異獣狩り7
「髪色を確認しろ」
レンが帽子をむしり取る。明るい色合いの緑の髪が現れた。
「ムンドールの竜殺しですね」
ハヌーヴァ同盟の一員だ。ランダイオの隣に位置する領国だから、今回の情報はすぐに入っただろう。領地はうちと接していないが、川の上流にあり、船で下ってくれば一日とかからない。
溜息が出た。よりによって、ムンドールとは。
ヴァユ同盟に対して盾の役目を果たしてきたランダイオとムンドールの竜殺しを、二人とも殺してしまった。どちらも若く、後継者がいない。面倒なことになった。計画通り森の奥に捨ててくるわけにはいかなくなった。
「城に伝令を。遺体を城に運ぶ」
命じてその場を離れた。川で手と短剣の血を洗い流し、手頃な石に腰を下ろす。刃を拭く布を取り出しながら、おずおずとついてきていたウルム卿に目をやった。
「ムンドールの竜殺しを逃がしてしまい、申しわけありません……」
「いや、卿がいて助かった。おかげで部下を失わないですんだ。礼を言う」
仲間を殺された腹いせに、通りすがりに隊員達が殺されていたかもしれなかった。成人した竜殺しだ、俺の追撃を避けながら、そのくらいのことはやってのけただろう。だが、もう一人竜殺しがいると知れば、挟撃を避けようとするはずだと考えた。そのために、わざとウルム卿を指名したのだ。つまりは、囮に使ったのだった。
「お役に立てたのなら、よいのですが……」
彼も石に座り、刃の手入れを始めた。俺は刃先の欠けたナイフをしまい、おぶい紐をはずした。ルーシェを下ろして膝の上に座らせる。
「いい子にしてたな。痛いところはないか?」
「ないよ!」
がばっと抱き付いてきたので、頭を撫でた。額をぐりぐりと押しつけてくる。
「こわかったか?」
「んーん!」
まあ、顔を出すなと言いつけておいたから、ほとんど見えるものはなかっただろう。今も死体の処理を見せないために、こちらに来た。さすがにまだ、五歳児にあまり殺伐としたものは見せたくない。
携帯食を食べさせ、水も飲ませる。ついでに俺も。
「……閣下はお強いですね」
とうとつに脈絡もなく、何を言いだすのやら。ウルム卿自身があの宴で言ったとおり、成人前の同族に殺意を抱けず、逃げだした竜殺しを殺しただけだ。
反射的に皮肉交じりにそう思って、そういえばウルム卿は、ムンドールの竜殺しが逃げだした場面を見ていなかったのだと思い出す。ただ、武器を持って向かってきた姿しか見ていないはずだ。
「……実は、竜殺しを相手にするのはこれが初めてでして。さっきは夢中でしたが、今になって何度も思い浮かんでくるのです。自分がどう打ち込んで、閃く刃がどう迫ってきたか……。剣戟の重さも速さも訓練とは違って……」
そこで言葉に詰まり、黙りこむ。彼はじっと己の手を見つめており、その指先はかすかに震えていた。
「……命のやり取りをしたのだからな」
「ああ。そうです。そう。それを閣下は制された。強い意志で。……私の覚悟など木っ端でした。己の未熟さを思い知りました」
何を仰々しいことを。
笑い飛ばしそうとした寸前、ぎゅっと拳を握り込んで顔を上げたウルム卿がひどく真剣な顔をしていて、やめた。
「……あまり買いかぶるな。俺だって、卿の領地でこんなことに巻き込まれたら、やれることは限られる。卿は卿の責任を果たした。俺は俺の責任を果たした。それだけだろう」
突然、ウルム卿が己の心臓のあたりを押さえた。なぜか顔が真っ赤になり、妙な表情――雷に打たれでもしたような――をしている。
挙動不審で気味が悪い。密かにルーシェを抱え込み、いつでも飛び退けるように準備した。
「……閣下のおそば近くで仕えられる者達が羨ましいです。……あ、いえ、我が主に不満があるわけではないのですが!」
おたおたと手振り身振りで弁解している途中に、何か思いついた表情になって、ぱっと立ち上がったかと思うと、端正な騎士の礼をする。
「私は閣下に仕えることはできません。しかし、このウルム・ケーニヒ、必ずや、閣下の名に後れを取らぬ竜殺しになると誓います」
うん……? 遠回しに喧嘩を売られているのか……?
何を意図しているのかよくわからない。かといってうっかり聞き返したら、また滅茶苦茶なことを言われて、フォローを入れる羽目に陥りそうで嫌だ。ここは黙ってやりすごしておこう。……と思ったのに。
「ねえ、ねえ、ねえ、ギル様! オクレヲトラヌ竜殺しってどんなの!? それって、立派な竜殺しとどっちがすごい!?」
「もちろん、閣下の名に後れを取らぬ竜殺しです」
「えっ、そうなの!? ギル様、それ本当!?」
「比べるようなものではない。ルーシェは立派な竜殺しになればいい。おまえの父のように、な。
ウルム卿、幼子をからかうな」
こいつ、幼い竜殺しの相手をよくしていると言うわりには、幼児の追求を軽視しやがって。なぜなにが始まると、納得するまで問い詰められるぞ。
「からかってなどおりません。現在、世界に、実際に竜殺しを殺した経験のある者が、何人おりましょう。若干十五にして二人を討ち取った閣下の名声は、すぐに世に広まります」
そうなのだ。ここ何十年も軍事的均衡が保たれて、大きな争いごとが少なかった。竜殺しが減りはじめ、軍事力の要たる竜殺しを失わないように、争いの解決方法が政略に移ったのだ。
そんな中で、エヴァーリがランダイオの竜殺しのみならず、竜も屠った。それが、どれほどの衝撃で受け止められたか、想像に難くない。
それでムンドールの竜殺しもこんな拙速な計画を立てたのだろうが……。
おかげで、ハヌーヴァの盾が二つ、完全に効力を失ってしまったじゃないか。そんな軍事的均衡を破るようなこと、するつもりはなかったのに!
でも、この好機をただ見送れば、次に構築される盾は、より強固なものになるだろう。そうとわかっていて座視できない。
とりあえず、あの遺体を城に送れば、父上と女王が今後の方針を考えておいてくれるだろ。……たぶん出兵一択だろうけど……。
今後の予想が次々と脳裏に展開して止まらず、考えをより分けるように、ルーシェの髪に指を通しては梳く。その心地よい一梳きごとに、より深く、深く、思考の淵に沈んでいった。
「閣下、お願いがございます! いつか、閣下の名と並ぶ誉れを手にした暁には、ぜひ友人にしていただけないでしょうか!」
ぽかんとする。急に現実に引き戻されて、話についていけない。ええ? 友人?? なんの話だ???
おもむろにウルム卿に視線を向けると、悲壮さすら漂う表情をしている。どうやら本気で言っているらしい。……あ。さっきの、後れを取らぬ竜殺し云々は、喧嘩を売っていたんじゃなくて、これの前振りだったのか? そんなのわかるかよ!
友人なんて、……ウィルバートは従兄弟だし、城内の者達と仲は良くても、なんとなく上下の関係があるし、それは城下の者達も同じで、オーレリア殿は相棒だし、他には……、あれ、もしかして俺、友人がいない……。
「友人って、どうやってなるんだ?」
気付いたときには聞き返していた。
しまった。いかにも友人がいない奴の質問じゃないか!?
「え、……どうなるんでしょう。恥ずかしながら、友人になりたいと思ったのが、閣下が初めてで……」
さらっと返され、敗北感を覚えた。完敗だ。彼は取り繕わなかった。そんなこと、気にもしていない。――そういう馬鹿正直なところが心地好い。
「俺も卿と友人でありたい。……それでは足りないか?」
彼が目を見開き、それから嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます! 光栄です! よろしくお願いいたします!」
「こちらこそよろしく頼む」
俺達はどちらからともなく手をさし出し、固く握手を交わしたのだった。




