継承6
正午になるのは、あっという間だった。
衣服を整えて、ルーシェと一緒に礼拝堂に向かった。礼拝堂は中庭の一角にある。窓の少ない薄暗い城から出たところで、眩しさに思わず足を止めた。
空が青かった。雲一つなく澄みわたって、まるで深淵のようだ。
――イスヘルムが見ている。
ゾッとするような感覚とともに、そう感じた。
神々がケイの魂を迎え入れんとしている。彼は正にそれに足る竜殺しだった。神々が傍に呼び寄せたくなるのも頷けるほどの。
それが誇らしく――口惜しい。ルーシェも、俺も、エヴァーリにも、まだまだ彼が必要だったのに。
ルーシェを抱えて、礼拝堂に入った。祭壇の前に安置された棺の中に、白い喪章を付けた人々が、一人、また一人と、花を供えては、静かに別れの挨拶をしていた。その最後尾に並んだ。
「ルーシェ、これはあなたの分。棺――皆がやっているように、あの箱の中に入れてあげるのよ」
入り口に置いてある籠の中に入っている花を一つ、母上に渡され、ルーシェは「はあい」と元気に答えた。
「ねえ、おとーさん、どこかなあ? まだ来てないのかなあ?」
無邪気な疑問に、礼拝席に残った者達の肩が揺れた。俺も目頭が熱くなって喉が詰まる。「もう少しだ」と言葉少なに答えるので精一杯だった。
他のすべての者達が花を供え終わり、目の前に誰もいなくなった。棺に歩み寄る。
「あ、おとーさん!」
ルーシェを下ろしてやると、棺のケイの顔のあたりに取り付き、中を覗き込んだ。
「おとーさん、まだ寝てる! 起きて! ねえ、起きて!」
床を蹴って、ケイへと手を伸ばす。棺はルーシェの身長に比べて深い。棺がひっくり返るかルーシェが棺の中に落っこちるかする前に、両脇を掴んで支えた。
ケイの額には飾り布が巻かれ、傷は見えない。まるで眠っているようだった。
「ルーシェ。ケイは死んだ。もう目覚めない」
「起こせば起きるよ。おとーさん、いつだって起こしていいって言ってるもん。夜だって起きてくれるよ。トイレに連れて行ってくれるし、怖い夢見たら、怖いものを追い払ってくれるし、すぐに起きてくれるもん。起こしていいんだよ」
「これからは、俺が起きてやる。いつだって起こしていい。昨日の夜だって、トイレへ連れて行ってやっただろ?」
「時々はギル様でもいいけど、今日はおとーさんがいい! 帰ってきたら遊んでくれるって言ったの、ギル様だって聞いてたよねえ? 肩車して足場を飛んでくれるって、約束したもん!
おとーさん、起きて! ねえ、おーきーてーっ! ねえーったら、ねえーっ!!」
ぐいぐい身を乗り出そうとするのを、抱き上げてしまおうかと思った。でも、ルーシェがケイに触れられるのは、これで最後だ。手が届くように近付けてやる。
「その花をケイに飾ってやれ」
「えー? なんでこんなにお花がいっぱいなの? おとーさん、お花好きじゃないよ、嫌いじゃないけど」
「皆の気持ちだ。ケイが好きだ、ていう。ルーシェも好きだろ?」
「うん、大好き!」
「だったら、入れてあげろ。俺も入れる」
ルーシェの体の下で握っていた花を、手放す。ぽとりと落ちたそれは、たぶんルーシェを支えた時に握りつぶしてしまったんだろう。ぐしゃぐしゃになっていた。
「おとーさん、お花いっぱいで、きっとびっくりするねえ、起きたら」
くふふと笑いながら、ルーシェは額の飾り布の上に花を置いた。
「ルーシェ、頬にキスをしてあげな」
もっと身を乗り出させると、ルーシェはケイの顔を掴んだ。
「おとーさん、おーきてー」
唇をくっつけて、顔を離し、ぺちぺちと頬を叩く。反応がないのを見て、「おとーさん、おーきて」とまた節を付けて言って、キスをした。
まるで呪文のようだ。死者を蘇らせる魔法。
固唾を呑んで、ケイの目が開くのを待つ。
「……おとーさんの顔、冷たい」
ぽつりと落とされた呟きに、はっと我に返って、ルーシェを抱き寄せた。
「先に外に出ていよう。……ケイは皆が連れてきてくれる」
これから棺に蓋をかけ、釘で打ち付ける。それをルーシェに見せたくなかった。
きっと、どうして、と言うだろう。『どうして蓋をするの』『どうして釘をするの』『そこにはおとーさんが入っているのに』
棺が人々に担ぎ上げられ、礼拝堂を出てきた。弔いの鐘が、カーン、カーンと響き渡り、高い空に吸い込まれていった。
「天に御座すいと尊き神、イスヘルムに畏み畏み申し上げる。地上エヴァーリを守りし、いと勇敢なる竜殺し、ケイ・ティレルの魂が御元に参じ奉る。どうか祝杯をもって迎え入れられんことを、畏み畏み願い奉る」
ネイトが錫杖を掲げ、唱え終わると、礼拝堂の脇にある霊廟の入り口から地下へと向かった。礼拝堂の下にあたる場所。そこが代々の竜殺しの墓場だ。
墓室の中央に置かれた木の台に棺が下ろされる。
ネイトは今度は錫杖で地を突きながら、女神に捧げる祝詞を唱えた。
「地に御座すいと尊き神、ナーシュリーに畏み畏み申し上げる。地上エヴァーリを守りし、いと勇敢なる竜殺し、ケイ・ティレルの肉体が永久の眠りにつく。どうか彼に安息を与えたまわんことを、畏み畏み願い奉る」
もう一度棺が持ち上げられ、足側から狭い安置所に差し込まれた。人々が二人ずつ組みになって、少しずつ押し込んでいく。
「ネイト様、さっきからおとーさんのこと言ってる?」
「ああ。ケイをよろしくって、神様に頼んだ」
「ふうん。どうして?」
「ケイが死んで、神様の国に行くから」
「え。じゃあ、ルーシェも行く!」
「ルーシェはまだ行けない」
「なんでえ!? ルーシェがちっちゃいから!?」
「そうだ」
ルーシェはしょんぼりとして下唇を突き出した。街道の見まわりなんかでルーシェを置いていくことはよくあったから、幼いと連れて行ってもらえないことがあるのは、承知している。
「……おとーさん、いつ帰ってくる?」
「帰ってこない」
「えっ!?」
「ルーシェ、聞け」
泣き言を言おうとしているのを、強い口調でさえぎり、その目を覗き込んだ。
「いつか、おまえが、会いに行くんだ。いっぱい修行して、立派な竜殺しになって。伴侶も見つけて。幸せで楽しい日々をたくさん過ごして。それから、行くんだ」
「……りっぱな竜殺しにならなきゃ、行けないの?」
「ああ、そうだ。ケイみたいな立派な竜殺しにならないと、行けない」
ルーシェは難しい顔で黙り込んだ。
俺達の順番がまわってきた。二人で棺を最後まで押し入れた。
最後にケイの名の刻まれた金属製の板が打ち付けられる。人々の間に、すすり泣きが漏れた。
それで、それだけで、葬儀は終わった。
誰もが、沈黙のうちにそこを立ち去っていった。