女王6
「悪かった。ルーシェが正しい。いつもどおり頼む」
泣くのを我慢して下唇を突き出していたが、両手を広げれば、ぽすんと胸元におさまった。俺の上着に顔をこすりつけて、涙を拭っている。鼻水まで拭かれる前に、ハンカチを取り出して鼻を押さえた。よしよし、上手にかめたな。
抱き上げて、椅子に座った。膝の上に座らせる。
向かいの女王は母上や書記のウォリックと会話しているし、オーレリア殿もそこに混ざっていた。ウルム卿は兵隊長のレンと剣の話で盛り上がっているようだ――チラチラと何回もこちらを見ているが。
ルーシェが膝の上で立ち上がって、テーブルの中央に置かれたパンの籠から、むんずと一つつかみ取ってきた。とすんと座ると、さっそくちぎって、「はいっ」と口に押しつけてくる。……いつにも増して張り切っているな……。しかもこれ、俺の好きなクルミのパンだ。くそっ。ほんっとうにかわいいなあ、ルーシェは!!!
パンを食べつつ、ルーシェの好きな干しぶどう入りのを取って、口に運んでやった。俺を見上げて、おいしいねっ、て感じで、にっこにこだ。
ルーシェの皿も引き寄せる。肉がちゃんと子供用に切られている。まあ、顎の力は人の大人より強いから、行儀を考えなければ、噛みちぎるのに問題はないんだが。
……なんてことをしている間に、次は肉だと察したルーシェは、俺のフォークを取ってブスッと肉に突き刺した。
「はいっ」
自分のフォークを持たせてこの状況を何とかしようと思っていたのに、そんな隙がない。というか、ぐいぐい口に押しつけてくるから、話すことがままならない。
黙って素直に口に受け入れ、当然のようにあーっと口を開けるルーシェにも、肉を食べさせてやる。
……笑えるくらい、俺達仲良しだな。いつもはここまでじゃないんだが、ルーシェが俺から離れないという印象を与えるにはちょうどいい。
ウルム卿がガタンと音をたてて立ち上がった。
「エヴァーリ公、不躾ながら、お願いがございます」
深く頭を下げている。腰が直角だ。立礼の最敬礼である。
武人が主でもない者にそんなことをするのだ。こちらも地位のある者として、拒否するわけにはいかない。度量を問われてしまう。
「改まってなんだ。話を聞こう」
「公が膝の上に置かれている、小さい白の竜殺しに、紹介を願いたいのです」
「いいだろう」
そうでなきゃ、この宴会に幼児を出席させてくれなんて言わないよな。あわよくばルーシェを引き取って育てたい――人手の足りないここより、実績のあるヴァユでとかなんとか――という目論見があるんだろうが、そうはさせない。
そのために、父に無理に顔を出してもらったのだ。戦闘は無理でも後進の指導はできる、と。
あとは駄目押しの、名付けて『ルーシェは城主にべったり』作戦だ。どんなふうにふるまえば、と皆に相談したら、『いつもどおりで』と言われたんだが、俺、常時、客人が納得するような甘やかし具合なんだろうか?
「ルーシェ、彼に挨拶を」
床に立たせる。
「はじめまして。ルーシェ・ティレルです。五才……じゃなくて」
ルーシェは口上を止めて、俺を見上げた。そうだな、女王の時に、ちょっと間違ったもんな。励ますように頷いてやると、またウルム卿へと向いた。
「ようこそおいでくださいました!」
照れ隠しなのか、くるんと一つ回ると、うまく言えたよね! て感じに、俺の膝につかまって、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
わしゃわしゃと頭を撫でて褒めてやる。
「上手に挨拶できたな、えらいぞ。さあ、次は、彼の挨拶をおまえが受ける番だ」
「あ、そっか。あいさつはじゅんばんこだった」
ぴしっと立ち直して――俺の腿の布地をつかんだままだが――、ウルム卿を見た。
「ヴァユの炎の竜殺し、ウルム・ケーニヒです。お会いできて嬉しいです。どうぞ仲良くしてください」
「うん、いいよ!」
「ありがとう! では、明日、一緒に遊びませんか?」
「一緒に遊んでくれるって! ギル様、明日は遊ぶ時間ある?」
「エヴァーリ公にお時間がなくても、ルーシェ殿だけでもどうですか?」
「え、やだ、行かない」
ルーシェはペタッと俺の膝に顔を伏せた。おや、珍しい。……いや、そういえばさっきも、オーレリア殿に対して、威嚇する子猫みたいだった。
「あらあら、人見知りなんて。ルーシェも大きくなったのね」
母上が言うと、女王も微笑ましそうに頷いた。
「そういう年頃なのですね。かわいいこと。ルーシェ殿はギルバート様が大好きなのですね」
ルーシェはチラリと女王を見ると、こくんと頷いた。
うあ……っ、ギュンって来た! そうか、俺のことが大好きか。かっっっわいいなあ!!!
「だっこ! だっこして!」
そうしてくれなきゃ、さらわれてしまうとでも思っているみたいで、泣きそうな表情でよじ登ってくる。それで、ひしっと抱き付かれた。しっかりと抱きしめてやる。
目を上げると、ウルム卿が悄然と突っ立っていた。……うん、こんなかわいいものに拒まれたら、そうなるよな。よかれと思って誘ってくれたのに。気の毒でかける言葉が見つからない。
「ギルバート様はどんな遊びを一緒にしてくれるのですか?」
女王に聞かれて、ルーシェは少し気分が上向いたようだ。
「昔話ごっことかー、けーことか……」
「昔話ごっこ、ですか? 私の知らない遊びです。どんなふうにやるのですか? 教えてくださいな」
ルーシェは俺から片手を離して、拳を突き上げた。
「昔々、まだ竜が世界を支配していた頃のこと! 我が名はワシリカ! あんまり強くない! 森で蜂蜜を探していたら、異獣に会っちゃった、逃げなきゃー!」
グ、ゴフッ、と周囲の大人から笑いを堪える声が漏れ聞こえてくる。
次はギル様の番! と見上げられ、ぎょっとした。
え、やらなきゃいけないのか? あれを?
ねえ、はやく! とキラキラした瞳でルーシェが体を揺すりだす。
……わかっている。こういうときは、恥ずかしがったらよけいに恥ずかしいことになるって。
「ガオーッ。うまそうだな、食いたいぞー!」
上から被さるように脅してやると、きゃーっと言って逃げだし、自分の椅子の背に隠れた。「逃げるよー、逃げるよー」と騒ぎながら、ちょろちょろと椅子のまわりを走り、「あ、家がある! 助けてくださーい!」と母上の膝に取り付いた。
「まあ、本当に楽しいですね! いつもそんなふうにギルバート様に遊んでもらっているのですね。他にはどんな楽しい遊びをするのですか?」
「えーとねー、他はねー、けーことか!」
「けーこ……?」
「武術訓練のことです」
母上が言い添え、女王は頷いた。
「ああ、そうですね。竜殺しの戦い方は、竜殺しにしか教えられないですものね。
ギルバート様はその若さで、年上の竜殺しを瞬く間に討ったと聞いています。その指導を受けるルーシェ殿も、強い竜殺しに育つのでしょうね」
ルーシェに手をさし伸べると、ぱっと笑顔になって、駆け寄ってくる。それを元のように膝に座らせ、女王に伝える。
「この子は、竜を討ち果たしたケイ・ティレルの息子ですから」
「そうでしたね。成長が楽しみなことです」
「エヴァーリ公が本当にランダイオの竜殺しより強かったかはわかりません!」
いきなり、ウルム卿が声を張り上げた。
「竜殺しは幼い同族に敵意を持たないものです。対して、住処に侵入された竜殺しは……」
「ウルム、黙りなさい! なんて失礼なことを!」
女王は扇子でウルム卿の頬を張り飛ばし、折れた扇子を取り落とした。




