来襲2
一輪の荷車に載せられるだけ載せて、三往復。
「これで終わりだ」
地下の食物庫の奥に運んだ樽を積み上げて、管理人に告げた。
「お疲れ様でした」
「うん。今年は豊作で良かったなあ」
ワイン以外も所狭しと色々な物が積み上がっている。城の各所に設けられている地下室にも豊富な蓄えが用意されているし、向こう一年は安心だ。
運び入れた者のサインをし、食物庫から中庭に出た。
ああ、やれやれ、すっかり汗だくだ。黒いシャツが肌にくっついて気持ち悪い。一番上のボタンをはずし、胸元を掴んでパタパタと空気を送る。物足りなくて、もう一つはずすと、すうっと奥まで風が入ってきた。
人みたいに上半身だけでも裸になれたらって、こういうときすごく思う。そうでなければ、せめて白いシャツとか。
白や薄い色は濡れると透けて見えてしまうので着たことがないが、皆口を揃えて、白は涼しく黒は暑いと言う。一度着てみたいんだよなあ、特に夏に。
鱗を目にするだけで怯えたり気味悪がったりする人がいるから、しっかり隠せる黒以外着られないのは、しかたないことなんだけれど……。
特にうちは、竜眼だし。金の瞳に黒い瞳孔が縦に走った目は、どう見ても異形だ。俺だって鏡を見るたびにそう思う。まさに人ならざるもの。
隠しようがないこれを初めて見た人は、だいたい顔を強ばらせて身を引くし、その後も目を合わせようとしない人は多い。
だからこそ身形に気を配れと厳しく言われている。いかにも怖い容姿でならず者みたいな格好をしていたら、よけいに怖がられるに決まっているから。
言葉遣いも、立ち居振る舞いも。とにかく声を荒げるな、所作に気をつけろと、くどくどくどくど、わかっているっての。本当に口うるさ……。
ハッとして執務室を見上げた。ボタンをはずしただらしない格好を父上に見られたら、拳骨が落ちてくる。
幸い父上の姿は見えなかった。さっさとボタンをかけ直す。
「あ、ギル様ー! お仕事終わった!?」
ルーシェがぴょんぴょん跳ねて手招きしている。手に木剣を持っているから、ケイを相手に振っていたんだろう。
「ああ、終わった、終わった。待たせたな」
「ルーシェねえ、ツキを教えてもらったの!」
「つき? ……突きか。そうか、そうか。見せてくれ」
「うん、いいよ!」
ケイから木の棒を借り、ルーシェの身長に合わせてしゃがんだ。
「さあ、来い」
「えーいっ」
ルーシェが踏み込み、木剣を振り下ろした。俺がかかげている木の棒を上から叩いて切っ先をそらせ、もっと深く飛び込んでくる。
ピュッと風を切る太刀筋は、幼いにしては鋭い。思っていたより懐に飛び込まれて、俺は受け流しきれずに尻餅をついた。
「よーし、よし、よし、ルーシェ、上手いぞ!」
ケイが喜色満面で駆けよって、ルーシェを抱き上げた。二メートルを超す大男が、でれでれと頬ずりして、幼子の頭を撫でまわしている。
「もー! おとーさん、鱗グリグリいや! けーこの邪魔しないで!」
ルーシェはぷんぷん怒って、ケイの顔を押しのけた。またもや情けない顔になったケイの腕から飛び下りて、こちらに駆けてくる。胡座をかいて笑っていた俺の手を、小さな手で掴んで引っ張った。
「ギル様、もっとけーこの相手して! ね!」
「ああ、いいよ」
竜殺しの子は、どんなに幼くても力が強い。だから、同じ竜殺しでないと、相手をするのは難しい。俺も幼い頃は、こんなふうに遊びがてら、ケイや父上に相手をしてもらったものだった。もっとも十五になった今でも、まだまだ稽古を付けてもらうのは変わらない。
俺はしゃがみなおして、木の棒をかまえた。
「ほら、ルーシェ、来い!」
そうけしかけた時だった。とうとつに見張りの鐘が、ガラーンガラーンガラーンとゆるやかに鳴った。
どちらからともなくケイと顔を見合わせた。見張り台に立つ兵が見ている方角を確かめ、急いで城壁に駆け寄る。
狼煙が上がっていた。川の上流を見張る砦からだ。不審な侵入者がいる知らせだ。ここからでは障害物があって、川は直接見えない。一度城内に戻って、父の指示を聞いた方がよさそうだった。
そう考えている間にも、鐘が激しく打ち鳴らされはじめた。――一度も区切らない、あれは。
「竜?」
見慣れた美しい眺めに目をこらして、見まわす。
狼煙が上がった場所よりいくらか南寄りに一点、鳥にしては不格好なものがはばたいていた。羽に比べて体が丸みを帯びて大きい。その体が青く燦めいている。――鱗だ。鱗が光をはじいているのだ。
「あれでしょうか」
ケイの目では、まだその姿をはっきりと捉えられないのだろう。だが、俺の竜眼では、その背に竜と同じく青い色の鎧を着けた人を乗せているのが見えた。――いや、人じゃない。
「ああ。青の竜殺しが乗っている」
「青。……やはり、ランダイオですね」
危惧していた日が来たのだ。
鐘が全城閉門を知らせるものに変わった。兵はそれぞれ持ち場につき、それ以外は最も近い地下室に逃げ込む合図だ。
「ケイ! ギルバート!」
頭上から呼ばれて振り返った。見張り台の下の階、執務室の窓を開け放って、父上が身を乗りだしていた。その横に、鎧を着せつけている兵の姿が見え隠れしている。
「川から舟でも武装集団が三十人ほど下ってきている。竜で乗り込み、城門を内側から破って、討ち入ってくる気だろう。
ケイ、鎧は着ているな? 竜を食い止めに行くぞ! ギルバートは鎧を着けてから来い!」
「はい!」
父上が窓枠に足を掛けた。槍を後ろから渡され、それを一つ、ケイへと放ってよこす。自身も一つ携えて、窓枠を蹴った。
飛び出した体は軽々と俺達の頭上を越え、主郭の下、三十メートル離れた場所に設置された足場に着地した。そのまま勢いを殺さず、また宙に身を躍らせる。次の足場へと飛び移り、城門目指して下っていく。
この城は、竜殺しが逸早く竜の来襲地に駆けつけられるように、設計されている。主郭の最上階にある見張り台からは、領地全土をほぼ見渡せ、また、城郭群は階段状に配置されており、人からの侵攻も防ぐ作りだ。
そして最大の特徴は、足場と呼ばれる直径二メートルの円筒状の柱が、何本も麓まで立てられていることだった。俺達は、それをまさに足場として駆けつける。
ただし、それは下りだけの話で、上りはたとえ竜殺しであっても、次々飛び移れないよう巧妙に配置されている。竜殺しの戦闘能力は、一万の兵に引けを取らない。一人に侵入されれば、そのたった一人のせいで、一城全滅しかねないからだ。
つまり、下ってしまえば、俺達も素早くはここまで戻って来られない。さっきまで荷物を運び上げていた俺のように。
竜は空を飛ぶ。頭上を飛び越され、主郭を襲われたらたまらない。なんとしてもそうさせずに、竜も竜殺しも食い止めなければならなかった。
「ギル様、ルーシェを頼みます」
足下で「ルーシェも見る! だっこして!」と騒いでいたのを抱き上げて、ケイは俺に手渡した。
「ルーシェ、いい子にしてろよ」
「やだあ! ルーシェもおとーさんと行くぅ!」
「だめだ。ギル様や奥方様の言うことを聞いて、いい子にしているんだ。ちゃんといい子にしていたら、後でたくさん肩車してやるから。肩車したまま足場を飛んでやってもいい。それでどうだ? ん?」
ケイは陽気に、ルーシェの頭を撫でまわした。けれど、絶対に譲らない態度は崩れない。
どう駄々をこねても、連れて行ってもらえないのがわかったのだろう。ルーシェは泣きそうな表情になって、俺の胸に顔を埋めるようにして頷いた。
顔を見せてくれなくなった我が子に苦笑して、ケイはぽすんとルーシェの頭を掌で覆って、手荒く揺らした。手を離し、背を向け、壁の上に、ひょいと立つ。
「おとーさん!」
ルーシェはあわてて顔を上げて呼んだが、彼は振り返らずに飛び下りていった。