女王3
会談が終わった。
人質は幼い故、すぐさま呼び立てて面通ししたりせず、改めて機会を設けることにした。こっちも受け入れの準備があるしな。
女王を広間から送りだして、俺もあてもなく抜け出した。
息抜きしたかった。痛切に。ルーシェに会いたかった。ムクムクした体を抱き上げて、やわらかい髪をもしゃもしゃに撫でまわしたい。
でも仕事はまだまだあるし、ちょっとかまっただけですぐ戻らなきゃだし、ルーシェの居場所を特定されるような行動はなるべく避けたほうがいいし……。
無意識にふらふらそちらに向かっているのに気付いて、立ち止まって溜息を吐いた。
そうだ、修練場に行って、槍でも振るってこよう。一汗かいたら、すっきりする気がする。でも、ルーシェに会いたい。
立ち尽くしてぐるぐる迷っていたら、二つの足音が近付いてきた。
「おーい、ギルバート様ー!」
姫君がドレスの裾を持ち上げて、走ってきている。その上、俺が気付いたのを見て、両手で持っていたドレスを片手にまとめ、空いた手を高く上げて大きく左右に振りだした。その後ろからは、護衛だろうウルム卿が、困ったような表情でついてきている。
「オーレリア殿。どうしましたか?」
「前に来た時に、エヴァーリの樹海がよく見えるところへ案内してくれただろう? ここへ来られたら、ぜひまたあの景色を見たいと思っていたんだ。駄目かな?」
淑女らしさをかなぐり捨てて走ってきたくせに、かわいらしく胸の前で手を合わせて――指でバツ印を作っている。視線で背後を指し示しているのから見るに、二人きりで話したいということか?
「ちょうど少し時間が空いています。お疲れでなければ、早速これからどうですか?」
「わあ、嬉しい!」
とびきりの笑顔を見せて手を打ち合わせたかと思うと、くるりと振り返った。
「ウルム、ギルバート様が一緒なら危ないことは何もない。戻っていいよ」
「ですが」
「ギルバート様が成人前でいらっしゃるのは、見ればわかるだろう? 二人きりになったからって、人の男みたいに警戒する必要はないじゃないか」
竜殺しは成人前は発情しないし、そもそも意中の相手にしか反応しない。俺と彼女が一緒に居たところで、男女のどうこうは起こり得ない。
それでも迷っている彼に、恐らく一番懸念しているであろうことについて、俺からも言葉を添える。
「オーレリア殿の方向音痴については知っている。必ず部屋の扉の前まで送ると、約束しよう」
「そこまでおっしゃってくださるのなら、姫をお任せいたします。
姫、くれぐれも、く、れ、ぐ、れ、も、エヴァーリ公に失礼のなきよう、お願いですから、重々、じゅ、う、じゅ、う、ご自重ください。特に言葉遣い! 乱れてますよ! 頼みますから!」
「うん、うん、気をつける」
まったく信用ならない返事に、ウルム卿は苦いものを口にしたような顔をしたが、黙って礼をすると、もと来た道を戻っていった。
「それで、本当に行き先はそこでいいんですか?」
「うん。行きたかったのは本当だし、他に聞かれる恐れがないところで話したいことがある」
ではこちらに、と先に歩きだしたら、彼女がはじけるように笑いだした。
「面倒くさそー、て顔してる!」
だって、内密な話ってなんだ? 絶対ろくな話じゃないじゃないか。だけど、知っておいたほうがいいから、こんな手でわざわざ会いに来てくれたはずで、聞かないという選択肢はない。
「取り繕うなと言ったのはあなたですが」
「礼儀正しいから、不遜さが倍~!」
立ち止まって、向き直る。
「今すぐお部屋までお送りしましょうか?」
「ごめんって! 久しぶりの小気味良い会話が嬉しくて」
また歩きだしながら、王女が再び与太話を始める前に、こちらから話しかけた。
「あれからずっと各地を回っていたんですか?」
「そうでもない。領地でも人脈を作らなければならないし、妹達にも平等に外交を経験させないといけないし。母の名代で近隣に行ったりはしていたけれど、移動宮廷への本格的な同行は、ここ一年ってとこ。
たぶん、ランダイオのこと、母はそろそろだと思っていたみたい。竜に人を喰わせているって報告が重なっていたから。基本的にエヴァーリに駆けつけられる距離で、付かず離れずうろうろしていた」
「それは、どんなところに行って、どんな風だったのか、是非また聞きたいですね」
ふと、彼女が前に来た時のことが、脳裏に鮮やかによみがえる。女王の華やかな一団が物珍しくて、その中にたった一人いた同じ年頃の子は変わり者で。領地から出たことのない俺には、いろんなところを巡ってきたという彼女の話は本当に面白く、もっとと話をねだったのだ。
「よおし、このオー姉さんが話してしんぜよう!」
当時と同じようにドンと自分の胸を叩いて、語りだした彼女の話に耳を傾けつつ、主郭の城壁塔を上っていった。
見張り台にはむやみと入ることができない――特に子供は――から、八年前も階段の途中に設けられた窓に案内した。今回も、こちらのほうが都合がいいだろう。
幼い頃は背伸びしても届かなかった窓は、今は余裕で覗ける。あの時は窓枠に先に上がって、彼女を引っ張り上げてやった。
窓からは見渡すかぎり、樹海が見られる。本来なら異獣狩りの季節なのに、まだ調査員しか派遣できていない。今年は俺一人だから、効率よく回らないと……。
「うわ、やっぱり怖い!」
少し身を乗りだして真下を覗き込んだ彼女が、後退って笑いだした。
「柵もないのに、こんなところに座って、外に両足ぶらぶらさせるなんて、正気の沙汰じゃない。本当はすごく怖かったんだ。だけど、あなたが平気な顔をしていたから、見栄張ってなんでもないふりをした」
「気付かなかったです。ウィルバートだって座ろうとしないのに、さすがヴァユの姫君だと」
「演技は成功だったわけだ。さすが私!」
窓から入る光を受けて、オーレリア殿のネックレスの緑柱石が、深い色をたたえているのが目に入った。やはり美しい石だなあ。
「食事の時も、じっとこのネックレスを見ていただろう」
「ええ。美しいですね。シュマケル産のものですか?」
「そう。シュマケル城主からもらったんだ、母が」
彼女が首の後ろに手をまわしたと思ったら、ネックレスがはずされて、はい、と手渡された。
「見てみたいんだろう?」
「ええ。一度、シュマケルの一級品をじっくり見てみたかったんです」
「そんなことだろうと思った」
光に透かしたり、日陰で見たり、矯めつ眇めつ、ついでに細工なんかも観察している間、彼女は窓に寄って外を眺めていた。
「大切な物をありがとうございました」
「どういたしまして」
さっとネックレスを付け直すと、彼女は俺と向き合った。
「さて、本題。
母の、というか、ヴァユの悲願が、なんだか知ってる?」
「いいえ」
「答えるのが早い! 少しは考える素振りを見せるのも、会話をする上での誠意だと思うんだけれど!?」
「そういうまどろっこしいの、お嫌いでしょう」
「おやあ? まどろっこしいって言えるようになったんだ」
八年前は初めて聞く言葉で、意味がわからなかったし、上手く言えもしなかった。懐かしい話ではあるが、彼女にからかわれるために、ここまで来たわけじゃない。
「それで、本題は」
「ああ、はいはい、ごめんなさい、私が悪かった。
ええと、うちの初代が女王に立った経緯は知ってる?」
「赤竜を殺した六人の勇者のうち、一人だけ亡くなったんですよね。その亡くなった方の姉を、残った五人の竜殺しが守ったのが始まりと聞いていますが」
「そう。竜の血を浴びて、一人だけ竜殺しになれなかった。それがうちの家系。
実を言うと、初代女王は五人の中に好きな男がいて、竜を殺しに行く前はいい感じだったんだって。ところが、竜殺しになってからは、さっぱり相手にされなくなったらしい。
まあ、実る恋もあれば実らない恋もあるものだから、その男を恨んでいるとかいう話ではないんだ、念のために言っておくと。問題は、それ以降も竜殺しとは全然縁がないってこと。
ほら、うちはもともと五家も竜殺しを抱えているし、移動宮廷なんかもしているから、他の誰よりも竜殺しに会う機会が多いわけ。なのに伴侶として選ばれないのは、竜殺しを産めない血筋のせいじゃないか、て噂されててね。
竜殺しって、身分とか歳とか関係なく、伴侶だと思う女性を見つけたら、それこそ竜の本能としか考えられない様子で、求婚を繰り返すだろう?」
「……そうなんですか」
「食べ物を持って、毎日結婚してくれってつきまとうじゃないか。知らなかった?」
「……」
見たことないし、聞いたこともない。自分で選んだ相手以外には、見向きもしないとは、聞いていたけれど……。
オーレリア殿は突然、ふっふっふと笑いながら、バンバンと俺の背中を叩きだした。
「まあ、まあ、恥ずかしくないって。竜殺しは皆そういうものなんだから! あなただけじゃないなら、いいじゃないか、ね!」
「そんなことはしない!」と言いたかったが、竜の本能に逆らえないことは知っている。できもしない宣言をしておいて、後で大笑いされるの嫌だ。しかたなく、黙って背中を叩かれた。