魔王城 四人の誓い
初めて『死んだ』人を見たのは、いつだったろうか。
『死』を意識したのは、いつだったろうか。
呼ばれて参列したご葬儀で、動かないご遺体に手を合わせたことは何度かあった。
けれど、『知っている人』の死を、真正面から意識したのは――あの時だったように思う。
同僚だった、彼。
若くして亡くなった、あの男性保育士の葬儀の時だ。
同じ2歳児クラスの担任で、園でただ一人の男性保育士として、色々と言われながらも、彼は毎日、必死に頑張っていた。
20人の1割までは増やしても大丈夫、というよく分からない『基準』によって、22人を一人で見ていた彼は、さらに臨時保育も受け入れて、最終的には24人の2歳児を一人で見ていた。
そしてある日、突然、帰らぬ人になった。
家での心臓麻痺。
積み重なった山のような保育準備や、発表会の衣装作り。
書きかけの保育計画や個票の束。
後に『過労死』と認定がおりたと聞いた。
まだ就職3年目で、若かった。
特別仲が良かったわけではなかったけれど――
やりたいことも、きっとたくさんあっただろうに、それでも頑張り続けた彼の死を、私は確かに悲しく思った。
死にたい、と考えたことはあった。たくさん。
でも、それを選ばなかったのは、あの彼のことが、どこかで影響しているのだろうと思っている。
……あの、命を失い、ただの『物』になってしまった白い手は忘れられない。
忘れたつもりでいても、忘れてなんていなかったのだと、さっき思い知らされたばかりだ。
気が付いた時、私の身体は寝台の上にあった。
見覚えのある天蓋付きのベッド。
前に倒れた時、『私』が最初に目覚めた場所だ。
「お気付きになられましたか?」
「エルフィリーネ……」
あの時と違うのは、側にいたのがアルではなく、エルフィリーネだったこと。
「あ、私……」
「リオン様達と共に探索に出られた先で、意識を失われたそうです。覚えておいでですか?」
エルフィリーネの言葉で、私は『思い出した』。
あの――。
「うっ……」
胸元までこみ上げてきた吐き気を、私は必死で押さえ込む。
エルフィリーネはそっと背中を撫でてくれた。
そのおかげで、なんとか呑み込むことができた。
吐き気も、自分の甘さも。
「もしよろしければ、お茶などいかがでしょうか?
お心を休められた方がよろしいかと存じます」
「あ、ありがとう」
「今、準備してまいりますので、失礼いたします」
きっと、気を使ってくれたのだろう。
エルフィリーネが部屋を出てくれたことで、私は大きく息を吐き、自分の状況を整理する時間を得ることができた。
そうだ。
私はリオン達と一緒に外へ行き、そこで魔王城の『現実』を見せられたのだ。
不老不死の人間達が、永遠にも似た日々を生きるこの世界で、ただ一つ存在する『死』を。
この魔王城のある島でだけ、不老不死の人間は死ねるのだという。
あまりに平和で、あまりに守られた魔王城の中の暮らしに、私はうっかり忘れていた。
ここも、やはり『人が生きて、死ぬ世界』なのだということを。
深呼吸をして、考える。
――何故、人が魔王城に寄り付かないのかは理解できた。
不死に慣れきった者達にとって、本当の『死』は、きっと想像を絶する恐怖だろう。
けれど同時に、この世界にも、自らの『死』を望む人間がいるということを、あの光景は私に教えてくれた。
不老不死は、本当に人に永遠の幸福をもたらすのだろうか。
「お待たせしました。お口に合うかどうか分かりませんが……どうぞ」
戻ってきたエルフィリーネは、優雅で慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。
差し出されたカップの中では、紅色の液体が柔らかな湯気をたてている。
この世界にも紅茶があるんだなあ――などと、場違いなことを思いながら、そっとカップを持ち上げ、口に含む。
私の知っている紅茶そのものではないけれど、どこか似た、優しい香りと味わいがした。
「ありがとう。……なんだか、気持ちがホッとする」
「それは光栄にございます」
カップを置いた私の言葉に、エルフィリーネは穏やかに微笑んだ。
「リオン様達が、落ち着いたら謝りに来たいと仰っていました。
今は子ども達を見てくださっています。
お受けしてもよろしいですか?」
そう教えられて、私は二人の顔を思い浮かべる。
私が意識を失ったことに、きっと責任を感じているのだろう。
「謝る必要なんてないのに。
後で、私がみんなのところに戻るから、待っててって伝えてくれる?」
「承知いたしました」
空になったカップを受け取り、片付けようとするエルフィリーネを、
「エルフィリーネ」
「何でしょう」
私は呼び止めた。
「エルフィリーネは知ってたんだよね。
この島で、人が『死ねる』こと」
今思えば、探索に出る前に、リオンとフェイが交わした会話は、あのことを指していたのだと分かる。
「主の死後、神々が世界に呪いをかけました。
ですが、この大地には主のお力が強く働いていたため、呪いもかからなかったのでしょう。
愚かではあると思いますが、神々の呪いを受けた者達が、それでも救いを求めこの地を訪れるなら、それを退けることは主の思いに反すると私は考えております。
私はあくまでこの城を護る者。島全てにまでは手が及びませぬ故」
家の中を、最後の場所に選ばなかった者達の亡骸は、獣や魔獣によって、緩やかに朽ちていくのだという。
城下町の家の中で死んだ者達は、長く野ざらしのままだったが、リオン達が来るようになってからは、かなり埋葬された、と。
「呪い……。
エルフィリーネは、やっぱり不老不死を『呪い』だって言うの?」
以前にも彼女は言っていた。
神の呪いを受けた者を、城には入れない、と。
「祝福だと、お思いになりますか?」
私の問いに、エルフィリーネは問いを返す。
そして私は、その問いにすぐ答えを返すことができなかった。
「……分からない」
私だって、死にたいと思ったことはある。
仕事で悩んでいた時。人間関係で苦しんでいた時。何度も。
でも、『死んだら終わり』だ。
何もできなくなる。
そう考えたら、死を選ぶことはできなかった。
今だって、死ぬのは怖い。
大分遠くなってしまったけれど、いつ死ぬか分からなかった厩で暮らしたこの世界の『マリカ』の時代。
毎日いつ、自分が死ぬか、全てが終わってしまうか――
怯え続けていた時間を、私はまだ覚えている。
あの恐怖から解放され、ようやく『生きている実感』を得て、やりがいのある仕事と、自分の役割を見つけられたのだ。
今の私は、『死にたくない』と心から思っている。
「まだこの世界のこと、何も分かっていないし。自分が死んだら、みんなは……って思うと、死にたくないと思う。
でも、不老不死が欲しいかって言われたら――」
すぐには言葉にできない。
私は、向こうの世界で生きてきた記憶と同じくらい、この世界で、不老不死の人間達が、『それを持たない子ども』をどんなふうに扱い、虐げてきたかを覚えている。
もし自分も不老不死を得たら、考え方が変わってしまうのだろうか。
子どもなんかどうでもいい、と切り捨てて、自分の生だけを楽しむようになってしまうのだろうか。
「それで、今はよろしいのではないでしょうか?
私は神々が嫌い、というか宿敵でございますので、もし主が神の呪いをお受けになるのであれば、お暇を頂きます。
ですが、『死』を恐れる『人』の気持ちも、分からぬではございません。
お止めはいたしません。その選択を尊重いたします」
正しく、不老不死に近い存在であろう精霊の言葉に、私は少し驚いた。
「エルフィリーネも、『死』が怖いの?」
「死、と申しましょうか。『別れ』が、あまり好きではございません。
私は主や『人』と共にあることこそが喜び。
人に使われ、必要とされてこその守護精霊でございますれば」
……『人が使わなければ、城はただの箱』。
彼女が前にもそう言っていたことを、私は思い出す。
「不老不死については、もう少し考える。
どっちにしろ今はまだ、どうしたら不老不死になれるのかも分かってないし。
もっともっと、知らなくちゃいけない」
まだ、私はこの世界のことを何も知らない。
魔王城以外の場所も、地理も、世界の仕組みも。
それを知るための文字すら、ろくに読めない。
このままでは、子ども達を守ることもできない。
もっと勉強して、この世界について、色々なことを知って――
『不老不死』について結論を出すのは、それからでも遅くないだろう。
「主のお望みは、なんですか?」
守護精霊の問いかけに、私は顔を上げた。
私の望みは、もう決まっている。
「子ども達の笑顔」
子ども達が笑って生きられる世界を、取り戻したい。
まずやるべきは、みんなで生きること。
そして、子ども達が安心して生きられる場所を作り、守り、育てることだろう。
「助けてくれる? エルフィリーネ」
「喜んで。我が主」
エルフィリーネが跪いて差し出した手を、私は握り返す。
血の流れない冷たい手。
それでも、かすかに感じるぬくもりは、彼女の思いと優しさだと、私は感じた。
大きく深呼吸をして、部屋の外へ出る。
「大丈夫か? マリカ?」
やっぱり、リオンとフェイがすぐに駆け寄ってきた。
アルもいる。
私を心配して、待っていてくれたのだろう。
「すまない! あれは女の子に見せるものじゃなかった」
「僕達は、本当に君に甘えていました。もっと先に、ちゃんと話すべきだったんです」
深く頭を下げる二人に、私は慌てて首を振った。
「ううん、いいの。
私こそ、ごめんなさい。この世界の現実をちゃんと見ていなかった。
辛いことや、厳しいことを、ずっと二人に押し付けていたんだね」
逆に二人に謝りながら、背伸びして両腕を伸ばし、ぎゅっと抱きしめる。
「マリカ?」
「ありがとう……ずっと、守っていてくれて」
静かで、暖かくて、誰にも邪魔されない安らかな場所は、この魔王城の中だけ。
外に出れば、厳しい現実がある――それを、私はいつの間にか忘れかけていた。
二人は、きっとずっと守っていてくれたのだ。
私を。みんなを。
「私、ちゃんと見るから。現実を。
でないと、子ども達を、みんなを助けられないもの。
みんなを、子ども達を守る。
そのために、きっとマリカは『私』になったの」
「マリカ……」
「君は……」
真っ直ぐに顔を上げた私を、二人が見つめる。
それは、私が最初に『異世界での記憶を持っている』と告げた時と同じ。
疑いのない、信頼と優しさのこもった眼差しだった。
「私は、もう逃げないから。
一緒に、皆で、私達の居場所を作って、守ろう。
そして、いつか世界に逆襲しようよ!
世界に、私達が生きる世界を取り戻すの!」
リオンが目を見開く。
あの日、最初の日の約束を思い出したのだろう。
手をぎゅっと握りしめると、そのまま私の身体を抱き上げた。
「ああ。頼りにしてる、マリカ」
地面に降ろされても、しっかりと握られたままの手と手。
そこに、フェイの手が重なる。
「一緒に、僕達が生きる場所を守りましょう」
アルも手を伸ばした。
「オレを仲間外れにするなよ。オレだって、みんなを守るんだ!」
あの日と同じように、四人の思いが手のひらの上で重なっていた。
小さな誓い。ささやかな約束を、胸の奥に刻む。
そんな私達を、エルフィリーネは静かに微笑みながら、そっと見守ってくれていた。




