異獣狩り4
「ルーシェ、怪我はないか? 首が痛かったりしないか?」
急な方向転換についていけないと、首があちこちに振られるのは、幼い頃に経験済みだ。
「どこも痛くないよ。それ、もう死んじゃったの?」
「ああ。死んだ」
熊の心臓を狙い打つのはなかなか難しい。真横からかでは狙える範囲が狭く、かといって熊が立ち上がるというのは攻撃態勢で、両前脚で襲われる直前だ。しかも、心臓の周辺の肺や大きな血管を傷つけても、即死はせずに出血多量で動けなくなるまで暴れまわる。特に異獣の生命力は異常だ。即死レベルでも暴れてまわる。
今日はルーシェを背負っているし、よけいな攻撃を受けたくなかった。それで首の骨を折って周囲の血管も断った。首が折れると、さすがに異獣でもそれ以上は動き回れないようなので。
そんな無茶ができるのも、この特別製の槍のおかげだ。力加減を考えないで扱えるのがいい。普通の得物は、壊れない程度にしか力をこめられないものだから。帰ったら、鍛冶場に特別報酬を出さなきゃな。
ヒュイッと口笛を吹いて、犬達を集める。
「よし、よし、よくやった! よくやった!」
物入れから犬用のおやつを取り出し、次々撫でては口に押し込んでやった。ハールには主人の許へ帰るように指示する。これで折り返し、部隊の皆をここまで連れてきてくれるだろう。
「エヴァーリ公、お見事でした」
「ああ、うん。ウルム卿、卿にこれを持って帰ってもらうぞ」
「お任せください!」
そうは言っても、こんなでかいものを運ぶのは無理があるので、どうせ使えない内臓や肉は、岩場で焼き捨てていくんだけどな。
さてと。皆が来て解体が始まる前に、ルーシェに授業だ。
おんぶからルーシェを下ろす。手を繋いで、異獣のところに連れて行った。
「これは熊の異獣だ。この森に住んでいる熊が、病気で大きくなって狂暴に……、ええと、怒りん坊の、食いしん坊に、なった。……言ってること、わかるか?」
「うん。病気になって、こんなに大きくて怖い熊になっちゃったんでしょ。知ってる。おとーさんが教えてくれた」
すぐに言葉が出てこなくて、意味もなくルーシェの頭を撫でた。
「そうか。他に何を教えてもらったんだ?」
「お肉を食べちゃダメだって。病気がうつるかもしれないから。犬にもあげちゃだめだって。ほかの動物も食べないように、焼いてしまわないといけないって」
昔、人が食べる前に試しに犬に食べさせてみたらしい。すぐに死ななかったから、人も口にしてみたというが、硬い上に不味くて、結局食べられなかったという。
その後、異獣の肉を食べた犬達が、だんだん弱って死んでいった。そして死ななかった犬が、ある日凶暴化し、手当たり次第に生きているものを襲って食いだした。同族である犬も、飼い主である人も関係なく。食べるほどに巨大化していき、異獣になったと判断された。
異獣は放置しておくと危険だというのもあるが、その死体が次の異獣を産みだすからこそ、狩らなければいけないのだ。
「大事なことを教わっていたんだな。他には?」
「それだけ! もうちょっと大きくなったら、一緒に狩りに連れて行っていろいろ教えてくれるって言ってた!」
元気に答えた後に、あれ? て感じで俺を見上げた。だんだん口がへの字になっていく。下唇を突き出しはじめたので、ルーシェの髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。
「おまえのことは、ケイに頼まれている。俺が教えて、必ず立派な竜殺しにしてやるからな」
「……りっぱな竜殺しになれたら、ギル様もいっしょに神様のところに行ってくれる?」
ああ、いいな、それは。と反射的に思って――奥歯を噛みしめた。必ず、ルーシェを守ると決めている。一緒になんて冗談じゃない。何かあっても、死んでも絶対にルーシェは生き延びさせる。だいたい、俺の方が十も年上だ。
「それは神々の決めることだ。でも、俺が先に行って迎えに来てやるから、心配するな」
「え、やだやだ! 先に行っちゃやだ!」
手を振り払われたと思ったら、ぴょんっと跳ねて、どんっと腹にしがみつかれた。
「ルーシェも一緒に行くーう! おいてっちゃやだ、やだっ、やだっ、やあだあぁあ!」
うわああーっ、と泣きだした。
……この泣き方は、まだ本泣きではない。一緒に連れて行ってもらえないから、駄々をこねているだけだ。
とはいえ、これは、ずっと会えなくなる、というのがどういうことなのか、わかってきたということなんだろう。ほんの十日ほど前には何も理解できていなかったのに、立派な成長だ。
ぽん、ぽんと背中を叩いてなだめる。こういうのは根比べだ。何もかもを叶えてやることはできないし、守れない約束もできない。
そわそわと俺達を見守っていたウルム殿が、たまりかねたように身を寄せてきて、俺の耳元でそっと囁いた。
「……閣下」
近い! それに用件を言え! 幼子を泣かせてるなんて酷いですよと言わんばかりのまなざしで見つめ続けるのはやめろ!!
そのうち、俺が折れる気がないのを察したようで、またそわそわとルーシェを見守り、――すっと身を屈めた。
「俺なら一緒に行ってあげますよ」
俺が反射的に槍をかまえるのと、ルーシェがぷいっと反対方向に首を捻って言い放ったのが、同時だった。
「行かない!」
それで俺を見上げたと思ったら、ウルウルした目で訴えてくる。
「ルーシェはぁ! ギル様と行きたいのお! ねえ、ギル様、ルーシェといっしょに神様のところへ行こうよぉ、お願い!」
どきっとした。あれっ!? と思う。大きな目はキリッとしているのからはほど遠いし、眉はやわらかいカーブを描いて、唇なんか花びらのようだ。自分のことをルーシェと呼ぶ少し舌っ足らずな発音、庇護欲をそそる甘えた表情。……ルーシェが、女の子にしか見えない。
――まずい。これをウルム卿に見られたら。
「ルーシェ!」
焦って鋭く呼びつけながら襟首の後ろを引っ掴み、ベリッと引き剥がした。地面に立たせる。
俺の声音に、一瞬で体も顔もこわばらせたルーシェは、所在なげに立ち尽くした。……かわいそうで胸が痛む。でも、その姿も、女の子そのもので。
「一緒に神のもとへ行こうなどと言っても許されるのは、立派な竜殺しだけだ。異獣狩り一つできない身で、甘えたことを言うな。だいたい、おまえは本当に立派な竜殺しになる気があるのか? ケイや俺の父や俺が、そんなにメソメソ泣いているのを見たことあるか? 泣いている暇があるなら、どうしたら強くなれるか考えろ!そもそも自分のことを『ルーシェ』などと子供じみた呼び方をいつまで続けるつもりだ。男なら、『俺』と言え!」
……言い過ぎた。明らかに言い過ぎだ!
ルーシェは涙がこぼれないように目をみはって、漏れそうになる嗚咽を必死に呑み込んでいる。
この子はまだ五才だぞ!? 泣いて当然な年齢だ。立派な竜殺しになる気があるのかだって? いつも頑張っているだろう!
自分が言ったことの酷さに、息がうまくできなかった。
そんなことはない、俺が間違っていた、おまえはよくやっている。膝をついて、許しを請うて、ルーシェを抱きしめたい。
けれど、俺は城主だ。他領の竜殺しも一部始終を見ている。発言を撤回できない。間違いを簡単に認めてはならない。どんなささいなことでも、城主は最後まで己の発言に責任を持たなければならないから。
……だから発言には気をつけなければならなかったのに。もっと言いようもやりようもあったのに。
「……閣下」
とっさに、返事の代わりに、ドンッと槍の石突きを地に打ち付けた。ルーシェがびくっと肩をすくめる。
そんな幼子に向かって手をさしのべる。どうかこの手を取ってくれと願いながら。
「来い。熊の急所を教える」
「はいっ」
涙で裏返った声で返事したとたん、ルーシェの頬に涙がぼろぼろっとこぼれた。それをあわててうつむいてゴシゴシこすりながら、もう片方の手で飛びつくように俺の指を握る。
「おまえを必ず立派な竜殺しに育て上げる。絶対にだ。……約束だ」
「うん。約束、ね! ルー、あ、ちがった、お、おれ?」
「そう、『俺』」
「おれ、りっぱな竜殺しになるからね!」
「おまえならなれると決まっている。ケイの子で、俺が教え育てるんだからな」
「うん!」
涙で濡れた顔で、ご機嫌にえへへと笑っている。
ひょいっと引っ張って小さな体を投げ上げた。一瞬の浮遊に、わあっと歓声をあげるルーシェを抱きとめる。
抱き慣れたぬくもりと、揺るがぬ信頼が込められた視線に、ほっと緊張がとける。
……ごめん。ありがとうな。助けられているのは、いつも俺の方だな。
次は間違えてはいけないと、深く深く心に刻む。不用意な言動で、二度とルーシェを傷つけたり、不利な立場に置いたりしない。
振り返って、ウルム卿に話しかける。
「みっともないところを見せた。気を揉ませてしまったな」
「あ……、いえ、私もよけいなことを……」
「ルーシェ、先ほどの非礼を詫びろ。気遣ってくれたウルム卿に対して、ぷいってやって、怒鳴ったな。とても失礼だった。いけないことだったってわかるな?」
こくりと頷いたから下ろしてやると、胸に手を当て、片足を引き、正式な小姓の礼で頭を下げた。
「たいへんしつれーいたしましたおゆるしください」
ちょっと発音がおかしいが、まあ及第点だろう。五才にしては立派だ。
「ルーシェ殿、私は気にしていませんよ。顔を上げてください」
そう言われて、ぴょこんと頭を起こし、褒めて褒めてという顔で、すぐさま俺に抱き付いてきた。……反省が見られない……。そのへんを理解するにはもうちょっとかかりそうだな……。
「ウルム卿、卿の異獣狩りの経験も、この子に教えてやってはくれないか?」
「私でよければ、喜んで」
部隊の者が追いつくまでの時間を、異獣の死体を使い、ルーシェに急所とその狙い方を教えたのだった。




