女王7
武器を扱ったことのない女性の柔肌では、手を痛めてもおかしくない勢いだった。そして彼女は躊躇なく膝を折った。
「お詫び申し上げます。ウルムの身柄はお渡しいたします。どうぞいかようにも処罰をお与えください。また、我が配下の暴言は、我が不徳のいたすところにございます。賠償には誠心誠意お応えいたします。ただ、どうか、ヴァユの衷心をお疑いくださいませんようお願いいたします」
ぽかんとしていたウルム卿は、はっとしたように膝をつくと、ガンッとばかりに床に額を打ちつけた。
「申し訳ございません! 大変な失礼を申しました! この素首、落とせというなら、この場で自ら献上いたします! どうか、罰は愚かな私にお与えください!」
しんと静まりかえった。音楽が止まっている。多く招いたヴァユの一行の戦士達は、誰もが半ば立ち上がって柄に手を掛けているし、それはうちの者達も同様だ。
やめてほしい! 切実に! こちとら政略とか外交とかド素人の新米城主だぞ! いきなり手腕を問われるような問題事を起こさないでくれ!
わざとなのか!? どんなに怒っても、同盟を続けるために、命までは取らないだろうと見くびって、こんな小芝居打ったのか!? ……いや、そうは見えないな。
女王は腰を落として膝を折った苦しい姿勢のまま動かない。いつも人を食ったようなオーレリア殿も蒼白になっているし、自分が何を言ったのか気付いた瞬間のウルム卿の表情も、芝居だとは思えなかった。
どうも突発的な出来事らしい。……故意ではない、と。それはそうだ。人の城で暴言を吐いてそこの城主を貶めるなんて話が出回ったら、ヴァユの外交に支障が出る。普通ならやるはずがないのだ。
それをさし引いても、つまらないことで同盟にヒビを入れたくはない。どちらにしても、怒りにまかせた罰は与えられない。
そもそも怒ってないしな。同じことは、俺も考えなかったわけじゃない。だが、それがなんだ。殺しても殺し足りないとしか思えない。あんなに楽に殺してやるんじゃなかった。奴に関しては、それが心残りなだけだ。
「気にされますな、ラダ様。酔いにまかせた戯言に、目くじらなど立てません。このたびのことにお骨折りいただいたラダ様に、少しでも感謝を伝えられればと開いた宴です。どうか楽になさって、お楽しみください」
立った母上が、テーブルをまわって女王のもとへ行く。手を取り、頭を上げさせた。
「ギルバート、男性陣は酔いがまわってきたようだから、女性だけで気楽に過ごしたいの。良いかしら?」
「そのほうが良さそうですね。……ルーシェ、おまえは俺の代わりに、レディ達をもてなしてくれるか?」
ルーシェは俺をじっと見て、気乗りはしないがしかたない、という気になったらしい。「わかった!」と膝を下りて、母上達のところへ駆けていった。
「ラダ様、オーレリア殿、どうぞ良い夜をお過ごしください」
「寛大なエヴァーリ公に、イスヘルムの加護のあらんことを」
女王とオーレリア殿は口々に言祝ぎ、退出していった。
「酒と料理の残りを全部持って来い!」
大声で告げ、俺は自分の杯を持って、ひょいとテーブルを飛び越えた。這いつくばっているウルム卿の橫に。
「さて、ウルム卿。立て。俺の杯に酒を注げ」
自分の足下にびしゃびしゃとワインをぶちまけながら命じる。直接掛けてはいないが、侮辱されたとは感じるだろう。
ウルム卿はようやく立ち上がった。慌てて駆け寄ってきた給仕からデキャンタを受け取り、俺が突き出した杯に注ぐ。
それを、一息で飲み干してみせた。
彼からデキャンタを奪い、テーブルの上に置かれたままの彼の杯に酒を注いで、渡す。彼は神妙な顔で飲み干した。
それからもう一度俺の杯に注がせ、息を殺して見守っていた騎士達に、それを掲げてみせた。
「戦士は同じ革袋からワインを飲んだら仲間だが、エヴァーリ公たる俺は、革袋などとケチなことは言わない。我が城の酒蔵を解放する! 皆、とりあえずは手元にある酒を注ぎあえ! ここからは無礼講だ!」
わっと歓声があがる。
意図を汲んでくれた兵隊長のレンが席を立って、率先してヴァユの一行の中に入っていった。配下の者がそれに続き、入り交じって乾杯して共に杯を傾けて飲み干せば、新たな歓声と笑いが広がった。――俺達二人の周囲は、人がはけて、静かなものだが。
「ウルム卿、あんたに貸し一つだ」
「承知しております。なんなりとお申し付けを。命に替えても果たします」
まっすぐに俺を見て生真面目に言う様子を見るに、真っ当に反省しているみたいだし、恨みがあるという感じも受けない。不思議だ。
「なあ、なぜあんなことを言った? 俺に何か含みがあるなら、なにもこんな目立つところで言う必要はなかっただろ? 女王に恥をかかせるとは思わなかったのか?」
彼は痛いところを突かれたという顔をして、うつむいた。
「本当に、申し訳ありません。……信じてもらえるとは思いませんが、閣下のご高名はかねがねうかがっており、同じ年ならば負けられないと思ってはおりましたが、……その、勝手に親しみを持っており、今回の巡回についてきたのも、お会いしてみたかったからで……、ですから、けっして閣下を貶めたいと思ったことなど、なかったのです。我が主にも膝を折らせて、本当に俺は、なんてことを……」
片手で顔を覆って溜息を吐いている。そうだよなあ。合わせる顔がないよな。地面に穴掘って埋まってしまいたいと思ってそう。
「まあ、なんだ。うちのルーシェはかわいいからな。あんな態度を取られたらショックなのはわかる」
「ええ、はい、そうなんです。頭が真っ白になって、気がついたらあんなことを……。幼子の言うことを真に受けて、まったくもって恥ずかしいかぎりです……」
「わかる、わかる。俺もルーシェには弱い。竜殺しって、同族の子供には甘いんだろ? 本能なんだからしかたないんじゃないか?」
「そう言っていただけてありがたいですが、この失態はそれでなかったことにはできません」
自分で言うあたり好感が持てる。……あ、そうだ。
「だったら、うちの異獣狩りに参加しろ、罰として」
「喜んでお受けいたします」
よし、そういうことなら。
掲げたきりで飲んでなかったワインを呷る。空になった杯の底を、ガン、ガン、ガンとテーブルに打ちつけ、シンとなって注目が集まったところで、声を張りあげた。
「栄えあるエヴァーリとヴァユの戦士諸君に提案だ! 明後日、我が領で異獣狩りを行う。最も多くの異獣を狩った者に褒美をとらし、狩りの成果は貴婦人に捧げたいと思う。我こそはと思う者は、是非参加してもらいたい!」
おおおお、と雄叫びが上がった。特にヴァユの者達から。
この城にいる貴婦人といったら、女王か母上である。女王を讃える良い機会になるはずだ。
それに、うちも手伝ってもらったら助かる。冬眠前の異獣は食欲が増すし、冬眠しないものは餌の少ない時期は人里に下りてくることもある。異獣の被害が出る前に、ぱぱっと狩ってしまいたい。
「さすがうちの御城主様は太っ腹だ!」
どっと笑い声があがったと思ったら、ヴァユ側からも杯を掲げて讃えられた。
「英明なる竜眼公に神の祝福を!」
「懐が広い竜眼公に神のご加護を!」
竜眼公、竜眼公、と皆で杯をテーブルに打ち付けはじめたので、適当なところで追い払うように手を振った。
「わかっている! 飲み足りない者が多いようだ。もっと酒を持って来い!」
湧き上がった口笛と歓呼に、広間が揺れた。




