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秘密1

 半開きにされた城門の内側へ一歩入ったとたん、ルーシェが飛び出してきた。


「ギル様! おかえりなさい!」

「あ、え……?」


小さなやわらかい体に足にしがみつかれ、うまく言葉が出てこない。


 ――愛しい人達。平穏な日常。


 そういったものの感覚が急速に戻ってきて、未だ引きずっている戦いの余韻との落差に混乱する。

 俺が動けないでいるうちに、ルーシェの口が、だんだんへの字になっていった。


「ん~っ、なんか、くさい……」


 しかめ面で鼻を摘まんでいる。その幼い顔に、べっとりと血が付いた。――返り血のせいだ。俺は息を呑んで一歩下がった。血臭は自分の鼻ではわからないのに、見下ろす体がどこもかしこも血で濡れそぼっていて、愕然とする。


 俺の足にしがみついたまま引きずられたルーシェは、無邪気な笑い声をあげて足の甲に飛び乗ってきた。……たぶん、遊びに誘われたと思ったのだ。ルーシェはこうして足に乗せてもらって歩いてもらうのが、好きだから……。


「ルーシェねえ、勝手に地下室から出て来たんじゃないからね! 奥方様が、もう出ていいって言ったんだよ! おとーさんたちが、りゅーを倒してくれたからって。ルーシェ、ちゃんと地下室のみんなを守ってたよ!

 ね、ばば様、ほんとーだよね!?」


 ルーシェが振り返って同意を求めた方をつられて見れば、ばば様がもっともらしく頷いた。


「ああ、そうだとも。ルー坊は頑張っておったな」

「ね! ルーシェ、言われたとおり、いい子にしてたよ! ギル様も、おとーさんに、ルーシェがいい子にしてたって、言ってね!」


 とっさに返事ができなかった。唇が歪みそうになり、歯を食いしばる。

 あれ? という顔をしたルーシェに、あわてて意識して笑顔を作った。


「そうか。頑張ったな。えらいぞ、ルーシェ」


 頭を撫でてやる。いつもと同じ行動でごまかすために。けれどそれでルーシェの髪まで血に染まる。改めて見た自分の手は、あますところなく血に塗れていた。


 ルーシェが気持ちよさそうに目を細めている。俺は震えそうになる指を握り込み、貼り付く髪から、そっと引っ込めた。


「ギルバート様は、お怪我はありませんかの?」

「俺はどこも。……ばば様、それより、父上は」


 後方のことは母上が指揮を執っていたはずだ。

 城門を入ったところに転がしてあった竜殺しの死体は片付けられているし、足の悪いばば様まで、こんな麓まで下りてきている。父上の救護も行われたはずだ。……生きてさえ、いれば。


「血は止まりましたので、なんとかなりましょう」

「そうか」


 はあ、と安堵の溜息がこぼれた。血が止まったというなら、竜殺しの治癒能力が傷に(まさ)った証だ。

 ケイだけでなく父上までも失ってしまったら、どうしたらいいかわからなかった。


 ばば様が上から下、下から上と何度もじろじろと俺を見ている。居心地が悪い。何を言われるのかと身構えていると、母上に話しかけた。


「ギルバート様の服を脱がせて、本当に傷がないか確かめなさったほうがいい。興奮していると痛みを感じないものですからね」

「そうですね。ギルバート、湯と着替えを用意してあるわ。ルーシェも連れていらっしゃい」


 俺はルーシェを抱き上げて、母上の後をついていった。落とし格子が上げられており、城門塔に入っていく。一階の小部屋に通された。


 分厚い石壁で築かれたそこは、案外、壁にいくつも設けられた矢狭間(やはざま)から入ってくる光で、それほど暗くない。先程まで兵達がここで迎え撃っていたからだろうか、なんとなく男臭かった。


 湯を張った盥と、上がり湯に使う桶がいくつか準備されている。


 俺を奥に通し、母上は扉の閂を掛けた。ガチリと鍵も掛け、いやに厳重だなと不思議に思って見ていると、困ったように笑んだ。


「無防備になるから、一応ね。

 ルーシェ、いらっしゃい。あなたからきれいにしましょう」


 先にルーシェが湯を浴びているうちに、俺は四苦八苦しながら留め具をはずしていった。ベルトが血を吸って、すっかり渋くなってしまっている。鎧だけでなく、その下の服もぐっしょりだ。肌に張り付いているのを、ひっくり返して脱ぎ捨てれば、それだけで血が滴となって飛び散った。


 ……どのくらい殺したのだろう。


 血だけではない、肉なのか内臓なのかわからないものまでこびりついている。それを見つけるたびに、指が止まりそうになる。

 さっきまでなんとも思っていなかったそれに――なんとも思っていなかった、そのことに、嫌な動悸が高まる。


 心地良い悲鳴。芳しい血臭。……もっともっともっと、と思っていた。もっと殺したい、と。

 己の手で行った凄惨な光景が脳裏に蘇り、手が震えた。愕然として立ち尽くす。

 ……どのくらい、ではない。俺はすべて殺したのだ。戦う気のない、逃げ惑う、弱い人々を。


 キンッ。

 どこからか小さな金属音が聞こえた気がして、耳を澄ました。

 ……まただ。気のせいではない。矢狭間からだ。

 感覚を研ぎ澄ませて探ると、複数の気配が外にある。


 しまった! 油断していた。新手か、それとも、討ち漏らした者がいたのか!?

 急いで外を覗きに行った。


 矢狭間は縦に細長い小さな窓だ。壁を(ろう)()状に窪ませてあり、窓に顔を近付けなくても――矢をつがえた状態でも――広範囲に外を見られるようになっている。

 窓の向こうに、何人もの兵がうろついていた。


 毛が逆立った。殺意が急速に膨れ上がって、浅く息を漏らす。

 ……殺す。エヴァーリを侵す者は、一人残らず打ち殺す。

 (はや)る気持ちに踵を返し、己の剣を拾い上げた。


「ギルバート」


 母が行く手を阻むように立ち上がった。


「あれはうちの兵です。金目の物を剥がさせているだけです。死体も早めに片付けないと、屍肉目当てに獣が集まってきますからね。その前に始末を命じたのです」


 そう言われて、振り返ってよく見れば、見知った顔がいた。屈んでは地面から何かを拾い上げている。それはたしかに誰も彼もうちの兵ばかりで、――殺意が霧散した。

 武具は高価だ。売り払えばいい金になる。死人から剥ぐのは、戦の世の(なら)いだ。


 槍や剣を拾い歩く者。死体から鎧を剥いでいる者。……体を折って、ゲエゲエ吐いている者が見え、俺は反射的に窓から身を引いた。


『化け物!』


 何度もぶつけられ、何度も聞き流した罵声が蘇り、今また耳を打たれた気がした。

 すとんと足下が抜け落ちるような空恐ろしさに襲われる。


 ……俺達は、所詮人でしかない? ああ、そうだ、俺達は竜じゃない。あんな圧倒的な生き物じゃない。

 でも、きっと、人でもない。


 竜殺しが、戦いの場に居合わせた人々を、狂って見境なく虐殺した話を聞く度に、そんなのは信じられないと思っていた。たとえ、縄張り争いをしていた竜の習性を受け継いでしまっているとしても。抵抗らしい抵抗もできない弱い人々を殺すなんて、俺にはとてもできない、と。


 何もわかっていなかった自分を、嘲笑いたくなる。

 ……敵を目の前にすると、殺すことしか考えられなかった。その体を引き裂き、内臓をぶちまけたくて――血の匂いを嗅ぎたくて。ただただ殺したい衝動に駆られた。


 もしも母上が止めてくれなかったら、俺は敵味方の区別も付かないまま、親しい者達をも殺していたかもしれない……。


 まるで、薄い膜一枚に隔てられた落とし穴の上に立っている、気がした。いつ破れるとも知れないその下は、底の知れない暗闇で。

 それがどこまでもどこまでも深くなっていくように感じて、俺は恐ろしさに身じろぎもできず、その幻が広がっていく様を凝視した……。

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