異獣狩り8
死体の番をする者を残して出発した。時々、普通の獣や鳥を狩りながら黙々と歩く。
これ以上何事もなく、今日中に狩り小屋に辿り着けるとよいが、と思っていたが、霧が流れはじめた。急激に見通しが悪くなって、五メートル先がやっとだ。
先を行くサミュエルが立ち止まって、レンに話しかけた。二言三言話し、レンが振り返る。
「ギルバート様、霧が濃くなりすぎました。今進むのは危険かと」
「そうだな。ここで霧が晴れるのを待とう。それでサミュエル、小屋まではあとどれくらいかかる」
霧が丸一日同じ場所で漂っていることはない。数時間すれば必ず晴れる。ただ、日暮れを待つばかりの今の時間だと、それからの移動は厳しいかもしれない。
「一時間半ほどかと」
「日が暮れてからの移動はどうか」
「避けた方がよろしいかと」
「では、近辺に野営に向いた場所はあるか」
「ここでございます。右手に少し下ったところに清水がございますし、比較的平坦で、危険な箇所もございません」
「ならば、今夜はここで野営とする。レン、霧が薄まったら野営の準備を」
ルーシェを背から下ろし、ぬれた落ち葉をかき分けて、乾いている土の上に座った。足の間にルーシェを座らせる。おんぶ時にルーシェの尻置きにもなっているウェストポーチをはずし、毛皮のマントを取り出した。
ルーシェには初めから着せてある。背にくくられたままだと、動けず、体が冷えやすいためだ。
ポーチを腰に戻してから、マントを羽織って、ルーシェも一緒にくるまった。マントの合わせ目から顔だけ出るようにしてやると、俺を見上げて笑ったあと、マントの中に引っ込んだ。
わかる。俺も父上にこうしてもらった時、同じことをした。薄暗くて狭くて暖かいそこは、俺のために用意されたもので、守られているのがすごくよくわかって、安心したものだった。
「今のうちに、調理の下ごしらえをしましょうか」
サミュエルは頭上を見回し、立ち上がっていって枝を一つ切り落としてきた。
「ルーシェ、見ておけ。サミュエルがウサギをさばくぞ」
ひょこりとルーシェが顔を出す。
サミュエルは革袋からウサギを取り出していく。全部で六羽。あれを狩ってきたのは、彼の相棒ハールだ。
道中で時折、サミュエルは全員止まるようにと手を上げる。声で指示しないのは、静かにして気配を殺せという意味だ。そうしておいて、ハールに短く命令すると、ハールは指示された茂みに素早く入り込んでいく。そのうち奥の方で騒ぎが起こって、意気揚々と獲物をくわえて帰ってくるのだ。
サミュエルは切り落としてきた枝の小枝や葉を取り、先がY字になった四十センチほどの棒を作った。それからウサギを小脇に抱え、その棒をウサギの尻から突っ込んだ。ぐいぐいと首のあたりまで入れると、棒をぐるぐるとねじり回し、それと反対になるようウサギの体も回しつつ、一気に棒を引き抜く。棒にはウサギの内臓が絡みついており、見事にすべてが抜き取られていた。
同じように、全部で五羽のウサギが次々処理される。
それが終わると小刀を取り出して、ウサギの下腹部から刃を入れて、皮を剥いでいった。
それにしても見事な手並みだ。簡単そうにやっているけれど、実際にはコツがいる。
「ルーシェ、動物の体には、だいたい肉と皮の間に薄い膜があるんだ。それにそって刃を入れていくと、ああいうふうにきれいに剥げる。……初めのうちは、うまくできなくて、毛皮に穴があいてしまうものだけどな。穴がない方が毛皮は高く売れるんだ。服やなんかに仕立てるとき、穴がない方がいいのはわかるだろ?」
サミュエルが、ウサギの耳の先まで毛皮をスルンと剥ききったのを見て、ルーシェが身を乗り出した。
「おれもやってみたい!」
あわてて捕まえて、マントの中に引き戻す。気持ちはわかる。あのスルンは見てても爽快だ。俺もやってみたくて、サミュエルにさんざん教えを請うた。
あの頃の俺は力の加減がわからず、皮も肉も何度も引きちぎってしまったものだった。その場合、内臓が残っていると、悲惨なことになる。それでああやって、先に内臓を取り除く方法を教えてくれた。普通は皮を剥いでから内臓を取ることが多いのだが。
「七歳になったらな。そうしたら、ルーシェのナイフを作ってやる。俺も七歳のときにもらったんだ。あれは自分のナイフでやるものなんだ。それまでは、よく見てやり方を覚えておく」
「ななさい? ななさいって何? どうやってなるの?」
「今、ルーシェは五歳だろ? 来年の誕生日には六歳になって、その次の年の誕生日には七歳になる。『誕生日』は知っているな?」
「うん。生まれた日! 俺はねえ、炎陽の十五!」
「そうだ。よく覚えてたな」
ルーシェの小さな手を取って、いち、に、さん、し、ご、と左の小指から順番に指先にちょんちょんと触れていき、今ここな、と言葉を添えてから、ろく、しち、と右の親指と人差し指にも触れてみせる。
「今ここ……ナイフもらえるのここ?」
「そう」
ルーシェがブルッと震えた。顔を覗きこむと、らんらんと目を光らせてニコニコしている。楽しみで楽しみでしかたないのだろう。
内臓は後で別に煮て犬に食わせるとか、ただし膀胱は臭くて食べられないので取り除くとか。腸も中を洗った方がいいとか。そういったことを、サミュエルは作業しながら丁寧にルーシェに教えてくれた。
隣でウルム卿もじっと見入っていた。
「ヴァユでは野営食はどんなものを作るんだ?」
「私はこういった経験がないので……」
「ない?」
「はい。私は陛下のお供でしか城から出たことがなく、基本的に出先でもてなしを受けることが多いのです。
向かう道中で泊まれる城や館がないときは天幕を張るのですが、陛下のおられるところはどこであっても宮廷ですので、食材は豊富に携えておりますし、選任の料理人が用意します」
「狩猟大会でもか? 狩った肉を振る舞うだろう?」
「はい。その肉を振る舞われるのは、貴族や有力者ですので。料理人が調理します」
さすがは、竜が現れる前から続く王国の末裔というところか。うちみたいな、竜害のせいで孤立した集落の男達が、追い詰められてやむを得ず竜退治に行き、死なずに竜殺しになった者が集落の守護者になった、という成り上がりとは、世界が違う。
ただ、人ごとながら、それでいいのかという気はする。何か事が起きて身を潜める必要ができた時に、それでは食料を調達できなくないか? 竜殺しは鱗や髪が特徴的で――俺はその上、竜眼まである――、人の出入りの多い地域で、余所者に紛れて隠れる、という方法をとれない。人の寄りつかない地域でのサバイバル生活が予想されるのに、獣くらいさばけないと話にならないと思うのだが。
……なんて、そこまで追い詰められることはないと、ヴァユの女王や竜殺しは考えているのだろう。なにしろヴァユの抱える竜殺しは、五家十人。それ以外にも、現在預かり子が二人、成人して領地に戻った元預かり子も何人もいる。なにより、それだけの戦力を背景にした同盟を築いている。うちも参加しているくらいだ。
……この同盟の盟主は、確かにヴァユだ。だが、首領ではない。竜害時に我々を見捨てた者の末裔に、命懸けで守り抜いた耕作地を、人民を、ゆだねたいと考える城主はいない。
「では、いい土産話になるだろう。うちの腕利きの猟師、サミュエルの料理を堪能していけ」
「楽しみです」
ウルム卿はまた、サミュエルの手元に視線を戻した。




