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1.復讐を誓う

長編連載は初投稿となります。

 視線が、痛い。

 こんな感覚は初めてだった。


 まるでアメジストの原石のように美しい紫紺の視線が、槍のように私の体を刺し貫いていた。


 明らかに感じたのは、憎悪と殺意。めらめらと炙るような憎しみを込めて睨まれていた。馬車から降りようとしていた私は、その場に縫い留められたように立ち竦んだ。背筋に冷たい刃物を差し込まれたような寒々しさを感じた。

 丁度、家紋の付いた馬車に乗せられて街へ連れてこられたところだった。大嫌いな父親の命令だった。

 貴族にしては少々質素なドレスを身に纏い、私は人々の生活の喧騒に飲み込まれそうになりながら立っていた。レンガ造りの道を行きかう人々の数は多い。狭苦しく立ち並ぶ石造りの家々の隙間から、よく晴れた秋の空が見えた。

 建物の角から私を睨むのは、見たこともないくらい美しい男だった。濡羽色の髪は陽の光に艶めかしく光り、造形の整った顔は憎しみに歪められていてもなお美しかった。美しくも恐ろしい紫紺の視線は、人々の波に紛れてあっという間に消えた。


「ルイーゼ様」


 執事の呼びかけで、凍っていた体がようやく動き出す。


「ごめんなさい。少し考え事を」


 私はそう言って目的の仕立屋へ足を向けた。目の奥では、アメジストの槍がチカチカと脳髄を突いていた。



 私、ルイーゼ・マルテンシュタインはつい3年前まで市井に捨てられていた。

 よくある話だ。母ナタリアは才女で、教育機関での研究の傍らマルテンシュタイン侯爵家の使用人として働くことで生計を立てていた。その美貌に目を付けたマルテンシュタイン侯爵によって母様はお手付きとなり、私を身籠ったことで研究を断念せざるを得なくなった。満足な支援もなかったが、聡明だった母様は貧乏な生活の中でも私にたくさんのことを教えてくれた。

 そして、無理がたたったのか病を得ることになり、急激に弱った母は3年前にひっそりと息を引き取った。

 当時13歳だった私は父親であるマルテンシュタイン侯爵に引き取られ、侯爵家の屋敷で暮らすことになった。

 理由は単純明快だ。私を政略結婚の駒とするためである。

 嫁ぐ先は、引き取られた段階で既に決まっていた。権力だけはある好色の中年伯爵だ。今日仕立屋まで連れてこられたのも、この好色伯爵との顔合わせが近くなったからである。


 私は、マルテンシュタイン侯爵家が大嫌いだ。母を苦しめ、娘である私も利用しようとしている。

 私は父親に引き取られるまでは比較的自由気ままに生きていた。男の子と間違えられることもあったほどのお転婆娘だったのだ。お転婆であっても母様が教えてくれる知識を吸収することは大好きだったし、本を読むことも好きだった。引き取られてからはお転婆などは堂々と出来なくなり、私の生きがいは本を読むことだけになった。


 引き取られた屋敷では、義母とその息子が嫌味をぶつけてきたり、分かりやすく嫌がらせをしてきたりする。歓迎されていないということだけはよく理解した。

 義母は嫉妬深い性格のようで、母以外にもいた愛人のことをひどく嫌っていた。それもあってか私のことも嫌っているのだろうと思う。


 マルテンシュタイン侯爵家の人間が、私は嫌いだ。

 ――もちろん、自分のことも大嫌いだ。母の夢を奪い、貧乏な生活をさせたのは他ならぬ私なのだから。


 私は褪せた朽葉色の長い髪を指先でくるくると弄った。緩やかな巻き髪は母譲りのようだが、このぱっとしない髪の色は間違いなく父親からの遺伝だった。苔むしてくすんだ石壁のような灰緑の瞳も、父親と全く同じで大嫌いだった。どうせなら母様のような綺麗な金髪に透き通った黄緑色の瞳が良かった。母様の色彩は、あんなにも美しかったのに。


 私はマルテンシュタイン侯爵家のことを嫌ってはいたが、憎むほどではなかった。所詮運命なのだと諦めていたからだ。


* * * * *


 仕立て屋を訪れてから数日後の夜、私は屋敷の隠し通路を通ってこっそり屋敷を抜け出していた。屋敷に引き取られてすぐの頃、図書室の本を読み漁っていたら屋敷の古い設計図を見つけたのだ。それ以来、私は頻繁に隠し通路を使って屋敷を抜け出したりといろいろやっている。もう屋敷の中で私の知らない隠し通路はない。

 夜の女の一人歩きが危険であることは重々承知だ。だから髪はまとめてよくあるこげ茶の(かつら)の中に押し込み、その上にハンチング帽を被った。瞳の色などもあまり見られないよう、深く被る。服装は、以前街で金品と交換してもらった少年の服だ。そんなに大きくもない胸をサラシで潰してしまえばもう少年にしか見えない。

 すっかり慣れた道を、馴染みの情報屋のところまで小走りで向かう。欲しい情報は、金さえ払えば手に入る。


「よう、ルイ。久しぶりだな。今日は何の情報を買いに来たんだ?」

「ああ、久しぶり。今日は、ある男のことが知りたくて来たんだ」


 私は少し声を低くして答えた。私が知りたかったのは、先日街で出会ったアメジストの瞳を持つ男のことだ。この辺りでは珍しい色を持ち、加えてあれだけの美しさなら情報屋も知っていると思ったからだった。

 あれ以来、紫紺の瞳に貫かれたことが忘れられなかった。同時に、向けられた憎悪も。彼がどこの誰なのか、そして私に向けられたあの憎しみの理由を知りたかった。

 調べなくても大方の予想はつく。父が不幸にした人々は、ごまんといるのだから。


「黒髪に紫の瞳で、やたら見目のいい男のことを知らないか?」


 私が声をひそめて言うと、情報屋は値踏みをするような目で私を見た。


「ああ、よく知ってる。ただこの情報は高くつくぜ、坊や」

「いくらだ? 言い値で払う」

「お? いつもは値切るくせに……まあいい。今回は、金貨4枚だ」

「これで良いか」

「1,2,3,……丁度、毎度あり。じゃあ情報だな」


 情報屋は金歯を光らせてニヤリと笑った。


「あの男はな、没落した男爵家の三男坊だって話だ。名前は、ヴォルフラム・ヘルツフェルト。なんだって、マルテンシュタイン侯爵に陥れられて、いわれなき罪でヘルツフェルト男爵夫婦は処刑になったらしいな。その子供たちは、命からがら逃げだしたって。そんで、マルテンシュタイン侯爵の屋敷に近いこの街にヴォルフラムはこっそり潜んで復讐の機会を窺ってるってわけだ。――欲しい情報は、これで合ってるかい?」

「ああ、十分だ。感謝するよ」


 ああ、やっぱり。マルテンシュタイン侯爵家を憎んでいる人だったか。

 分かっていたくせに僅かに痛んだ胸をひた隠して、私は笑って彼に手を振り店を出ようとした。すると、待て、と情報屋が引き留める。


「追加の金貨3枚でかなりの耳寄り情報があるが、聞いていくかい?」

「……ああ」


 素直に金貨を渡すと、彼は受け取った金貨を軽く放り投げて上手くキャッチした。


「どうやら、マルテンシュタイン侯爵に恨みを持つ輩が何十人も集まって襲撃を企んでいるようだ。あの侯爵様、多方面に恨みを買ってるからな。時間の問題だとは思ったがね。あの男はその襲撃者集団の一員だ。……ルイも、マルテンシュタイン侯爵に少なからず恨みを持つお貴族様の小間使いといったところだろう? 耳に入れといてやった方がいいかと思ってな」

「助かったよ。いい情報だった。ありがとう」

「また情報が欲しくなったら来いよ。いい情報を仕入れておく」

「頼む」


 以前からこの情報屋からはマルテンシュタイン侯爵家に関する黒い噂を買っていた。いつか侯爵を告発しようと考えていたからだ。買っていたのはそういった情報だけではないが、そこからマルテンシュタイン侯爵家に敵対する勢力の一員だと思われたのだろう。有り難い勘違いだった。この際なのでうまく利用させてもらう。

 情報屋は「時間の問題」と言ったが、私もまさにそう思っていたところだ。あの父親のやることは少々度が過ぎている。人身売買、人体実験、拷問など、挙げればきりがない。悪魔に魂でも売り渡したのではないかと思ったこともあった。


 街に襲撃者集団がいる――それを聞いてもう少し情報を探ってみることにしようと思い立ち、私は近くにあった酒場に足を運んだ。

 酒場には情報が集まる。皆噂話を肴に酒を飲むからだ。


 ひっそりと店の中に入ると、煙草の臭いと様々な声が私を包んだ。

 ふと目を運ぶと、昔母様と一緒に住んでいたあたりで見かけたことのある男が座っているのが見えた。万が一顔を覚えられていたら困る、と私はわずかに顔を伏せ、カウンター席で一人酒を飲んでいる男に近づこうとした。その時だった。男の声が耳に飛び込んできたのは。


「こんな酒場に子供なんて珍しいなァ……そういや、あの坊や、昔うちの近くに住んでた嬢ちゃんに少しだけ似てるな。あの子も不憫だったよ。マルテンシュタイン侯爵の妾の子だったみたいでな。侯爵家に引き取られたはいいが、母親を毒で侯爵様に殺された上でだったからなぁ……。あの子は知る由もなかったんだろうが、嬢ちゃんを渡さない母親に痺れを切らしたみたいでな。でも殺したってバレたら外聞が悪いから病死に見えるような毒を盛ったって話だからな」


 そう言ってため息をついた男が、ぐいと酒をあおった。

 私の体は凍り付いた。


 今、あの男は、何と言ったか?


「何で俺がそんなこと知ってるかって? 毒を盛った奴が、見返りに貰った金を見せびらかしてきたからだよ……馬鹿な男を雇ったよな、侯爵様も。俺もあんな奴だと思ってなかったから、その後すぐ縁を切っちまった。今は何してるんだか――とにかくあの嬢ちゃんが可哀想でなぁ。元気でやってるんかなぁ」


 私は、動かない体を無理に動かして、店の出入り口にとんぼ返りした。まるで「入る店を間違えました」と言わんばかりに。それが精一杯だった。

 頭の中では先ほど聞いた言葉がぐるぐると渦を巻いて私の心を絶えず傷つけていた。


 母様が……殺された? あの父親に?


 あの優しくて、賢くて、私の理想だった母様が?


 貧しくてもそこそこ幸せな生活を送っていた。私の存在が母様を不自由にさせたと泣く私を、母様は慈しんで抱きしめてくれた。そんなことないんだよ、あなたは私の宝なのと言って――。

 突然奪われた幸せな日々が、私の脳裏を巡る。少しだけ料理が苦手だった母様。焦げたシチューを申し訳なさそうにテーブルに置いた母様の困った顔を思い出した。私は少し黒い焦げの浮かぶシチューを、美味しい美味しいと言って夢中で食べた。そうすると母様が笑ってくれることを知っていたから。


 私を引き取った父親が、引き取った当日に婚約者の話をしてきたことは僅かに疑問に思っていた。

 おかしいと思っていた。母様が急にこの街を出ようなんて言い出したから。遠くの街に、良い研究機関があって雇ってもらえそうだからと、そう言っていた。その後すぐに母様は体調を崩し、そのまま儚くなった。

 そういうことだったのだ。男しか生まれなかったマルテンシュタイン侯爵家に、他家へ嫁がせる年頃の女を迎えるために――。


 父親は、母様から将来を奪っただけではなく、命まで奪ったのだ。

 だがそれは私も同罪だ。私が存在しなければ、母様は殺されずに済んだのだから。


 逃げ込んだ屋敷の隠し通路で、私は自分の体を抱きしめて座り込んだ。知らない間に体が激しく震えていた。


 許せない。

 許せない、許せない、許せない――!!


 見開いた眼からはいつの間にか涙が流れ出していた。体を抱いた手には力がこもり、噛み締めた唇からは血の味がした。


 復讐を。

 あの父親とも呼べない男に、復讐を。

 母様だけが、私の幸せだった。母様だけが――。

 母様を殺した罪は、死を以て償わせなければ。

 私の身などどうでもいい。すべて復讐に捧げるつもりだ。何を犠牲にしてもいい。

 母様のことを殺した、私の存在など。どうなってもいいのだ。


 これが、怒りと絶望に染まった私の脳みそが叩き出した答えだった。

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