第二十話 リビング・ロスト
ザッザッザッザ
一定間隔で背後から足音がなる。
草をかき分ける。音が静寂の中に響き渡る。
走ることはない。けれど決して止まらない。
「キフェル。どうして逃げるんだ。立ち向かうか、助けるかするのがいいだろ」
ヴェーゼンは少しだけ悲しそうに言う。
「これじゃあ僕たちの方が悪役みたいじゃないか」
続けて魔力持ちへの風評被害を盾にするがキフェルは吐き捨てる。
まるでそれが夢見事かのように。
「殺人はいかなる理由があろうと銃殺刑。これだけの人数じゃ打ち漏らしが出る。
俺様は殺人者にはなりたくないんでね」
統率の取れた暗殺者や盗賊は脅威だ。
しかし、それ以上に数というのは純粋な暴力だ。
「にしたって、このまま逃げきれるわけないだろ。どっかに立てこもるか街にでも逃げ込まないと」
全速力で走る必要性自体はない。
向こうだってまるで、動く死体であるかのようにゆっくりと歩いているだけだから。
しかし、怖いのは道に迷うことだ。
間違ってUターンでもしたらそれこそ一巻の終わりだ。
「そこは考えてある。このまま街道に出れば町に着く。そこまで行ければ何とかなると思う」
「で?その街道ってのはどこにあるんだよ」
ヴェーゼンは至極当然のことを聞く。
自らがどこにいるかすらわからない状態でその上無一文で街道がどこかなんてわかりようがない。
「は?俺様も知らねぇよ」
それはキフェルも同じようだった。
「とりあえず朝まで逃げるぞ。こんな暗闇だといつ転ぶかわからないからな」
夜の森ということもあって視界はすこぶる悪い。
後ろから松明が照らされているからか全く見えないわけではないがいかんせん障害物が多い。
木の根にしろ、誰かの遺品にしろ、土と同化して見にくい。
――そこから、実に静かな逃走劇が始まった。
「はぁ、はぁ、連中との距離はどれぐらいだ?」
キフェルは立ち止まる。全力疾走ではない。
それでも、逃走開始から既に四時間は経った。夜が明ける気配はない。
唯一幸運だったのは走り続けているせいで寒さをあまり感じないことだった。
「あとざっと五十メートル」
ヴェーゼンは遠くに光る松明の光から計算する。
あれのおかげでどこにいるかどうかはすぐにわかる。
一歩踏み出すごとに釘を踏み抜くかのような痛みが足を襲う。
それでも止まるわけにはいかなかった。
今度こそ、真の意味で丸腰の無一文になってしまうから。
「ここに落ちてきたのが四時ぐらいだったから…八時⁉か?」
キフェルは計算しながら驚きを口にする。
冬の夜は長い。あまりにも長すぎた。
「なぁ、キフェル。なんであいつら僕たちがどれだけ離れても追ってくるんだ?」
ヴェーゼンが疑問を口にする。
寝落ちしないためのくだらなくて中身のないものだ。
しかし、キフェルもそれは気になっていた。
「これはあくまで俺様の推察だ。間に受けるな。だが、おそらく奴らはいわゆる心身喪失状態だ」
キフェルはそう顎に手を添えながらいう。
「衝撃が強すぎて心が受け止められないとき一時的に忘れてあるいは痛みを鈍くして壊れないように補うんだ。だから奴らはずっと追ってこられる。だが、なんで。何故離れてても追ってくるんだ?」
ガサッガサッ
後ろの草はすべて踏みつぶされ更地にされる。
危険な毒草も、踏めば胞子で意識不明に陥るキノコも。
等しく、なかったことに。
「おい、キフェル。走れ!街道。馬車通ってるの見えたぞ」
思考の海に落ちていくキフェルをヴェーゼンが現実に引き戻す。
それはないかのように思われた希望の吉報だった。
「あ、ちょ、待てっつってるだろ」
駆け出すヴェーゼンにキフェルも一拍遅れて走り出す。
足は痛むが千載一遇のチャンスだ。
地図をもらえればいい。馬車に乗せてもらえれば上々だ。
ガラッ ガラッ
ゆっくりと、けれど着実に馬の蹄がカポカポと音をならす。
「すみません!あの、地図とか持ってませんか?」
一足先にたどり着いたヴェーゼンが少しだけ嬉しそうに馬車の窓をのぞき込む。
「待てつってんだろ?」
キフェルも少し遅れて窓をのぞき込む。
木製の窓枠にはカーテンもガラスもつけられておらず覗くのは容易だった。
――疲れていたのだろうか。
こんな蛮族じみた連中のはびこる地で窓のあいたごくごく普通の馬車が一晩近く耐えられると、
本気で思っていた自分を殴りたいとキフェルは思う。
「……は?」
出てきたのは、怒りでも悲しみでも弔いの言葉でもなくただその呆然としたような腑抜けた声だけだった。
人なんていなかった。染みがあったわけでも、凶器があったわけでもない。
ただ、人と積み荷だけが忽然と消えていたのだ。
燃やされた形跡もなければ誰かが攻め落としたような傷すらもない。
まるで、この馬車の主が望んで降りたかのような。
そんな理解しえない不気味さがあった。
「なんで、馬車動いてんだよ…」
普通人が下りるなら馬を止める。
積み荷まで降ろすとなればなおさらだ。
しかし、馬はまるでまだ人が乗っているかのように街道に沿ってカポカポと足を進めていた。
「…どうして」
二言目に出てきたのはそれだった。




