来襲1
ふわーあ、とあくびをしつつ部屋を出る。眠い。最近寒くなってきたから、朝が辛い。
寒いと朝の目覚めが悪くなるのは、竜殺しの体質だ。冬眠した竜の性質を受け継いでいるのではないかと言われている。――なんてことを寝坊の言い訳にしたら、適当なことを言うんじゃないと、父上に拳骨を落とされた。
でも、父上だって朝が苦手で、母上にそれはそれは優しく起こしてもらっているくせにさ。俺には鐘の音だけで起きろって、そりゃあ時々失敗するっての。大人って、よく理不尽なことを言うよな。
石造りの階段を下りて、二階の大広間へ続く廊下に出る。
五メートルほど先を歩く従兄弟を見つけ、思わず呼んだ。
「おい、ウィルバート!」
彼の足がピタッと止まり、一呼吸置いてから振り返る。
「おはようございます、ギルバート様」
なんでもなさそうに装った慇懃な態度が忌々しい。『あなたと俺は違いますから』てなんだよ。特異体質ではあるけれど、俺だって人の端くれなのに……。
いや、喧嘩を売ろうと思って声をかけたんじゃなかった。
「誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます」
すぐに頭を深く下げたから表情は見えなかったが、雰囲気は悪くはない。
タッと一足で追いつき、隣に並ぶ。
「いい匂いしてるな」
早く広間に食いに行こうぜ、と、うっかり誘いかけた言葉を途中で呑み込んだ。
顔を上げたウィルバートは、もう不機嫌だった。無表情の仮面が、話しかけるなと言っている。
今のどこに不機嫌になる要素があったんだ……? わからねえっ! ほんっと面倒くさい奴!
溜息を吐きそうになって、唇を引き結ぶ。
俺にこいつを苛々させる何かがあるんだろうっていうのは、わかっている。竜殺しを嫌う他の奴らみたいに、この竜眼や鱗を、こいつは恐れていない。俺の竜の部分ではなく、人としての何かが気に入らないってことなんだろう。
……嫌いな相手に祝われても、鬱陶しいだけだったかな。ちぇ。いらないことをしてしまった。……まあいいか。俺は祝いたかったんだし、それはべつに悪いことじゃないだろ。
ついでだから、言いたかったことを全部言っておこう。
「今日からの一年が良い日々になりますように! じゃ、俺、行くな!」
ウィルバートの反応は見ないで、ひらりと手を振り、先に広間のアーチをくぐった。
「ギルバート様、おはようございます」
「おはよう!」
すでに食べている面々に次々声を掛けられ、俺も挨拶を返しながら進む。
城には色々な仕事があるし、仕事をする時間も違うから、都合の良い時間に来て、厨房に頼むルールだ。
ただし、城主夫妻である両親が食事をする時間は決まっていて、だいたい皆、その時間に合わせて集まる。――俺もそうせよと命じられている。
あ、やった! 二人ともまだ食べている。今日は間に合った!
「父上、母上、おはようございます」
父上は「うむ」と頷き、母上はにっこりと「おはよう」と言ってくれた。
そそくさと自分の席に着いて、周囲の人に挨拶していると、隣に座るケイの膝の上からルーシェが降りて、俺の膝に取り付いた。
「ギル様、おはよーございます!」
榛色の大きな目が嬉しげに細められ、顔いっぱいで笑っている。小さな体を持ち上げて膝にのせて、白いふわふわの髪を撫でまわした。
あー、かわいいなあ!
「うん、おはよう。飯はもう食べたのか?」
「パンを食べてたところ!」
「ルーシェ、ギルバート様はこれからお食事なんだから。さあ、降りて。お父さんのところに戻っておいで」
ケイが両手をさし出してきたが、ルーシェは「や!」と言って俺にしがみついた。
ケイが世にも情けない顔になる。禿げ頭から顔面にかけて、たくさんの鱗が生えている強面――初対面の人間は必ず三歩のけぞる――が、すっかりかたなしだ。俺は思わずふきだした。
ここエヴァーリには、現在四人の竜殺しがいる。
竜眼を持つ、レドヴァーズ家の父上と俺。
頭部に多くの鱗を持つ、ティレル家のケイとルーシェ。
大昔、竜害に耐えかねて竜を殺し、その呪いを受けた者の子孫だ。
同じ竜の呪いを受けた俺達には、白い鱗が生えている。髪も白い。ティレルの血統ほどではないが、俺も全身のあちこちに鱗があるし、だいたい多いところの力が強い。
幼いルーシェのかわいい顔にも、もう左目の下に三つ並んで生えている。動くたびにチカチカ光るそれは、小ささも相まって愛らしい。まるでアクセサリーのようですらある――今はまだ。
息子は多かれ少なかれ父親に似るものだと言われている。だから恐らくいずれは、ルーシェもケイみたいな禿げの大男の鱗だらけの強面に……。
想像できない。いや、したくない。
急にたまらない気持ちになって、ルーシェの頭に頬をくっつけた。スベスベのふわふわに、すりすりする。
「ルーシェはいつまでもかわいいルーシェでいてくれ……」
「ギルバート、さっさと食べないか。今日も納税された酒樽を主郭の食物庫まで運ぶのが、おまえの仕事だ」
「うへえ」
『竜眼公の物見の塔』とも言われるこの城は、その名の通り頂上に物見の塔を立て、竜の襲来を見張ったのが起こりだ。今は竜ではなく、異獣や盗賊、近隣領国の襲撃を見張っているのだが、そんなわけで、とにかく物資を運び上げるのが大変なのだ。
城主の息子とはいえ、まだひよっこの俺は、修行がてら竜殺しの力を人のために役立ててこいと、こんなときには便利に使われる。
まあ、麓から頂上まで行ったり来たりが面倒なだけで、酒樽の十や二十、たいしたことではないから、かまわないんだけど。
「ギルバート」
父上に鋭く呼ばれ、急いで姿勢を正した。まずい。先日も、「もう十五なのだから、エヴァーリの後継者としての自覚を持ち、きちんとした言葉遣いをせよ」と叱られたばかりだ。
「はい、承知しました!」
父上はフンと鼻を鳴らしたが、それ以上のお咎めはなかった。
急いでテーブルの中央にある大皿からパンやチーズを取って、食べはじめる。……ルーシェと分け合いながら。一つの物を一緒に千切ってはお互いの口に入れるのが、ルーシェのお気に入りの食べ方だ。
二年前にルーシェの母親が亡くなって以来、ケイが忙しいときは、皆でルーシェの面倒を見ている。特に食事は俺と取るのが好きみたいで、美味しい物はこうやって俺に食べさせたがるし、もちろん俺も食べさせてやりたくなる。
お世辞にも行儀がいいとは言い難いのはわかっているが、母親を亡くした幼い子のやることだからか、さすがに父上もうるさく言わない。
「おなかぺこぺこだから、もっと大きいのが欲しいな。ルーシェ、それ、千切らないでそのままくれ」
あー、と口を開けると、残っていたパンを全部くれた。口からはみ出したのを自分で持って噛み千切り、その間にルーシェにはミルクを飲ませてやる。
その頭の上でケイに目で聞くと、もう食べさせる必要はないと目配せされた。
「あー、俺は腹いっぱいだ。ルーシェはどうだ?」
「腹いっぱい!」
「よし、じゃあ、挨拶だ」
ルーシェの顔を覗き込めば、ルーシェも俺を見上げて息を合わせてくる。
「ごちそうさまでした!」
お、寸分違わず揃った。
ルーシェが喜んで両手を上げたので、掌を打ち合わせてやり、それからケイの膝の上に戻した。
「ルーシェ、また後でな」
「お仕事終わったら、けーこの相手、してくれる?」
「ああ、いいよ」
いってらっしゃーい! と元気に手を振ってくれるルーシェに見送られて、城門まで下りるべく大広間を出た。




