第二十一話 亡霊の森
「何で誰もいないんだよっ!」
焦ったようにキフェルがいい放つ。
まるで想定外であるかのようにその視線は馬車の中をさまよう。
「……取り敢えず進もう。ここは街道。このまままっすぐ行けば町がある」
ヴェーゼンが言った。
その、目は馬車から興味をなくしたのか、街道に向いていたが。
「それで?本当にこの先に町があるのか。灯り一つも見えないが」
キフェルが何も言わないことをいいことにヴェーゼンは続ける。
――あるいは、気づいていたのかもしれない。
ザッザッザッザッザ
――慣れていただけでその耳のどこかには
ザッザッザッザッザ ガサッガサッ
――その頭のどこかには、恐怖というものがあったのかもしれない
「っ⁉」
キフェルは振り返る。
ほど近い茂みから音がしたから。
背後から松明が煌々と照らされていたから。
「うぅー。あー。」
うめき声をあげながら列を作って進む人々。
その目は焦点も合っておらず、一層不気味だった。
「ひっ」
喉の奥から絞り出されるように出てきた声。
キフェルは目を見開く。
指先は震える。
「……違うじゃねぇか」
小さくつぶやく。
足は重いとは裏腹に少しずつ後ずさっては馬車にぶつかる。
腰が抜けたかのようにキフェルは地べたに座り込む。
「心身喪失じゃねえじゃねえか」
吐き捨てるように、けれどそこには動揺という名の感情が見えた。
まるで死者のような生者は茂みを踏みつぶす。
足が枝で切れることも気にせず。
「あ…」
取り繕っていた仮面ははがれて、キフェルは震える指をさす。
足は真っ赤だった。
まるで、真っ赤な靴のように痛がる様子もなく。
「――キフェル下がれ」
ため息をつきつつヴェーゼンはキフェルと――リビングロストとでも呼ぼうか、の間に入った。
キフェルにはその黒外套が頼もしく見えた。
「だが…」
「足手まといだ。こんなので腰抜かす奴と戦えるわけがない」
ヴェーゼンは有無を言わせぬようにそういうと、
「ま、逃げる時間ぐらいは稼ぐ」
強敵であること、それ以前にキフェルは人殺しというものを好ましくは思わない。
罪に問われるし、指名手配になる割に得るものが少ない。
「……わかった。俺様も戦う。俺様だけ逃げても元も子もないからな」
肌を刺すような魔力が一体に立ち込める。
ヴェーゼンの放ったものだった。
威圧という効果だけならこれが一番適任だ。
「おいおい、本気で人間やめてんのかよ」
キフェルはげんなりしたように言う。
いつも通りの軽口だが冷や汗が背中を伝う。
怯む様子もなくまるで何事もなかったかのようにリビングロストは動き出す。
「そうだ。全く哀れなものだ」
ふっと、場の空気が寒くなる。
聞いたことのない声が頭上から降ってくる。
「誰?」
キフェルが振り返る。
誰もいない。けれど声は確かにあった。
「上だよ。上」
不気味に、ガラガラの声が響く。
その声の主の姿は本人曰く長く生きているキフェルにも全く予想がつかない。
だからこそ躊躇した。
好奇心よりも恐怖が勝ってしまった。
「あれ?聞こえてないのかなぁ」
そんな少しだけヴェーゼンを思わせる気の抜けた声が頭の上から聞こえた。
次の瞬間、視界の端からヌッと声の主が現れる。
「……マジで誰だお前」
キフェルは呆れたように言う。
恐怖より先に呆れが来た。
そう、キフェルはその姿に似通った種族も見たこともなかったのだ。
「そうだねぇ。僕はリッチィと呼ばれる悪霊だって誰かに言われたね。
誰だかは覚えてないけど」
そう楽しそうに言ってカラカラと笑った。
比喩ではなく、物理的にそうカタカタと音が鳴ったのだ。
めまいがするような白い体。
半ば透き通った骨に申し訳程度にぼろぼろのローブを羽織っていた。
おちくぼんだ眼窩には暗闇が映し出されていた。
「っと、そんなっことよりこれをどうにかしないとね」
そう、確かに目の前にはリビングロストたちがいたはずなのだ。
ガリガリ ゲシゲシ
「これなんだ?」
目の前にはいや、少しだけ離れたところでリビングロストたちは確かに立っていた。
しかし、こちらに来ることはなくただ愚鈍にまるでそこに壁があるかのように虚空をたたいていた。
「うーん。アンデットっていうのは上位のアンデットには近づけないって言ったらわかるかな」
その説明は端的でありながらキフェルとヴェーゼンを納得させるのには十分だった。
ヴェーゼンはそのリッチィの様子をうかがいながら恐々腰を下ろす。
「それで?お前はこの状況を説明できるのか?」
虚空をたたき蹴るリビングロストの大群に興味なさげに問いを投げる。
リッチィは少しだけ考えた後ローブの中から小さな箱を取り出した。
「じゃーん。ここにはたぶん君たちの知りたいことが全部入ってるよ」
そう、その仕掛け箱をキフェルに手渡した。
キフェルは目を白黒させながらもその箱をカバンの中にしまい込む。
「ちなみにそれ、僕が生きてた時の呪いの小箱ね」
ガッシャーン
キフェルはすぐさま叩き壊す。
呪いの怖さはなぜだか知っていた。
「……冗談だよ」
少しだけいじけたようにリッチィは言う。
「それより、早く逃げな。僕はオルデン。この呪いの森の亡霊さ」
悲しそうにそれでいて楽しそうに彼は言った。




