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2.始動

ストック分までは毎日18時に予約投稿としています

 私はその翌日から行動を起こした。

 ひとまずは聞いた情報の裏を取ることにした。昨日の私は頭に血が上っていることを自覚していた。一日経過し少し冷えた頭でもう一度街へ繰り出し、馴染みの情報屋ではない情報屋から情報を買った。

 馴染みの情報屋を使わなかったのは、あまりに私に近い情報だったからだ。私の身の上が彼に発覚するのを避けたかった。あの情報屋は勘がなかなか鋭い。今後も正体を知られないまま利用させてもらいたかった。


 母様の話は、どうやら情報屋のなかではそこそこ有名な話だったらしい。あまり高くない値段で買えた。

 今まで私は侯爵が手を染めてきた悪事などにばかり気を取られていて、近辺の情報までさらってはいなかった。灯台下暗しとはこのことだろう。

 こんなに大事な情報を、見逃していたなんて。

 私は情報を書き付けたノートを見て、改めて復讐の意志を燃やした。絶対にあの男は許さない。


 確実にあの男を亡き者にするためにはどうしたらよいか。

 考えて考えて、やはり私単独では人数が心許ないため街の襲撃者集団に協力をするのが確実なのではないかと思った。

 彼らが屋敷に忍び込むための手引きをすればいい。抵抗できない状態で大勢に囲まれて、絶望の中命を落とすのはさぞ悔しく、苦しいだろう。残虐な昏い喜びが胸の中に沸き上がった。


 私のみであの男を殺すのは困難だ。隠し通路を全て知っているが、私が知っているくらいなのだから抜け目のないあの男はもちろん知っている。一度あの男の書斎や寝室に忍び込み、悪行の証拠のひとつでも手に入れてやろうと思ったことがある。しかし部屋に通じる隠し扉はどちらも頑として動かなかった。おそらく部屋側から鍵がかけられている。

 もちろん武術に優れているわけでもない私が、屋敷内で突然襲撃をかけて無事殺せるとは夢にも思っていない。そんな無謀なことをして成功するわけがない。


 一番いいのは、上手いこと襲撃者集団に入り込むことだろう。そして、彼らを屋敷内へ呼び込む。その方法を考えなければ。

 ルイの格好をして入り込むのもいいが、ヴォルフラムという男に顔を覚えられている可能性がある。

 ――そうだ、仮面を被っていけば。

 鬘を被ったうえで仮面をつければ誰かなど分からない。問題は、仮面をつけたぽっと出の人間を相手が信じるかどうかだが。

 しかし私には買った情報がある。図書室で見つけた汚職の証拠もある。情報は力だ。マルテンシュタイン侯爵家に敵対する人間だと信じさせることができさえすればいい。


 思い立ったが吉日ということで、早速仮面を調達することにした。ここ最近では仮面舞踏会なんてものも流行っているし、貴族として私が買いに行くことには何の違和感もない。

 父親は私が従順なふりをしているせいか、少しは私に自由を与えている。大金ではないが金を与え、身綺麗にしておくことを私に要求するのだ。ある程度整えていれば余剰分は好きに使っていても何も文句は言われなかった。ある日私の姿を見て「貧乏くさい」と言い放ったことはあったが。おそらく嫁ぎ先である好色伯爵に文句を言われないようにするためだろう。

 だから「仮面舞踏会に参加するときのために仮面を買っておくことにしたから出かける」と執事に伝えれば、特に反対されることもなく外出することができた。もちろん護衛という名の監視役である使用人が1人ついてくる。彼のことはもちろん知っているが、他の使用人同様強い者に流されやすいタイプの人間だ。それでも私の買い物には文句はつけないだろうから結構だ。

 出かけると、外は今にも雨が降り出しそうなどんよりとした空模様だった。


 仮面を売る店へ着けば、そこには多くのきらびやかな仮面が並んでいた。

 派手だがそこまで値段の張らないものを1つ選び、店主に包むように頼んだ。横目でついてきた使用人を見ると、店の入り口付近で私の方へ目をやりながら暇そうにしているのが見えた。彼の体格は、女にしては少し背の高い私とそこまで大きな変わりはない。


「ねぇ。――実は、あそこの彼にこっそり仮面をプレゼントすることを考えていて……男物の派手でない仮面を1つ、貴方の見立てで選んでいただけないかしら。こっそりね」


 店主に照れたように囁くと、彼は驚いた顔をしたがすぐに「かしこまりました」と言って、使用人に見えないよう素早く黒い仮面を選んで包んでくれた。包んでもらったものは、先ほど包んでもらったものと一緒の袋にこっそり隠してもらった。できる店主で良かった。店主はその袋を店先で使用人に渡し、満面の笑みを浮かべた。

 笑顔の店主に見送られ、街へと戻る。


 私は一瞬足を止めた。例の男がじっとこちらを見ているのが見えたからだ。

 ヴォルフラム・ヘルツフェルト。マルテンシュタイン家に深い恨みを持つ男。

 やはり昨日と同じように憎しみの込められた刃物のような視線を向けられていた。背筋に悪寒が走る。


 私はさっと視線を外しそのまま歩き出した。

 強い憎しみに晒されるのは疲れる。家での義母や義兄からの悪意ある言葉や仕打ちだけで、もう十分だ。街中で不意に浴びせられると余計に疲れる。

 なのに、こんなにも彼のことが気になってしまうのは何故だろうか。高い金を払ってまで彼のことを知ろうとするなんて。

 私らしくもない。妙な感傷を振り切ろうとして馬車まですぐに戻ろうとした時だった。


「お嬢さん。少しよろしいですか?」

「え?」


 知らない声。使用人の声ではない。

 振り向くと、そこには輝くような笑顔の男がいた。

 例の男だった。ヴォルフラム・ヘルツフェルト。さっきまで少し遠くにいたのに、いつの間にこんなに近くまで来ていたのだろう。


 突き刺すような鋭さをどこかにすっかり隠したらしいそのアメジストの瞳は、笑みの形に細められていた。すっと通る鼻筋に、綺麗なアーチを描く薄い唇。完璧なかんばせが作り出す彼の笑顔は誰をも魅了するだろうと思われた。

 裕福な商人風の衣装を纏う彼。繊細な模様があしらわれた手袋をつけた彼の手が、私の方へと差し出される。


「貴女の美しさについ見惚れてしまいまして。貴女と共に過ごす時間を、私にいただけませんか?」


 美しい男の口からは、滑り出るように嘘が吐かれた。

 一瞬、この人は一体何を言っているのだろうかと思った。しかしすぐに気付く。

 ああ、自分の武器を分かっているんだ。私を足掛かりにしてマルテンシュタイン家に近づくつもりなんだと。

 あれだけ憎しみの込められた視線を浴びせられた後だ。こんな嘘すぐにわかる。

 思い上がりそうになる自分を私は必死で抑え込んだ。


 横を見ると、警戒心をあらわにした使用人が彼を睨みつけていた。下手なことをすればきっと使用人はこのことを父親に報告するだろう。

 どうすればいい。

 ――きっと、これは父親への復讐のために一番いい手段だろう。上手く利用しない手はない。


 私は、差し出された手をパシンと払いのけた。

 驚いた顔をした彼を横目に、その耳元へと口を寄せる。


「私、こう見えても婚約者がおりますの。目立つように会うことは出来ないわ。……だから、今夜。夜9時に時計塔の前で会いましょう?」


 私はさっと身を引き、馬車の方向へと踵を返した。


「まったく、身の程を知ってほしいものだわ。商人風情が私に声など掛けないで頂戴」


 努めて冷淡に聞こえるよう言い放ち、すたすたと歩きだす。使用人が慌てたようについてきた。


「お嬢様、先ほどは彼に何を」

「少し、衆目の前で言うにはおぞましいことを……ね? あの驚いた顔を見た? こんなところで私に話しかけるのが悪いのよ。あなたもそう思うでしょう?」

「ええ、まあ……。ともかく、良かったです。お嬢様に危険が及んだらどうしようかと思いました」

「そうね。気にしてくれてありがとう」


 家紋の付いた馬車に乗り込んだ。ゆっくりと走り出した馬車はカタカタと小さく揺れる。窓にかかるカーテンの隙間からこっそり外を見た。

 ヴォルフラムはまだその場にいた。

 私が見ていることに気付かないらしい彼は、馬車をあらん限りの憎しみを込めて睨みつけていた。姿が見えなくなるまで、私はその姿を見つめていた。


 ええ、分かっているわ。貴方がマルテンシュタイン家を憎んでいること。


 淀み、沈んでいく胸の内で、彼の先ほどの輝くような笑顔が思いだされた。

 完璧な美しさだったけれど、まるで作り物みたいだった。たとえるなら、ビスクドールのような。温度の感じられない、ただ美しいだけの偽物。

 あんな美しい笑顔を向ければ、私のような男慣れしていない女はすぐに落とせるだろう。私自身、胸の鼓動が高まるような感じがしたのはおそらく気のせいではない。


 でも、私は身の程を分かっている。身の程を知っていなければいけないのは、彼ではなく私の方なのだ。あんな心にもない酷いことを言ったという事実がさらに心に重くのしかかる。

 憎まれていることはよく知っているから。我が家が恨まれるのは、それだけの理由があるから。

 父親そっくりの色彩を持つ私など、憎悪を向けられて当然だろう。だから、勘違いなどしない。できない。


 彼の予定など何も確認せず時間を決めたが、大丈夫だろう。

 彼は絶対に来る。そんな確信があった。

 私に接触してきたのは、ほぼ確実に足掛かりとするためだ。もし私が彼ほどの美貌を持っていたとすれば、きっと私もそうするだろうから。

 もしかしたら、先日私を睨みつけていたのも様子を窺うためだったのかもしれない。


 私は揺れる馬車の中、窓枠にもたれかかって視線をそっと床へと落とした。

 今にも雨が降りそうだった空は、ついに限界を超えたらしく、雨音が窓を打つ音が聞こえた。

 憎しみに晒された心は、まるで擦り傷に塩を塗り込まれたみたいにひりひりと痛んでいた。

 母様が殺されてしまってから、私は悪意に晒されることが多くなった。耐性ができてきたと思っていたが、まだまだのようだ。

 私は左の指先を右の手のひらでそっと握り込んだ。指先は氷のように冷たくなっていた。

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