皇国 閑話 三人称 精霊神の内緒話
一筋の曇りもなく。
幸せそうに眠る少女を見つめる瞳がある。
彼女にバレたら怒られるだろう。
覗き見反対! だの プライバシー侵害! だのと。
解っている。
でも、彼はこの役得を手放す気はなかった。
例え過保護で親バカな不器用おやじににらまれようとも。婚約者に意味深い目で見つめられようとも。
どうせもうじき、彼女は羽ばたいていってしまうのだ。
ならばその時まで、この安らかな顔を見ていたい。
自分は終ぞ見ることが許されなかった彼女の寝顔はこんな感じだったのだろうか?
蘇る望郷の思い。
魂を写し取ったかのように彼女にそっくりな少女の寝顔に、彼は、アルケディウスの精霊神は、そんなことを思っていた。
彼は軍靴の響きと硝煙の中で育った。
生まれは北の大地。
エメラルドグリーンの湖、一年中、白き冠を抱く山嶺を仰ぐ広大な国。
冬には身体よりも高い雪に覆われる平原は。
けれど春になると白、蒼、紫、紅、桃色を散りばめた、世界でもっとも美しい新緑の絨毯を広げる。
生きるのには決して楽な土地では無かったけれど、厳しくも実り豊かなその大地を彼は嫌ったことは無い。不幸な生誕だと呪った事もない。
強い大地とそこに咲く輝かしい花々。
豪雪にも地表を包む氷にも決して負けることない木々の緑を愛していた。
木々の緑は一色では無いのだと、同じに見えても全て違うのだと。
父が教えてくれたことを今も覚えている。
侵略と統一と、統制の歴史が終わって独立を果たした小国。
平和と戦乱の狭間の時に彼はそこに生まれた。
植物学者の父と理解者たる母。
そして兄弟達。家族に、愛に包まれて幸せに生まれ生きたと思っている。
けれど。
母が老境に差し掛かった両親を助けるため引っ越して数年後。
状況は、いや戦況は大きく変化した。
成長と共に激しくなる紛争の気配はやがて、本格的な戦火となって彼と彼の大事な者達を焦がし、苦しめた。第二次大戦以降の例を見ない軍事行動と言われたその作戦が開始されると。
彼が愛した豊かな大地は焼き尽くされ、歴史ある町は破壊された。
同じ大地に住むけれど、思想分かたれた者達の手によって。
学者であった父は徴兵され、兄もその手に銃をとり彼の元を去っていった。
「母さんと、妹を頼むぞ」
そう微笑んで彼に手を振って。
そして帰って来ることは無かったのだ。
周囲の子ども達は兵士に憧れている。
いつか自分も軍に入り国を侵略した者達を追い払うのだと。それができるのだと疑いもしない。
けれど、早熟な少年は父親の教育で理解していた。
武力でこの戦いが終わることは無いと。
上に立つ者が変わらない限り、止めない限りこの戦争は終わることは無いのだ。と。
爆撃機が頭上を跳ぶ音に耳を塞ぐ。
火薬の匂いと炎に追われ、妹と母の手を引き、逃げる度。
買い物に行く街角に血の匂いを感じる時。
十二歳の少年は思い続けた。願い続けた。
「戦争なんてやろうとする輩が、みんなみんな消えてしまえばいいのに」
と。
そんな願いが叶ったと思うのは自惚れが過ぎると解っている。
遠い記憶のあの人が言う所のチューニビョウという奴だろう。
けれど、彼はそんな願いを持った自分を今も忘れてはいないし、許してはいない。
戦争は有る日、一瞬で終わった。
『新たなる贄どもよ。従え。
この星は、以降、我らが所有する』
彼が望んだとおり、戦争を望む者と、戦争を行う者、そして戦争を望まない者全ての消失によって。
生き残ったのは彼、たった一人だった。
後に外宇宙からの侵略と知らされた隕石による爆撃は、今まで彼が知るどんな攻撃よりも確実に、人々の命を奪い取った。
故郷は死と毒で包まれ、闇の中にあると伝えられた。
手を握っていた妹も、一緒に避難した筈の母も生存していなかったらしい。
彼の住む町はおろか、広大な北の大地。
その東半分で生き残ったのは彼だけであったということを知ったのも救出され、遠い国で目覚めてからの話だ。
何故、彼一人が生き延びたのかは解らない。
禍々しい銀の雪の後、隕石の一つが街の中央に落下したことは覚えている。
全身に衝撃が走り、身体の内部まで灼熱の炎に焦がされ上げた絶叫と。
同じ状況の妹に手を伸ばして、でも届かなかった悔恨。
その後の記憶が彼には無いからだ。
植物が彼を守るように包み込んでいた、と『救出部隊』は言っていたが彼自身は見ることがなかったし。
彼が不滅の肉体以外の能力に目覚めたのもかなり後の事だったから。
彼は自分が救出されたとは思っていなかった。
むしろ、戦火という地獄から逃れて別の地獄にやってきただけだと思っている。
戦争は幸いにも彼の肉体を傷つけることは(まだ、だったにしても)していなかった。
けれど、ナノマシンウイルスと呼ばれるモノに作り替えられた身体は、彼から死という安息さえ奪い、一人の少年を地球を救う救世主。もしくは世界を滅ぼす悪魔に括りつけた。
故郷の滅亡を、家族の死を悼む暇も彼には、彼らには与えられなかった。
侵略者の恐怖に怯える者達はたった一つ手に入った手がかり。
禍津星の力を奪い取った『能力者』達の全てを、一切の躊躇なく貪ろうとした為だ。
万が一にも死なないように細心の注意を払いつつ、彼らの肉体をあらゆる方法で切り刻み、血を抜き、実験を繰り返し、地球人はコスモプランダーに対抗する術を探し続けた。
一人生き残った罪悪感に打ちひしがれる少年が、苦痛に絶望に苛まれること無く、壊れる事なく自己を保ち続けたのは、奇跡、ではない。
心の支えたる、一人の女性の存在があったからだったろう。
「そう……。辛かったわね」
「先生……」
「助けたかったでしょう? 哀しかったでしょう? それを耐える必要も隠す必要もないわ」
同じ境遇の女性は、彼の思いを受け入れてくれた。
自分以上に全てを奪われ、人権も配慮もなく凌辱の限りを尽くされた彼女は、それでも少なくとも自分達の前で、微笑みを絶やすことは無かった。
被験者にして能力者たる彼らのメンタル安定の為か、許されていた彼女との面会と同胞との語らいだけが、唯一の安らぎ。
絶望に打ちひしがれた彼らの話を寝台の上の彼女はいつも静かに聞き、優しい言葉を返してくれた。
「でも、貴方は決して悪くない。貴方達はきっと、この星の希望なの」
過酷な運命に嘆き怯むことなく。
彼女はたった一人生き残ったこと。滅亡を願った罪悪感を抱く自分を共感し、そして認めてくれた。
同じ苦しみと悲しみを理解しあえる存在、分かち合う仲間。
ぶつかりあい、ののしりあい。
けれども同じ思いを共感し、認め合った運命の兄弟。
彼女と、仲間達がいたからこそ、彼は日々の苦痛にも耐えることができたのだと理解している。
……だからこそ自分の運命も受け入れることができたのだ。
そう遠くない将来、完全に人間でなくなることを。
人類の敵、もしくは『神』として永久に生きる事になることを。
全てを奪った宇宙からの略奪者に下るつもりは端から無かった。
彼の脳と心と、身体を蝕む指令にも必死で抗った。
けれど、正直に言えば彼女のように地球や人々を守りたいという積極的な思いも彼にはなかった。
奴らに一泡吹かせる為ならなんでもしただろうけれど。
彼らは故郷も、家族も同胞も全てを失っていたから、今更見知らぬ者の為に命を張ろうという気にはなれなかった。
『神』として人を支配する道では無く『精霊神』として人々を導く道を選んだのは彼女との約束があったからにすぎない。
「子ども達をお願い。みんなが、幸せに生きられる世界を、未来を……護って」
今も、人としての肉体を失いデータと能力だけの存在になったとしても忘れえぬ存在。
ただ一人の淑女。
北村真理香。
最期の瞬間まで、子どもを、人を愛し導く保育士であった女性。
自分が認めたたった一人の『先生』との約束があったから、彼女の願いと生きた証を失いたくなかったから。自分は地球を旅立ち、永劫にも近い時の果て、この地で今も『精霊神』などをやっているのだ。
無論、永く面倒を見続けていれば子ども達にも大地にも愛着は湧く。
人の身体を得て『聖なる乙女』と出会い、子を成して。
その子孫達も愛しく思っている。
考え方も色々変わって『神』っぽくなっているのだろうけれど。
けれど、やはり少年にとって初恋の女性は特別なのだ。
真理香先生を女として見て自分のものにしたい。
欲しいと思ったことは無いと言えば嘘になる。
母程、ではないか。兄と同じくらいの年上で大人の女性。
子どもすぎる自分は特に絶対に選ばれないと解っていても、彼女を抱いた『兄』に恨みめいた思いも抱いたりもした。
彼女と特に関係が深かったくせに甘えたことをいう『第二世代』にも腹が立ったし。
自分に彼の力が有ればもっと、彼女の助けになってやれたのにという気持ちさえある。
だから、この子と最初に出会った時、本気で欲しいと思った。
自分の花嫁に。
『ありがとう! 待っていたよ。マリカ! 僕の『乙女』!』
『僕が『精霊神』として地上に降臨すればマリカは本当に僕の『聖なる乙女』になってもらうと思うけど』
冗談めかした言葉に隠したけれど、あの時は『神の子ども』であるリオンには渡したくないと本気で思いさえしたのだ。
全力で拒否られたし、アーレリオスにも折に触れ注意され、釘を指され諦めているけれど。
成長する度に彼女そっくりになっていくマリカへの思いは募る一方。
あの人の唯一の忘れ形見 マリカ。
けれど、皆ももう気付いている事だろう。
彼女の中には宇宙からの侵略者が残した、最後の爆弾が眠っている。
加えて自分達が長い年月の間、拗らせてしまった思いの悪影響を一身に背負わされて。
少女は最初から、大人の意識をインストールされ子どもであること、自分であることを許されなかった。
今日の祭りでも感じたけれど『自分』が幸せになることを彼女はまったく考慮に入れていない。
子ども達を幸せにすることを望み、それに準じた『北村真理香』の個性が強すぎるせいだろう。
少しでも遅らせたいと願ったけれど、子どもらしい幸せな思い出を作って欲しいと願っているけれど。
きっと、もう秒読みだ。
その時が来たら、彼女は躊躇いなく決断してしまうだろう。
「僕は、サイテーだな」
マリカを自分と同じモノにしたくない、と本心から思いつつ。
彼女が自分と同じ世界に生きてくれることを、心の何処かで喜んでいる自分もいる。
花嫁にするのは無理だとしても、彼女が仲間として、兄弟として、妹として、永劫の日々を一緒に過ごしてくれたらどんなに幸せだろうと思って、その時を心待ちにしてしまう自分がいるのが情けなくも許せなかった。
そもそも、彼女が最終的に本当に自分達と同じモノになるのかどうかもまだ解らない。
彼女の中の『ソレ』が目覚めたらどうなるのか。『精霊神』にさえも解らないのだ。
昏い、囚われたら引き込まれてしまいそうな泥沼の思いを振り払い、精霊獣は彼女の枕元に飛び乗ると
「でもね、マリカ。みんなが君を愛している」
湿ったその鼻先を額に、そして唇にちょんと付けた。
兄が愛する妹を励ますように。
遠い昔、今はもう顔も名前も思い出せなくなってしまった妹にしたように。
分かっている。
彼女は真理香先生ではない。
植物の緑が同じように見えて全て違うように。
同じ色を持つ別人だ。
けれど彼が愛したあの人。その輝きと同じ眩しさを少女は持っている。人を魅了して止まない強さと暖かさと優しさも。
「君の為なら、君の幸せを守る為に、全力を尽くしてくれるだろう。
今日の祭りがその証明だ」
聞こえていなくてもいい。正面切って話すつもりは無い。
「僕も約束するよ。全力を尽くす。
君が望んだ道を歩めるように。例えそれがオリジンに逆らうことになっても、この身を失うことなろうとも。
神の遣いと、精霊神の名に賭けて」
過去も、決意も、彼女への思いも誰にも伝えるつもりのない自分だけのもの。
そうして誰にも聞こえない約束を残し、精霊獣は部屋から消えた。
春風に消える淡雪のように。
それは、誰も知る事の無い精霊の秘め事。
かつて少年だった『神』の。
小さくて大きな約束の夜。
その内緒話である。




