秘密3
「ケイは、ルーシェが自分で伴侶を選べるようになるまでは、男として育てると言っていたわ。誰にも意に添わない結婚を無理強いされずにすむように、竜殺しとして鍛え上げるつもりだと」
「うん、俺もそれがいいと思う。……ケイに、最後に言われたんだ。ルーシェを頼む、て。頼まれなくても、ルーシェは妹も同然だ。これからは俺が守る。
ルーシェが自分で相手を見つけられるまで面倒を、……ううん、相手が人だったら、ルーシェを守りきれないだろうから、それも全部ひっくるめて、俺が面倒を見るよ。
……だいたい、そもそもルーシェはエヴァーリの竜殺しなんだから、ここにいてもらわないと困る。そう考えると、嫁にはやれないな、婿に来てもらわないと!」
母上がクスクス笑いだした。
「あなたまでケイと同じ事を言って。ルーシェが結婚するのはたいへんそうね」
ルーシェが見知らぬ男と仲良くどこかに出て行ってしまう姿が頭をよぎったとたん、すごく寂しくなって、焦った気持ちで少々まくしたてた自覚があったから、カッと頬が熱くなった。
「べつに、どんな相手を連れてきたって、文句を付けるつもりはないよ! ルーシェも竜殺しなんだから、これと決めた相手しか伴侶にしないのだろうし。ただ、婿に来てくれと言っているだけで!」
「はいはい。静かに。ルーシェが起きてしまうわ」
はっとして、身を乗りだしてルーシェの顔を覗き込んだ。すやすやと眠っている。あどけない寝顔に、きゅっと心臓が握られるような感じがした。
「……父上が無事でいてくれてよかった」
そうでなければ、ヴァユの女王に、ルーシェを取り上げられたかもしれない。
若輩者の俺一人で、領地の統治と幼い竜殺しの指導は荷が重いだろうと、難癖を付けられるのが目に見えるようだ。
竜殺しが守護する地――城主であるか、城主に仕えているかは、その地ごとに違うが――は、それぞれが小さな城塞国家であり、元々は領地を争う間柄だ。
それを、五人の竜殺しを得たヴァユの女王が、竜害の根絶を掲げて同盟を提案した。うちもそれに参加した口だ。
ヴァユの移動宮廷は各地を巡り、竜討伐に力を貸した。そして、竜がいなくなっても、今度は他領との領地をめぐる争いに力を貸すようになり、支配を強めていった。
今では同盟はほとんど形骸化しており、うちも女王に強く出られたら、突っぱねるだけの力はない。
もしも、女王がルーシェを寄こせと言ったら……。
焦燥が背筋を這い上って、俺はルーシェを抱き上げた。
くたりとされるがままになっている幼いぬくもりに、かわいい、愛しいという気持ちで胸がいっぱいになる。
……ルーシェは、渡さない。女王にルーシェを渡せば、女だということがバレる。そうしたら、もっと支配を強めたい女王に、ルーシェがどう使われるか、考えたくもない。
いてもたってもいられない衝動に、母上に尋ねた。
「俺が今すぐできること――するべきことは、何かある?」
「……いいえ、特には。敵兵の掃討はしてくれたもの。あのまま逃していれば、近隣を略奪されていたでしょうから、助かったわ。出陣したからには、戦果もなく帰れないものですからね。
それに、竜殺しも竜も失って、ランダイオもすぐには報復に出られないでしょう。……そうね、あなたはひとまず、今のうちに休息を」
敵を皆殺しにしてよかったのか。それに少しほっとする。
「わかった。じゃあ、自分の部屋に戻ろうかな。戻りがてら、父上の様子を見ていきたいんだけど」
あの怪我で主郭まで運び上げられたとは思えない。手近な小部屋に担ぎ込まれたはずだ。
「今は薬でよく眠っているから、意識が戻ったら、知らせるわ」
「うん」
頷いて、自分の迂闊さを恥じた。父上は武人だ、どんなに休息が必要でも、室内に入ってくる者があれば、目を覚ましてしまうだろう。
「ルーシェは一緒に連れて行くよ。何かあったら、すぐに起こして」
自分の部屋――物見の塔――からならば、領地のどこへでもすぐに駆けつけられる。待機するにもうってつけだ。
母上が上着を拾って埃を払い、肩に着せ掛けてくれた。そのまま肩の上に掌が留まる。
「何?」
「よく無事に戻ってくれたと……」
涙声になって途切れ、ぬくもりが離れたと思ったら、母上はそそくさと鍵を開けに行った。
嬉しいのに、照れくさくて、沈黙を持て余して、向けられた細い背を眺める。
カチャカチャと鍵が鳴っている。大きな頑丈な錠で、……ふと、とうとつに、もしかしたら、もしもの時に俺を閉じ込めるために、この部屋を選んだのではないか、という考えが浮かんだ。
……ああ、そうか。さっき外に行こうとした俺の前に阻むように立ったと感じたのは、思い過ごしではなかったんだ。
あの小さな鍵さえ隠してしまえば、この石造りの部屋から出るには、頑丈な扉を壊して行くしかない。鍵を窓から投げ捨てても、最悪、呑み込んでしまったっていい。――母上は、自分が犠牲になるつもりだったんだ。他の人々を逃がす時間を稼ぐために。
城門の外に一人で出て来て、俺に呼びかけたのも。ここに本来なら居るべきではない、幼いルーシェがいるのも。
二人は俺が最も守りたいと思っている人達だから。俺を正気に返せるとしたら、この二人しかいないだろうから……。
……母に、息子として愛されている。それは疑いようがない。
だけれど、人だとは思われていない……。
鉛を呑み込むように生唾を飲み下す。
……いや、それが正しい。
自分が竜殺しであることを、わかっているつもりで、ぜんぜんわかっていなかった。俺だけが、自分が何者なのか、きちんとわかっていなかったんだ。
見た目が多少違っていても、人より力が強くても、ただそれだけだと言い張ってきた。
どうしてウィルバートが、あれほど竜殺しの自覚を持てと怒っていたのか。
どうして人々が、まだ子供である俺に敬意を払うのか。
それにきちんと向き合っていなかった、自分の幼稚さが、猛烈に恥ずかしい。
俺は何にも気付いていないふりをして、部屋を出た。
ルーシェを抱えて、城を登っていく。
二の城壁の前に、ケイの亡骸はもうなかった。竜の死体は残されていたが、あれはそのうち解体されて、武具などの素材にする。呪いとなるのは生きた竜から流れ出た血だけで、それも本体が死ねば呪力を失うそうだから。今日使ったあの武具も、そうやって作られたと言い伝えられているし。
だからといって、ケイを殺した竜の物など、身に着けて使う気にはとてもなれない。……それでも、大切に保管しておけば、いつかケイの子孫が、竜を一人で仕留めた彼の功績を誇る縁にはなるだろう。
見張りが俺の姿を認めて、踵を鳴らして揃え、胸に手を当てた。その敬礼に、いつもなら軽口を叩いて笑いあっていたのに、今はできなくて、頷き一つで通り過ぎた。
ただただ黙って主郭へ向かう。
三の城壁を越えた場所で、なんとなく立ち止まり、振り返った。
ここからは、城の裾に広がる市街地がよく見える。建物がごちゃごちゃと寄り集まった、変わらない景色が広がっていて、しばらく見入った。
……ここを、愛している。
こみあげてきた気持ちに、改めて自分がどれほどこの地を愛しているかを、思い知る。
『この力は、人を守るためにある。それが竜殺しの誇りだ』
父が何度も口にしていた言葉の、本当の意味がわかった気がした。
この風景が美しいから、愛しているんじゃない。それを作り上げている人達がそこに居るから、愛しいのだ。
ここを守れるのなら、その力を持っているのなら、たとえ化け物と呼ばれたってかまわない。為す術もなく失うより、よほどいい。
腕の中のルーシェを見下ろせば、ぽっかり口を開けて、すうすう寝息をたてていた。
……もう、何も失いたくない。いや、これ以上、何も失わせるものか。
俺の命に替えても、必ずこの地は守り抜く。
「おまえもだ、ルーシェ」
命の塊みたいなあたたかい体を抱きしめて、強く誓いを込めて、その額に口付けた。