2)テンプレなヒロイン
半年が過ぎた。
ウェヌスたちは来月、高等部三年に進級する。
どうやら、彼らは愚かだったみたいだ。
ウェヌスはカフェで友人たちと愚痴をこぼし合っていた。
「腹立たしいわ」
可愛らしいジーナが綺麗に整えた眉をひそめた。
「ホントね。私との茶会もキャンセルばかりよ」
ウェヌスもここぞとばかりに愚痴る。
「もううんざり」
妖艶美女のマレーネが色っぽい仕草で見事な金の髪をさらりと後ろに流した。彼女が苛ついたときの癖だ。
大人しいシャロンは口を閉ざしているが不機嫌顔だ。儚げな美人はそうしているだけで絵になる。
「そうよね、約束を反故するにしても、連絡も寄越さないなんて」
ジーナが言いかけると、マレーネが「それがね」と憂い顔で口を挟んだ。
「どうしたの?」
ウェヌスはカップを置いて尋ねた。
「アロンゾの侍従が、主が遅れることを私に知らせようとしたことが幾度かあったのだけど、その度に邪魔が入ったことがわかったの」
「どういうこと?」
ジーナは思わず身を乗り出した。
「例の男爵令嬢が絡んできて知らせ損ねたことが何度か。あとは、『妙な偶然』で行き違いになったことがあったわ、それも、例の男爵令嬢絡みで」
「でも、主からの知らせを届けるのは大事なはずでしょう?」
「ええ、もちろん。でも、しつこく邪魔されて時間までに間に合わなければ、つまり知らせられなかったってことよ」
「それはそうだけど。『妙な偶然』って?」
「アロンゾの侍従がうちの侍女に伝言を伝えたわけだけど、その新入り侍女が妹に伝えてたの」
「はぁ? 大違いじゃない」
「そうよね。そうなんだけど、私はアロンゾとの待ち合わせで留守だったし、両親も仕事や用事でいないし。あの例の男爵令嬢がアロンゾの侍従に絡みながらうちに来たものだから。侍女は満足に話を聞けなかったらしいわ」
「あの女、侍従にまで粉かけてるの?」
とジーナが眉をひそめ、ウェヌスは「呆れた」と呟いた。
「そうみたい。侍従のほうは必死に避けてたらしいわ。それで、なにか伝言をうまく聞き損ねたとかで」
「それであの女絡みなのね。でも、その前の侍従が邪魔された件はあまりに侍従が無責任じゃない」
ウェヌスがそう指摘し、ジーナも「そうよね」と頷いたが、マレーネは相変わらず憂い顔だ。
「私も最初はそう思ったのだけど、侍従はあの令嬢に熱い茶をかけられて火傷したり、あの令嬢が転んでぶつかってきて一緒に転んだら足をくじいて入院したり、あの令嬢がごろつきに絡まれたのに巻き込まれて衛兵に捕まったり」
「ええ! そんな」
ウェヌスたちは流石に驚き、言葉に詰まった。
「なんだか、まるで狙ったようにひどい邪魔なのよ。あの令嬢は無傷だったというし。あんまりなので確認したら本当だったわ」
「あの子、そんなことまでするの」
「うちの件だけよ。それに、たまたま知ったの。本当だったら、確認なんかしないわ。それに、ラズヴェル殿下はお忙しそうだし、ジェイド様やダグラス様もまめに知らせる人かはわからないもの」
「いくらなんでも、そこまでしてたらアロンゾ様の侍従に絡むだけで手一杯じゃない? 他の侍従のお知らせまで邪魔しに行く余裕ないでしょ」
ウェヌスがそう言うと、ジーナも頷いた。シャロンも隣で頷いている。
マレーネには気の毒だが、あの男爵令嬢の本命はアロンゾかもしれない。
「もしも確かめて『知らせるなんて忘れてた』とか言われたら倍も腹が立ちそうだから、もういいかしら」
ジーナは考えてそう結論した。
「そうよね。ラズヴェル殿下の侍従なんて何人もいるし、皆で知らせ損ねるなんてありえないからいいわ」
ウェヌスも苛々しながら答える。
「ダグラス様もよ」
無口なシャロンは説明がいつも足りないが、要するに確認は辞めたのだろう。ダグラスはけっこういい加減な人なので、それが正解かもしれない。
「ところで、みんな、このこと家には相談した?」
ウェヌスは三人を順に見た。
「いいえ、まさか」
「言わないわ」
マレーネとジーナはそれぞれ答え、シャロンも首を振った。
「あらなぜ?」
「まぁ、だって。言うほどのことかしら」
「そうよね。馬鹿げたことよ」
「ええ、話題にするのも嫌だわ」
マレーネ、シャロン、ジーナは口々に言い訳をした。
ウェヌスはこれ見よがしにため息を吐いて見せた。
「私は母に話したわ。だって、重要な情報だもの」
「情報?」
ジーナが訝しげな顔をする。
「そうよ。あの男どもが礼儀知らずな令嬢に振り回されてるなんて話は学園のみなが知っているわ。きっと今頃、貴族の間で囁かれてることでしょうよ。それなのに、その渦中の家の者が正しい情報を知らないなんて。どこで指摘されて慌てることになるか、わからないわよ」
「それは、そうかもね」
マレーネが考え込み、ジーナとシャロンも眉間に皺を寄せている。
「彼らは婚約者なんだもの。私たちの実家が蔑ろにされているということよ。事情はうまく伝えておくべきだわ。だって、彼女が生徒会の世話を受けているのは、私たちのせいじゃないわ。学園と王宮からの要請よ。そんな中で、あの礼儀をわきまえていない女性に婚約者たちが翻弄されているのだから」
「それはそうね」
三人は納得顔で頷いた。
「これらの基本的な情報はすぐに伝えるべきよ。それから大事なのは『学園と王宮からの要請』という点を強調することよ。元々ここに無理があったのよ。あの生徒会室という密室に、思春期の男たちと一人の令嬢が何時間も一緒にいる状態を作られている。それが、王宮と学園が強いたと言うこと。どこに非があるかは明らかよ」
「わかったわ」
とジーナたちが応えた。
「それから、ここからは私たちの戦略よ」
「戦略?」
シャロンが眉をひそめた。無口な彼女だが気になるワードだったらしい。
「そう。あの男爵令嬢は腹立たしい人だわ」
「ホントね、その通りよ」
マレーネが応え、他の二人も「ええ」と同意する。
「でも、私たちは、彼女に関しては触れるべきではないわ」
「あら、どうして?」
ジーナが愛らしく首を傾げた。お顔が天使のように可愛いので首を傾げるだけで悶絶レベルに可愛い。
婚約者の男はよくもこんな可愛いジーナを蔑ろに出来たものだ。
それは他の二人も同じなのだけれど。
「あのね、女って、男が浮気すると、浮気相手の女の方を攻める生き物みたいね。でもね、そんなことをすると『嫉妬深い女』ってレッテルを貼られるでしょう。それは本意ではないわ。こんなことのために私たちの評判が落ちるなんて、絶対に許せないわ」
「それはそうね」
ジーナが頷き、
「ええ、そうだわ」
マレーネも熱心に答えた。シャロンも不機嫌顔で頷いている。
「でしょう? だからよ。あの男爵令嬢がお気に入りならお好きにどうぞ、と言う態度でいるべきだわ。彼女は放っておいていいわ。彼女の実家はさほど力もない男爵家。私たちの家が少し突いただけで傾くくらいの家なのよ。身の程知らず過ぎるわ」
「確かにそうね」
「いつでも方法はあると思っておいていいし、私たちが表に出るべきではないわ。つまり、私たちが手を汚す必要はないし、嫉妬深い女という汚名をかぶらないで欲しいの」
ウェヌスが乞うように言うと、友人たちは目を見開いていた。
ウェヌスは言葉を続けた。
「でも、私たちを苦しめたあの男どもは反省すべきだわ。そう思わなくて?」
ウェヌスが皆に視線を移すと、彼女たちは頷いた。
「では、その真実を貴族界で噂してもらいましょう。お母様たちにお願いして」
「お母様に頼むのね」
ジーナが勢い込んで身を乗り出した。
「お母様でも、叔母様でも、お姉様でも、協力してもらえるならどなたでも良いわ。すべて起きたことを説明するの。あの男たちが手玉に取られているところをしっかりとね。学園の依頼で令嬢の世話をしていることは秘密ではないわ。王宮からの依頼の部分は実家にしか話せないけれど、学園のことは言ってしまいましょう。秘密と言われてないもの」
「ええ、みんな知ってることだわ」
「その上で、彼らが密室に一人の令嬢と一緒にいるようになって、私たちの茶会や昼食の約束がすっぽかされたり、彼らが彼女のお胸を押しつけられながら腕を組んで歩くことになったと。それらを社交界中に知ってもらうのよ」
「なるほどね。それは良い手だと思うわ。私たちが落ち度があるとか、言われないで済みそうだもの」
マレーネがほっとした顔で頬笑む。
「でしょう?」
友人たちもにんまりと笑った。
ウェヌスたちは計画をその日から実行に移した。
ウェヌスも、他の令嬢たちも、これで婚約が解消されるとは思っていなかった。
所詮は噂だ。不名誉なことではあるが、浮気の証拠となるものではない。ただ、彼らを苦しめることにはなるだろう。
ウェヌスたちは泣き寝入りなどしたくなかった。ただそれだけだ。
半月後。
貴族界ではひとしきり噂が流れていた。
そんな頃。
ウェヌスは、治癒術科で短期の留学の話を聞いた。
留学生を募集しているという。
ジェスベル王国の王立学園は交換留学を定期的に行っている。友好国の学園とは、互いに融通し合う関係だ。留学中の単位を王立学園で認めて貰える。
ダルシア帝国への留学は魅力的だ。ダルシアには精霊樹がある。
ジェスベル王国にはない素材だ。
「行きたいわ。どうせ、ラズヴェルはもう私との茶会も昼食も来やしないし。王子妃教育も終わってるわ。それに万が一、私が悪役令嬢だったら、一番、手ひどく婚約破棄されるのは私だものね」
婚約破棄されるようなことは一つもしていない。
ウェヌスには従者と侍女がついている。従者は王宮が付けてくれた護衛だ。ウェヌスがなんら咎められることをしていないと知っているだろう。
安心して良いとは思うが、もう一押し安心材料が欲しいところだ。
もう何か月もラズヴェルには会っていない。
彼はウェヌスのことなど忘れて、あの男爵令嬢と過ごしている。
その上、さらに辛いことなど、要らない。
きっと耐えられない。
例の「噂作戦」はとても上手くいっている。
社交界のどこに行っても「学園が馬鹿な依頼をしたために、生徒会の令息たちがビッチな男爵令嬢に籠絡された」「彼らは愚かにも婚約者を蔑ろにして男爵令嬢の尻を追いかけている」と面白おかしく囁かれている。
友人たちの実家の中にはそろそろ見切りを付けようかと、他の婚約候補を探し始めている家もある。ただ、噂だけで婚約解消となるとなかなか難しい。あちらに過誤がありそうに見えたとしても、有利に婚約解消を持って行くのはまだ無理がありそうだ。
令嬢たち自身は、男爵令嬢にも、婚約者たちにも接触していない。
もう令息たちからは約束のお断りの知らせすら来なくなった。
思い知るには十分過ぎることがあったのだ。
愚かな婚約者に対して未練は多々あったとしても、それを表に出さないのは、貴族令嬢としての矜持だった。
ウェヌスは家に「留学をしたい」と願い出て、第一王子の有様をすでによく知っているローゼリア家は許した。
ウェヌスは国を出る前日には、一応、「留学に行って参ります」とラズヴェルに手紙を出しておいた。