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魔王城 異世界保育士 始めました。

 ここは異世界。――魔王城。


 異世界転生ものなんて、生前に山ほどあった。

 でも、まさか自分がそうなるなんて思ってもみなかった。


 仕事に疲れて帰ってきて、くたくたで。

 こたつに入って、持ち帰り仕事の前に、少しだけ仮眠。

 そう思って目を閉じたところで――私、北村真理香の記憶は途切れている。


 だから正直、あの世界で本当に死んだのか。

 転生なのか。夢なのか。

 いまだによく分からない。


 けれど、あの過労の職場で倒れて亡くなった同僚もいた。

 そういうことも、あるのだろうと思う。


 それでも、私は自分の仕事――

 保育士を選んだことを後悔したことはない。


 子どもが大好きで、笑顔のためならどんなに頑張っても平気。

 だいたい保育士って、そういう人の集まりだ。

 

 私もそうだと、そうであると、それだけは今も自負している。

 だからこその今がある。




「おーい、マリカ姉! はらへった~!」

「ごはんまだー?」


 足元にまとわりつく子どもたち。

 期待のまなざしが可愛いけれど、エプロンの紐を引っ張られると危ない。


「もう少しだから。手を洗って、机の準備してね」

「りょーかい!」

「わーい、ごはんだ~!」


 子どもたちが走り去る背中を見送り、笑みがこぼれる。

 すると台所の奥から声がかかった。


「お鍋、運ぶの手伝いますよ。マリカ」

「ありがとう、フェイ兄」

「今日の夕ごはんはクロトリのシチューにヤミイノシシのステーキ。グレシュールソース付き」

「やった! だいこうぶつ!」


 フェイ兄と手伝い当番の子たちと一緒に、

 カートに皿やスプーンを乗せて廊下を押していく。


 飾り立てられた大きな扉を「よいしょ」と押し開けると、

 シャンデリアの光がきらめく大広間が広がる。

 外はもう夜だけど、魔法エターナルライトの明かりが優しく灯っていた。


「ごはんだよー、ならんでー!」

「わーい!」「まってました!」


 列に並ぶのは、みんな私より小さな子たちばかり。


「マリカ姉、おてつだいするー!」

「ありがとう、エリセ。じゃあシチューをお願い」

「はーい!」

「エルフィリーネはステーキね」

「かしこまりました」


 給食時間のような賑やかさ。

 それが、たまらなく懐かしくて――嬉しい。


 みんなが席についたのを見て、私は声をかける。


「それじゃあ、手を合わせて」

「おいしいごはん、いただきます」

「「「いただきます!」」」


 ――ここは元・魔王城。

 私はこの異世界で、保育士を始めました。



 夕食を終え、風呂を済ませ、寝かしつけるまでに

 すっかり夜は更けていた。

 読み聞かせの本を閉じながら、私は小さく息をつく。


『かつて、世界は強大な力を持つ魔王によって闇に包まれました。

 異世界からやってきたという魔王は、その世界を作った神々より強く世界の秩序は崩れ、闇に呑まれる一歩手前まで進んだのです。




 それを救ったのは貧民生まれの一人の勇者でした。

 仲間達と共に苦悩の果て、魔王を倒した勇者は神に、一つだけ願いを叶えると約束されこう願いました。


「世界中の人々が死の苦痛から解放され、永遠に幸せに暮らせますように」


 それは、大きすぎるねがい。


 自らの命と引き換えならそれを叶えると言われた勇者は、躊躇わず神に命を捧げました。


 それでも足らないと、知ると勇者の仲間達も彼と運命を共にしました。

 私は「聖典」を撫でながらため息をつく。


 自分が読んで聞かせながらもキレイで……そして酷い話だと思う。


 命を捧げた勇者の願いによって、

 世界は「死のない平和」を得たという。


 けれど、私は思う。

 死の無い世界。

 この世界は――平和とは程遠い。

 むしろ、地獄に近いと。


 私がこの世界で目を覚ましたのは、二年前。

 真っ暗な『魔王城』の中で、だった。


_____


「えっ……ここどこ?」


 最初の感覚は、熱。

 全身が重く、鉛のように動かない。


 家のこたつで目覚めるはずだった。

 でも、目に映ったのは金の装飾が施された天井。

 息苦しさと痛みに、かすれた声が漏れる。


「ん? 目が覚めたのか?」


 側にいた影がゆっくりと近づき、私を覗き込む。


「マリカ……オレが分かるか?」


 金の髪に、緑の瞳。

 知らない顔なのに、なぜか懐かしい。

 胸の奥が温かくなった。


「アル……兄?」

「お、お前……しゃべれたのか!? 待ってろ、フェイ兄とリオン兄呼んでくる!」


 小さな足音が駆けていく。

 すぐに銀髪と黒髪の少年を連れて戻ってきた。


「マリカ。俺だ、リオンだぞ」

「熱も下がってるようですね。僕はフェイ。覚えていますか?」


 額に触れる手。

 黒曜石のような瞳が心配そうにのぞきこむ。

 優しく撫でる銀髪の少年。

 二人とも十歳前後だろう。

 見知らぬはずなのに、自然と口が動いた。


「リオン兄……フェイ兄……」


 少しの会話のあと、頭の中で何かが弾けた。

 思い出した。

『私』が誰なのか。


 この世界のこと。

 そして――みんなのこと。


「! みんなは? 何してるの?」

「? 向こうで遊んでるだろ?」

「お兄達がここにいるなら、誰が見てるの?!」

「見るやつなんか……いないよ。

 解ってる?だろ」


 アルの言葉に、胸がざわめいた。

 私は反射的にベッドを飛び出していた。


「マリカ! 待て! お前、病み上がり!」

「大丈夫。思い出したの。今、やらなきゃいけないことを!」



 走って走って走って。

 大きな扉を開けた瞬間、鼻を突く匂い。

 むわりと、湿った空気がまとわりつく。


 汚物にまみれた床。

 表情を失った子どもたちが、冷たい床に転がっていた。


「……ダメだ。こんなの、絶対に我慢できない」


 袖をまくり上げ、ポケットの汚れた布で髪を結ぶ。


「リオ兄、フェイ兄、アル兄! 水場はどこ? 手伝って!」

「おい、マリカ。何を――」

「大掃除、するの!!」


 水を入れる器を探して走り回り、小さな花瓶を見つけた。

 扉を開けると、外には森の風が吹き抜ける。


「まて! マリカ! 外は危ない!」

「水を汲んでくる! 子どもたちを洗うの!」

「だったら俺が行く! お前はここにいろ!」

「イヤ! 一緒に行こう。私も覚えたいの!」


 しばらく睨み合い――リオンがため息をついた。


「……仕方ない。行くぞ。手伝ってやる」


 ◆森の中で


 三人で門を抜け、森を進む。

 木々の隙間から差し込む光。

 その奥に、清らかな流れが見えた。


「ほら、そこだ」


「やった、キレイな水!」


 思わず駆け出した――その瞬間。


「マリカ、待っ――!」


 フェイの声が響いたと同時に、

 草むらを裂いて黒い影が飛び出してきた。

 巨大なイノシシだ。


 まるでトラックのような速さ。

 避ける暇もなく、私は息を呑んだ。


 ――あ、死ぬ。


 そう思った瞬間、

 ガチンッ! と何かがぶつかる音。


 目の前に、黒い影。

 小さいのに、大きく見える背中。


「リオン兄!」


 彼は片腕で私を庇いながら、

 もう片方の手で迫る獣を睨みつけていた。


「……邪魔だ……どっかに行けっ!!」


 叫びと同時に、何かがはじけた。

 イノシシは怯えたように方向を変え、森の奥へ消えていく。


「バカ! 突っ走るな! この森は危ねぇんだぞ!」

 怒鳴るリオンの声が震えていた。

 私はその時になってようやく、血の匂いに気づいた。


「リオン、血が出てる!」

「ああ、こんなの擦り傷だ。唾でもつけとけば――」

「ダメ! 座って! そのナイフ貸して!」


 彼の手からナイフを取り、服の裾を裂く。

 水で濡らした布を絞り、傷口を拭く。


「……ずいぶん手慣れてるな」

「私は保育士だからね」

「ホイクシ?」


 フェイが駆け寄ってきたが、私は手を止めなかった。

 この世界に薬がある保証なんてない。

 だからせめて――清潔に、丁寧に。


 傷の手当を終えた頃、震えがきた。

 恐怖。

 ほんの数分前の死の気配が、遅れて全身を包む。


 リオンが気づいて、そっと顔を覗き込む。

 フェイも心配そうに寄り添う。


「大丈夫か?」

「怖くなかった?」


 怖かった。泣きたかった。

 でも――泣けなかった。


 彼らも子どもなのだ。

 子どもたちに、心配なんてさせられない。


「うん、大丈夫。

 私は保育士。みんなを守るんだから」


 小さな手が震えるのを、自分で握りしめる。

 私は――この子たちを守る。

 それだけは、絶対に譲れない。


 北村真理香、二十五歳。

 異世界で、保育士を始めます。


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― 新着の感想 ―
ほんの数分前の死の気配が、遅れて全身を包む。 ↑ここリアルだね。アドレナリンが切れて改めて恐怖してるって感じ。
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