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竜眼公の日常  作者: 伊簑木サイ


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異獣狩り10

 狩り小屋で異獣の動向を調査していた者によると、存在が確認されていた猪の異獣二体が鉢合わせをし、争った末に一体は食われたという。


「手間は省けたが、だいぶ行動範囲が広がっているということか」


 猪はだいたい同じルートを巡り歩く。発情期に雄が雌を求めて遠出をすることがあるが――今がその季節だ――、異獣には関係ない。同族だろうがなんだろうが食ってしまうだけだ。

 猪の異獣同士がかちあったのは、餌を求めて縄張りを出たからで、おそらく一帯を食い尽くしてしまっているのだろう。


 猪は地面を掘り返して地中のものも食べる。その跡はまるで開墾したかのような有様になる。それが異獣の仕業だと、一帯を丸裸にしてしまい、後にその場所で地崩れが起きることもある。そこから川に土砂が流れ込んで水が堰き止められれば、下流に被害が出る。その調査も雪が降る前に済ませておかないと……。


「はい。かなり小屋に近付いてきております」

「そうだったか。苦労をかけたな」


 異獣は人を怖がらない。ただの猪だったら人に近付こうとしないものを、異獣になると人を獲物と認識して襲ってくる。

 異獣の突進にこの小屋は耐えられないし、たとえそのへんの木に登って逃げても、木ごと倒されかねない。茂みに隠れても、猪は鼻が利く。探し当てられてしまうだろう。小屋に配置された者達は、気が気でなかったはずだ。


 もっとも、これは(いくさ)ではなく狩りだ。己の身の安全を確保するのは鉄則だ。最悪、城下や街道に被害さえ出なければいいのだ。ここで人が無理をする必要はない。


「案内役は誰が適任だろうか?」

「私が同行いたします。状況は把握しました」


 サミュエルが手を挙げる。


「ならば、引き続き頼む。犬も連れて行く。必要なだけ選んでくれ。

 同行者はウルム卿とする。サミュエルの護衛を任せる。それと、荷物持ちもな」


 にっと笑って付け足すと、ウルム卿は端正な騎士の礼をした。


「お任せください」

「では、準備が調いしだい出る」


 椅子を立って、補給の済んだ物入れを腰に巻く。腿や腰に短剣を装着し、傍らで待っていたルーシェに背を向けて屈んだ。慣れた感じでよじ登ってくる。それをおぶい紐を使ってしっかりくくりつけた。


「苦しくないか? 痛いところは?」

「ないよ!」


 短剣の位置と抜き具合を確かめる。よし、抜くときにルーシェを傷つける心配はなさそうだ。

 槍を持ち、小屋の外へ出た。


「そうだ。雪の前に森の被害状況を確認しておきたい。聞き取りと計画について検討しておいてくれ」


 サミュエルが十頭の犬を選り分けて、ウルム卿の匂いを嗅がせているのを見ながら、斜め後ろに付き従っているレンに命じた。


 あれで犬に仲間だと認識させるんだが、だいたい尻を狙って鼻を突っ込んでくるから、居心地悪いんだよな……。


 犬達が匂いを嗅ぎ終わったようだ。サミュエルがこちらに向かって手を振っている。

 足を踏み出そうとして、もう一つ思いついた。思わずレンへと振り返る。


「あと、小屋の補修や備品についても確認しておいてくれ」

「承知しました。我々のことはご心配なさらず。ご武運をお祈りいたします」

「うん、行ってくる」


 ただ待っているのは気を揉むだろうから、何かすることがあった方がよかろうと思ったのが、バレていたみたいだ。経験も見識もある大人に余計なお世話だったと恥ずかしくなって、さっさとサミュエル達に歩み寄った。


 サミュエルが北の方を指さした。


「あそこの尾根の向こう側まで来ているそうです。下ったところに川があるので、そこに入りに来ているのでしょう」


 猪は走って上がった体温を下げに、水に入りたがる。異獣になると、どうやら巨体を移動させるだけで関節に負担がかかるらしく、よけいに頻繁に水に入る。


「もう一頭の異獣を食ったのが二日前です。そろそろ飢えてきているはずです。生き物の気配を嗅ぎつければ、追ってくるでしょう。

 あの尾根周辺で迎え撃つのによさそうなところを見つけたら、犬を放とうかと思います。犬を囮にして追わせ、誘い込むのです。いかがですか?」

「うん、よさそうだ。そうしよう」


 サミュエルの先導で浅い谷を下りていった。それから尾根へは、少し急な斜面を登らなければならなかった。


 木々は色付いた葉をだいぶ落としており、地面はどこも滑りやすい。ところによっては、手で草や枝をつかんで助けにしないと登れなかった。そういうときは必ず束でつかむのがコツだ。少量では体重を掛けると切れてしまうことがあり、危ない。


 もとよりここは女神の庭だ。草木の一本、小石の一つまで女神の物と心得、用もなく傷めることは忌まなければならない。故に、離す時にはなるべく元のように戻すのも礼儀なのだった。


 小一時間かけて尾根に着いた。通ってきた道なき道を振り返る。木々の合間から、小屋の煙突と屋根の一部が見えた。


 ここでどうやっても仕留めてしまいたい。うろついている異獣は、とんでもない巨体になっているらしい。一昨日の熊の異獣と同じか、それ以上になっていると聞いている。そんなものをこれ以上放置できない。


 まずは尾根に沿って東に移動し、迎え撃つ場所を探した。川からの道のりがゆるやかで、太い木が少なく、巨体が駆け上って来やすい場所。それでいて最後は木に囲まれ、容易く尾根の向こうには抜けられないようになっていなければならない。


「ここならいかがでしょう」


 サミュエルが立ち止まっている横に立った。


 三十メートルほど下に川岸が見える。その間にまばらに太い木と細い木が立っており、たとえ異獣でも太い木は回避し、細い木をなぎ倒して進むことになるだろう。上りであることと相まって、突進スピードをかなり削げるに違いない。

 そしてその終わりには、そこそこの太さの木が三本、等間隔に並んでいる。それを避けようとすると、右に大木があり、左がやや開けている。だがその左の奥は木が比較的密集しており、足止めにじゅうぶん役立ちそうだった。


 猪の急所は、こめかみか前脚の付け根近くにある心臓や肺。いずれも横から狙うしかないが、異獣の巨体だとかなり高い位置になる。その位置まで俺が跳べるように、木々を足場にするにもよさそうな感じだ。


 木の一本一本に近付き、そこまでの地面の様子、木の様子、枝振り、近くの木までの距離など、狩りの時の想像をしつつ巡る。


「よし。ここにしよう。二人とも用意を手伝ってくれ」


 サミュエルには俺のマントを渡して案山子を作るように頼み、俺はウルム卿を連れて、来る途中で見かけた倒木を取りに行った。

 まだそんなに朽ちていない。邪魔になる枝を簡単に切り落とし、端と端を二人で持った。


「これ何に使うんですか?」

「足場を悪くしたい。異獣の走る勢いを削ぎたいんだ。あんまり巨体だと、一蹴りで踏み潰してしまうだろうが……」

「私が前に参加したところでは、石を使っていましたよ。河原によさそうなのがあれば、二人で引き上げませんか? 木を切り倒してもいいですが」

「石か。いいな。後で見に行ってみよう。ただ、木を切り倒すのは、今からだと音で警戒されかねないから、今日は無理だな。それに女神が大切に育てているものでもあるしな」

「エヴァーリでは、本当に森の女神をよく敬っていますね」

女神(エヴ)が助けてくれなければ、俺たちは生き残れなかった。それに今も、豊かな恵みを分け与えてもらっている。敬わないわけがない」


 ふと、彼が周囲を見まわした。


「……このような奥まで足を踏み入れる機会をいただき、わかった気がします。ここに御座(おわ)すのが、どれほど偉大な神であるのかを。……ここでは自分がちっぽけなものに感じます」


 運んだ木は、斜面が緩くなっている場所に置いた。それから河原に下り、岩もいくつか、腰の高さほどもあるものを見つけた。サミュエルを呼んできて見てもらう。彼ほど動物がどう動くのか知っている者はいない。


「あれはあのままがよいでしょう。あれを動かすと、川の他の場所から木立の中に入ってきてしまうかもしれません。同じ理由で、そちらの石は左に三メートルほど動かしておきたいです。あそことあそこの二つは、上に運びましょう。置く位置は倒木より上、あの細い木の横あたりと、そのもう少し上に……」

「よくわからないな。行って、印を付けてもらえるか」

「承知しました。印を付けに行ってまいります」

「俺達はあれを動かしてから行く。左に三メートル、だったか?」

「……そうですね、そちらのご説明もきちんとしてからのほうがよさそうです」


 俺とウルム卿はサミュエルの指示に従って、石を据えていった。

 ほどなく狩り場が完成した。

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