異獣狩り1
角笛が鳴り響いた。兵が見送りの者に弓や槍を掲げてみせながら出立する。昨日、広間の床に、二日酔いで呻いて転がっていた者達とは思えない精悍さだ。
俺の部隊はレンが率いる二十名の兵、……と俺がおんぶしている見学の幼児一名。
「いってきまーす!」
ルーシェがめいっぱい手を振っているらしく、母上や女王や王女がにこにこと手を振り返していた。
ルーシェの体が揺れると、けっこう俺の重心もぶれる。
「ルーシェ、狩りの時はおとなしくして、動かないでいてくれるか?」
狙いがそれたら怖い。それだけ反撃される機会が増える。俺一人ならまだしも、ルーシェに怪我をさせたくない。
「うん。それ、大旦那様にも言われた。約束した!」
「そうなのか?」
「それができないならお留守番て言われた……」
だんだん自信なさげに声が小さくなる。手を振っていたのがいけなかったかもしれないと、心配になってきたのだろう。
「今は狩りじゃないから動いてもいいぞ」
ルーシェはンヘヘとおかしな笑い声をあげて、俺の首に両腕をまわし、身を乗りだしてきた。
「ねー、ねー、森のどのへんに行くの?」
「ここからは見えないな。城のあっち側だ」
城の裏手に広がるのは、昔々、竜が世界を支配していた頃、竜さえ退けたほどの深い深い森。
竜は木の枝にさえぎられて、上空からの急襲も、這い入ってくることも、できなかったという。そこへ、我々の祖先は平地から移り住んだのだそうだ。
と言っても、森のほんの端だ。エヴァーリは深く、迷い込んだら出てこられなくなる。竜に襲われない程度に内側で、畑に行くのに困らない場所を、女神から間借りしたのだった。
今もその繁茂ぶりは健在で、通り抜ける道は拓かれていない。街道は森の縁を通り、河川沿いに続く。
本当はつっきって行ければ、近隣ともっと簡単に行き来できるはずなんだが、一番の問題は維持に手間暇がかかりすぎることだ。ちょっと放っておくと、すぐ森に戻ってしまうのだ。そのせいで、城が森に呑み込まれないように、本来なら森が天然の要害になって、城壁なんていらないはずの城の裏手にも、城壁が築かれているくらいだ。
正門を出ると、犬の鳴き声が大きくなった。城の猟犬が連れ出されているし、案内役の猟師の猟犬もいる。背中でさかんにルーシェが動いているのが感じられる。犬に触りたいんだろう。
「ルーシェ、犬達も今日は仕事だから、遊んでやるのは駄目なんだ。犬の気が散ってしまうからな。狩りが終わったら、かわいがってやろう」
「犬もお仕事。そっかあ……」
レンが猟師を伴ってやってきた。
「ギルバート様、案内の者が参りました」
「やあ、サミュエル。今日は頼む」
そろそろ六十を超えてだいぶ髪が白くなったが、がっしりした体は衰えが見えない。俺が初めて異獣狩りに連れて行ってもらった時から、案内役はいつも彼だ。右に出る者がいないほど森に精通しているし、おまけに、作ってくれる飯がうまい。
サミュエルの相棒ハールが、ゆっくり尾を振りながら彼の足下で待っていた。精悍ないい犬だ。……乾燥肉をやって、撫でまわしたいな……。
皆の沈黙にはっとなり、サミュエルに視線を戻した。
「聞いているかもしれないが、ルーシェを初めて狩りに連れて行く。……ルーシェ、猟師のサミュエルだ」
「ルーシェ・ティレルです。よろしくお願いします」
「サミュエルでございます。どうぞお見知りおきを」
二人が挨拶し終えるのを待って、質問をした。
「報告書は五日前のものだったな。それ以降、変わりはないか?」
「はい。大きな個体や群れが発生した様子はありません」
そうはいっても、油断はできない。森のもっと奥で発生したものが、近隣の獲物を食いつくして移動してくることがある。それに、いつどこで発生するのかわからないのが異獣だ。
なぜ異獣が現れるのか、理由はわかっていない。天に巨大な穴があいて、そこから竜が飛び出してきた時より前には、異獣はいなかったというから、竜と共に入り込んだ目に見えない何かが、こちらの生物を異形化させているのではないかと言われている。竜殺しが竜によって異形とされたみたいに。
全員がぞろぞろと、森の入り口に設置された祭壇へと向かっていた。ヴァユの一行もだ。狩りの無事を願って、ネイトに森の女神に祈りを捧げてもらうのだ。
祭壇には酒と杯が用意されている。果物で仕込んだものではなく、麦酒だ。女神はは酒好きらしく、森で飲めない酒を献上すると、とりわけ喜ぶのだそうだ。
祭壇の前で待っていたネイトに目礼され、俺も頷き返した。彼が森へと向き直る。錫杖を斜めに掲げ、右から左にシャンシャンと五回鳴らし、女神に捧げる祝詞を唱えはじめた。
「森に御座すいと尊き神、エヴに畏み畏み申し上げる。森の恵みを分け与えられし我ら、その平穏を乱しし異獣を狩らんと、馳せ参ず。しばし我らが森を騒がすことを許したまえ。異獣を仕留めた暁には、祝杯を献じ奉らん。どうか無事に帰還できるよう、加護をたまわらんことを畏み畏み願い奉る」
そういうわけで、森では禁酒だ。森の中で酒を飲んだら、女神に狩りが終了したと断じられて、そこで加護が切れる恐れがある。そもそも、酔って狩りなんて事故の元で、言語道断だ。
それぞれの部隊が割り振られた地域に出発していった。俺達も森へと分け入った。
城を左手に見ながら、あるかなきかの獣道を辿っていく。城の塔が梢の間から見えなくなった頃、隊の後方を歩く兵から、何者かが忍び寄ってきていると報告を受けた。
俺の周囲が手薄になる時を狙って、暗殺を目論む輩がいるのは、想定済みだ。だからレンがついてきているし、部隊人数も多めにしてある。
ただちに移動をやめ、兵は静かに迎え撃つ配置についた。俺も身を潜め、肩越しにルーシェに囁く。
「顔を出さずに、静かにしているんだぞ」
「はい」
犬が放たれる。
下生えに器用に突っ込んで、獲物を探して駆けていく。やがて、犬の盛んな吠え声と、人の声がわあわあ聞こえだした。
ザワッという大きな葉擦れと、犬の声がだんだん近付いてくる。木の枝を飛び移っているのだ。
「エヴァーリ公! エヴァーリ公! どこにいらっしゃいますか!? ウルムです! お手伝いしにまいりました! 誓って害意はありません!」
少し前方の木の枝に黒い人影が飛び移り、そこでボトッと短槍を落とした。続けて弓と矢筒、剣、ごそごそと探って短剣、そして背負った荷物も。
犬が木の下に追いついて、すさまじく吠え立てる。
「城の近くだと、同胞と行けと追い返されると思いまして! 後戻りできないところまで密かについてまいりました、勝手に申し訳ございません!」
上着が脱ぎ捨てられ、シャツも剥ぎ取られた。首元から手先まで朱色の鱗に覆われた肌がさらされる。胴にも散っていて、『炎の竜殺し』の通り名のとおり、炎が宿っているかのようだ。ブーツの紐がとかれ、片方ずつ犬に当たらないところに放り出された。
武器を隠し持っていないのを証明するつもりだろうが、戦士なら、そのへんの枝でも石でも武器にするし、人から奪う訓練もしている。なにより竜殺し本人が武器のようなものだ。特にウルム卿は手に鱗が集中している。あの手が剣や斧と同じ役割を果たすだろう。……とは言え、だ。
ガチャガチャとベルトのバックルをいじりだしたところで、俺は姿を現すことにした。




