女王1
ランダイオの襲撃から十日が経った。
主郭の城門の向こうに、華やかな一団が近付いてくるのが見える。朱色の髪の少年――あの髪色はヴァユの炎と呼ばれる。竜殺しだ――が、着飾った女性が乗る馬を引いている。その少年と目が合った。
友好的なまなざしではない。まあ、この城に初めて来た奴は、だいたいこういう顔になる。こんな所まで登らせるとはどういうつもりだ、というところだろう。
一団が城門をくぐった。女王が合図をして、少年の手を借り地に足を着く。己の足でやってくる彼女へ、俺もルーシェの手を引いて、母と一緒に歩み寄った。
「遠いところをよくおいでくださいました」
「大きくなられましたね。遠目では父君かと見間違えました」
「年々父に似てくるとよく言われます。ラダ様はお変わりなくお美しくあられますね」
ヴァユの女王は、ふふふと笑った。
「まあ、口もうまくなられて。あの悪戯っ子が嘘のよう」
前回来たのは七年前。俺は八才だった。一つ上の女王の娘と意気投合して、配膳される前の蜂蜜酒を飲んで酔っ払ったあげく、大広間で歌い踊った。今でも何かというと持ち出されては笑われる失態だ。こんなにいつまでも言われるとわかっていたら、絶対にしなかった。
「その節はご無礼を。ご息女はお元気でいらっしゃいますか?」
「ええ。今日も連れてきております。あちらに」
彼女が振り返って掌を向けた方を見ると、若い女性がスカートの裾を摘まみ、腰を落とした。それに目礼を返す。
当時は仲良く遊んだんだが、顔はもう覚えていない。だから、あの人だと言われても、あの時の姫なのかはわからなかった。たぶんそうなのだろうけれど。
「その子はケイ卿の?」
「ええ。ルーシェといいます。
ルーシェ、ヴァユのラダ様だ。ご挨拶を」
「はじめまして。ルーシェ・ティレルです。五才です!」
あっ、という顔で俺を見た。うん、ちょっと間違ったな。初めての人には、「何才ですか?」てだいたい聞かれるもんな。聞かれる前に教えてやろうと思ったんだよな。
いいぞ、大丈夫だぞ、という感じに頷いてみせると、改めてはりきった様子で、女王に向き直った。
「ようこそおいでくださいました!」
女王はしゃがんで、ルーシェに笑いかけた。
「歓迎してくれてありがとう。会えて嬉しいわ。よろしくね」
「はい。よろしく、です!」
ルーシェの頭を撫で、女王は立ち上がった。今度は母に近寄り、その手を取った。
「グレース様、またお会いできて嬉しく思います。このようなことでお訪ねするのでなければ、もっと良かったのですが。この度のことには、私も心を痛めております」
「お久しゅうございます、ラダ様。急ぎおいでくださったこと、感謝いたします」
「エヴァーリは我が兄弟も同然。駆けつけずにおられましょうか」
「お心いたみいります。ラダ様とヴァユにイスヘルムの祝福のあらんことを。
どうかまずはお休みくださいませ。お部屋をご用意してございます」
サマルを呼び、後は母と彼に任せて、俺はルーシェを連れて先に城内に戻った。
ヴァユの一行は来客用の一角に案内される。それを俺が見ずに済ますのは、竜殺しにとって信用の証だ。
竜殺しは、自分のテリトリーに同鱗――同じ竜から呪いを受けた者――以外の成人した竜殺しが入ることを嫌う。竜由来の縄張り意識から、殺意を抑えられなくなるのだ。幼いうちは見逃されるが、およそ十八から十九才を境に、敵と認識してしまう。女王に付き従ってきたのが少年の竜殺しだけだったのは、そういう理由からだ。
だからといって、他人の城に入るのに、他に成人した竜殺しを連れて来ないわけがない。竜殺しに対応できるのは竜殺しだけなのだから。
そこで、本拠地に貴人を招く場合、随行員を詮索しないこと、見えない位置に護衛を置く便宜を図ること――衝立を設けるなど――が礼儀となっている。
もっとも、本来なら竜殺しはお互いのテリトリーには入らず、関係のない土地で会見する。
その点で、ヴァユの女王が自ら各地を訪ね歩いているのは、理に適っている。どこにでも直接乗り込める人が国主として立つことで、各領国の主と面識を持てるのだから。
最も多くの竜殺しを抱え、最も顔が広く、最も各領国に影響力を持つ女王の国、ヴァユ。最も頼りになり――だからこそ最も信用ならない。
あの女王に、ルーシェを渡すわけにはいかない。
胸を張って偉そうに見えるように歩きながら、ルーシェにもそうと悟られないように、細く細く静かに溜息をついた。
まずは昼餐でのもてなしだ。
緩衝役として、母と神官のネイトに両脇に座ってもらい、書記のウォリックと財務のミカは、詳しい話が出たときのために同席させる。家令のサマルと兵隊長のレンは裏方だ。もてなしと警備がある。
「先にこの者を紹介をさせてください。我が炎の竜殺し、ケーニヒ家のウルムです。ギルバート様と同じ十五才なのですよ」
同い年とは珍しい。数が少なく、生まれる人数も少ない竜殺しが、同年に生まれるのは稀だ。
女王にまなざしを向けられ、彼はさっと胸に手を当て頭を垂れた。その手が無数の朱色の鱗に覆われている。
あの量ならば、単純に俺より腕力があるだろう。もっとも、腕から力を繰り出すには全身の連動が不可欠だ。鱗が多ければ強いというわけでもない。
「ウルム・ケーニヒにございます。お目にかかれて光栄です」
「ウルム卿、会えて嬉しく思う」
俺から手をさし出し、握手をした。ぎゅっと力いっぱい握られるかと思ったら、そうでもなかった。その代わり、何か言いたそうにして手を離さない。おそらく手を離すのを忘れている。
「何か?」と聞きながら手を引き戻したら、ウルム卿は思い出したように、ようやく離した。
「不躾ながら、お聞きしたいことがあります。先程の小さな白の竜殺しは来ないのですか?」
「昼寝の時間だ」
それもあるし、何よりヴァユに関心を持たれたくない。だから、ばば様に預けた。あそこは父上がいるので関係者以外立ち入り禁止だ。ヴァユの者がうっかり迷子になっても、会えない。無理矢理侵入しないかぎり。
「起きたら、俺、遊び相手になってあげられます」
キリッと胸張って、何言ってんだ、こいつ?
「手は足りている。卿を煩わすまでもない」
冷たく突き放すと、あ、と気付いた顔をして、あわてたように弁明をはじめた。
「同鱗でなくても、あの子を傷つけようなどとは思っていません! まだあんなに小さいではないですか、敵意を抱きようがありません。とても、とてもかわいいと思いました!
幼いのに父親を亡くしたばかりで寂しいのではないかと思って。せめて遊び相手になれればと思ったんです!」
とても、とても、と重ねて言ったぞ。よけいに駄目だ。会わせれば、ルーシェのかわいさの虜になってしまう。そうしたらもっとかまおうとするはずだし、過ごす時間が多くなれば、性別がバレる機会も増える。
――こいつとは、会わせないこと決定だ。
「必要ない。あれはレドヴァーズの養い子だ。充分配慮し、手は足りている。それとも、我が采配に落ち度があるとでも?」
「そのようなことは言ってないではないですか! ただ、幼い竜殺しの手助けができればと思っただけで」
「ウルム、下がりなさい。
ギルバート様、我が配下がご無礼を」
ウルム卿は不満そうながらも途中で口を噤んで、すぐに片膝をついた。
「出過ぎたまねをいたしました。どうかお許しください」
「気にしていない。ウルム卿、立って席に着くといい。ラダ様もどうぞおかけください。良い肉と酒を用意させたのです。ぜひ温かいうちに召し上がっていただきたい」
ようやく食事が始まった。