継承2
「ウォリック、レン」
父上が書記と神官を呼んだ。進み出てきたウォリックに、板に張り付けられた羊皮紙を渡される。城主位を俺に譲る旨が書かれ、父上のサインも入れられていた。
さし出されたペンを取り、父上の名の下に自分の名を書き入れる。
レンが内容を検め、天空神を表す二重円の印を捺し、言祝ぐ。
「天に御座すいと尊き神、イスヘルムに畏み畏み申し上げ奉る。
地上エヴァーリは今この時よりギルバート・レドヴァーズを城主として仰ぐ。
どうか、エヴァーリとギルバート・レドヴァーズに、その恩寵を賜りたまえ」
祈りが終わると、父上が口を開いた。
「ギルバート、竜殺しの誇りを、決して忘れるな」
「必ず。この力は人々を守るためにあること、決して忘れぬと誓います」
父上は微かに笑んで、ふーっと長い息を吐くと、深い眠りに落ちていったようだった。
「皆に相談がある。これからすぐ頼めるか?」
父上を起こさないように小声で言うと、皆が頷いてくれた。
ばば様を残し、母上を含めて部屋を出る。施設の使用状況に一番詳しい兵隊長のレンが、近場の小部屋へ案内してくれた。
「ルーシェ、しばらくおとなしくしていてくれな」
唇に一本指をあてて頼むと、同じ仕草をして頷いてくれる。
皆がずらりと面前に並んだ。母上以外は誰もが俺より身長が高い。……いや、身長など些細なことでしかない。
彼らを見上げ、一人一人の顔を見まわし、口を開いた。
「俺は、若輩者だ。皆のような経験も、見識も、足りていない。
だが、この地を守り、栄えさせるために、俺にやれることはやり尽くすと、誓う。だからどうか、あなた達の力を貸してほしい。頼む」
頭を下げた。俺は今、何をどうすればいいのかすらよくわからない。彼らに知恵を借りられないなら、エヴァーリを守ることはできない。
「どうか頭を上げてください」
書記のウォリックが進み出てきて、俺の二の腕を掴んだ。父上を含めて大雑把な者が集っている中で、舌鋒鋭い堅実を第一とする厳しい人だ。俺も「ギルバート様」と呼ばれるだけで、背筋がピンと伸びる。父上なら「ウォリー、そこをなんとかしてくれ」なんて軽口を叩くが、俺はさすがに言えない。
どんなことを言われても、まずは彼の話をすべて聞こう。改善すべき点があるから言ってくれる人なのは、わかっている。
覚悟を決めて顔を上げた。
けれど、目が合ったウォリックは、苦言を呈する雰囲気ではなかった。
「私達は、それこそあなたが生まれた時から、あなたを見守ってきたんです。こう言っては語弊があるかもしれませんが、私達には、エヴァーリの未来を託せるよう、あなたを育て上げてきた自負があります。
今が、想定してきた来たるべき未来です。
そうでしょう、皆?」
ウォリックが最後に振り返って問いかけると、誰もが頷いた。苦笑や、やれやれといった雰囲気だ。
「水臭いことは言いっこなしですよ」
レンが片目をつぶる。ウォリックはポンと俺の腕を叩くと、元の位置まで下がった。
「ありがとう。これから、よろしく頼む」
頼りになる大人達のありがたさに、俺はもう一度頭を下げた。
「それで、早速相談したいのは」
そう切り出すと、家令のサマルに、お待ちを、と止められた。
「まずは座りませんか。腰を据えて話しましょう」
それもそうだ。立ち話ですむ話でもない。それに、女性である母上も、……あ、ルーシェもいたんだ! あんまり静かで、すっかり忘れていた!
急いで様子を見ると、ぎゅっと俺のズボンを握って、神妙な顔をしていた。俺に見られている気配を察したらしく、上を向く。
恐らく目が合った瞬間に、俺がルーシェを忘れていたことを悟られた。きゅいっと口がへの字に曲がり、……なぜかもっと体を寄せて、俺の足に顔をこすりつけた。
んん!? 怒るより、忘れちゃ嫌だってことなのか!?
思わず抱き上げれば、しがみついてくる。よしよしと頭を撫でずにはいられなかった。
本当は、誰かに預けて部屋の外に出したほうがいいのかもしれない。でも、とても手放す気になれない。
それに俺に何かあったら、エヴァーリにはルーシェしか残らないのだ。幼くても、今はわからなくても、俺が何をやっているのか見せていく必要がある。父上やケイが、そうしてくれていたように。
抱っこしたまま座る。誰も何も言わない。それを了承と受け取って、改めて問いかけた。
「ランダイオへの報復はどのようにすればいいか、意見を聞かせてほしい」
「言っておきますが、これからお一人で行けば、防衛準備が整う前に皆殺しにできるとかいう案は、受け入れられませんからね」
レンがいきなり身を乗りだして言った。怖い顔をしている。なんでだ?
「どこだって竜殺しに対する備えはしています。それに嵌まってしまえば、たとえ竜殺しであろうと無傷ではすみません。
そもそも今回のことは突発的な出来事で、主戦力はランダイオに残っています。そんなところに絶対にあなたを一人では行かせません。お一人で行かれても、必ず追いかけますからね! 我々は総力戦の用意をして参りますから!」
すごい勢いでまくしたてられた。たしかに、ランダイオ兵を全滅させた俺のやりようを見れば、警戒したくなるのも無理はないが、さすがに虐殺でなんでも解決しようとは考えていないのに……。
「わかっている。なにがなんでもランダイオの城を皆殺しにしてまわらなければ気が済まないとは言ってないだろう。
それはもちろん、ランダイオ城主以下、その臣下の首をことごとく墓前に供えたいと、思わないと言えば嘘になる。
だけど、ランダイオを滅ぼしたら、そっちのほうが問題が多くなるのは理解している。
だからといって、なんの報復もしないのだけは有り得ない。何をされても黙っていると思われれば、ありとあらゆるところから喰いものにされるだけだ。
だから、早急に動くならどの程度までやればいいのか、どのへんが落としどころなのか、相談したかっただけだ、ヴァユが来る前に」
一気に話しすぎて、少々息が切れる。
レンがぱちぱちと何度も瞬きした。皆も微妙な顔つきをしている。
あああ、お粗末だな、俺! 結局、レンと同じくまくしたててしまった。そういう高圧的な態度を取るなって、父上には口を酸っぱくしていわれていたのに。
どうやって言えば、質問の意図をもっとわかってもらえたんだろう? うまくできない自分にへこむ……。
レンが「こりゃあ……」と呟いて、後ろ頭に手を当てた。バツが悪そうな顔をしている……?
「失礼しました。申し訳ありません。早とちりをしていたようです。どうしても仇討ちをしたいのかと……。その、ご自分のせいだとおっしゃっていたので。無理をするんじゃないかと心配で」
あ、なんだ、見境なく殺すことじゃなくて、俺の心配をしてくれたのか。
はあ、と苦笑が漏れた。
「俺が無理をしてどうにかなるなら、いくらでも無理をするけど、エヴァーリのためにならないなら、意味がないとわかっている。俺の命はもう、エヴァーリのものだ。自分勝手なことはしない。そこは安心してほしい。
だからこそ皆に意見を聞きたいんだ。やれることは手を尽くしたい。皆、遠慮なく言ってほしい。どんなことでも、俺の手の及ぶことなら、竜殺しの誇りに懸けて、必ず果たすから」
部屋がシンと静まりかえる。……なんで突然、今度は深刻そうな雰囲気に?
神官のネイトがおもむろに手で二重円を作り、祈りを捧げはじめた。
「イスヘルムよ、エヴァーリとギルバート・レドヴァーズを、どうか守りたまえ」
皆が同じく、右の拳を左の掌で覆ったイスヘルム神を崇める印を結んで、無言で頭を垂れる。
ルーシェまで、皆を見まわして最後に俺をじっと見た末に、手を合わせて目を閉じた。ぺこりと頭を下げている。……意味がわからなくて俺に聞こうとしたが、俺もわかっていないのを見抜いて、同じだからまあいいやって思ったんだな……。
祈り終わったネイトが、もの柔らかに「ギルバート様」と呼びかけてきた。
「戦盤では城主を取られれば負けます。現実も同じです。どうか御身を大切になさいますよう」
「ええ、わかっています」
俺、今、勝手に無茶なことはしないって言ったよな? なのに、なぜ、そんな窘めるような言い方を……?
よくわからない。わからないが、この様子を見ると、大人達の意見は一致している。うっかり質問すると、わかるまで説明が延々と続くやつだ。話題を変えたほうがよさそうだった。