異獣狩り2
ウルム卿は俺の姿を見たとたん、脱ぐのをやめて、両手を上げた。
うんまあ、ベルトも武器になるし、ズボンの内側に暗器を隠していることもあるしな。
「エヴァーリ公! お供させてください! なんでもやります、勢子でも荷物持ちでもお任せ下さい!」
ほっとしたのか喜々として言われ、とっさに言葉が出てこなかった。「おまえのために、こんな大がかりになっているんだが!?」と言いそうになるのを、すんでのことで呑み込む。
とりあえず、高い位置を陣取られているのは落ち着かない。戦うとなれば、こちらが不利になる。……十中八九、敵意はないのだと推測していても。本当に俺を殺す気なら、気配を悟られる前に攻撃してきたはずだし、気配を悟られたなら、撤退して次の機会をうかがったはず。
溜息をつく代わりに、犬達に「伏せ」と命じた。
「ウルム卿、下りてこい」
彼はぴょんと跳んで、犬達から離れたところに軽やかに降り立った。犬達がそちらへ向いて、飛びかかりたそうににじり寄りつつ、低くうなり声をあげている。
「服を着ろ」
本人が言ったとおり、この森に慣れていない者がここまで来ておいて、他の隊を探すのは無理だ。案内役もなく一人で狩りをするのも。だいたい遭難する。
……彼だって竜殺しだ。追い返したとして、たとえ遭難しても、ちょっとやそっとでは死なないはずだ。彷徨っているうちに街道に出られる日がくるだろう。何ヵ月かかるかわからないし、冬も近いが。そこまで心配してやる義理はない。
「申し出はありがたいが、ラダ様の騎士を勝手に借りるわけにはいかない」
ウルム卿は靴紐を縛り終わっていないのに、シュタッと騎士らしく片膝をついて胸に手を当てた。
「我が命は未だ閣下に預けられております。どうか、罪を償いご恩に報いる機会をお与え下さい」
恩があるとわかっているなら、なぜここにいるんだよ!? 本当にわかっているのか!?
宴席の後から姿が見られないと――恥ずかしくて合わせる顔がないのだろうと――オーレリア殿が言っていたが、まさか俺のところに来るなんて。
こういう行動力のある、迷惑なことばかりしでかす奴を、野放しにしてもらいたくない。部下の管理は責任を持ってしてもらわないと困るんだが!?
「卿がなすべきは、誰よりも多くの異獣を狩り、成果を主たる貴婦人に捧げることのはずだ」
「お言葉ながら、それは我が同胞の誰かが成してくれるはずです。なので、私は閣下のお役に立つことこそが今するべきことと存じます」
ああ言えばこう言いやがるな!? こいつの暴言を大事にしないために、言われた俺は、城の酒蔵を開放したんだぞ!? 挙げ句に異獣狩り大会なんか開いて、貴婦人に捧げてもおかしくない褒美を用意する羽目に陥っている。それをどう考えているんだ、こいつは!? 全額請求されたいのか!?
「閣下こそ栄誉を得るに相応しいお方です。我が主もそう考えておられるはずです。私の助力など閣下には必要ないと、もちろん存じておりますが、私も竜殺しの端くれ、丈夫さと足の速さには自信があります。どうぞ囮にでも使ってください」
……大きな借りを作るよりは体で返すと言っているのか?
この押しの強さだと、断っても勝手についてきそうだ。今まさにそういう状態だし。……それで、良かれと思ってありがた迷惑なことをしでかしそうだ。それくらいなら、目の届くところに置いて使った方が、マシか……?
部隊長――というか、俺の護衛隊長――のレンに目線で聞く。肩をすくめられた。それは、本人の望み通り、こき使ってやれってことでいいか?
「……わかった。加わるといい」
「ありがとうございます!」
「レン、彼に今日の予定を説明をしてやってくれ。……ああ、ついでだ。休憩にしよう」
兵達が弓を下ろして物陰から出てくる。
俺もルーシェを背から下ろして、おやつの時間にすることにした。
「これは大きいですね。体長が四メートルはありそうです」
木肌が削れた跡を見上げて、ウルム卿が言った。俺の身長の優に倍の位置まで木の皮がなくなって、白い内皮が見えている。
オスの熊は習性で、立ち上がって木に体をこすりつける。体が異様に大型化し凶暴性が増して異獣と呼ばれる状態になっても、基本の習性は変わらない。
先ほど別の木に見つけた爪の痕跡――恐らく、木の実を食べるために登ろうとして、あまりの体重に木が折れてしまっていた――も、深く太かった。
「そうだな。他所に彷徨い出ていなければいいが」
今は多くの者が森に入っている。他の隊が襲われたら困る。この大きさではかなり危険だ。被害を出したくない。
あたりを見てまわっていたサミュエルが戻ってきた。
「ギルバート様。下生えの折れた痕跡が古くありません。このあたりから遠くには行っていないはずです。犬を放ってはどうかと」
「わかった。そうしよう」
レンに頷いてみせ、細かい采配を任せた。
犬が匂いの痕跡を追っていくのを見送って、短槍の握りの状態を確かめる。柄も鍛造したもので、滑り止めと温度対策(暑い日には火傷しそうなほど熱くなるし、寒い日には凍って皮膚が貼り付いてしまう)に、異獣の革を紐状にしたものを巻いてある。これならば、熊の異獣の怪力でも折るのは難しい。木製の槍では、爪の一本でもあたれば砕けてしまうのだ。
当然重く、扱える者は限られる。何より問題なのは、木製ならばしなってある程度吸収してくれる衝撃を、金属製は直接使用者に伝えてしまうことだ。手が痺れて取り落とすだけならまだしも、使用者の関節が壊れてしまうこともある。強靱でしなやかな関節や筋肉がないと扱えない、まさに竜殺し専用と言える武器だった。
問題ないことを確かめ終え、ウェストポーチから携帯食料を取り出して、ルーシェに渡した。俺も一つ口に放り込む。腹が減ったり朦朧とする前に、適宜栄養と水分を摂るのは鉄則だ。
「閣下、異獣を仕留める時も、ルーシェ殿を背負ったままでなさるおつもりですか?」
ルーシェがぎゅうと首に抱き付いて、俺の耳のあたりに頭をくっつけてきた。くすぐるようにそれを撫でてやる。
「ああ。これがエヴァーリの流儀だ」
幼児を背負ったままでは危ないとか言いたいのはわかる。だが、この森の異獣を狩れなければ、エヴァーリの竜殺しとして役に立たない。そのために、森の歩き方から異獣の狩り方まで、幼い頃から触れさせる。……そういうことだったのだと、今はわかる。
実際、初めてあの巨大で凶暴な獣と目が合った時、餌として見られていることに戦慄した。父の背中にくくりつけられていたからよかったものの、そうでなければ立ちすくんでいただろう。
そんな恐ろしい異獣を、猛然と狩る父の強さに憧れた。どうやって追い詰め仕留めるか、その背から、呼吸や間合いまで余すところなく直に見て学んできた。ケイのいない今、俺がルーシェに伝えてやらなければならない。
ウルム卿が困ったような苦笑を浮かべ、一歩引いて両手を顔の位置まで上げた。まるで敵意がないのを示すかのようだ。そして、俺の背後を覗くように首を傾げた。
「ルーシェ殿、おんぶを代わろうとは思っていません、俺も、閣下も。要らぬ事を聞いてしまったようですね。すみませんでした。本当に、ふと、どうするのかと思って聞いただけだったんです」
首を締めつけていた腕がゆるんだ。




