異獣狩り3
……なんだ、そんなことを心配していたのか。
「ルーシェ、おまえを立派な竜殺しに育て上げるのは、俺の役目だ。他の者に任せたりしないぞ」
「ギル様がずっとおんぶしてくれるってこと?」
「ああ、そうだ」
「えへへ、ギル様大好き」
頭をわしっと掴まれ、ぐいっと左を向かされた、……と思ったら。
「痛っ」
耳を噛んだな!?
歯が生えはじめた頃に、歯ぐきがムズムズするのか、人に噛みつくようになったのを放っておいたのが悪かった。悪戯なんだか親愛の情なんだか――たぶん、かわいい歯形だなと喜んで噛ませていたせいで、喜ばれることだと誤解させてしまった――、そのうちだんだん噛む力が強くなってきて、笑っていられなくなったのだ。
人を噛むのはいけないことだとよくよく言い聞かせて、ここのところおさまっていたのに。
「こらっ、ルーシェ、それは駄目だって教えたよな!?」
「でも、上手にかわいい歯形がついたよ」
俺の耳たぶを引っ張って、得意げに言っている。
……ああ、もう! かわいいな!
「次は本当に怒るぞ! もうやっちゃ駄目だからな、わかったか!?」
後ろ手に尻をペシッと叩いてやると、「はーい、わかったー」ときゃらきゃら笑って体をくねらせた。おそらく反省していない。
「お二人は本当に仲がよくていらっしゃるのですね……」
ウルム卿があぜんとしている。うん、まあ、俺だって噛まれて喜んでいたのは、若気の至りだったと思っている。でも、寝返りもろくにうてなかった赤ん坊が、成長してるな、めでたいな、て嬉しくなるだろ、歯が生えてきたら! なにより、噛みついてはまんまるの目で上目遣いに見てくるのがかわいくて、もっと噛めっていう気持ちになったんだよ、あの時は……。
「兄弟同然だからな。ヴァユだってそうじゃないのか? オーレリア殿が、竜殺し同士の仲が良くて羨ましかったと言っていたぞ」
恥ずかしくて、少々早口にまくしたてた。
「兄弟。うん、兄……弟……。うーん、そうですねえ……」
目をつぶって何やら考え込んでいる。
「ヴァユでは違うのか?」
「いえ! 私も同鱗を兄弟と思っております。でも、閣下とルーシェ殿ほど、……その、なんと言えばいいのか……くっついて? 育った覚えはないと思ったんですが……、思い出しているうちに、それが当然だと思っていたことが、案外皆にかまわれていた気がしてきて……」
ははっと声をあげて笑ってしまった。なんだそれ。眉間に皺を寄せて首を捻り捻り話すようなことか? こんな無駄話、適当に話を合わせて流せばいいのに。正確に答えようとして四苦八苦しているなんて。
「卿は正直者だな」
「え、あ、ありがとうございます」
照れくさそうにもごもご言っている。それにまた笑ってしまった。
俺についてきて手伝おうとするとは、馬鹿げた行いだと思ったが、そんなことをやらかすくらい馬鹿正直なのだろう。……彼の人となりを知れたのはよかった。今後の判断材料の一つになる。
帰りに、ヴァユの他の竜殺しについても聞いておきたいものだ。だが、下心を見透かされそうな気もするな。ウルム卿が気付かなかったとしても、女王やオーレリア殿には。それを織り込んだ手を打ってくるのが、あの人達の頼もしくも嫌なところだ。
それ以降は自然と口を噤んだ。いつ現れるかわからない異獣を待つ。
風はなく、葉ずれの音もない。時折鳥のさえずりが渡っていくが、それさえ静寂を際立たせている。シンとした森特有ののしかかるような静けさは、女神の神威故だろうか。
ぼうっと森の気配を感じ取ることに集中し、時間の感覚がなくなってきた頃。
――森の奥が、ざわめいた。
鳥が何羽もあわただしく飛び立つ。甲高い警戒の鳴き声をあげている。
「ルーシェ、舌を噛まないよう、口は閉じていろ」
「ん!」
ちゃんと口を閉じて返事したらしいのを聞いてから、ざわめきに向かって地を蹴った。低木を飛び越え、適当な枝に飛びつき、着地点の幹を足がかりに、次へと飛ぶ。
ウルム卿がついてきているが、俺が戦闘不能にならないかぎり、手出しは無用と言ってある。そもそも、うろうろされると邪魔だ。それでも同行を許したのは、俺がエヴァーリの城主に足る力を持っているという証人にするためだ。あと、荷物持ち。重い熊の異獣は奴に持って帰ってもらう。勝手に押しかけてきたのだ、そのくらいのことはしてもらわないと。
犬の声も微かに聞こえてきた。近い。一度止まって、周囲を見まわす。
森の中で音は遠くまで通りにくい。木々や草、湿った土が、音を吸収してしまう。残った音はさまざまな物に反射し、思いがけない方向から聞こえてくる。音だけの判断は気をつけないといけない。
木立の奥の奥、木と木の間に、チラリと白いものが動いた。
見つけた!
犬が吠えながら、ある一定の区間を行ったり来たり走りまわっている。――その中心に暗く繁って見える物。それが、のそりと動いた。
いた。異獣だ。
熊を仕留めるには、横から心臓と肺を狙うか、立ち上がったところで心臓を狙うか、だ。もしも一撃で仕留められず、手負いにしてしまえば、死に物狂いになって、てつもなく狂暴になる。それが異獣なら、脅威は普通の熊の比ではない。
こちらが風上でないことを確認し、気配を殺して物陰から物陰へゆっくり近付いていく。
殺意をむきだしにした咆哮が轟いて、背中でルーシェがビクッと動いた。俺達に気付いたわけではない。犬に苛立っているのだ。犬はよく訓練されていて、そう簡単に捕まえられないし、追い払えもしない。そんな犬達に周囲を走りまわられながら威嚇され続けるのは、鬱陶しいに決まっている。
ようやく異獣の姿がよく見える場所に来られた。およそ体高が二メートル、体長が四メートル強というところか。あまりに大きくて、犬がやけに小さく見える。
異獣が犬を爪にかけようと動いて、ちょうどこちらへと向き直った。
いい間合いだ。横の移動をするには足場がないが、上空の開け具合がいい。
物陰から異獣の前に飛び出し、一気に詰め寄る。振りかぶられた前脚に引っ掛けられる前に跳び、槍の穂先を異獣の頭蓋に当てて、宙返りしつつ体を捻って、異獣の背に着地した。
前脚で襲ってくるが、背中のここまでは届かない。同時に、俺を振り落とそうと体を揺すりながら立ち上がろうとしている。
異獣の肩甲骨の上で足をしっかり踏ん張って、槍をぐるっと回して逆手に握る。その穂先を、頸椎に力いっぱい叩き込んだ。
ガガッと骨が砕けた感触に、もう一度振り上げて、同じ場所に打ち込む。ブツブツブツッと何かが千切れていき、深く深く突き刺さった。とどめに頭を力一杯蹴りつけると、脊髄から頭がはずれて、ガクンと折れ曲がった。
異獣が力を失い、小山のような体が傾いていく。そこから飛び下りると、目の前で地響きを立てて倒れ伏した。




