3)ゴシップ誌
ダルシア帝国はさすが大国だった。
精霊樹はそばに行くだけで魂の穢れが消えていく心地になるほど素晴らしい神木だ。
ウェヌスは、他の治癒術科の学生たちと精霊樹のおそばに行くことを許されただけで留学は正解だったと思った。
ウェヌスがご神木に見惚れていると、カサリと枯れ草を踏む足音がした。
「そろそろ集合ですよ」
ガゼル伯爵家の子息バレリスが声をかけてくれた。
彼はウェヌスと同じ班のリーダーだ。
「ごめんなさい。いつの間にか時間が過ぎていたのね」
ウェヌスは慌てて彼の方へ駆け寄った。
バレリスは端正で優しげな顔を微笑ませた。
「いえ、まだ大丈夫。でもここから集合場所まで少し距離があるからね」
「そうね。うっかりしてたわ」
並んで歩きながら時折、ウェヌスの足下を見て手を差し伸べてくれる。バレリスは姿の通りに優しい。
ここで親しくなった友人たちからの情報によるとバレリスはまだ婚約者がいないらしい。幼いころから決まっていた婚約者の令嬢が、第八皇子の目に留まって婚約がなくなったからだ。一年前のことだと言う。
彼の領地は首都から騎馬で五日の距離と話していた。そのくらいの領地が丁度良い。それに彼は優しい人だ。
ウェヌスは公爵令嬢で、彼は大国の伯爵子息だ。家柄的にはそう悪くはないだろう。
ただ、ウェヌスは王子妃としての教育を受けてしまった。そう簡単に外国に嫁げない。
ウェヌスは「私、なにを考えてるのかしら」と、我に返った。
まだラズヴェル王子との婚約がなくなったわけでもない。なにも終わっていないのに、夢を見ている。馬鹿だ。
重いため息が出る。
原因はわかっている。さすがに不安なのだ。婚約がなくなることが。だからつい次を探してしまう。
自分にも他人にも厳しいラズヴェル王子との交際に疲れてしまい、家格は低くても優しい人と結婚できたら、と考えたこともあった。その望みは波のように寄せては引き、現れては消えた。
もう何年も前のことだ。
そんな古い記憶が蘇り、余計に辛くなった。
精霊樹の森への校外授業も終わり、浮かれた余韻が残るいつもの昼食時。
ウェヌスはこちらで親しくなった友人たちに婚約者のことを尋ねられ、答えた。
「まぁ、一応、婚約者はいますわ」と。
「一応って? 要するに婚約者はいるということでしょう?」
さらに尋ねられ、ウェヌスは苦笑した。
「私の国には、大雑把に分けて二つの婚約があるんですわ。取り消しに出来ない婚約と、出来る婚約と」
「それは、どういうこと?」
皆は、興味津々と言う顔だ。
「神殿が認める婚約は、取りやめに出来ない婚約ですわ。取りやめるときには、国教の信徒であることを双方の家ごと辞めなければならないんですの。事実上、貴族なら取りやめは不可能ですわね。あとは、ただ普通の婚約ですわ。取りやめ出来ないように契約することもできますけれど、基本的に解消はできますでしょ」
「なるほど。でも、取りやめ出来ない婚約なんて、する人はいますの?」
「もちろんいますわ。条件があるんですけどね。まず、互いに十六歳以上であること。これは絶対ね。あと、互いにとても好き合っていること。精霊石で真偽鑑定をしながら愛を誓えないと神殿での婚約は出来ないんですの。でも、それでも神殿で婚約を誓う婚約者たちはけっこういるのよ。王族でも珍しくはないわ」
「でもウェヌスは、取りやめが出来る婚約というわけね」
確かめるように問われ、ウェヌスはにこりと頷いた。
「ええ、無理ですもの」
と、正直に答えてしまった。
のちに、この話が外に漏れるだなんて、ウェヌスはこのときあまり考えていなかった。
留学して二か月が過ぎるころ。
夏季休暇となった。
ウェヌスは短期留学を伸ばした。夏季休暇明けからも留学を許可してもらった。
帝国と王国の長期休暇は同じで、ウェヌスの元にマレーネとジーナが遊びに来た。
ウェヌスは実家には帰らないと言ってあった。
親戚の家が帝国にあり、帝国では休暇中も面白そうな展示会や講演、夏の祭りがあるので帰らないことにした。
実家の母からも「こちらはゴタついているから帰らない方がいいわ」と返答があった。
ゴタついている内容については書いてなかった。
母の手紙の最後に「引き際を間違わないようにね」と書いてあった。引き際とは、「どれのこと」だろうか。「ゴタついている」ことがわからないと、どれのことかわからないではないか。
それについてはマレーネたちが教えてくれた。
「えぇ? ゴシップ誌に載った?」
ウェヌスは行儀悪く声を上げてしまった。ガチャンとカップをソーサーに置いたのも令嬢らしくなかったが、それどころではない。
「そうなのよ、これよ」
ジーナがわざわざ持ってきたゴシップ誌を見せた。
なんと、写真入りだ。顔はほんの少しだけぼやかしが入っているが誰かはおおよそわかる。
小柄な令嬢にしっかり腕を組まれて微笑んでいる令息の写真が何枚もあった。
髪や顔かたちはもろに出ているし、髪型や耳、首から体型も隠されていない。男性は三人、女性は一人。
第一王子の写真がないのは不敬罪に問われるのを雑誌社が回避したためか。
主に写真が撮られているのは一組の男女。
「これ、メリールー嬢とダグラス・ライト様よね、一番多い写真」
「まぁね、雑誌社に写真とネタを提供したのはシャロンだもの」
マレーネが肩をすくめる。
「えぇ? シャロンが?」
ウェヌスは思わずゴシップ誌から顔を上げた。
シャロンは普段は無口でとても大人しい令嬢だ。ダグラスはシャロンの婚約者だった。
「続きを読めば理由はわかるわ」
ジーナに言われて慌てて先を読む。
記事には、一人の令息が宝石店に行ってペンダントを買うところが写真に撮られていた。店内の様子を隠し撮りした写真まである。
彼が包みを渡しているところと、メリールーがそのペンダントを身につけている写真とで完結している下世話な物語みたいになっていた。
「でも、このペンダント」とウェヌスが言いかけて辞めると、マレーネが微笑んだ。
「そうなのよ、たいした品じゃないわ。だから、ちょっとインパクトに欠けるんだけれどね。でもまぁ、鼻の下伸ばして贈り物まで贈ってるところはわかりやすいわ」
「そうそう」
ジーナが笑う。苦笑気味の笑いだ。
ウェヌスがふだん学園に付けていく程度のペンダントは銀貨二十枚くらいのものが多い。
ダグラスがメリールーに贈ったペンダントは、宝石の小ささから見て、せいぜい銀貨一枚くらいではないか。玩具かと思うような品だ。
貴族令息が友人にちょっとしたプレゼントとして贈るにも安いのではないかと思った。
そんな風に考えていると、マレーネが、
「これって、銀貨一枚くらいで買える品なんじゃない?」
とウェヌスの心を読んだように言う。
「惜しいわ、大銅貨七枚ですって。石は本物だけど質は良くないらしいわ。写真をうちの執事に見せたら調べてくれたの」
「わざわざ?」
ウェヌスが思わず笑うと、「そりゃね」とジーナが肩をすくめる。
「だから、宝石の値段までは載ってなかったんだと思うわ。これは、シャロンがダグラスを糾弾して婚約破棄に持ち込みたくて雑誌社に流した写真だもの」
「なるほど。でも、それにはもっと良い品を贈って貰う必要があったみたいね」
ウェヌスは力が抜けた。
「シャロンは、本当は素敵な従兄弟が好きだったのよ。それなのにライト家からしつこく言われて婚約が決まったのに、あんな尻軽女にほいほいついて行くような真似をされたらゴシップ誌に写真くらい送るわ」
ジーナが肩をすくめ嫌そうな顔をする。
「気持ちは痛いくらいわかるけど。これで婚約はなくなりそうかしら?」
ウェヌスがつい渋い顔をした。どうも、これでは足りない気がする。こんな安物では、むしろ婚約解消を考えるとマイナスだ。
「なんとも言えないわね。両家の頑張りによるわ」
「阻止しようとする家と、破棄しようとする家の綱引きの結果ね?」
「そういうこと。ちなみに、我が家には、休み前までは毎日のようにジェイド様が詫びに来ていたわ」
ジーナがつんとして答えた。
「ふふ。毎日?」
ウェヌスは微笑ましく口角を上げた。
「人ごとじゃなくてよ? 四人共なのだから。もちろん、うちにも、シャロンの家にもね。最初のうち門前払いだったみたいだけど、懲りずに来てたわよ」
マレーネが物憂げに言う。
「婚約者の前に、学園長と副学園長も来たわよ」
「あぁ、うちもだわ」
「そうなの?」
ウェヌスがまた目を見開いた。
「そりゃね。メリールー嬢の世話を頼んだのは学園よ」
馬鹿よね、とマレーネが冷たい笑みで呟く。
「王宮からも来たわ。王室管理室と宰相補佐官がわざわざ。神殿から神官長様まで」
「なんだか、大事ね」
「まぁね。こんなことになるなら、最初から変なことを頼まなければ良かったのよ!」
マレーネが苛立たしげに吐き出し、ジーナも頷いた。
「その通りね!」
「でも、これにラズヴェル様の写真がないのはどういうことかしら。やっぱり、王家に忖度したわけ?」
ウェヌスが顔をしかめると、マレーネとジーナが揃って似たような笑みを浮かべた。
若干、うさんくさい笑みだ。
「いいえ。だって、顔と衣服をぼかせば良いんだもの。過去の事例ではそうよ。でも写真はなかった。つまり、殿下は、写真に撮られるようなことはしなかったか、少なくとも人前ではしなかった、どちらかよ」
「どちらかしらね」
ウェヌスはぼんやりと答えた。
ありがとうございました。
明日も、夜20時に投稿いたします。
明日、完結の予定です。