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4.接触

 翌日、私は屋敷の図書室を訪れていた。

 遮光カーテンで日光を遮り、音もほとんどない図書室内は私の大好きな空間だった。カーテンの隙間から漏れる日光が埃に反射してキラキラと輝いている。

 あまりこの屋敷へ連れてこられたことに感謝したことは無いが、この図書室の存在は私の荒れた精神を癒す存在だった。なかなかの蔵書を誇る我が屋敷の図書室だが、本を読む者がほぼ私だけなので宝の持ち腐れなのではないかと思っている。私にとっては嬉しい限りだが。

 古い本特有の香りに満たされた空気を、私は肺いっぱいに吸い込んだ。


 ここへ来たのは、もちろん調べものという目的もあるが一番は心を落ち着かせるためだった。昨日の一件から私の心はざわざわと落ち着かない。おかげで眠りも浅い。

 今日は何を読もうか。

 もっとたくさん学びたい。この世のいろんなことを知りたい。何か新しいことを学ぶのは楽しいことだ。母譲りらしい私の好奇心は止まることを知らない。

 右の棚にあった歴史書を手に取る。今日はこれに決めた。



 歴史書を読み終え、心が少し冷静さを取り戻したところで私は夜に向けて準備を始めた。

 今夜は、例の襲撃者集団に接触を図ろうと思っている。贔屓にしている情報屋が「ルイ」が会いたがっているという話をあちらに通してくれているはずだ。

 事前に襲撃者集団のメンバー構成について話を聞くと、メンバーは様々な領からやってきているとのことだった。その領の名前を挙げてもらい、渋い顔をして「同じ領から来ている友人がいる。彼とはただの友人として付き合いたい。万が一顔見知りがいて、この密偵としての裏の顔を知られたら困るから顔は隠したい」と言うとその通り話を通してくれたらしい。これで仮面をつけていく大義名分ができた。人のいい情報屋に感謝だ。


 今日は証拠として、図書室で偶然見つけた横領の証拠となる裏帳簿のようなものを持っていくつもりだった。あの抜け目ない父親にしては珍しく、自領の資料に混じって裏帳簿が挟まっていた。私はその裏帳簿を何かのためにこっそり取っておいたのだ。

 使える人材だと思ってもらえなければお話にならない。私が渡ろうとしているのは細い綱の上だ。


 情報屋に教えてもらった場所へ向かう。表向きは酒場兼宿屋だが、実態は襲撃者集団のアジトとなっているようだ。ざわざわと騒がしい店内、私の様子を遠くから疑うような視線で眺めるいくつもの目。

 私の設定は、とある貴族の密偵をしている少年だ。ぼろを出さないよう気を付けないといけない。


「君が密偵か。ルイ、だったか?」


 声をかけてきたのは長身の男だった。茶髪に茶色の目、いかにも平凡な男という風貌だが、視線は鋭い。彼が歩みを進めるたびに小さく床がきしんだ。


「ああ。我が主の名は教えられないが、高貴な身分のお方だ。顔も諸事情で見せられないが、よろしく頼みたい」


 答えると、襲撃者集団の長らしいその男が私を見下ろした。私も威圧されないようにと精一杯胸を張った。

 どこか様子を窺うような男に、私は内心ハラハラしながら仮面の下で目に力を込めた。


「私は『レジスタンス』のクラウスだ。……正直、隠された情報が多すぎて信用するのは難しいと思っているがね。どうして、我々にコンタクトを?」

「情報屋から、襲撃者集団があると聞いたんだ。我が主もぜひ協力したいと。ここに、奴の裏帳簿が」


 そう言って裏帳簿を渡すと、彼は慎重に中を(あらた)めた。目を眇め、ほう、と一言漏らす。


「……なかなか良いものを持っているな。氷山の一角とはいえ、これも奴の悪行の証明になるだろう」

「参考になりそうなら何よりだ。今後も、証拠を見つけ次第提供するつもりだと主は仰っていた」

「そうか……この質の証拠がたくさん集まれば助かるがね。だが、我々が計画しているのは、奴の告発ではない。命を奪うことだ。そのための役には立ってくれるのか?」


 鋭い瞳で睨まれ、一瞬言葉が詰まる。確かにその通りだ。


「っ……僕以外にも密偵はこの街に入り込んでいる。中には奴の屋敷へ忍び込んでいる密偵もいる。屋敷が手薄になるタイミングなども教えられるだろう」

「ふむ……良いだろう。ひとまずは合格、というところだな」

「それは良かった。現在は、どういう襲撃計画を立てているんだ?」


 値踏みするような視線が私の体を撫でた。


「それを教えられるほど、お前を信用出来たわけでは無いな」

「だが……教えてもらわなければ、今後どんな情報を探って提供すればいいか分からないだろう」

「……そうだな。お前の言うとおりだ」


 クラウスは突然私の胸ぐらをつかみ、顔を仮面ギリギリまで近付けた。

 ひゅっと息が止まり、私は目を極限まで見開いた。


「だが、奴の関係者にこの計画が漏れたと判明したならば、命は無いと思え。分かったな?」

「……ああ」


 か細い声で辛うじて返事をする。すぐに私は解放され、クラウスはふい、と後ろを向いて店の奥へ入っていった。力が抜け、私は背後の壁にもたれかかった。呆けた顔でクラウスの後ろ姿を見ていると、店の奥から出てくる見覚えのある長身が目に入った。

 ああ、あれは、ヴォルフだ。

 彼は接客から戻ってきた店員らしき娘と和やかに話し始めた。その顔は、私と会っていた時の顔とは明らかに違っていた。

 あれは心からの笑顔だ。彼が言ったらしい冗談に、店の娘と彼は二人笑い合う。アメジストの瞳が楽しげにきらりと輝いた。まるで宝石のように。

 私はつい、いつもの癖で左手の指先を右手で握り込んだ。なぜだか胸がキリキリと痛むような気がした。


 クラウスが店の奥から戻ってきた。その手には紙が1枚握られている。


「待たせたな。これが、暫定の計画書だ。まだまだ穴だらけだが、大筋はこれで行こうと思っている。……こう、上手くいくとは思っていないがな。要はハニートラップってやつだな。試し打ちだから、上手くいかなくなったらすぐにやめるつもりだ」

「これが……」


 黙りこくってその計画書に目を通した。書かれていた内容にショックを受けなかった、と言えば嘘になる。そういう内容だった。

 大まかな内容はこうだ。『ヴォルフが侯爵の娘に接触。秘密の恋人となる。その娘を夢中にさせる。出来る限りその娘が望むように関係を進め、可能ならば体の関係を持つ。娘からは情報をなるべく引き出す。夜を共に過ごしたいと言い、屋敷への侵入の手引きを手伝わせる。ヴォルフが侵入後娘を毒で殺し、ほかの仲間の侵入を手助けした後侯爵一家を殺害』。


 そうか。私は殺されるのか。彼に。

 散々利用された挙句、最後には毒殺されるのだ。

 泣き出したいような感覚に襲われた。死にたくないわけでは、ないのに。父に復讐をするためなら、なんだって犠牲は払うつもりだったのに。

 結局のところ、母様が亡くなってからは私はいつだって利用されるばかりだな、とふと思った。心の中にぽっかりと穴が開いたような気持ちがした。


 ヴォルフの方へと目を向ける。彼も視線を感じたのか、私の方を一瞥した。

 仮面をした不審人物に興味を持ったのか、じっと私を見つめるヴォルフ。私は視線を慌てて落とし、微動だにせず渡された紙を握りしめていた。


「……ありがとう。役に立ちそうな情報を何とか探してくるよ」

「ああ、そうしてくれ。くれぐれも、情報の扱いには気をつけてくれよ」

「分かった」

「計画の進行段階は、今あそこに立っているヴォルフという男が娘と恋人関係になったところだ。まだまだ序盤だな。首尾は順調だと――」

「例の計画か? 順調だぞ。あの娘、婚約者もいるくせにあっさり俺に落ちたんだ。奴も娘の教育までは手が回っていなさそうで良かったよ」


 昨日も聞いたその低い声。

 顔を上げると、ヴォルフがそこに立っていた。馬鹿にするような響きを持たせたその言葉は、思いの外私の胸に突き刺さった。

 真っ直ぐに私を見つめるその表情は、憎しみに歪んでいた。元の顔が美しいから尚更、その歪んだ笑みを浮かべる口元や復讐の炎がちらつく瞳が際立っている。


 憎まれている。

 馬鹿にされている。

 死ねばいいと思われている。


 彼から向けられる感情全てが鋭利な刃物となって私の心を傷つけた。

 冷静な部分の私はそう思われて当然だと納得していたが、心の中に潜む幼い私はただその辛さに悲鳴を上げていた。傷つけられた身体のあちこちから血が流れているような気がした。


 私が何をしたの。彼に何をしたって言うの。こんなに、私のことを憎むなんて。


 私は一瞬目を瞑り、全ての感情を呑み込んだ。小さく息を吸い込む。


「貴方がヴォルフか? 僕はルイだ。とある貴族の密偵をしていて、今回の計画のためにできるだけ情報提供をしようと思ってる。こんななりだが、よろしく頼む」

「ああ、よろしく。改めて、ヴォルフ・ブロストだ」


 努めて冷静に声を出した私へ、彼の手が差し出される。

 握手を求められている。一瞬戸惑った後にそう認識した私は、素直に握手に応えた。

 ぎゅっと握られ、すぐにその手が固まったことに気づいた。疑問に思って見上げると、混乱したようなヴォルフの顔がそこにあった。


 私は慌てた。

 何が原因かは分からないけれど、ルイーゼだと気付かれでもしたのだろうか。


「どうした? ヴォルフ」


 クラウスが怪訝そうにヴォルフを見た。彼は一瞬眉を顰めたが、すぐにゆるゆると首を振った。


「いや……なんでもない。とにかく、情報は内密に頼むぞ」

「ああ」


 唐突に離された私の手は、行き場を失ってだらりと下へ垂れ下がった。

 私はまた、冷たくなった左の指先を右手で握り込んだ。痛いくらいに、強く握り込む。


 胸の痛みは、少しだけ誤魔化せたような気がした。

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