むようなティラ様の声に、私ははっと思い出す。
「あ、すみません。ティラ様。
アル。ここを願いしてもいい? 今、厨房に行ってアルの分も昼食頼んでくるから」
「了解。頼むな」
「行きましょう。ティラ様」
私はティラ様を貴賓室へ案内する。
この店の貴賓室は“貴族用”というよりも、静かに話すための場所だ。扉を閉めると、外のざわめきが薄紙一枚隔てたように遠のく。
厨房で本店自慢の日替わりプレートを受け取り、戻る。
ガルフの店は従業員にも賄いが出る。
『自分の店で売るものに愛着を持ってほしい』
――その考え方が、どれだけ人の心を動かすか。私はもう知っている。
「お待たせしました。
今日のメニューはベーコンパンケーキとオランジュのジュース、それからサーシュラのサラダです。
デザートはビスコッティ。お口に合えばいいのですが…」
「これこれ、これが食べたかったのよ! 噂に名高いガルフの店のパンケーキ!
今までの料理も勿論どれも美味だったけれど、パンケーキはいつ出るのか、と楽しみにしてたの」
「小麦粉の収穫の見通しが立ってきたので、お出しできるようになりました。
それまでは備蓄の関係上、二週間に一回のスペシャルメニューだったんです」
「そうよね。その日にはいつもの倍の速さで行列ができると聞いていたわ。
では、いただきます!」
まさか、貴族の奥様――もとい護衛騎士様まで賄いに『ハマる』とは思わなかった。
ティラ様はフォークで大きめに一切れを切り取り、迷いなく口へ運ぶ。
作法は完璧だ。けれど、その目は子どもみたいに真っ直ぐで、隠しきれない期待が宿っている。
「うーん、これこれ。
焼きたてでふんわり、暖かくてほの甘いパンケーキに薄切りベーコンの塩気と油が不思議に合って…本当、幸せの味、って感じよね」
口に物が入ったまま喋るような無作法はしない。
それでも『美味しい』が全身から溢れているのが分かる。
作る側として、こんなに嬉しいことはない。
「はあ、オランジュのジュースも身体に染みるわ。
街も地月に入って日差しが強くなってきたから、喉が渇くのよ。美味しいわ」
「ありがとうございます。貴族の方のお口に合うとしれば、厨房のスタッフも喜ぶことでしょう」
「できれば、早く貴族区画にも商業展開、して欲しいと思うのよ。
貴族も使える高級店もあると聞くけれど。それでも下町に足を運べる貴族はそう多くありませんからね」
「…そうですか? ここに頻繁に足を運ぶ皇子様とか、身分を隠して賄い食べてる皇子妃様がいると思うのですけれど…」
「あら、言ってくれるわね」
「ヴィクス様がおっしゃっていましたよ。お二人を普通の貴族と思うな。お二人を基準にして貴族に接すると首が飛ぶぞ、って」
我ながら口が滑った自覚はある。
でも、ここ数日、護衛という名目で下町に降りてきて――いろんな意味で“無双”しているティラ様だ。
護衛期間中、二組の襲撃者と、一組の屋台狙いのゴロツキを蹴散らしている。
本当に、貴族、皇族の貴婦人とは思えない。
「まあ、それは事実ね。あの人もそうだけれど、私も他の貴族の貴婦人とは違う自覚はありますから」
「他の貴婦人は、下町に変装して降りてきたりはなさらないでしょう?」
「勿論。貴族区画から出る事はまずないわね。城に住んでいる他の皇族方々は城から出る事さえ稀な筈よ」
うん。やっぱり、お二方は特別だ。
私たち庶民には、その方が親しみやすい。
でも同時に――それが『特別』であることも、忘れてはいけない。
「城や貴族区画に籠って皆様は、何をしていらっしゃるんですか?」
「宴に、器楽、ダンス、刺繍に遊興。騎士資格を持った者は城の警備や仕事もあるけれど、貴婦人方は殆ど家の中に籠り切り。
本当に良く飽きないものだと思うわ」
何百年という時間があるなら、いくらでも“何か”ができそうなのに。
実際は、同じ日々の反復に沈んでいく。
ティラ様の言葉が、さっきのリオンの話と重なって、胸の奥に冷たい影を落とした。
「ねえ、マリカ? ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
「はい、何でしょう?」
最後の一切れになったパンケーキを、フォークに刺したまま。
ティラ様――いや、ティラトリーツェ様の眼差しが、急に真剣な光を帯びた。
空気が、すっと冷える。室内の音が一段下がったような感覚。
「この店では砂糖を、随分とふんだんに使っているわね?
ベーコンには胡椒の風味も感じるわ」
「あ…ふんだんに、では無いですけれども。一応一日、一店舗の使用量は厳密に計算して使っているので。
貴重品ですから」
「それは解っています。砂糖も胡椒もプラーミァの特産品ですからね」
あ、そうなんだ。
確かにどちらも南国原産のはずだし、納得できる。
「食が世界に必要とされなくなっても、砂糖も胡椒も需要が無くなった訳ではないから今も生産されているの。
生産国として素材の使用方法は熟知していたつもりだったけれど、砂糖を溶かして作る飴細工や、砂糖を固めた角砂糖を戦士が携帯するくらいでね。
こんないくつもの材料と組み合わせる『料理』は知らなかったわ」
貴重な香辛料や砂糖を、ふんだんに使って濃く味付けする。
中世異世界ではそれが『豪華』の証。
――そういう価値観があるのは知っていた。
そしてこの方は『生産国側』。知っている範囲も、見ている範囲も、私の想像よりずっと広い。
心臓が、バクン、といやな音を立てた。
だとしたら――生産国の……多分……王女様の前で、やりすぎたかもしれない。
「それにね、胡椒はともかく貴女、この間館でパウンドケーキの作り方を教えてくれた時に言ったでしょう?
使っている砂糖が違う、って。
お土産のケーキの時も感じたけれど、ここで使われている砂糖はプラーミァの砂糖ではないと思うの。
砂糖はプラーミァが生産の八割、隣国のエルディランドが二割のシェアで、他では作られていない筈なのよ。
しかも作り方も原材料も二国は同じ、味はほぼ変わらないわ」
――ヤバい。完璧にやり過ぎた。
しかも、この人は雑談を『雑談のまま』流してくれなかったよ。
ティラトリーツェ様は、最後のパンケーキを飲み込み――呼吸一つ整えてから、言葉を落とした。
「では、この店の砂糖はどこから手に入れているの?
答えなさい。マリカ」
護衛騎士ティラから、第三皇子妃ティラトリーツェへ。
肩書きが変わる、というより、世界そのものの輪郭が切り替わる。
私は深呼吸して息を整えた。
できるだけ、にっこりと笑顔を作って、悠然と――賭けに出る。
「企業秘密、です」
「マリカ」
名を呼ばれるだけで、圧がある。
けれど怯まない。怯んだら、そこで終わりだ。
「砂糖の秘密は、この店の命運を左右する重要なものです。
いくら奥様のご命令でも、簡単には明かせません。
奥様にはご理解いただける筈です」
「まあ、それはそうね」
ティラトリーツェ様は、私が言うのも不遜だけれど、頭の良い方だ。
そしてライオット皇子の奥さんだ。なんだかんだで優しい。
こちらの事情を無視して、貴族の地位を盾にゴリ押しするような方ではない ――そう信じたい。
ここで、子どもです、と逃げる。
ガルフに任せる。
徹底的に誤魔化す。
方法はいくらでもある。
でも、私が選ぶ――選びたいと思う選択肢は、違った。
「これから、食が広がれば香辛料は勿論ですが砂糖の需要は否が応うにも上がります。
プラーミァ国にとっては既得権益商品である砂糖の流通に対抗商品が出れば不安かとも思いますが、多分、今後いくらあっても足りないくらいになると思うのです」
本当に、これは賭けだ。
第二の、この世界に向けたプレゼンテーションと言ってもいい。
「今年の冬には、多分アルケディウスで砂糖の生産が始まると思います」
「アルケディウスで採れるものなの?」
まだ皇子にも告げていない、重大な秘密を明かす。
驚きに目を見開くティラトリーツェ様へ、私は頷いた。
「はい。ですが期間限定。しかも手間と時間が尋常じゃなくかかります。
できれば私達もプラーミァからの砂糖を購入したいくらいなのです。ですから…取引など、いかがでしょうか?」
「取引?」
「ティラトリーツェ様から、よろしければプラーミァ国に砂糖の増産をお勧め下さい。
今の取引先が買い取り切らない量は、全てこの店で引き取ります」
「金貨の、それも数百枚から千枚単位の取引になるわよ」
「構いません。元は十分に取る自信がありますから。
そしてプラーミァが望むなら、その砂糖の商品価値を高めるレシピなどを売ることもできます。
そうすることで砂糖の単価そのものは下がるかもしれませんが需要は広がり、結果として利益は上がると思うのです」
パンケーキは小麦粉がないとできない。
でも砂糖さえあれば、できるものは山ほどある。
果汁を混ぜてキャンディにする。タフィー、ファッジ、キャラメル――売り方も、形も、可能性も無限だ。
「レシピを売る、って店の利益が減ってもいいの?」
「構いません。私達の目的は利益ではないので」
「利益ではないなら、何?」
「世界を変える事。もっと言うなら世界中の子ども達が幸せに生きられる環境を作り、この不老不死世界に抗うことです」
言った。
はっきりと言った。
絶句したティラトリーツェ様の『驚くものを見る』表情が胸に痛い。
当然だ。
こんなことを言う子どもはいない。
子どもが皇族に向けて砂糖の流通についてプレゼンテーションするなんて、絶対にない。
教育を受けた大人でも、ここまで踏み込めるか分からない。
不審に思われる。
子どもとして扱ってもらえなくなる。
それは理解している。
適当に、子どもですよ~、難しいこと解りません~、と誤魔化すのが多分、正解だった。
でも私は、この方に嘘はつきたくない、と思ってしまったのだ。
もしティラトリーツェ様が神の側の存在で、私たちを危険と断じ、訴えれば――それで終わり。
でも、この方はライオット皇子と五〇〇年連れ添った奥方。
不老不死世界でも輝く、強い光を放つ方。
私という手札をすべて晒して、チップを全部乗せて、協力を得るために賭ける。
この世界の歪みを改善したいという思いを、理解してくれると信じて。
沈黙が場を支配する。
短いような、長いような――息をのむ空間。
「マリカ」
「はい」
「貴女、私の娘にならない?」
「へ? 娘?」
唐突に、何の脈絡もなく振ってきた提案に、緊張感ごと粉々に砕ける。
確か前にもこんなことがあったような……いや、あれは皇子妃様じゃなくて、別の誰かだった気がするけど。
「貴女。ライオットの隠し子でしょう?
自分の隠し子をライオットがガルフに預け、養育させている。という噂を聞いた時には半信半疑だったけど今の貴女を見ていて納得したの」
「違います、違います。絶対に違います!」
私は全力で否定する。
ライオット皇子の名誉のためにも、ここで『納得』されるわけにはいかない。
「隠さなくてもいいのよ。髪飾りの石も小指のカレドナイトも普通の貴族では用意する事もできない。
城の他の皇子方々は、下町どころか城から出る事さえない。下町の子どもにしては賢すぎるし、精霊術も使ったでしょう?」
「…違います。理由は言えませんが、本当に違うんです」
「店主のガルフ抜きで取引を行う判断ができ、店員に教育を施せる立場。
ただの料理人じゃないわよね。
ガルフは誰かの指示と支援で店を始めたと聞いているけど支援者がライオットで、貴女を育てる為というなら辻褄も合うわ」
「奥様…」
「…何よりも、ライオットと同じ思考をしているもの。
不老不死世界をもたらした者でありながら、誰よりもこの世界を嫌って変えようとしているあの人と同じものを見ている」
柔らかく、寂しげに奥様は微笑む。
胸が詰まる。
この世界で孤独だった皇子を、たった一人で理解し支えた妻の眼差しで――同時に、何かを思い、哀しむ眼差しだった。
「…私はね、あの人の子どもが欲しかったの。
だから、貴女のような娘ができるなら本気で可愛がるのだけれど。
ついでに娘なら、レシピを聞き放題だしお金もかからないしね」
「あ、その辺は、例え親子になったとしても、割引や手心は加えませんが」
「あら? 残念」
深刻な空気を、わざと軽く切り替えてくれる。
その“優しさ”が、今はありがたい。
私は息を整え、彼女に真っ直ぐ向き合った。
「私は、皇子の隠し子ではありません。
宝石も、カレドナイトも、知識も、精霊魔術も、皇子とは別の所に由来します」
「そう…それでも構わないわ。私は、貴女を認めたのだから」
合わせた目は、真剣な光を宿している。
この人は、冗談で言っているのではない。
最初からずっと、こちらを見て、試して、測って――そして今、決めている。
「マリカ。
私はね、あの人とは違う理由で、今の世界、貴族社会、不老不死世界を恨んでいるの。
壊したいと思うくらい、憎んでいるわ」
「奥様…」
静かで、噛みしめるような呟きが零れた。
この瞬間、私は確信する。
――賭けに勝った。
やっぱりこの方はライオット皇子の奥方。
私たちの仲間。同志。
「私は貴女達に協力します。だから、貴女達も協力して頂戴。
貴族社会を、この国を、世界を変えていく事に」
なら、答えは一つだ。
「私達にできることなら喜んで」
「ありがとう」
差し出された手が、私の前に真っ直ぐ伸びる。
保護する騎士と、保護される娘ではない。
対等な仲間として――私たちは手を握り合う。
私は、この世界の挨拶を知らない。
騎士が差し出す手が、自らの信頼と友愛の証だということを。
剣を持つその手を相手に預けるという意味なのだと。
それを知るのは、ずっとずっと後の話だ。
最初から奥様は、私を信じてくれていた。
その上で、私の本当の顔を引きだすために、わざと脅迫めいた追及を仕掛けたのだろう。
もし私が、しらばっくれて子どもを演じ続けたなら――追及を止めて、普通の子どもとして接してくれたのではないか。
後から私は、きっとそう考える。
「さて、マリカ。
では、本格的な商談交渉といきましょうか? 砂糖と胡椒の販売について。
私は他国に嫁いだ者だから、あまり大きな権力はないけれど、兄王に提言と提案くらいはできるわ」
「はい、よろしくお願いします」
結局、その後の交渉も、終始奥様のペースで事は運ばれた。
けれど後悔はしていない。
私は――私たちは、心強い仲間を、同志を手に入れたのだから。




